コイブミ学園、交錯中
放課後の教室、おもむろに女子高生が背後から俺に身体を押し付けてきて、「あたし、ラブレターもらったんだけど」と囁いてきたが、それでも俺は特に驚きもせずに「よかったな」と言った。
特に驚きもしなかったのは二つくらい理由があって、そもそも女子高生に身体を押し付けられることとラブレターのくだりとで今のやりとりには驚きどころが二つあるので当たり前の話ではあるのだが、要するにこれはあくまで特殊ケースということなのだった。
他校の女子高生が俺にぶつかってきて同じことを言えば、俺はお笑い芸人でも目指せるリアクションでもって驚愕を体現することだろう。
回りくどい言い方はそろそろ避けるが、俺に身体を預けた女子高生は名前を村野小雪といい俺の幼馴染である。幼馴染といっても様々なグレードがあるが、俺たちの場合は今に至るまで十数年間、家が隣同士で学校もずっと一緒というものであるから、どこに出しても恥ずかしくない、幼馴染界のスーパーエリートと言っても過言ではないだろう。そんな女子とのスキンシップであれば、これくらいは普通である。多少馴れ馴れしいなと思うにせよ、驚きの対象ではないというか。
そしてラブレターのくだりについては、もちろん小雪の容姿がそれなりに(客観的に見てもそれなり、レベルだが)端麗で男子から想いを寄せられてもおかしくはないということもあるが、それ以上に俺たちが通う高校の特性に原因があった。
「いま、ちょうどシーズンだもんな。よかったじゃねえか」
「うーん、どーだろ?」
シーズン。
そう、我らが母校、鯉踏学園には、ラブレターのシーズンというものが存在するのだ。
「鯉踏」という語呂合わせのような校名からして、ラブレターが流行るというのは頷ける。
鯉踏学園は人口二万人の地方自治体、鯉踏町に存在するが、この地域ではかつて鯉が大量発生して川沿いの陸に死骸が散乱し、村人たちがそれを踏み分け処理をしたという逸話がある。
それが町の名前の由来とは考えられるものの、二十一世紀ともなった現在そんなものはどうでもよく、この学園に関しても、恋文が流行る鯉踏学園という駄洒落的理解が一般的なのだった。
そして鯉といえば鯉のぼりと五月を連想することや、「コイブミ」を無理矢理数字に変換してやれば「五一二三」であることから、五月の第一週から第三週までの間を、ラブレターで意中の相手に思いを伝えるシーズンとしているのである。
慣習的に、である。しかしそれは伝統と化してもいる。
「うらやましいぜ、小雪。ゴールデンウイーク明けたと思ったら、ラブレターかよ。で、相手は誰なんだ?」
去年ここに入学したばかりの時の五月は、校内を飛び交うラブレターの数々に目を白黒させたものだが、高校二年生ともなれば慣れきってしまった。俺は気さくに尋ねる。
「それがねえ」対して小雪の返答は、どこか間の悪いものだった。「書いてないのよ」
「ほっほー。名無しさんからの手紙か。モテるねえ」
「春龍、からかうのもいいけどさあ」
俺の名前を呼ぶ小雪の声にちょっとした険を感じて、真顔になる。
「なに? もらって悩んでる系かよ」
「うん、まあ、そうなんだけど……」
「なんだ、歯切れが悪いな」
普段から活発で元気のいい小雪らしくもない。エネルギーが詰まっているかのような印象を与えるお団子ヘアも、いつもより小さく見えるくらいだ。俺が訝しげにしていると、小雪はスカートの端を指でいじくりながら、
「後で相談してもいい? これから部活でしょ?」と俯いた。
「全然かまわないけど、今じゃなくていいのかよ?」
俺はサッカー部に所属していて、目の前の小雪もそこのマネージャーだ。練習の終わる時間も合うから部活後は丁度いいが、悩んでいるのなら早めの相談がいいのではないだろうか。
「うん。今日一緒に帰ろ」
「分かった。その時に聞くけど……」俺は口ごもってから、「その、悩みの方向性あたりは今教えてもらってもいいか? さすがにもやっとするわ」
「あ、ごめん」しおらしく、小雪が頭を下げる。そして一呼吸おいて、
「じゃ、簡単に言うけどさ……ラブレター、下駄箱に入ってたんだけど、それ、あたしの下駄箱じゃなかったんだよね」
「へ?」
俺はポカンと鯉のように口を開けた。下駄箱にラブレターというのはベタにして結構このシーズン採られる手法であるのだが、違うところの靴箱に入っていた? そりゃ、確かに下駄箱には個人の名前などは書いていないから、間違って入れてしまう可能性はあるが……
「ほら、相談はあとでするから。部活いこ?」
小雪に急かされて時計を見ると、確かにそろそろ時間が危うい。俺たちは手早く準備をしてグラウンドの向こうの部室に向かった。
「うーん、気になるなあ」
「悪いねー」
「いや、いいけどさ。しかし、小雪もラブレターもらっちゃったかー」
気分を切り替えるように明るく言うと、小雪の顔は反して暗くなった。
「春龍さ」
「なんだよ」
「……あたしがラブレターもらうことに関しては、なんにも思わないんだね」
「ん?」
「……なんでもない」
ふいっと顔を背ける小雪。それに対して俺は何も気づかないフリをしながら、思う。
──なんにも思わないわけ、ないだろ。
結局その日の部活はあまり身が入らなかった。
