scene1 【何もかもが】
新作VRMMOゲーム『unIQue』。その世界は世に溢れる剣と魔法のファンタジーとさして変わらぬ世界観だという。大小様々な王国や都市などが世界中に乱立し、数えきれないほどのNPCが独自のAIを以て現実と変わらない生活を続けている。街道から離れればモンスターの姿も散見され、そうなればダンジョンと呼ばれる遺跡や自然の洞穴といったものも無数に存在する。
例え創られたものだとしてもそこには長きに渡る歴史があり、それに裏打ちされる世界と人の在り方が常である。であれば冒険者と呼ばれ活動する我らプレイヤーこそが異物なのだろう。
今だ開かない眼の裏でそんな感傷に浸っていれば、やがて眩いばかりの光が私を襲った。
腕で顔を覆い、やがて薄目を開けて見てみれば――――。
「これは……」
目の前に広がる光景にしばし言葉を失った。蝋台の光によってぼんやりと薄く照らされた石畳の部屋には、先ほど受けた光など感じられないような湿った空気が広がっていた。
見渡す限り苔むしたような古い石壁に囲まれており、一言で言ってしまえば遺跡の一部屋のようなものを感じさせる。人の生活を匂わせるような家具や調度品など一つもない。鼻孔から入るのはかび臭い匂いだけ――――問題なく五感ははたらいているようだ。
とりあえず身の回りを観察しようとした矢先、私の意識、というよりも視界が何とも妙なことになっていることに気が付いた。まるで第三の視界を得たような、脳の中に全く別の小部屋を設けたように私の視界には水色のウィンドウが浮かんでいた。
今私の眼から受け取れる景色に重なるものでもなく、だというのに視界にはそれが浮かんでいる。ふと、私はunIQueにおけるシステムを思い出す。
ステータス、装備、アイテム、クエスト、もしくはゲームそのもののコンフィングといったものを閲覧、操作出来るウィンドウは意識の中に具現化させられるのだと。
それを思い出せば、視界の外に映るウィンドウを操作するのは容易かった。手を動かしているわけでも視点を動かしているわけでもないのに意志一つでウィンドウが操作され、やがて点滅するクエストの項目を選ぶ。
【チュートリアルクエスト『目覚め』発生】
【あなたはどことも知れぬ遺跡の中で目を覚ました。今のあなたに積み重ねられたものはなく、あなたを知る者も知らない者も存在しない。それは自由であり、不自由である。あなたはこの薄暗がりの中で生涯を終えてもいい。勇気を振り絞り、【外】という未知に飛び出してもいい。今はまだどれが最善でどれが最悪からすら判断できないのだから】
scene1 【何もかもが】
現在すべきことを教えてくれる、というわけではないが、ぶっきらぼうにウィンドウに映し出された文面は確かに私の内に湧き上がらせる何かを抱かせた。
確かな冒険の始まりに否が応でもなく気勢は上がる。そこでようやく私は一度深呼吸をし、自分の状況を確認すべくしばしウィンドウと睨めっこをし続けることとなった。
【装備】
E:【古ぼけた杖】
E:【草臥れたローブ】
E:【粗末なズボン】
ウィンドウを眺めつつ自分の衣服を弄る。落ちぶれた浮浪者のような恰好はいかにも、な感じであり、右手に持った杖は腰の高さほどのあるごく普通のものにしか見えない。唯一先端に取り付けられた真っ赤な宝石が奇妙な雰囲気を漂わせるが、ファンタジーでよくある魔力の残滓というものは当然感じられない。
まぁ、所詮は初期装備として預けられるものでしかない。
一度杖を両手で持ち、バットのように大振りに振ってみる。
フゥォンと空気が震える音を伴いながら力なく振られたそれは、とても殴打武器としては使用できそうもない。魔術師としての私の行動を補佐する程度の力しかないのだろう。
