2 ステータス・オープン
何が起こったのか。頤が落ちたのではないかと思うほど、ヒロキの口は開いている。ラシードは静かにエドガーを見ている。「発勁?」と雪麗は独り言を言いながら首を傾げている。
エドガーは、倒れているアレクセイの元へとゆっくりと歩き、首筋に手を置いた。そして、閉じているアレクセイの目蓋を開き、眼球の動きを見ていた。
「軽い脳震盪じゃな。時期に目を覚ますだろうよ」とエドガーは言って、ヒロキ達に向かって言った。そしてそれに対して、化け物でも見るかのような目でエドガーを見る雪麗。
「儂は、これでも医者を長くやっておる。人の命を助けることに意義を感じるが、殺すことには忌避感を持っとるぞ」と皺の多い顔で笑顔を作っていた。靨なのか皺なのか分からなかった。
エドガーの言っていた通り、アレクセイは四、五分ほどで目を覚ました。エドガーは肩を痛めたのか、右肩を回したり、左手で右肩の具合を確かめたりしていた。
「おい、おっさん。アレはなんなんだ? 見えなかったし、人間業じゃないぞ」と、アレクセイは言う。
「とりあえず、みんな一度腰を落ち着けて話し合うべきじゃ。話はそれからじゃ」と言って、緩慢な動作でエドガーは草原の上に胡座をかいた。アレクセイは迷わずエドガーの正面にドスンと腰を下ろす。続いてラシードが座った。五人が車座となった。
「この世界に行く前、ロボットに言われた言葉を覚えている者はおるか?」とエドガーが口を開く。
「ご健闘を、心よりお祈り致します、と言われた」とヒロキが口を開いた。それに、ラシード、雪麗が同意するかのように頷いた。
「その前じゃ」
「どっかの神の名前を言っていたな」とアレクセイが言う。さきほど吹き飛ばされたことをアレクセイは気にしている様子はなかった。エドガーの話を真剣に聞いているようだった。
「アラーか?」というラシードの問いを、「いや、ちげーよ」とアレクセイは直ぐに否定する。
「あのロボットは、『アトラス オンライン』と言いおった」
「アトラス オンライン?」とヒロキと雪麗は首を傾げる。
「端的に言えば、ゲームの名前じゃ」
「ゲーム?」と、さらに訳が分からないと、先ほどよりも大きく首を傾げる。
「『悪夢の日』以前の話じゃ」とエドガー言う。
「AIが人類に反旗を翻す前……」と雪麗は言う。
「そうだ。『悪夢の日』より前は、コンピューターは人類の道具だった。そのころは、VR技術を使って、人間の肉体では体験できないような体験をするゲーム…… つまり、遊びがあったのじゃ。たとえば、鳥の体となって大空を自由に羽ばたいたり、魚となって自由に海中を及び回ったりじゃ。そんな遊びの一つに、超常的な、超能力や魔法と言ったものを使って、おとぎ話に出てくるようなスフィンクスやサイクロプス。ドラゴンなどと戦う遊びがあった」
「龍は、想像の生き物では?」と雪麗が口を挟んだ。
「その通りじゃ。そんな空想の中の生き物と戦う遊びがあった。そしてその一つが、『アトラス オンライン』じゃ。聞き覚えがあると思っておったのじゃが、ようやく思い出したわい」
「結論が見えないのだが?」とラシードは言う。
「つまり、我々は、その遊びの世界にいるということじゃ。先ほどの儂が使ったのは、『スキル』じゃ。それも、遊びの世界で使える便利な能力じゃ」
「俺にも使えるのか?」というアレクセイの問いに、エドガーは「もちろんじゃ」と同意する。
「答えになっていないな。ご老体。五人で行動すべき、という発言の根拠を説明してもらおう」とラシードは言って、立ち上がった。説明しないのであれば、直ぐにでも立ち去るという意思表示であった。
「若いのはせっかち、じゃな。『ステータス・オープン』と唱えてみなさい」
エドガーの意図が分からないながらも、全員が『ステータス・オープン』と唱えた。
え? ヒロキの視界の中に、突然、透明な画像が浮かび上がってきた。
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名前:ヒロキ・サイトウ
年齢:二十歳