一応フォワードでレギュラーをもらっていはいるものの、今日の練習の決定力不足といったらなかった。顧問も苦笑いしながら、ここまで真面目に練習に取り組みつつも集中力にかけてるやつも珍しい、と俺を軽く叱った。
まあ、いい。本番はこれからである。
手早く練習終わりのミーティングを済まし、更衣室で先輩後輩との雑談もそこそこに、俺は急いで高校を後にした。マネージャーも終わる時間は同じとはいえ、なんとなく小雪よりも先に心の準備をしておきたかったのだ。
「早いね。待った?」
案の定、暗黙の待ち合わせ場所である校門付近に先に着いたのは俺で、それから十分ほど待って小雪が現れた。
「いや、全然。っと、お疲れ様」
十年来のつきあいである小雪に対して今さらお疲れ様も何もないのだが、俺がそう口にしていたのは、小雪の横に一人、女子生徒がいたからだ。
「あ、大和田先輩、お疲れ様です」
キビキビとした態度で俺の苗字を呼び受け答えした彼女は、佐倉亜紀という。今年入学した後輩にして、サッカー部の新人マネージャーである。まだまだ固いところはあるが、順応性の高い性格をしているらしく、高校には早くも慣れてきたらしい。双眸にきついものを感じるが、すっきりした美貌の持ち主である。おそらく中学時代からクラス一の美人枠を押さえていたのではなかろうか。うらやましい、と小雪はよく嘆いている。
「亜紀ちゃん、帰る方向同じみたいでさー」
「へー。どこの駅?」
亜紀に尋ねて返ってきた駅名は、俺や小雪の最寄りより二つ手前の駅だった。高校ともなれば様々な地域から生徒が集まってくるから、少し親近感を覚える。
だが、今日は小雪のやつ、例の相談をしたいのではなかったか。
「あれなら大丈夫。別に、亜紀ちゃんに聞かれて困る話でもないし」
「あ、そう」
顔に出ていたのだろう、俺が何も言わなくとも小雪は先手を打ってきた。
「話? なんですか?」
控えめに、しかし確実に好奇心をにじませて、亜紀が問いかけてくる。まあ遠慮がいらないのなら隠す必要もないのだろう。
「そこの村野センパイが、ラブレターもらったって話だよ」
「きゃっ」
亜紀が頬に手を当てて恥じらいを見せるも、「やっぱりシーズンですよねー。私、入学前からちょっとはこのこと知ってましたけど、思った以上です!」
やけに楽しそうである。
「ラブレター渡すにしても、ジンクスとか大量にあるからな」
俺が言うと、小雪も苦笑しながら、
「あるある。誰にも見られずに投函すれば成功するってジンクスもあれば、友達に○○さんに告白しますって宣言してからラブレター渡すと成功するってのもあるし。いや、この二つ矛盾してるでしょと」
「えっ、そうなんですか」亜紀もここは新入生らしい。「私、宣言制度は知ってますけど誰にも見られずにっていうのは初耳です」
「俺だって初耳なジンクス、どんどん増えてってるからなあ。暗号でラブレターを書いて渡して解読されたらうまくいく、とかも聞いたことあるぞ」
俺も話を合わせたところで、
「で、小雪。そのラブレターがお前のとは別の下駄箱に入っていたってのは、どういうことなんだよ」
「ええっ! そうなんですか!」
本題に切り込んでやると、事情を全く知らなかったらしい亜紀は目を白黒させていた。
「そうなのよ、亜紀ちゃん。だから春龍にもちょっと相談しようと思ってさ」
「やはり学園内の有名人にはそんな奇天烈なラブレターが届くということでしょうか……」
「有名人って、そんな」小雪のしかめ面。
「いや、お前有名だと思うぞ」俺の追撃。
「それはそうだけどさ」
なお、ここでの有名という点は正直スルーしてくれて構わない。小雪が学園一の秀才とか、かわいこちゃんとか、生徒会長とかそういう誇れるようなものではなくて、逆に留年間際だとかビッチちゃんたどかいう汚名というわけでもないフラットな事象であるからだ。
要するに、双子。
今こうして一緒に帰っている小雪と瓜二つの女子がいて、それも鯉踏学園の生徒であるから必然的に噂になるというものなのである。名前を桜子というが、帰宅部であるので下校時間が同じになることはない。
「その話はいいじゃん」小雪が口を尖らせた。「今はラブレターなんだって」
「そうだった。で、どういうことなんだ?」
「えっとねえ。当たり前だけどあたし、今日の朝にラブレターに気づいたのね。なんだけど、あたし実は昨日、自分の下駄箱とは別の所に、自分の靴を入れて帰ったんだ」
「ほお。また、なんで」
「それが恥ずかしながら」頭を掻く小雪。「自分のとこに、昨日ジュースぶちまけちゃって」
「はあ? ドジだなあ」
「むっ、いいじゃん別に! 可愛いでしょ!」
「どうだかなあ……」
視線を感じてふと亜紀のほうを見やると、何やらくすくす笑っている。よく分からんしスルーしよう。
「で、ジュース零したから別のとこ使ったわけか」
「そう。ニオイがひどくなっちゃってて、消臭剤とかかけたんだけど、一晩は置いておこうと思ってさー。だから、森小路くんの所を借りたの」
「黎一郎のところを? お前クラス違うだろ、なんでそんなところに……ああ」
俺は合点がいった。
森小路黎一郎という貴族みたいに長ったらしい名前の男は、俺や小雪の同級生にして、サッカー部の仲間である。大仰な名前とは裏腹に地味なやつだが、人間味も溢れていて憎めない。
