1 僕の名前は、サイトウ・ヒロキ。日本人だ
目を覚ますと空が見えた。照り輝く太陽。そして、その隣に二つの月が見えた。月が二つ。ここは何処なんだ? そんな疑問がヒロキの脳内を駆け巡っていた。
「どうやら、目覚めたようだな」という声が聞こえた。ハッとヒロキは身を起こす。周りは草原であった。そして、自分を囲むように座っている人間。男が三人。女性が一人。
「お前の名前は? あと、国籍は?」と、岩の上に足を組み、ヒロキを見下すような目をした男が言った。刈り上げたブラウンの髪。栗色の瞳。堀が深く、目付きの鋭い男だった。
「僕の名前は、サイトウ・ヒロキ。日本人だ」
「そうかい。民主主義症候群の日本から。つまりは、民間人だな」と、男はヒロキから興味を失ったように言った。
「儂の名前は、エドガー。ドイツ人だ。初めましてサイトウ君。どうやらここに来たのは、我々五人だけのようだよ。そして、君以外は既に自己紹介を終えている。どうだろうみんな。彼に名前くらいは名乗っても良いのではないか? それに、情報交換も有益だとおもうのだがのぉ」金髪に白髪の交じった髪。青い瞳。五十を過ぎていると思われる男が口を開いた。
「私は、ラシード。この聖戦に志願した戦士だ」と、もみ上げが髭と繋がっている壮年の男が言った。黒い髪に黒い瞳。頤髭と口髭を豊富に蓄えた男だった。口調からして、もともと無口であるように思われた。
「私の名前は、雪麗。中国人です。十六歳です」と、草原に座っている長い黒髪の女性が口を開く。ヒロキよりも年下のようであった。太陽の光で、長い黒髪の光沢が際立っている。自己紹介をしながらも顔は地面に向け、両手で生えている草を一枚一枚ちぎり取っては細かく手で裂いていた。
「俺はアレクセイ。ロシア人で軍人だ。任務は、AIをぶち壊すこと。さっきも言ったが、俺はお前等と馴れ合うつもりなんてないぜ」と、岩に腰掛けていた刈り上げの男も名乗った。
「あの、ここは何処なのでしょうか? 僕はアンドロイドに連れて行かれて、棺桶のようなものに入ったはずだったのですが……」ヒロキは、不安そうに訪ねた。自分自身の最後の記憶と、自分が現在いる草原とでは、ギャップがありすぎる。それに、外国人ばかりであるのに違和感を感じた。
「随分とお気楽な質問だな。ここは、AIの野郎が作り出した世界だ。たぶん、夢の中の世界ってことだろうよ」とアレクセイが言った。
「その根拠は?」とラシードが頤髭を触りながら言う。
「あの箱に入る前に、俺より前に送り出された同志が箱に入ったままであるのを確認した。つまり、俺達は物理的に移動させられて、草原に放り投げられたって可能性は低く、あの箱の中で夢か何かを見ている可能性が高いってことだ」とアレクセイが言う。
「半信半疑だったが、預言者の幕屋は本当に存在しているようだな」とラシードは、草原に生えていた草を引きちぎり、右手でそれを捏ねる。そして匂いを嗅いだ。「やはり、青草の匂いだ。これが、現実でないというのは、信じがたいことではあるがな」と独り言のように呟き、草を草原へと放り投げた。
「邯鄲の枕……」とシュエリーは言う。
「各国で呼び名は違うようだが、俺達人類が開発したVR技術をAIの野郎が流用しているってのは間違い無い。ここで一緒になったよしみでこれだけは教えてやる。ここで死んだら、現実でも死ぬぜ」
「その根拠は?」
「さっきから、根拠、根拠と五月蠅いんだよ。アラーの導きだよ。だから、さっさと爆弾抱えて、AIと心中しやがれ! イスラム野郎!」とアレクセイは言って、草原に唾を吐いた。ラシードは、アレクセイを睨み付けている。険悪な雰囲気だった。
「なんとも物騒な話じゃな。だが、お前さんの言う、よしみというやつでそれも説明してくれても良かろうよ」とエドガーは言う。顔は皺だらけで相応の年齢を経ているのが分かる。五十は過ぎているであろう。
「順番だ。俺が入った箱は、千八百八十人目と、千八百八十二人目の同志が入っている箱の間だった。つまりは、千八百八十一人目の同志がそこに入っていたが、死んで空席になったと考えられる。そして、空いた箱に俺は入った。寿命でくたばる同志でもない。そう考えれば、この世界で死んで、AIの野郎に生命維持装置を取り外されたってことだろうよ」とアレクセイが言う。
「AIと人類の生存をかけた戦い」とヒロキは思い出したかのように言った。
