2
クロニカの灰色がかった赤い髪は太陽の光りがあたると淡い桃色に輝く。肩までのそれが、風をはらんでふわりと膨らむと、絵本の中の妖精を思い出す。
クロニカと一緒にだけど、俺は初めて料理というものをした。ただ、もぎって食べるを繰り返してた野宿時代からは比べようもない進歩だ。
「これはケルククの実」
彼女はそう言って、澄んだ空のような蒼い果実を取り出した。ああ、クロニカの瞳とも同じ色だ。
「ちょっとかじってみて?」
そう言って、彼女が俺の口元にそれを差し出した。
「あーん」
俺が口を開けないでいると、さらにそういう。彼女と果実を見比べて、それから口を開けた。
放り込まれたケルククは口いっぱいに甘酸っぱさが広がるものだった。一度軍の食事で出された苺をホワイトチョコでコーティングしたやつに似ている。
「おいしい?」
「ああ」
俺はこくんと頷いた。本当はもっと何か言いたかったけど、感激し過ぎて声がでなかった。
「甘いものは好きなんだ。じゃあ、デザートを考えないとなー」
彼女はそう言ってにこにこと笑う。
だけれど、なにか違う気がする。
それは、俺の心の醜さが原因なのだろうか。すべてを疑い生きてきたせいで、何も純粋に受け入れられないのだろうか。
そんな俺の思考も知らず、クロニカはすり鉢を持ってきて、果実を砕く。甘い実が割れて透明な蒼に黒さが混じる。その様子を俺はただ無言で見つめた。
手早いクロニカの作業の途中で俺の鈍い作業が入るので、料理は完成までに時間がかかった。しかも、俺が手伝ったものはどこかいびつだ。
「これ、切れてないし」
クロニカはふふふと笑う。
「最初はそんなものだよ」
手伝っているときも思ったけれど、クロニカは決して否定をしない。俺を悪く言わない。それはまだ、こうして出会ってから数時間だからなのか、と俺はスパゲッティに似た食べ物を食べながら思う。
「これ、なに」
「スパゲッティ」
返ってきた答えに俺は呆然となった。たぶん、違う名前の料理名が返ってくるんだろうなと思っていたから。
やっぱり異世界だというのはクロニカの嘘なのだろうか。それとも、彼女が思い込んでいるだけだとか、俺のように利用されているとか。
思考がぶんぶん揺れる。
「どうしたの? 何か変?」
そう、これも変だ。
「クロニカ、異世界なのに日本語をどうやって覚えたんだ?」
「あ、そういうこと。大分、混乱も解けてきたみたいね。なのにまた困惑させるかもしれないけれど、あたしとあなたが話している語は違うの。あたしが話しているのはね、バベル語っていうんだ。この世界のどんな異なる語とでも唯一絶体に伝わる言葉なの。異世界の言葉とも疎通が可能だとは思わなかったけどね。他に二ヶ国語しゃべれるよ」
クロニカは実際に抑揚のある言葉とのっぺりとした言葉をしゃべってみせた。今度は何を言ってるのか分からなかった。
クロニカが書いてくれた文字を見てもわからなかった。
けれど、一つだけ読める言葉があった。
最初はくにゃりくにゃりと曲がって見えて、それから暗示にでもかかったみたいに、こう読めた。"K・クロニカ"
「これが、バベル語?」
「そうなの。バベル語がわかると、同時にこの世界の言葉全部がわかるようになるの。だから、後でバベル語を教えるね」
「ああ」
ふふふーと、クロニカは笑う。
食べ終わって、食器を洗うだんになる。これくらいなら俺にもできるだろうと思って木の器、木のコップ、木のスプーン、木のフォーク、それをバケツに汲んだ水でじゃぶじゃぶと洗う。その水がびしゃっと飛んで、俺とクロニカにかかった。
「あ」
「もうちょっと優しく洗うといいの。これくらい」
クロニカは水が飛んだのを気にすることもなく、俺の手に自分のを重ねてみせる。
終わった後で、俺はこの家には水道がないんだなと思いながら、俺は木のバケツの水面を見た。
俺の髪、俺の目、俺の鼻、俺の口、俺の顔。俺の指、拷問で薬指だけない、俺の左手。
ふと、考え付いて膝を見ると、治らなかった傷跡がぷっくり膨れ上がっている。
これでは、体中傷だらけなんだろう。
少し、歌ってみた。
「んんん、んーんん、んんん」
膝の傷跡が消える。
ーー力は使えるみたいだな。
「ねぇ、いまなにか言った?」
「別にっ」
俺は焦った口調で言った。
ここが、クロニカがなんなのか、まだわからない以上、駄目だ。この力を教えるわけにはいかない。
「ふーん、そう」
クロニカの味方になってやりたい。でも、それはまた奴隷に戻りたいってことじゃないんだ。