そして今あいつは、インフルエンザにかかっていてしばらく登校できない状態なのである。
「休みが確定しているから、一時的に入れても大丈夫ってな」
「そうそう。うちの下駄箱、二段式でしょ。森小路くんの上靴はもちろん入っていたけど、あたしも上靴を避難させたかっただけだから問題なくてね」
「まあ、そうか。しかし、なんだって小雪はあいつの場所知ってたんだ?」
「ふっふっふ。森小路くんは数少ない、自分の下駄箱に名前プレートを入れている子なのですよ!」
「あ、そうなの」
一応俺たちも、教師から自分のロッカーに鍵をかけることと、下駄箱に名前プレートを入れて鍵をかけることは推奨されているのだが、どちらもやっていない生徒が大半だ。俺も小雪も桜(たしか桜子も)やってないし、亜紀も最近ロッカーの鍵を面倒くさく思って外したという。
その辺やっぱり黎一郎というか。律儀なやつである。
「……で、今朝黎一郎の下駄箱を開けたら、ラブレターが入っていたと」
俺が結論付けると、小雪は頷きながらカバンをごそごそやり、問題のブツを取り出した。
「これ」
見ればなんの変哲もないレターケースに、「村野小雪様」と書かれている。
「中、見てもいいか?」
小雪からラブレターを受け取って手紙をレターケースから取り出す。
「……ん?」
それをつまみながら、俺は首をかしげた。というのも、
「なんか、破った後ありますね、その便箋」
亜紀が分析した通りなのだった。これも普通の便箋なのだが、折り目を付けてから手でちぎったような跡がある。まるで、部分的に切り取ったかのように。フリーハンドでちぎったにしては綺麗な跡だが、恋文という形で渡すにはいささか不細工でないかと思う。
しかも、便箋に書かれていることは、ひどくシンプルなものだった。
「初めて見たときからあなたが好きになってしまいました」
これだけ。小雪の言う通り、差出人も不明である。
「確かに変だな」
俺はひとりごちた。そして歩きながら、小雪と亜紀に向き直り、
「もちろん、差出人が不明だったり、便箋に切った跡があったりするのも変だけど、宛先はしっかり村野小雪様ときているところが一番変だ。なんだってこのラブレターの差出人は、これを黎一郎の下駄箱に突っ込めたんだ?」
「そう、そこなの!」小雪がぴょこりと跳ねる。「そりゃあたしの下駄箱にはあたしの名前プレートは入ってないけどさ、あたしがどこを使っているかくらい、調べたら分かるよ」
「分かるんですか?」亜紀が意外そうな顔をする。
「まあ、職員室で先生に聞くとか、あんまりこそっと調べるのは難しいけど」
それか、本人に訊くかかな、と思うが、通常どれだけ仲がよかろうと他人の下駄箱の場所なんてものは興味の対象外ではないかと感じる。
「とにかく」小雪が声を張る。「あたしが森小路くんの下駄箱を使ったのは、イレギュラーなわけ。なのになぜ、そこをあたしが使っていると分かってラブレターを入れられたの?」
小雪の言葉は駅へと続く道に吸い込まれ、俺たち三人は一様に沈黙した。
「……普通に考えたら」
と、亜紀が口を開く。「村野先輩が森小路先輩の下駄箱に自分の靴を入れるのを差出人が見ていて、入れたってことですよね」
「まあ、そうだよな」
賛同しつつも、どこか奇妙なものを覚える。そんな偶然ってあるのだろうか。
「出来すぎた話かもしれないですけど」亜紀は俺の疑念を読み取ったかのように言う。「こうは考えられませんか? ラブレターを下駄箱に入れようと思ったら、その人が下校してから入れようと思う心理ってありますよね。もしそれが差出人に働いていたのだとすれば、村野先輩が帰るまで彼女を見張っているということもありえる。だったら靴の移動も見えていたのではないかと」
「おおっ」
俺は手を打った。どうして亜紀は賢いではないか。横で小雪も納得気に、
「うん。それが一番ありえる解釈だと思う」
後輩を褒め称えるように亜紀の頭をポンポンと撫でた。が、すぐに険しい顔になって、
「だけど、あたしからしたら、それはないってのが結論なんだよね」
「ふうん。なんでだよ?」
「だってね」小雪は人差し指をこちらに突きつけてきた。「あたしも仮には乙女なわけじゃん」
「や、仮にもなにも普通に乙女でいいんじゃねえの?」
「そこツッコミいらんっ」はたかれた。理不尽だ。「とにかくあたしだって、他人の下駄箱借りるなんて真似はあんまりしたくなかったのよ。ましてや男子のだよ? だから、とにかく周りに見られていないかを注意して行動したわけでね」
「しかしその努力は実らず見られていた、と」
俺が容赦ないことを言うと、小雪はしゅんとした顔つきになる。
「もちろんその可能性は否定できないというか多分そうなんだろうけど……でも、あたしとしてはあんだけチェックして抜けがあった、ということを認めたくないというか……」
「すごい遠くから見られていたってことはないか?」
「そりゃ、そこには気付かないけど……」
「仮にそうだとしても」亜紀が口を挟んだ。「村野先輩が別のところを使っている、くらいは分かっても具体的にどことまではわからないのではないでしょうか?」
「そ、その通りだ! 亜紀ちゃんその通り! 春龍ばーかばーか!」
「ぐぬぬ」
