第3章・盟主
壱
広間には、髪を切った虎御前があらわれ、さらに士気が上がる。主役の座を奪われた晴景は、喘息の発作にみまわれ葬列の出発まで退出することになった。
あきらかに虎御前に戦の主導権を奪われたのが、ショックだったのだろう。虎千代はまだ元服もしていない年齢のため、葬列には参加するが戦闘にまで参加しないことになった。
―――父上、これで良かったのでしょうか?私はお爺さまの言葉通り葬儀のことだけを考えておこう。
「うふふ……退屈そうですね若様、改まってお話があるのですが?」
「へっ?改まって話しって何かな」
戦の門外漢となった虎千代は、暇そうにしていたが、お扇に声をかけられ、誘われて人気の少ない庭先に出た。
「頭領、虎千代君をお連れ致しました」
「えっ……頭領?」
雪が樹氷のように凍りついた木立の影から、好好爺の顔をした男が表れる。いわれなければ、軒猿の頭領とは思えない垂れた目元の優しい風貌をして、かえって商人とでも言われたほうが納得できそうな男だった。
「若様、わざわさ呼び立ててすまんかったの。わしは源流ともうす軒猿の頭領ですじゃ」
「ほう……軒猿の頭領・源流殿ですか、お初におめにかかる為景が末子虎千代にございます。いまだ元服前の若輩の身に、頭領みずからのご用件とは何でありましょう」
私は、初めて会う軒猿の頭領に内心の動揺を悟られないよう、ゆっくりと落ち着いたふりで挨拶をした。なぜ軒猿の頭領ともあろう者が、私なんかに話しをしたがるのか見当もつかなかった。
「のう若様、軒猿の盟主になってみませんかの?」
源流は気軽な口調で本題をズバリ問いかける。私は思ってもない要請にうろたえ、いったい何をどう返して良いものか、判断がつきかね腕を組んで考え込んだ。
「堅苦しく考えんでもええですじゃ、若様とてこ度の戦に勝ちたかろう。ならば迷わずお引き受けあるのが肝要ですじゃ!!」
「たしかに勝ちたいと思うのは、春日山に居るものすべての願い……盟主などと、まだ年若い私などが勤めるのはどうかと思いますが?」
―――新たな出会いに困惑する虎千代、そして運命が回りはじめた。
弐・虎千代side
だいたい子供の私に盟主などと持ちかける、軒猿の頭領の意図する所が理解できない。困惑をつのらせる私に、源流が悪戯っ子のように目尻のしわを寄せ笑った。
「ほう……さすが為景殿の秘蔵っ子、なかなか思慮ぶかき子じゃ!!晴景殿ならば、小躍りして即答されるであろう」
「……それは」
兄上ならば喜びそうなことだと、簡単に予測がついた。それにもまして軒猿忍軍が、自ら盟主を選ぶという事実に驚いた。
「そのような粗忽者に、軒猿の盟主など誰がすると思いますか?それゆえ若様と盟約を結ぼうと思いましたのじゃ。これから晴景殿を支える為に我らの力が必要になる……悪い話しではありますまい」
―――嵌められてる気はするが、長尾家を見捨てられても困ることになる。
「たしかに、私は降参するしかありませんね。長尾家を質にとるなど、源流殿はたいした方です」
なるようになれと、はんば自棄っぱちで引き受けると、したりと源流は人の悪い笑みをうかべた。そして、ひらき直った私は、源流と戦術を検討することになった。
―――栖吉のお爺さまや上杉の御舘様、それにこの源流殿といい元気の良い爺さんには負ける。私にとってジジイは鬼門らしい。
為景直伝の軍学をいかして、絵図をみながら検討する。この頃の私には戦をする実感は殆んどなく、高揚してくる頭のなかには、はっきりと相手をとらえ何通りもの戦術が浮かびあがった。
「ならば敵後方の山側に弓を配し、味方に躍り掛かる敵に弓をいかけるというのはどうでしょう?ただし敵方の退路は開けたいと思います」
絵図を睨み、しばらく考えていた源流が私を試すように聞いてくる。
「なぜ敵方の退路を開けようと思われたのじゃ」
「葬儀ゆえ長い戦はさけたいもの、逃げる敵には逃げ道を用意するほうが得策と考えました」
私は、たわいない悪戯を企む子供のように、源流の目を覗き込む、源流は垂れた目を細め、満足そうにポンと膝を打った。
「それは良い、ならば敵方に間者を紛れこませ、戦鬼が生き返ったと流言を流せば、きっと効率よく逃げ失せましょう」
―――流言など好きにはなれないが、犠牲を少なくするためには仕方がないのだろうか?
