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第5章・逃亡


 虎千代はすべての気力を使い果たし、まる三日目の深い眠りのなかにあった。一方の、大人逹といえば、虎千代の将の将たる器に気づき、打つべき手配に余念がなかった。


 そんな大人逹の一人、傅役の金津新兵衛といえば、いまだに深い眠りにある虎千代の寝所にあって、槍を片手に無駄に恐い顔をして控えていた。


 金津本人は、いたく機嫌良いらしいのだが、虎千代の寝所へ出入りする者にとっては、心臓に悪すぎる光景だった。そんななか主を心配したのか、荒川兄弟がやってきた。


「あ、あのう傅役殿、若さんはどう……あ、まだ起きられてない……失礼しました!」


「……ご、ごめんなさい」


 寝所に入ったとたん、ギロリと鋭い視線をあびて、兄弟は即座に詫びをいうと、慌てて寝所を飛び出した。


「……こ、恐いよ兄者」


「……い、いうな長実!だいたい、お前あそこで何で謝るんだ。早く若さんに事態を教えなきゃと言ったのは、お前だぜ」


「なっ……それは兄者だって言ったもん」


 安実に叱られて涙目の長実だったが、彼なりに言い分もあって、ギャイスカと大きな声で兄弟げんかを始めてしまった。


「おい、聞こえてるぞ!!近習ども!!若が目をさました。虎御前様にさっさと取り次いでこい」


「ひいい……か、かしこまりました」


 寝所の目の前の廊下で話していたものだから、寝所の中にはまる聞こえだったらしいのだ。まあ、そのお陰で虎千代は目を覚ました。



 さても大変な事態になりました。自分を取り巻く大人逹の思惑に、いまだ気がついてない虎千代は、いつもと変わらぬ朝を迎えました。


「ふあ……なんか良く寝たような気が・す・る……し、新兵衛?なんで、おま……ここに?」


 寝ぼけた虎千代が、朝一番に目にしたもの、それは良い顔で口を歪めて笑う傅役の顔だった。虎千代の頬が一気にひきつって、起こしていた上半身はそのままに、尻からズルズルと後ろへ後退させた。


「やっと目覚めたようだな。若!待ちくたびれ申したぞ!」


「あ……えっ何を?」


 傅役が、朝から寝所に詰めてる事を、飲み込めない虎千代は焦る。やがて、駆けつけた虎御前の説明によって、事態は明らかになった。


―――なんだ、この過熱ぷりは?ヤバい、この人逹は本気だよう……。


 三日も寝ていたので、体力がもどるまでは本格的な武術の指南はなかったが、体力がもどるやいなや、傅役に引きずられて、死にそうになるまで稽古させられた。


 剣術はもとより槍術・馬術・弓術はては、体力作りと称して相撲なんかもやらされて、虎千代は生傷の癒えるいとまさえなかった。


 さらには、虎御前や芳野の呼び寄せた師範たちに、囲碁・連歌・作法など武将としての一流の教養を、みっちりと教育され、あげくに、戦から戻った為景も参戦し、長尾家に伝わる越後流軍学を手解きされ、いい加減ゲッソリとやつれた虎千代であった。


―――もう嫌だ!!武術を教えこまれるうちに、生まれ変わり身体能力が格段にあがったと自覚はできた。だが、いくらなんでも遣りすぎだ。


 もともと戦を嫌って、若隠居に憧れていた虎千代の鬱憤は、たまるいっぽうだった。日々すさんでいく虎千代を、見かねた荒川兄弟が1日位ゆっくりさせてやりたいと、大人逹から逃がす算段をする。


「しぃ――こっちですよ若さん」


「こんな事をしたら、お前たち只じゃすまないぞ、それでも良いのか?」


「若さんが、そんな顔してるのほっとけないよ。1日だけですよ、後は俺達で何とかしますから」


 朝も明けぬうちから、虎千代の寝所に潜りこんだ兄弟は、主を起こすと逃げる準備を始めさせた。そして安実が、慎重に見張りをし虎千代をにがすと、長実は身代わりとして風邪で寝込んだふりをした。


参・虎千代side


 私は、二の丸郭内から逃げて、山の上へ向かって必死に走って逃げだした。ついに天守台の裏手にある、越後灘をのぞむ崖っぷちについてホッと一息ついた。


「まさか城の上手に逃げたとは、誰も思わないだろ」


 さすがに登り坂はきつくて、私の今の身体能力でも息があがる。くたびれた私は地面にじかに座ると、逃げるときに長実から渡された包みをひらいた。なかには、竹筒と握り飯が二つ入ってた。