後輩に論破されたのと幼馴染におちょくられたのでちょっと恥ずかしい。
「ほんと亜紀ちゃんいい子だねえ。優しいし、しっかりしてるし」
「えへへ」
はにかむ亜紀に対して俺は何も言わないが、一応知っている。この佐倉亜紀という娘、外面は良いが本性は相当きつい性格らしい。いい子であることに変わりはないようだが、そのうちあごで使われるようになるのではないかと日々危惧している俺である。
なんで俺がそんなことを知っているかというと、実は俺には一つ下の弟(冬馬という)がいて、それが亜紀と同じクラスなのだ。あと数か月すればクラスの女王ポジションに君臨することは間違いないというのが弟の見通しである。こわっ。
「まあ、いいや」
俺が溜息とともに吐き出すと、小雪が「なにがいいのよっ」と睨んできた。
「そういう意味じゃねえよ」断って、「要するに、小雪が黎一郎の下駄箱に靴を入れたところは誰にも見られていない、って前提で、この変な現象に筋道が立てばいいんだろ? なにが本当かは置いておいて、お前の納得のいく回答が出ればいいってことで」
「うっ」言葉につまる小雪。「えっ、そっ」なにが言いたいのだ。
「そ、そうよっ! そういうことなのよっ! 分かってるんならはじめっからそうしなさいよばーかばーか!」
だから、何で俺が怒られるんだよ。今度は本心からの溜息がでた。
「……青春ですねー」
亜紀の忍び笑いが聴こえる。おいどういうことだ。
「……あたしだって、別に好きでもないやつからラブレターもらって、正直心穏やかじゃないんだから……」
「……大和田先輩、これ青春ですよ」
「どういうことだ。何がだ佐倉」
「いやもう感じたままに」
こいつ、絶対勘違いしている。間違いない。
内心毒づきながら歩くと、ようやく駅に到着した。三人とも同じ方向ということで、揃ってホームに立つ。やがて電車がやってきて乗り込み、帰宅のプチラッシュのため座れずに、並び立って吊革につかまる。
「んじゃ、考えますか」
ガタゴトと揺られながら、俺たちはラブレターの謎に取り組みはじめた。
「相談しておいて何も考えないのもアレだからさ、あたしも一応推理はしてあるわけよ」
先陣を切ったのは小雪だった。俺と亜紀で聞き役に回る。
「──まあ、どうやって森小路くんの下駄箱に入れられたのかはわかんないまんまなんだけどさ」
「いやそれ推理じゃない」
「るっさい! 分かってたら相談せんわい」またはたかれた。「もういいよ、春龍の言う通り推理じゃないよ、とにかくあたしが疑問に思ったことがあるってことよ」
最初からそう言えよ……と口にするのは危険なので黙っておく。
「どういう内容なんですか?」亜紀の丁寧な誘導。
「えっとね、このラブレターの差出人があたしを名指ししている以上、あたしに想いを伝えたいのは事実なわけでね。だったらなんで、森小路くんの下駄箱に入れたのかなって。その、仮にあたしが森小路くんのところを一時的に使うってことを知ってたとして、あえてそこにいれる理由が分かんなくてさ。別に後日あたしのとこに入れたらよくない?」
「言われてみれば、変な話だな」
俺は同意した。確かに黎一郎はインフルエンザで登校できていないが、翌日来る可能性はゼロではないわけで、いくら小雪が靴を入れたとしても、おおもとは他人の下駄箱なのだから、普通は入れるのに躊躇するものではないだろうか。
「となると、黎一郎の下駄箱に入れる理由がある、ということだけど……お、こういうのはどうかな?」
早速思いついた仮説を試してみる。
「あのラブレター、差出人不明だろ。でもそれじゃあ意味がない。何日何時にここに来てください、みたいな呼び出しがあればいいけど、それもない。ということは、論理的に『黎一郎の下駄箱にラブレターを入れられるやつ』を導けるってことじゃないか?」
「どういうこと?」
「だから、差出人は小雪に自分が誰なのか推理してほしいってことなんだよ。で、差出人からすれば、黎一郎の下駄箱に入れる、ということが、差出人を特定する手がかりってこと」
「なにそれ。キモチわるっ」
「そこに関しては否定できねえ」
俺も言いながら、随分と粘着質なやつだなとうすら寒くなっていたところだ。
「でも、そんなことができる人、いるのかなあ? 大分あたしもこっそりやったんだけど」
「村野先輩、昨日は帰り、遅かったですか?」
「うーん、まあ、くらい? 昨日って全校生徒対象の模試だったよね? 亜紀ちゃんもあったの?」
「はい、ありましたよ。人生初めての模試でした」
「あ、そうだよね。確か、終わりの時間はみんな一緒で、職員会議で先生が誰も面倒みられないから部活もお休みになって、みんなワイワイ帰りだした中、ちょっと友達とだべってたし……平均よりちょっと遅いくらいだったかな」
「それで黎一郎の下駄箱使うの、誰にも見られずに済んだのか? まだ生徒も結構いただろ」
あの日は俺も直帰はしなかったから、小雪よりも学校を出るのが遅かったかもしれない。
「うん。だからこそ逆に自信があるっていうか? それくらい、絶妙なタイミングを見計らったもんね」
断言っぷりに心なしか髪で作ったお団子が膨らんだように感じる。その行動自体は全然不可能でもないだろうし、理解はできるが……
「じゃああれだ、お前がジュースを自分の下駄箱にぶちまけたのを見たやつはいるのか?」
