入院
昭和五十四年八月二十七日
夜十一時半、寝ようと床に就こうとした時、部屋で多量の血を吐いた。
♪トゥルルルル♪トゥルルルル♪トゥルルルル♪
もう寝てしまったか?
♪トゥルルル♪
「もしもし」
眠そうな声で平田が電話に出た。
「もしもし俺だけど、夜 遅くに悪いな大変なことになったよ」
「どうしたぁ こんな時間に」
「今よ、布団の上で血を吐いたんだけど、病院に行かないとマズいかな」
「なに!?あたり前だろっバカ 今、大丈夫か?すぐ行くから待ってろ。あんまり動くんじゃないぞ」
「あー分かった待ってる・・・悪いなぁー平田」
「い~やいや だから大人しく待ってろよ」
平田は、すぐ来てくれ、清瀬のY病院に連れてってもらい、そのまま入院になってしまった。
あの日の夜、平田が来てくれなかったら、そのまま死んでいたかもしれないと思うと、恐ろしくなる、平田が来てくれて本当に助かった。
入院して一ヶ月、病名は胃潰瘍、経過は順調
その間、沢山の、とにかく沢山の見舞い客が来てくれた。
入院したばかりの半月の間は、私も驚く程の見舞い客、その中でも、友人の土屋は良く来てくれ、他に平田、吉山、にもだいぶ世話になった。心から感謝したい。
九月二十七日は、浩一・真由美の居る孤児院の運動会。
何とかして行きたいと思い先生に頼んだが、まだ外出は無理と言われてしまい、仕方なく涙をのんで諦める事にして、その代わり兄貴と妹夫婦に行ってもらうように頼んだ。
運動会当日は、本当に素晴らしい天気、私は病室の窓から空を眺めていた。
浩一・真由美の元気な顔が見たい、時間が経つにつれ今頃 何をしてるのかなーと一人ベッドで考えて・・・兄貴から、運動会が終わった午後三時頃、子供達から電話させるからと聞いていて、早く三時にならないかと
待ち遠しかった。
「佐山さん、お子さんから電話ですよ、ナースステーションでお話し出来ますよ」
三時過ぎ、看護婦さんが呼びに来てくれた。
『もしもし、お父さん、病気大丈夫?』
『パパー』
受話器の向こうから真由美の声もする。
「あー大丈夫だ」
何を話して良いのか少し迷った。
「浩一も真由美も元気か?」
『お父さん、僕たち元気だよ、今、真由美に代わるね』
『パパ?病気になっちゃったの?』
「うん、でも大丈夫、大丈夫、それより運動会はどうだった?」
『かけっこ競争で一位取れたよぉ』
「そうか、すごく頑張ったなぁ さすが真由美はパパの子だ良くやった良くやった」
『パパァ 病気かわいそう早く治ってねぇ』
「そうだな、早く治してまたお前達の所へ遊びに行くよ」
『うん、早く治ってこっちに来てね』
「分かった早く元気になるよ」
浩一に電話が変わり
『もうさっきね~おじさん達帰っちゃったよ』
「そっか、もう帰ったか 悪かったな 今日行けなくて、でももう大分良くなってきたから大丈夫だ」
『うん・・お父さん来ないからつまんなかった』
「ごめん本当にごめん、直ぐ元気になるから、そしたら直ぐに遊び行くからな 分かったか?」
『分かった 絶対だかんね』
「了解、それまで あんまり悪い事しないでいい子にしてろよ」
などなど、子供達と七・八分話しして電話を切った、元気がないように感じたが声を聞けて安心したと同時にベッドに入ってから涙がでて仕方ない。
あれも言いたかった、これも話したかったと思うばかり、いざ電話に出ると何を話して良いのか分からなか
った。
早く人並みの生活を送りたいと思いつつ、現在に至るとは情けない。
もう直ぐ十月、この病気いつ治るのだろうか?
退院はいつになったら出来るのだろうか?
一日も早く退院して仕事をしなければ、正月になったら二人の子供達が来ると言うのに、のんびり入院などしてはいられない。金の事も心配だ。この頃、少し不安になってきた。
人生の三分の二は子供達のため、あとの残りは自分のためにあると思っている。
人並みに親らしい事が出来ないと言う事は本当に辛い、もっともっと辛いのは子供達なのかもしれないけど、二人の子供達が一人前になり、幸せになってくれたら何も言う事はない。
しかし、人生の裏道を行くような事があれば親として、子供達に言う事が出来るだろうか?
きっと、この事を言われるに決まっている。だが、二人の子供は私の子だ。
二人共、一人前の息子・娘になってくれるだろう。
今思うのは、やっぱり子供達の幸せのみに限られてしまう。
もう十月中旬、二ヶ月半も入院している。
「先生、そろそろ退院したいのですが・・・」
「まだ無理ですよ」
「もうお金もなくなるし、入院費も払えるか危うい」
「それじゃあ明日 退院しようか?すぐ退院の手続き取るから」
呆気に取られたが後日 退院した。