 握り飯は、きっと二人が握ってくれた物だろう、形が不揃いで見た目が悪かった。きっと大変だっただろうと想像して、プッと思わずふきだす。そうして少しだけ気が緩んだのか、おもむろに竹筒をひっつかみ、なかの水をのんだ。


「ウマイ、こんな美味しい水飲んだの始めてかも……」


 見上げると、すでに東の山から朝日が昇りはじめ、辺りを照らし出していた。その光はキラキラと波間に反射して、黄金色に海を照らしていた。今まですさんでいた心が、きれいに洗い流されてゆく気がする。


「ああ、気持ちいい」


 久しぶりの開放感にひたり、うんとひとつ伸びをして、バタリと大の字になって土の上に寝てみた。こうして落ち着いてみると、私は改めてお腹が減っている事に気がついた。再び起き上がり二人が握った握り飯をみつけて、かぶり付いた。


―――やはり想像したとおりの、塩っからい味だったけど、それはいつもより数倍美味しかった。


 握り飯をたべていると、私の頬が濡れているのに気づいた。熱い雫そして心には後悔の二文字がきざまれた。荒川兄弟にうながされたとはいえ、すぐに逃げてしまった自分自身が、ひどく情けなかった。


「……すまない」


 涙にまみれた握り飯を飲み込めば、あの二人の事が気になった。大丈夫だろうか、私が逃げたことで怒られたりしないか心配になった。


 もう、こんなに朝日が昇っているのだから、誰かが私を起こしに来ているだろう。……もし新兵衛が来て、私が居ないと知ったら、酷い仕打ちをあの二人にするかもしれない。


―――だめだ、あんな子供にすべてを押し付けるなんて、そんな事私には出来ない。あの二人は、悪くない逃げ出した私がすべて悪いのだ。


 やもたても堪らずに、元きた道をとって返す。しかし事態はすでに思いがけない方向にすすんでいました。



 さて一方の近習逹はどうしているのでしょう。なんと言っても子供逹のやる事です、仮病を使おうが何しようが、金津の目はふしあなではない。近習の荒川兄弟は、彼らなりに最後まで奮闘したが、金津に動揺を見抜かれ、夜着を剥がされ御用となった。


「それで、若はどうした?」


「え、えっと……若さんは、今日中には帰ってきます。約束しました。だからお願いです金津様、若さんをそっとしておいてあげて下さい」


「若さんは俺達の約束破ったりしないもん」


 二人は正座させられ、金津に事情を聞かれていた。彼らは必死に言い訳し、虎千代を擁護する。しかし、それはあっさりと金津に一喝された。


「馬鹿め、もし若が城外に出て、お命を亡くす事になったらどうする?もちろん護衛くらいはつけたんだろうな?ああんっ!!」


 恐い、あまりに恐い顔だから近習逹は、竦み上がる。だか、護衛など考えもしなかったと青くなり、いらぬ想像をふくらませうちひしがれた。


「す、すいません、護衛はつけませんでした」


 気丈にも安実が、事実を述べた。いまさら嘘を言ったとしても、虎千代の身に何かあったら取り返しがつかないのだ。やった事の重大さが身に染みた顔つきの近習たちに、金津はチッと舌打ちすると、事態の収拾をつけるため兵を集めた。


「これは栖吉の失態だ!!なんとしても早急に若を探しだせ!!」


 金津と言う男は、名より実をとる主義だ。体面がどうとかより、まず虎千代を確保する事を優先する。戦場で鍛え抜かれた男は、何かあれば自身が責をおうつもりでいた。


 虎千代は、そんな大事になっているとは思いもしなかった。常識が違う、良い身なりをした幼児の一人歩きは、どんなに危険かと彼は知るよしもなかった。それほど前世とは格段に治安が違うのだ。


 ましてや春日山城主である為景の御曹司であり。栖吉衆の後継者ともくされる人物だ。敵対勢力なら山ほどある、城内といえど油断は出来ない、まして城下町には他国の間者や盗賊に浮民までいる、子供一人の命など軽いものだ。


五・虎千代side


 二の丸郭に向かっていくと、物々しく兵が行き交っていた。私は異様な厳戒体制にとまどい、慌てて身をかくした。


―――私が居ない間に、何かあったのか?困ったな、これではこっそり戻ることも出来ない。


 なんとか隙はないかと伺っていたが、兵の数は多くなっていくばかり。途方にくれて座りこむと、無性に荒川兄弟の事が気になりだした。


―――こんな時に、私がいないとバレたら大変な事になる。それ以上に、こんなとこを見つかったら、二人に迷惑をかける。逃げなきゃ!