「それはいっぱいいると思う」顔をしかめる小雪。「恥ずかしかったなあ」
「じゃ、小雪の下駄箱が使い物にならなくなったことを知ってるやつはいるってことか」
「先輩」亜紀が俺の肩を叩いた。「その中で、村野先輩が森小路先輩のところを使うって予想できた人なんて、いるんでしょうか?」
「うーん……厳しいなあ」
目をつぶって考えてみるが、結論は変わらない。
「小雪と黎一郎……サッカー部繋がりくらいだな。クラスも違うし、下駄箱の位置は……遠いのか?」
「結構遠い、実は」
「じゃあ、サッカー部、怪しいってことですか?」
「そうなのかなあ……わかんないなあ……」
とにかく、差出人が手がかりを作っていたと仮定しても、それをこちらで解き明かすのは無理があるようだ。俺もさっぱりわからない。
「じゃあ、ちょっと違う方向から考えなきゃなあ」
「春龍、なんかないの?」
「そりゃ、これってのはないけど」何か意見は言っておこうと思い、「変だなあって思う所はあるぞ、小雪と同様」
「へえ、どこ?」
「やっぱり、ラブレターが切り取られていたってところだな。便箋にはあなたのことが好きです、くらいのことしかなかっただろ。俺、本来はもうちょっと長くって、それをあえて短くしたんだと思うんだよなあ」
「例えば?」
「例えば……差出人の名前が書いてあって、それを切り取ったとか」
「なんで?」
「なんでってそりゃ、恥ずかしくなったからじゃねえの?」
「だったら出すことからやめない?」
「うぐっ」
小雪よ、俺も思いつきレベルで話しているのだから、そんな追及は止めてくれないか……
「あるいは」俺を助けるかのような亜紀の声。「ラブレターとはえてしてポエムチックな文章になりがちですが、差出人も入れる直前になって自分の文章の恥ずかしさに気づき、削除したと言う可能性もありますよね」
「佐倉お前賢いなオイ」
賢いのは賢いのだが。それだと俺が奇妙に感じた点も全く奇妙じゃなくなってしまう。ラブレターの賢者タイムなんてあるんでしょうか。
「もーう。わかんないよー。亜紀ちゃんなんかあるー?」
「ありますー」
「そっかー、あるかー。やっぱしあるよねー……ってあるんかい!」
「なんのノリツッコミか」
俺のツッコミは華麗にスルーされた。これはこれで悲しい。それくらい、小雪は俺のことが眼中になくて亜紀の推理を心待ちにしているということだな。さっきから鋭い洞察を連発しているし、俺も期待が持てる所だ。
「えっとですね」
亜紀がタメを作る。
「ラブレターを出したのが、大和田先輩だったら筋が通ります!」
……は?
「いやいやいやいや」
何言ってんのお前? 小雪も完全に呆然としているぞ?
「だって、大和田先輩って村野先輩のこと、好きでしょ?」
「おうふ」
ちょっと待てそれは誤解だ。それは一番やっちゃいけない誤解だ。
「森小路先輩、この前言ってましたよ。春龍は確実に村野に惚れている、ってね」
「黎一郎あのやろう」
「あ、今の言い方は認めたってことでいいですか?」
うわしまった。口が滑った。必死で取り繕う。
「違う違う違う。マジで違う」
「うんうん。それは違うよ」
ここで小雪も加勢してくれた。ありがてえ。
「あれでも村野先輩も、この前ラブレター書いてませんでした?」
亜紀の矛先が小雪に変わった。おいマジか。対して小雪の返答は、
「見てたの!」
思いっきり全肯定じゃねえか!
「へ、へー。小雪もあれか、そうなのか。ははは」
俺はもう知らんふりするしかない。「ま、今シーズンだし出せばいいんじゃね」
「……あっ、しまっ、違うの違うの! あれは友達に頼まれて代筆してあげてたんだから!」
「そうだったんですか。てっきり私、この前村野先輩に恋愛相談受けたのでそのことかと」
「はうぅ」
……いや、小雪よ。気持ちは分かるが、後輩に恋愛相談ってどうなのよ。
「亜紀ちゃん……亜紀ちゃんがそんな子だったなんてお姉さん知らなかったよ……悪魔っ子なんだね……」
小雪も亜紀の本性に気づいてきたらしい。俺も小雪も後輩一人に弄ばれてあたふたしすぎである。
しかしやりすぎる人間は結局失敗する。亜紀もそろそろ場をわきまえるべきだと思ったのか、
「とにかくですね、私が言いたいのは、村野先輩にラブレターを出す人は、村野先輩のことが好きな人ってことなんですよ。で、私はそれが大和田先輩にあたるかなって思ったから言っただけです。仮にそうだったとしても、大和田先輩がどうやって森小路先輩の下駄箱に靴があることを知れたかなんてことは分かりませんし」
「今までの冗談だったのかよ……」
俺は肩を落とした。そもそも、俺が小雪にラブレターを出すことなんてありえない。それは人生で一番やっちゃいけないことである、俺の中では。
「まあでも、そっか」
急に小雪がしみじみした口調で呟いた。「あたしのことが好きで、あんなヘンテコなものよこしてきたんだよねえ……」
「そう、だな」
改めて言われると、こっちもちょっと複雑になる。
「……やっぱりこの二人、お似合いだと思うんだけどなあ……」
亜紀の呟きはスルーの方向で。キヅカナーイ、キヅカナーイ。
「部内恋愛って、素敵だと思うんだけどなあ……」
はいスルー。スルーだよー。
……って、部内恋愛?