職業:未設定
レベル:1
スキル:
「衝撃」
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「な、なんなんだよ、これ?」とヒロキは驚きとともに、エドガーに尋ねた。雪麗もアレクセイも、そして上手く隠してはいるようであるが、ラシードも驚いていた。ラシードも、また地面に座った。話の続きを聴く気になったのであろう。
「これが、この世界での強さの指標じゃ。名前、年齢は説明いらんじゃろ。レベル、というのは、この数値が大きくなればなるほど、強いということじゃ。スキルは、儂が使ったように、人間ではあり得ないことができたりするものじゃ」
「それで? 情報提供はありがたいが、この事がお前等と行動を一緒にする理由にはならないな。タネが分かったマジックほどつまらないものはない。当初の予定通り、同志と合流してAIの野郎をぶち殺すというのが、任務の基本方針だ」とアレクセイも答える。
「それに関しては、二つ説明が必要じゃ。一つ目が、『悪夢の日』以前、この『アトラス オンライン』のようなVR技術を使った遊びが、どれほどの数あったか、知っておるか?」と言ってエドガーは車座になって座っているみんなの顔をゆっくりと見回した。
だれも、分からないようであった。それもそのはずである。エドガー以外は、『悪夢の日』以降に産まれた世代であった。
「数万じゃ。儂がゲームで遊ばなくなってからも増えておっただろうし、一生を使っても、全部のゲームで遊ぶというのは不可能と言った具合じゃ」
「それがどうした? 古き良き時代を振り返って、楽しいか?」とアレクセイが言った。
「にぶい奴じゃの……」とエドガーはアレクセイの憎まれ口に呆れるように言った。
「私達が偶然、その数万の中の一つにいる、という可能性ですか?」と雪麗は言った。
「その通りじゃ。あのVR装置に入った者全員が、この『アトラス オンライン』の世界に来ていない可能性があるのじゃ。お前さんの仲間を探しても見つからない可能性の方が大きいぞ?」とエドガーは言う。
「だが、それは仮説に過ぎない。根拠が薄いな」とラシードは言う。
「儂がこの世界に送られる際、もう一人若い男がいた。が、この場にはいない」
「そういえば、私も同じです。ほぼ同時にあの装置の中に入れられた人がいました。何処にいるんでしょね……」と雪麗も心配そうに言った。
世界中の至るところにAIの街は建造されている。そして、定期的にAIは、各国に挑戦者を募っているのである。日本でも、発表された第二千二十四回目の選抜者はヒロキ以外にもいた。選抜者が、ヒロキの住んでいる町周辺にはいなかった、ということであろう。噂では、各国の人口に比例して選抜者の数が決まっているということであった。そして、その選抜者を決める方法は、各国に委任されている。日本はランダムにクジ引きにて決定されている。アレクセイの口ぶりでは、ロシアは軍人の中から選抜者を選んでいるのであろう。
「見たところ、この世界は広いぜ。地平線の先にいたりしないのか?」とアレクセイが言う。
「その可能性も薄いと儂は思う。往往にして、こういったゲームの類いは、遊び始める地点が固定されておる。儂等五人がこの場で目覚めたのが良い証拠じゃ。本を読む際にも、途中のページから読み始める奴はおらんじゃろ? みんな最初のページから読み始める。それと同じようなもんだ」
「なるほどな……」とヒロキは言った。
「同志がこの『アトラス オンライン』に来ていないとしても、お前等と行動を共にする理由にはならない。それは分かってるんだろうな? 特に、じじい。お前なんか足手まといもいいところだ」とアレクセイはエドガーを指差しながら言う。
「もちろんじゃ。それを今から説明する。その説明が二つ目だ。『ステータス』に『職業』未設定、というのがある。気付いたか?」とエドガーはまた全員の顔を見渡す。是認、当然だ、という顔をして頷いた。
「選ぶ職業によって、憶えることができるスキルが異なってくる……」とエドガーは口を開いた。