詳細を得ようとウィンドウから古ぼけた杖を選択してみれば、出来てきたのはこのようなもの。
【古ぼけた杖】【要鑑定】
【何の変哲もない杖。ところどころに罅が入っており、先端の魔宝石はくすんでいる】
得ることのできた情報は少ない。だが要鑑定という部分には注視すべきところだろう。そういえばソフィアと行っていたアバター設定でも初期スキルに【鑑定】というものがあった気がする。
このunIQue内でのアイテムは鑑定しなければそのアイテムの効果や名前すら判別できないらしく、それはモンスターにさえ当て嵌まるという。
戦闘になれば相手の名前がウィンドウに表示され、HPバーが現れる、というわけでもない。
つまるところ今の私にはとりあえず進んでみる、という選択肢以外なさそうである。
ウィンドウに立ち並ぶアビリティも戦闘になって実際使ってみなければ何もわかるまい。
恐る恐る、といったようにして私がいた部屋の出口らしき扉を開ければ、その先は暗闇というわけではなく、一定の間隔で壁に蝋台が置かれた一直線の廊下であった。明かりを自ら用意しなければ足元も見えない、というわけでもないが、それでもどこまでも続く薄い闇はどことなく気落ちさせられる。
一応手に持っていた杖を構え、一歩一歩と長い廊下を歩いていく。
少しばかり歩いて行けば、やがて廊下のど真ん中に朽ち果てた人骨らしきものが倒れ伏していた。初めは面食らったものの、これはゲームだと思い直して高鳴った鼓動を抑える。チュートリアルでいきなり人骨を見せるというのも中々過激な話だ。
【チュートリアルクエスト『目覚め』続行】
【勇気を振り絞り進んだあなたの目の前には『そうなっていたかもしれないあなた』がいる。どうやら何かしらの要因で力尽きた冒険者らしい。あなたはそれをよく観察するべきだ。過去から得られる物は多い】
――――嫌な言い方をするシステムだ。
だがしかしここまでいちいち説明してくれるのはチュートリアルクエストだからだろう。これから起こるクエスト全てにこうやって事細かに教えてくれるとは限らない。
私はクエストの指示通り倒れ伏した人骨に近寄り、調べるべく手を伸ばした。しかし。
動かないはずのそれがカタカタと骨を鳴らしながら立ち上がった。
驚き、よりもあまりの展開に意識が飛びかけた。
猫のように私は全身の毛が逆立ち、飛び上がるようにして後方へ退いた。もはや現実の身体では成し得ぬ動きに感動する暇もなく、硬い動きで杖を前方に構える。
(このクエストを作った担当者は性悪だな)
内心で悪態をつきながらも今起ころうとする戦闘の気配に無意識のうちに舌なめずりをした。
目の前の人骨、おそらくはスケルトンとでも呼称されるであろうモンスターは緩慢な動きでこちらを正面に捉え、ゆらゆらと肩を左右に揺らしながら立っている。冒険者のなれの果てか、破れかけた革製の鎧を不恰好に着崩し、右腰には道具入れらしきポシェットのようなものが見えた。
皮鎧は二束三文にしかならないだろうが、あれは確保せねばなるまい。
所詮説明書にしか過ぎないが、プレイ前に学習した戦闘方法に従い集中する。
ウィンドウのアビリティ画面から【アタックアビリティ】を選択。そうすればやがて私の右手には赤茶色の紋様のようなものが現れ、頭の中で時計が針を鳴らすようなカウントが響いていく。成程、このように発動するのであれば三つ目の視界を得るという意味が分かる。こうすれば戦闘もスムーズに、そして的確に行えるだろう。
時計の針が四度鳴る。そうすればウィンドウが緑色に染まり、それが発動の合図だと理解した。
【アビリティ発動『ロックストーン』】
右手のひらを前方に押し出せば、一瞬でそこに赤茶色の魔法陣が展開した。空気が震え、何かの力場のような気配が爆発するようにしてスケルトンに向かいはじけ飛んだ。人間の頭ほどの大きさの岩塊が魔法陣から唐突に現れ射出された。