「その通りだ。じゃあ、俺は同志を探す。お前等も、せいぜい、人類の為にがんばれよ。おい、イスラム野郎。お前は心得があるようだ。俺と来るつもりがあるなら一緒に来い。すくなくとも、AIの野郎を倒すっていう目的は一緒だろう?」とアレクセイは言って、草原を歩き始める。ラシードも黙って立ち上がり、アレクセイの後を追った。
「お、おい。何処へ行くんだよ?」と、ヒロキはアレクセイに向かって叫ぶ。
「そんなの知るかよ。だが、この場にいてもどうしようもないだろうが」とアレクセイは立ち止まって言う。
「僕も、連れて行ってくれよ」とヒロキは口を開いた。地平線まで広がる草原。ヒロキが生まれ育った砂埃のスラムと全く違った環境。ヒロキの本能が、この場に留まっていても死ぬだけだ、と告げていた。
「お断りだ」とアレクセイは言う。
「お、同じ人間なのに見捨てるのか!」とヒロキは叫ぶ。
「ちっ」とアレクセイは舌打ちをして、歩いた道を引き返した。そしてヒロキの胸ぐらを掴み上げた。「同じ人間だからって、何なんだ? 平等って言いたいのか? 生きる権利があるって言いたいのか? はっきり言ってやる。人類は、AIの野郎を倒さなければ絶滅だ。それくらいとっくの昔に分かっているはずだ。それなのに、何なんだお前は? サバイバルする技術はあるのか? 生き抜く体力はあるのか? どう見ても、お前はクジ運が悪くてここにやってきました、って風体じゃねえかよ。ドイツ人のおっさんもそうだ。お前みたいな年寄りが生き残れるのか? 中国人の姉ちゃんもそうだ。さっきから草むしりばっかりしやがって。どういう理由でお前等がここに来ることになったのかは知らないが、やる気が感じられない。少なくとも、AIの野郎を倒せそうな人間を送り込むってのが誠意ってもんだろうが。お前等を見ていても、数合わせとしか思えないんだよ! 他の国がAIの野郎を倒してくれるかも知れない。それまで、適当な人間を送り込んで生き延びよう。そんな魂胆が見え見えなんだよ。やる気のない奴らは、そのまま自然淘汰されろ」
「な、何かの役には立つはずだ」と、ヒロキは咳き込みながらも言う。
「はっ。何処までもお気楽だな。仲良く多数決で決めたことが世の中の道理になるってわけではないんだぜ? それを教えてやるよ」と言って、アレクセイは乱暴にヒロキの胸ぐらから右手を話し、「俺を殴ることができたら、一緒に連れていてやるよ。もちろん、俺も反撃をするがな」とアレクセイは言った。
げほ、げほ、とヒロキは咳き込んでいた。しかし、呼吸が整い、草原の草を眺めていたのち、「うぉぉぉぉ」という雄叫びと共に、アレクセイに殴りかかる。が、ヒロキは次の瞬間、衝撃と共に空を見上げていた。背中が痛かった。どうやったかはヒロキには理解できなかったが、殴りかかったがはずが、地面に背中から落ちる結果となっていた。
「素人が。民主主義症候群の豚め。お前が敵なら、このまま首の骨を折っている」とアレクセイがヒロキを見下ろしながら言う。
「ら、乱暴はやめて!!」と雪麗は両手で頭を抑えながら悲鳴にも似た声を上げていた。
「争いはそれくらいにしておきなさい。我々は生き残るために、五人で行動するべきだ」とエドガーがゆっくりとした口調で言う。
「その根拠は?」とラシードが訪ねる。
「論より証拠だ。おい、若いの。儂を倒してみろ」とエドガーがアレクセイに向かって言った。挑発めいた口調で。それも、自分の太った脇腹を触りながら。
「おっさん。死んでも知らねぇぜ?」とアレクセイは、手の骨をポキポキと鳴らしながら言った。
「それはこっちの台詞じゃ」とエドガーは、緩慢な動きで体操を始めた。その動きはのろまで、運動不足と高齢であるのが見事に現れているような、機敏の欠片もない動きだった。
「どのみち死ぬんだ。今死にやがれ」と言って、アレクセイはエドガーに向かって走り出す。
年齢的にも高齢にさしかかったエドガーと、体格が豊かで若々しいアレクセイ。そして、アレクセイは軍人として訓練を受けている。ヒロキが地面に放り投げられたように、エドガーも同じ結果になるとその場でことの成り行きを眺めていた3人は思っていた。いや、エドガーが高齢な分、もっと酷い結果になるのではないかと思っていた……。
しかし、そうはならなかった……。
「衝撃」とエドガーが口走った瞬間、触れてもいないのにアレクセイは吹き飛んだ。アレクセイは、四、五メートル先の草原に仰向けに倒れ、気を失っていた。
「やはり、間違いないようだのぉ」とエドガーが年相応の、人生の経験を積んだ顔の皺を寄せながら、微笑んでいた。