スルーすると言いながら、そのキーワードが俺の中で、閃いて──
「そうか。分かった」
俺は口に出していた。
「分かった? ホント?」
小雪が電車の揺れに合わせて心もちこちらに詰め寄る。
「本当ですか、先輩」
亜紀もその脇で驚きの表情を浮かべている。
「ああ、わかった。発想を逆にすればよかったんだ」
考えてみれば簡単な事だった。ワンテンポ置いて、俺は自分の考えを述べる。
「つまり、小雪が靴を入れてからラブレターが入れられたんじゃなくて、先にラブレターが入れられてから小雪が靴を入れたってことさ」
ポカンとする二人。それもそうか、もう少し説明しよう。と思ったら。
「それ、おかしくないですか」亜紀のツッコミが入った。「そもそも、村野先輩が森小路先輩のところに靴を入れる予想が誰もつかないから謎になっているわけで、そんなの完全に未来予知じゃないですか」
「違う違う。佐倉、よく考えてみな。あのラブレターの差出人が、黎一郎だったらどうなんだよ」
「……わ」
亜紀は完全に合点がいったようだが、小雪はまだ掴めていない顔をしている。
「だからな」小雪に語りかけるように、「黎一郎がお前にラブレターを出そうと考えたとするだろ。出すならシーズンの今だよな。で、何個か書くと思うんだけどさ、失敗作も出ると思うんだよ。そのうちの一つがあいつの下駄箱に置き去りだったとして、そこにお前が靴を入れる。その時はそのまま帰って、翌日開けたら、という流れだな」
失敗作と言ったのは、便箋に切り取った跡があるからだが、黎一郎の中でアレが完成品で、そのうち渡そうと思っていたらインフルエンザにかかったという可能性もあるだろう。
いずれにせよ、あれを書いたのが黎一郎なら筋は通るということだ。部内恋愛から閃いた、俺の推理である。
どうだ、と言わんばかりに二人を見やったところ、
「うわあー」
妙に感心気味の亜紀がいる一方で、
「うん……」
どこか歯にものがはさまったかのような表情の小雪もいた。
「なんだよ、仮説としては悪くないと思うぜ?」
「そうだけどさー」やけに低い声は、あんまり機嫌のよくない徴候である。
「それが本当なら、あたし超馬鹿じゃない?」
「そうか?」
「だって、昨日の夕方からラブレターは入ってたんでしょ? それに気づいていないってんでしょ? おメメ節穴って言ってるようなもんじゃん」
「あー、否定はできないが……ほら、あんまり中を確認しなかったんじゃないのか? だって他人の下駄箱の前であんまり悠長はしてられないだろ」
「でも、それは今朝も同じだよ。こそっと森小路君の下駄箱前に立って素早く開け閉めしたんだもん、それでも見つかったんだよ? むしろ誰もいなかった昨日の夕方のほうが中を確認するヒマがあったよ!」
「……ぐう」
「完全論破ですね、先輩」
「佐倉お前、今日一日でだいぶ攻めてくるな?」
「なんのことです? ふふ」
この後輩……侮れない。半年後辺りに部内で尻に敷かれてなければいいけどな……
しかしこの仮説は自信があったというよりは、今までと全く違う視点からの発想だったわけで、ひょっとしたらあってるんじゃないかという淡い期待もあったのだが、なかなか世の中うまくいかないな。
話題が一旦尽きたかのように三人の間に静寂が訪れると、車掌のアナウンスが次の駅名を告げる。
「あ、次の駅、私の降りるとこです」
「もうここまで来てたんだ。うーん、やっぱり解決! とはいかないかー」
がっくりと肩を落とす小雪に、亜紀は屈んで言葉をかける。
「村野先輩、まだまだです! このまま大和田先輩のおうちに行って延長戦ですよ!」
「はわわっ」
「しねえよ」
「あっうん」
完全に弄ばれてる残念さである。
「しかし、お前ら仲良いな……マネージャーって上下関係とかないの? サッカー部は割とあるぞ、先輩にはまだ緊張するしなー」
言って欠伸をする。いくら順応性があるといっても亜紀は入学してまだ一か月とかそこらである、まったく大したものだ。
すると小雪は上腕二頭筋のあたりをさするようにして、
「それはほら、あたしの姉御肌スキルってのが大きくない?」
「あちゃー。自分で言っちゃうか」
「でも、私はやっぱり村野先輩が一番話しやすいです!」
お。フォロー入った。
「ほらね」
「ほらね、ってなあ。そのうち主従逆転するぞ」
「大丈夫大丈夫。案外あたし、後輩パシらせたりするの得意だから」
「それはそれで違うだろ」
「この前も新しい上靴、買ってきてもらったもんね、購買部に」
「はい!」
「え」軽く引いた。「なにやらせてんのお前……」
「だって私ら教室二階でしょ。亜紀ちゃん一階じゃん。購買部一階じゃん。ね」
「ね、じゃねえ!」
「しっかり名前も書かせてもらいました! 人生で一番緊張して村野って二文字書きました!」
