ラノベは頭が痛くなる
これはライトノベルを少しだけ読み、そして本を閉じ、それ以来読まず嫌いを通している作家志望が思っていることを書いていく。あくまで個人の意見であり、偏見があることを先にお詫びする。
特徴的なのが表紙の絵柄。私が中学生だった6年前は今ほどオタクが市民権を獲得していなかったように思うが、そのオタク的な絵は嫌悪の対象でしかなかった。高校に入るとライトノベルを読む友人がチラホラ現れはじめたため、その嫌悪感を押し殺し友人が読んでいるそれを一冊読んでみた。
平易な文章で凡庸なことを分かりづらく、特殊な文体で突飛なことを当たり前のことのように。そしてところどころに含まれている無駄なエロ要素。物語は登場人物が出てきた時点で結末が見えるような始末。
少しも感心することなく、なんの発見もない。ただただ余計な時間だけが過ぎていく。
小説を読んだことがあり、一度でも感動したことがある人であればこんな絞りカスのような味気ないものに時間を使うのは賢い選択でないことがわかるだろう。
しかし、実際は若い世代を中心に確実にライトノベルは波及してきているのを感じる。それというのもこの小説投稿サイトだって、すべてのジャンルがライトノベル的だ。絵のあるものは少ない。それでも、ライトノベル的だと感じるのは何故か。結局は題材の凡庸さ、だろう。文章自体は読めるレベルのものも多々ある。児童文学やファンタジー小説、ストーリー小説とライトノベルの決定的な違いは作家の精神性だと思うのだ。前者のそれは深く考え込まれた哲学や教えを楽しく伝える役割を担っているのだ。後者は何も伝えようとしていない。ただ面白ければいいと書かれている。結果的に面白味はそれほどないのだ。しかし、そこには都合のいい世界だけがある。現実逃避に夢を見るには丁度いい設定になっているのだ。つまりその快楽性だけで売れている。人は快楽を貪るだけでは成長できないのにもかかわらず。
それでは私はどうすればよいか。このように広く世に広まったものに対し文句を垂れるのはあまり得策とは言えない。更に言えば、小説以外のメディアの力も大きくなってきている。その娯楽性が今の世界に必要とされているということなのだ。しかし娯楽性と芸術性は必ずしも相反するものとは言えない。つまり、ライトノベル読者が納得する純文学の形というのがあるはずなのだ。私はそれを目指すしかない。