「うおっ」
魔法、という現象にたまらず悲鳴が漏れた。無論、というか魔法故に射出の反動などなかったが、やはりというかさすがに驚くものがある。
射出された塊はスケルトンの胸部あたりを粉砕し、けたたましい破砕音を立てて床に転がっていく。単純な魔法ではあるが、それ故にその破壊力はあまりに強力だった。他の属性魔法がどうかは知らないが、初期魔法としては随分な威力だろう。
やがて勢いを止めた岩塊は光の粒子となって消えていく。成程、場に残りはしないらしい。
そして残るのは哀れにも粉々にされてしまい床に破片を散らばらせるスケルトン。
これを生身の何かに放ったら、と思うと唾をごくりと飲み込んだ。あまりに凄惨な光景はシステム側から制限がなされているが、これが現実に起こったら……まぁ、大変なことになるだろう。
たった一撃で戦闘不能に陥ったらしく、もはやスケルトンはピクリとも動かない。動かない、はずだ。
とりあえず勝利したのならば報酬を得ねばならない。死体漁りのようで気が引けるが、仕方がない。
【骨】【要鑑定】
【欠損が見られる、人間らしきものの骨】
【道具袋】【鑑定済】
【冒険者の必需品。魔術によって空間を広げられた特殊な材質でできており、見た目以上のものを多く入れられる。魔術を施した術者によってその効果は高まり、三流が施したそれは馬一頭が引ける重量の物しか入れられない】
【鎧】【要鑑定】
【千切れた鎧。材質から何から定かではない】
【緑の液体が入った瓶×5】【要鑑定】
【少々とろみのある緑色の液体。無臭ではあるが、その色は毒々しい】
【紙のようなもの】【要鑑定】
【ごつごつとした手触りの紙。何かの文字が書かれている】
このありさまである。この結果だけ見ても【鑑定】スキルというものがどれほど大事なのか分かるだろう。不幸にも私はとっていなかったが、これからの他プレイヤーの展開を考えるに鑑定屋やレンジャーのような役割を持つ者も現れてくるだろう。おそらく鑑定スキルはこのゲームプレイの根幹を成すほどの価値を示すかもしれない。
私も取るべきか、とも思ったが今は取らぬ狸の何とやらだ。まずは先に進んでみなければどうしようもない。
唯一鑑定されている(恐らくはチュートリアルだからであろう)道具袋の口の部分に床に散らばった戦利品を近づけていく。そうすればまるで掃除機に吸い込まれるかのようにして拳大の麻袋に鎧やら瓶やらが消えていく……まぁ、そのうちこの光景にも慣れるだろう。先ほどの戦闘にしても手から岩が飛び出るたびに驚いては戦えない。
そういえば取得した5つの瓶ではあるが、おそらく体力回復のポーションだと予想しているのだが、いきなりスケルトンと戦わせる制作側のことを考えるとまさかの毒薬、ということも考えられる。そこの辺りは臨機応変に対応するしかないだろう。もし死にかけるようなことがあれば腹を括って未鑑定のものを呷るしかない。
さて、それから私は先へ進むべく歩を進めたのだが、何のイベントも起こることがなくただ薄暗い一本道が続くだけだった。もう少しギミックのある遺跡か何かと予想していたのだがどうやら違うらしい。
しばし歩けば目の前には鉄の扉があった。錠前などはないらしく、どうやら押せば開くタイプのものらしい。
そして、私はその扉を開けた。
開ければ眩いばかりの光が私を射抜いている。その光に腕で顔を隠せば、やがて視界の端にはまるで草原の中心にいるかのようなだだっ広い緑の景色が広がっていた。
遠くには雲まで届かんとする山が見え、時折草原の最中に立つ岩はどちらかと言えば丘と呼べるそれだろう。そして私の背後にも家一軒ほどの大きさの岩が聳え立っており、先ほど私が出てきた扉が不自然に取り付けられている。何とも適当な場所の気がした。
