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第2章・慟哭


 積雪におおわれた春日山城は静まりかえっていた。曲輪には府中長尾の旗さしものが、なん本もひるがえる。


 晴景は、直垂をまとい上座をしめていた。そして広間をうめつくす戦支度の侍を、イライラと見ていたようだ。


「直江、何だあやつらの態度は、わしは実城ぞ!!すこし無礼なのではないか?」


 直江実綱は、眉じりをさげ困りはてた顔をしていた。老獪な政治家である彼の内心では、広間にいる皆が何を考えてるかくらい、手に取る様にわかっていた。


 晴景は、神経質に爪をかんだ。彼は父である為景の死をさかいに、味方武将の態度が、明らかに変わった事に腹をたて苛立っている。


「わしは、新しき実城ぞ!!天朝さまより認められし越後の国主なるぞ!!あやつらわしを何と心得ておるのだ!!」


 晴景は、苛立ちを露にカタカタとせわしなく貧乏揺すりをする。この広間では晴景の存在さえ忘れさった様に話を聞かぬ者や、臣下の礼さえまともにしない者が数知れず。


「なんじゃ、あの栖吉のジシイは態度がでかすぎるのじゃ!!もうろくジシイが!!」


 この広間では、虎御前の実家の栖吉から当主の長尾房景(ふさかげ)が、老骨にムチを打ち最強を誇る軍団を引き連れ参内し、戦の手配りを始めていた。上田からは弔問に代参の者しか訪れていない、味方からすれば心強い一門衆にみえたが、晴景にすれば嫌いな虎御前の実家を頼りにするしかない現状が、ひどく口惜しかったのだ。


「……気にくわない」


「まあまあ新城(にいじょう)さま、喪主はどしっと構えておられよ」


 直江は晴景の機嫌をとるように、口先だけの甘い言葉をはいた。事態は悪い方向に転がりはじめていると直江は直感していた。まだ栖吉の老体がいるから抑えは効いている、はたして人望のない晴景の指揮に、皆の心が一丸となれるのか?


 ストレスが高まったのか晴景は喘息の発作に苦しみだした。息苦しいあえぎに広間にあつまる者の視線が冷たくささる。ひゅーひゅーと胸がなる、小姓に背中をさすらせる晴景。


「何もかも何もかも、広間にあつまる不忠者のせいじゃ」


 広間のものは、そこかしこでひそひそ話を始める。葬儀のまえとも思われぬ騒がしさに包まれていた。そんな広間に、凄烈な一陣の風が吹き抜ける。


「者共、鎮まられよ!!父、長尾為景が葬儀の場なるぞ!!」


弐・晴景side


 広間に朗々たる声がひびく、戦場をきりさく凄烈な声。わずか七歳の少年は甲冑を身にまとい、2連の数珠を前に押しだす。


 さしもの歴戦の剛のものさえ、気迫にのまれ。かつての主、為景にささげるばかりの深い臣従の礼を一斉にする。広間には、静かな緊張感がみなぎっていった。


 弟は、みなが平伏するのを認めると、重々しく頷き顔をあげ胸をはり、確かなあゆみで上座にむかい怯まずにすすむ。


―――なんなのだ、こいつ。これがあの大人しい虎千代か?


 わしは、腰抜けだとばかり思い込んでた弟の変貌に戦慄した。わしは、父の関心をすべて集める、こやつが嫌いだった。


 わしに近習する者を引き連れ、21歳年下の弟に泥だんごをお見舞いにいったこともある。女狐に似る弟が悪いのだ、あやつは怒れる栖吉のバカ兄弟を両手で制止し、黙って泥だんごを受けていた。


「なげるなら、この景資に投げなさい。私がいるかぎり、若君に泥など被らせぬ」


 涙をためた勇将吉江の息子が、勇敢にもあやつの前に立ちはだかった。それで泥団子が当たらなくなり、煩い傅役の金津が出て来たら困ると思って逃げだした。


 あやつは、女狐に似た切れ長の目で、静かにじっと我らを見つめ、なんの抵抗すらしない腰抜けだと、今日までバカにして歯牙にもかけなんだ。


―――そういえば父上が、死ぬまえに、虎千代の事でこんな事を言っていたな。


「のう晴景、わしが死んだら虎千代を頼るのじゃ。年下じゃからと言って侮るな。あの者はお前が真摯に頼みとすれば、きっと最後まで尽くしてくれる信義ある者だ」


 わしの前でどっかと腰おとし、弟は誰よりも深々と臣下の礼をとる。わしはみわたす家臣たちの低く頭をさげた様子に、これでこそ本来のありようと満足そうに頷いた。


「うむ、大義。面をあげよ」


 胸をこれでもかと反り返し年の離れた弟を得意げに見た。どうじゃ、わしは偉いんだぞ!!