 いま来た天守台に続く道も兵が塞ぎ戻れない。私は安全な隠れ場所を探して進んだ。用心に用心を重ねて、兵が居ない場所の予測をつけ、草木に隠れて地に伏せる。


 やがて、私はひっそりとした場所に立つ屋敷を見つけた。どうやらここは表の門が閉ざされて、兵が見張ってはいるが、裏手に回れば隙がありそうだった。


 あたりをつけて忍び込む、幸い身体が小さいから、垣根の下を潜れば問題なかった。垣根を潜ってみれば、そこは良く手入れをされた端正な庭だった。世の中の騒音から隔絶したように静かな場所だ。


―――ああ、静かで良いな。こんなとこで隠居するのが理想だな。


「おやおや………小さなお客人、そこの垣根は玄関口ではないぞ」


 緊張感がゆるみ、静かな庭にみとれていた私は、のんびりとした口調で声を掛けられ、ビクンと固まるとゆっくり首を回して、声の主を確認すれば、少し白髪混じりの髪で髭のある上品そうな爺さんだった。逃げようと後退(あとずさ)る。


「逃げなくてもいい……取って喰やしないから、一先ず上がってこい」


 どうしようかと色々悩んだが、すぐに何かされる心配はなさそうなので、あえて言われるがままに用心深く上がりこんだ。


「お、お邪魔します」


「うん、なかなか素直でよいぞ!子供は素直が一番じゃ」


 やがて爺さんは、自ら干菓子を出してくれて、まあ食べろと私に薦めてくれる。私は上目遣いに爺さんを見ながら恐る恐る干菓子に手をつける。


 こっちに来てから干菓子など、お目にかかった事がないのだ。久しぶりの甘さが懐かしく嬉しかった。


「……美味…し…い」


 知らぬうちにまた涙が零れた。爺さんは、側にきてよしよしと私の頭を撫でると、膝の上に抱き上げ、泣き止むのを待っていた。


六・虎千代side


 いつまで泣いたか分からない、過去のことや現世のことを思い出しては、また泣いた。爺さんがいる事すら忘れたように泣いた。私が落ち着いた頃に、爺さんが話しだした。


「よう泣く子じゃな、そなた為景の末の子じゃろ?噂くらいは聞いておる」


 はっと爺さんの顔を見上げた。何故知っているのだろう名乗った覚えはないのだが?


「何でわかったの?」


「んっ……そなたはお虎に良く似ておる。それに、見よこの家紋じゃ」


 驚くと、マジマジと自分自身の着ている着物を眺めた。無地の着物には地模様がうすく入っていたが、これが家紋だったとは、つゆぞ知らなかった。そこでふと思った、私を知るこの爺さんは誰か?問いたげな視線を感じたのか爺さんは名乗った。


「わしは守護の上杉定実じゃ」


 良く考えてみれば、父にあたる人の上役の守護は、反乱の咎で春日山城に幽閉されていると、聞いたことがあった。私は慌てて爺さんの膝から飛びおり、頭を丁寧にさげた。


「畏れおおくも、上杉の御館様とは知らず申し訳ありませなんだ」


「そんなに畏まらなくてもいいわい。為景の姉は我が妻ぞ、まして晴景の妻は我が子じゃし、長尾とは親戚みたいなもんじゃ!」


 私には長尾家の親戚と言われてもピンとこない。もとは対立していた相手なのに?顔をあげて対処に困っていたら、爺さんがが笑いだした。


「ワハハこれはしたり……そなたは聡い子じゃのう。かつてわしゃ為景の敵じゃった。国人衆にのせられて、うかと敗軍の将となり幽閉される身となった」


「恨んでおられますか?」


 敵の子の私など、恨みもひとしおだろうと思った。だが爺さんは、ゆかいそうに笑いとばし、幽閉されて良かったと、守護であることは辛かったとも言われた。その気持ちは良くわかる気がした。


「それでじゃ、そなた名は虎千代と聞いておったが、何で供の者もつれず、かような所まで来たんじゃ。怒らぬからこの爺に教えてくれぬかの」


―――私は、なりゆきをポツポツと話しだした。まさか、二の丸の大騒動が私を探すためとは、この時点では気づかずにいた。


第五章・逃亡[完]

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