「あれ……この子のスタンスよくわかんねえ……」
一通り混乱したところで、亜紀の最寄駅に電車が到着した。
「じゃ、お先に失礼します!」礼儀正しく挨拶した後で「あとはお楽しみですね」
「明日覚えとけよ!」
あはは、と笑って電車を降りる亜紀。この小一時間でだいぶ印象変ったわ……弟よ、お前の言っていることがようやく理解できた。
そして、電車に二人きりになって。
「…………」
「…………」
急に気恥ずかしさが影を落とす。だってさ、お前、小雪よ、やっぱお前もラブレターとか書いてたりするんだな、とか、後輩に恋愛相談しちゃうのな、とか。
話しかけづれえ……もっとも、それは向こうも同じかもしれないが……
「やっぱさあ」
だから、不意に呟いた小雪にもとっさに反応できなくて、
「な、なんやねん」
「……ぷっ」笑われた。「なんの関西弁」
「知らん、知らん! で、やっぱさあ、の後は!」
耳が赤くなっているのを自覚しつつ、小雪がひとしきり笑い終えるのを待ちつ。
「やっぱさあ、変かなあ、と思ってさ」
「何がだよ」
「え? 上靴のパシり」
「あ? まあ変じゃないけど理不尽だよな。ご丁寧に苗字まで、書かせ、て……」
おっと?
本日二回目の思考のほとばしり。
「春龍? どうしたの?」
小雪の問いかけに答えないのは、脳みそが全部、論理構築に行っているから。
「そうか……そうだったのか……」
「春龍? ねえ? も、もしかしてさ」
「そのもしかしてかもしれんぞ」自信が言葉に乗っかってくる。「今度こそわかった」
「ホント? ねえ、教えてよ! どういうことなの?」
「もちろん。だけど、その前に」
「何よ、いまさら焦らしも何もないでしょ」
「いやいや。そうじゃなくて」
「じゃあ何よ」
「電車、降りるぞ──駅に着いた」
夕方、夏至まであと一か月ちょっとということで日も伸び、あまり涼しくなくなってきた空気の中を小雪と歩く。このまま黙って家路につきたいような気分も少しあるのだが、横の小雪は今すぐ説明しろと言わんばかりの剣幕でこっちを見つめてくるものだから。
「おかしいと思ったんだよ。上靴のくだりでな」
早速自分の推理を発表する羽目になっていた。
「そうかなあ?」
小雪も臨戦体制、教師の言うことを一言も聞き漏らすまいとするガリベンのようだ。
「いいかよく考えろよ。まずお前の前提を踏まえるなら、お前宛のラブレターを黎一郎の下駄箱に入れることは不可能なんだよ」
「え? 不可能って……そりゃ、散々考えて今のところはそうだけど、不可能って言い切っちゃうの?
「だって誰も知らないんだからな、お前の靴が黎一郎のところにあることを」
「うーん……でも、実際あったんだけど」
「だからまた発想を変えなきゃならない」俺は小雪を見据えて言い放った。ちょっとかっこつけているのは自分でもわかっているが、たまにはこういうのも許してくれ。
「発想を?」
「そう。あのラブレターはお前宛ではなかった。黎一郎宛のラブレターだったんだ。だってそうだろ? 黎一郎の下駄箱に入っていたんだからな」
「はあぁ?」
小雪の顔が険しくなる。「だってレターケースにあったじゃん、あたしの名前」
「だから途中で変更したんだよ」
「変更?」
「そうだ。想像してみてくれ、黎一郎にラブレターを渡そうと思って下駄箱を開ける。するとそこには村野と書いた上靴がある。そんなところにそのままラブレター突っ込めるか?」
「なるほどねえ……それで便箋を切り取って大丈夫な所だけ残して、レターケースはあたしの名前に書き換えて、入れ直した、ね……それなら誰でもできるけど……って、そんなもん納得いくかあああああ」
めちゃめちゃ噛みつかれた。分からんでもないが。
「あのね春龍。そこで入れるの断念するのなら分かるよ。でも! なんであたし宛にして入れ直すの! そんなことおかしすぎるでしょ!」
「ああ、変だな。だけどここでもう少し考えてみようぜ。最初に言った上靴の件だ。もう一度想像してくれ。下駄箱を開けたら村野って書いてある上靴がある。で、とある理由でそちらに宛てたラブレターを出すことをそいつは決意した。いやいや、おかしくないか?」
「だから最初からおかしいって言ってんじゃん」
「それとは別に、だよ。なんでその差出人は、小雪って名前を特定できたんだ?」
「そんなの……うそ」
表情が一変、真顔になる小雪。やっとわかってくれたか。
「だろ? お前は校内でも有名な双子じゃないか。村野って書かれた上靴からでは、その持ち主が小雪か桜子か、判断することができない」
「……ううん、判断できる人は、いるよ」
小雪の否定。しかしそれはこちらとしても想定内なわけで。
「……ああ、そうだな」俺は答えを待った。
「……あたしの上靴を実際に買って、名前を書いた人……亜紀」