参
虎千代が源流のもとを立ち去るやいなや、段蔵が雪を被った植え込みの影から頭領のまえに出た。
「へえ……あの坊主ただのガキかと思ったら、怖いくらいに頭がキレる。さすがに頭領が選んだ通りのくわせもんだ」
段蔵は、ヒューと口笛を吹くと妙に感心した顔をした。それに応え源流は、口を歪めてニヤッと笑った。
「この越後は虎千代様でなくば落ち着かぬ、なにより軒猿の盟主にふさわしい方じゃ。直江殿に事の顛末を、こっそり教えてさしあげろ」
「おいおい頭領……そんなデタラメな事を言うと直江の旦那が腰を抜かす!!越後国主はあの坊主にしろとでも言う寸法かい?頭領も食えぬお人よ、可哀想に……あの坊主そこまで考えに無かったとおもうぜ」
段蔵はブツブツ文句を言いながら、広間にいる直江実綱に繋ぎをつけに行く。広間の直江の耳にだけ聞こえるように、幻術をほどこして人目のない場所に誘いだす。
「直江の旦那!面白い事になったぜ」
直江は、思わせ振りな段蔵を眉をさげていぶかしそうに見た。その胸中にあの偏屈な軒猿の頭領が、何かとんでもない事を言い出したのではないかと危ぶんだ。
「段蔵、はっきりとした物言いのお前にしては、思わせ振りな言い方だな。それに珍しく機嫌が良いのは、何かとんでもない事のような気がしてならん」
直江は疑り深い目をしてジッと段蔵をうかがった。段蔵は、喉元をふるわせ笑いを噛み殺す。
「ククッ……正解、かなり破天荒なこったぜ!聞いたら、ぶったまげるぞ直江の旦那」
しっかり片手をだす段蔵に、直江はしぶしぶ小金を握らせた。そして早く言えとばかりに顎をしゃくる。
「ええい……は、早くいわんか。まさかあの幼い虎千代様を盟主にした。なんて話しではあるまいな?」
「またまたせー解。軒猿は若様を国主に据えたいって寸法らしいぜ」
段蔵はふざけた態度で直江に指をさす、直江は酢を飲んだような顔付きをした。しかし内心ではすでに予測はついていた。先ほどの広間での一件からある意味覚悟すらしていた。
四
「やはり源流殿は、目利きでいらっしゃる」
「へえ、じゃあ何かい直江の旦那も坊主を認めているのか?」
段蔵は興味深く目をギョロリとして直江に問うた。故為景の腹心は、腕を組んで考え込んだように首を横に振り、覚悟した目をして語りだした。
「いやわしは、ついぞ虎千代君の才を認めては居らなんだ。しかし主為景も源流殿と同じに、あの方をかっておられた。そして死の間際にわしを呼んで、あれは天翔ける龍の雛じゃ、いずれは越後の王となる。とまあ予言めいた事を仰せになった」
「ほう、『龍の雛』だってアノ為景もよく言ったもんだ。面白くなってきやがったじゃねえか、でどうするつもりだい直江の旦那」
直江は、眉をしかめて調子のいい段蔵を睨み、深いため息をひとつ吐いた。
「だがな段蔵、虎千代君は幼すぎる。まして政治の表舞台になどは出せぬが道理じゃ」
「……まあな」
いくら亡き主が夢をみたとしても、現実的には無理がある。幼い君主はまあ良いとして、長尾一門衆の内部分裂を引き起こしかねない危険がある。長尾家の力が弱まることには、賛成できかねる直江であった。
「だがなあ旦那、答えは早く決めたほうが良い。ありゃあゲス野郎の晴景がほっとかないぜ!!可哀想にあの坊主殺られるな……」
「……ああ、あり得る」
あの晴景は執念深い、それになにより権力に固執するタイプだ。目障りと思えば汚い手にでないとも限らず、直江の葛藤は深くなる。しかしあの広間にいる武将逹が、虎千代の覇気に魅せられた事は間違いないと直江にも理解できた。
「旦那、あの坊主は頭が恐ろしく切れる。おそらく並みのガキじゃねえ。あれだったらほっておいても、自力で越後を切り取ってしまうかもな。なんせ栖吉という背景もあるし、おそらく頭領もほっとかないだろう。晴景を認めていない武将も荷担するだろうしな」
「お、おい段蔵!物騒な事を言うてくれるな!しかたがない、虎千代様のお命は必ず守ってくれよ。かの者が長じて後は、この直江に考えがあると頭領に伝えてくれ!」
越後の安定化を望む直江にとって笑い事ではすまなかった。当の本人は預かり知らぬ所で、すでに運命の歯車が回りだしていた。
第3章・盟主