「虎千代、御前にまかりこしてござりまする。このうえは、新城様を奉りひっきょうな奴腹を、父為景の供養の贄とすることをお誓い申し上げる」



 そう、虎千代には兄・晴景の思いを、すべて理解できていた。子供にとって親の関心がなへんにあるかと言うことは、最大の関心事だ。


 偉ぶって胸をそりかえす晴景の姿は、誰の目にも滑稽にしか見えなかった。それでも、虎千代はかりそめの父上の言葉を忘れることなど出来ない。


「晴景を良くささえ、越後をたのんだぞ虎千代」


―――本当に私は馬鹿だと思う。前世でも今世に於いても、こんな信義にてらす生き方しか出来ないのだから。


「あっはっはっ……さすがわしの孫じゃ!!よう言うた虎千代!!それでこそ栖吉を継ぐものじゃ」


 栖吉の御大が広間の注目をひくように、高く大きな笑い声をあげた。虎千代は、苦笑すると爺さまに向き直る。


「お爺さま、お久しぶりでございました。この度は父・為景の葬儀のためにご出陣感謝いたします」


 爺さまは、野太く笑うと虎千代の肩をパンパンと張る。晴景は苦り切った顔で二人を見つめ、お株をとられたと立腹しているのだろう。


「なんの心配もせんでええ。お前がたは、父上を弔うことだけ考えておれ。ここに居並ぶお味方衆が一丸となって、ひっきょうな奴腹を凝らしめてくれよう。のう、ご列席の皆々よ!!」


おおおぉ――――


 一際大きくときの声があがり、春日山城を揺るがせた。心がバラバラになっていた春日山城に、一本の筋がピシッと通る。


 広間につどう皆々の顔付きが変わる、たった1人の少年の毅然とした態度に、勝機がみえたのだ。弔問にきた腹の底のしれない味方衆も、勝ち馬なら必ずにのる。


「おお、そなたが主為景の秘蔵っ子か?なんとも頼もしい奴じゃ!!よし、一番槍はわしに任せろ、ひきょうな奴らを存分に蹴散らしてくれる!!」


 武辺者の柿崎が、虎千代の決然たる態度に気炎をはいて盛り上がる。この盛り上がりに皆も乗じて、さらに城方の士気は大いにあがった。


 ことの推移を見守っていた軒猿の頭領が重い腰をあげた。何百人の忍びが、情報収集に飛び出した。為景を亡くし様子見を決め込んでたが、あらたな盟主たる者を見い出し、本来の力を発揮しはじめた。


「お扇、軒猿は若様の味方につく。さっそく繋ぎをつけてまいれ」


「承知」


 広間にみなぎる力は、城全体を活気づかせ、それは城の外からでも、見るものが見れば一目瞭然、敵方のなかにも敏感に気配を察する者がいた。



 その男こそ琵琶島城主(びわじまじょうしゅ)宇佐美定満、その名を後世にのこす名軍師。しかしまだこの時点で、彼の本質を理解し、縦横無尽に使いこなせる主には恵まれていない。


 当時の軍師のありようも、現代の認識とはズレがある。林泉寺の天室光育(てんしつこういく)を思いだしてほしい、軍を采配する立場ではなく戦の吉凶を占うことが主たる役目でありました。


 宇佐美は、三國志(さんごくし)に登場する蜀の諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)のように軍略を生かし、じっさいに軍を動かす軍師となる望みがあった。


 孔明においても武田の名軍師山本勘助においても、つかえるべき将たる器に出会うのは晩年になってからの事。宇佐美とて、もう中年の域に達する年である。


 この越後においての彼のたち位置は微妙だ。かって為景に滅ぼされた守護の上杉房能(うえすぎふさよし)の重臣。いまは関東管領から禄をもらう立場にある。


 彼は、劣勢になった守護をみすてず。戦鬼為景を寡兵でしりぞけた武勇伝をもつ。その武人としての功名にひかれ反為景派と目されている。


 だが彼の胸内にあるのは信義を重んじるという思いのみ。まあ、変わり者なのはたしかだ。その飄々とした風貌もあいまって上条上杉方でも扱いかねているように思える。


 みはらしのよい場所で府中春日山城を睨んで立つ宇佐美定満。白髪のまじりはじめた髪をかいて考えあぐねている。


「何が城内でおこっているのだ。あの暗愚な晴景にあれほど城の士気をあげることなど出来まい……このままでは我が方は負ける」


―――もともとわしは、空き巣狙いのような戦には反対だった。


 強引な陣運びをしたのは、守護の甥.上条定憲その人である。参戦する者逹も利にさとい寄せ集めの国人衆だ。負けるとなれば我さきに逃げるにちがいなし。


 対する城方は、譜代のものを中心に団結した故為景が誇る精鋭軍団なのだ。その城方の気持ちが1つになった今、万に一つの勝ち目もないだろう。


―――わしの杞憂であればよいが。あぁ……厄介なことになりそうだ。



第2章・慟哭[完]


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