「そういうこと。つまり、佐倉は黎一郎にラブレターを出す気でいたんだな。そういえば部内恋愛って素敵だなんて言っていたが、なるほどねえ」
図抜けた美人と冴えない黎一郎じゃあ釣り合わない気もするが、好みなんて人それぞれだしな。
「さて。それを踏まえて佐倉がなんで小雪宛のラブレターに変えたかなんだが、理由は二つくらいあると思うんだよな」
「二つ?」
「ああ。まず一つ目なんだが、あいつはいわゆる告白宣言のジンクスを狙ったんじゃないかってこと」
さっきちょろっと話題に出した気もするが、友人などに「誰々に告白する」と宣言してから実行すると成功する、というジンクスだ。
「わかったかも。亜紀ちゃんは友達に、森小路君に告白するって宣言したから、とりあえず形だけでもラブレターを投函しておく必要があったってことだよね?」
「そう。そもそも黎一郎がインフルエンザで休んでいるのは同じサッカー部としてあいつも知ってるはずだ。だったら昨日投函する強い理由ってのがどこかにあるはずで、それはそのジンクスだったと思うんだよな」
「そうだね。でも、それだけじゃちょっと弱い気もする」
「ああ、だから二つ目なんだが……」ちょっとこれを口にするのは気が引ける。
「なによ、もったいぶんないでよね」
「分かってるよ……その、さ。客観的な事実じゃなくて、だぜ。佐倉は、お前がラブレターを俺に出そうとしている、なんて考えているだろ」
それは今日の帰り道でのやり取りから見れば明らかなことだ。案の定小雪も、
「……うん。そうだね」ややモジモジとしながらも、認めた。
「そんな状態でだぜ、こういうことになったら。俺に相談に来るよな? てか来たよな? で、多少の焦りも生まれるよな? もちろん、お前が俺にラブレターを出そうとしていればの話だけどさ」
「……腑に落ちた」小雪の溜息。「あの子、あたしの背中を押したつもりだったんだね」
「じゃないかな、と思うわけよ。要するに今日のお話し会は、全部佐倉のお膳立てだったってこと」
まったくあの後輩、恐ろしいやつだ。自分がラブレターを投函しようと思って行動した結果、他人の恋愛を手助けしようと考えつくだなんて。しかしまあ、お前が黎一郎に惚れていることをつかめたのは大きい。今に見てろよ。
大方の謎解きは終わり、そして俺たちの家も見えてきた。十数年隣同士で並び立った戸建だ。
「……春龍」
すると小雪が俺の名前を呼ぶので、「何」と返す。
「ありがとね、こうやって考えてくれて」
「なにを今更。てか、面白いことになってきたな? 佐倉のやつ、黎一郎が好きだってよ」
「ふふ、そうだね」はにかんだ後、小雪はそれでも真顔になって、
「……春龍さ、もういい加減、分かってる……よね」
「ん? 何に」
「…………あたしが、誰を好きなのか」
息が、詰まった。
しかしそれは、否定をするための間では、なくて──
「……ああ。分かってるよ。もう何年の付き合いなんだよ」
確かに告げると、小雪はこれ以上ないくらいに顔を真っ赤にしながら、
「じゃあ、これ……よろしく」
と、俺に「それ」を手渡した。
「……シーズンだな」
「……シーズンだから」
震える小雪の手からそれを受け取り、宛先をさっと確認して苦笑する。そして、言う。
「奇遇だよな」
「……なにが。って、え」
俺を見つめる小雪の目が見開かれたのは、俺も「それ」を取り出したからで。
「小雪も分かってるだろ? 俺が、誰を好きなのか」
「……うん」
「だからさ、これ、頼むわ」
「……なんだよ。春龍もこっそり書いてたんじゃん」
「そんなもんだろ。シーズンだからな」
はは、とお互い笑い合ったところで、いよいよ家の前。
「……じゃ、明日からまた、よろしくな、小雪」
「……こちらこそ、春龍」
なかなかにドラマチックなことをしたという自覚はあるが、案外ここは淡泊に別れる。
そして俺は、「ただいま」と言いながら玄関をくぐると、手を洗って着替えを済ませ、先に帰っていたわが弟、冬馬の前に立った。
「どした? 兄貴」
怪訝そうに問う弟に、俺は「それ」を渡してやる。
「お隣さんからお届けもんだわ。シーズンだから、よきに計らってくれたまえ」
「え? ちょ、これ、うそ、え、マジマジマジマジ」
慌てふためく弟を横目に俺は笑いながら、考える。
佐倉亜紀よ、お前も少し勘繰りが足りなかったな。小雪がお前に恋愛相談する意味をもっと考えなければならないよ。お前である必要というのは、そういうことでもあるわけだ。
そして佐倉亜紀よ、俺から小雪にラブレターを渡すということは、人生で一番やっちゃいけないことなのだ。ややこしすぎるからな。
──さて、今頃は隣の家で、村野桜子が同様の動揺を見せてくれているころだろうか。
冷静こそ保っているものの、俺は自分の心拍数が異様に上がっていることを自覚していた。