しかし、どこまでも続く草原は今まで辛気臭い暗がりを探検してきた私にとってはこの上ない解放感を味合わせるものだった。つい大きく両腕を天に伸ばし伸びをする。ゴキゴキと音の鳴る身体に一瞬冷や汗が出たが、今はそのようなことを心配する身体ではない。
大きく深呼吸をすれば草の匂いが風に乗って鼻孔を擽る。ローブをはためかせ後ろに流した白髪を靡かせる風はおよそバーチャルとは言えない現実染みた爽快なものがあった。
私は、これより、冒険の旅に出る。
年甲斐もなくわくわくと胸が高まり、口元は気味悪くにやついた。
【チュートリアルクエスト『目覚め』達成】
【あなたはただの死人であることを否定した。その胸にあるのは堅く脆い自由な心だった。ならばその視界に映る全てはあなたのものだ。度重なる困難と挫折、到底味わえない栄光と財貨はあなたのものだ。今、あなたの冒険は始まった】
【称号取得『自由を飽食するもの』】
システムもクエストの終了を確認したらしく、何やら称号とやらも獲得したようだ。この要素には何の意味があるのか。更なるイベントのキーにでもなるのか、それともただ単なるフレーバーテキストのような何か、やはり今現在では何もわからない。
これから次第、というわけだろう。だがしかし――――。
「ふむぅ……」
揃えられた白い顎鬚をなぞりながら思案する。確かに自由を与えられたはしたが、これから何をすればいいのかが定かではない。まぁ、街か何かを探して他のプレイヤーの姿を見つけてもいいだろう。私はアバター作成やらなにやらで他のテストプレイヤーよりは歩みが遅いはずだ。大差はないかもしれないが、それでも情報が欲しい。であれば街なのだが。
一人もんもんと悩んでいれば、やがて私の視界には遠くからこちらへ近づいてくる人影のようなものを捉えていた。人間の形をしてはいるが、はたして敵か、味方か、中立か。何にしても杖を構えることに越したことはない。
だがしかし徐々に近づいてくるその人影は旅人らしいマントと羽帽子、背中に背負ったどでかいリュックサックなどとても野盗の類には見えない。あれはどちらかというと商人、だろうか?
「おや、こんなところに人とは珍しい」
どうやら私に気づいていたらしく、目の前まで近づいてきてはそんなことを驚いた顔で話し始めた。
見た目は少しでっぷりとした体形とちょび髭が目立つ冴えない親父、といったところだろうか。垂れ目といい団子鼻といい、最初に出会う人間としてはやや恣意的なものを感じる。
まぁ、渡りに船だろう。
「こんにちは旅の方。私もあなたと同じ旅人だよ。いや、冒険者と言ったほうがいいのかな?」
「冒険者、ですか。成程、その見てくれからどこの邪教の徒かとも思いましたが早とちりだったようですな」
そこで自らの恰好を思い出して苦笑した。草臥れたローブと杖は魔術師の常なれど、こんな人間が遺跡の真ん前にいれば疑惑もむべなるかな。仕方あるまい。
「駆け出しといったところでね」
「そのお年になってから? 随分と精気に溢れたお方だ。ではこの遺跡に?」
「遺跡とも呼べぬ一本道だったよ。出会ったのは同業者の朽ち果てた姿だけ。戦利品も」
その言葉と共に骨以外のアイテムを道具袋から取り出して男の前に並べた。もしこの男が商人だというのならひょっとすれば鑑定のスキルを有するのかもしれない。NPCとプレイヤーの能力が同様のシステムの上で働いていればよいのだが。
すれば私の狙いは当たったらしく、男の眼は手に入れた紙を見つめた離さない。チュートリアルダンジョンで得られるものにレアなものはないとはいうが、さて如何に。
「この紙、いやスクロールは……」
「出来れば詳しく教えて頂きたいのだが……商人とお見受けする」
「ははっ確かに私は商人ですがね。ふむ、むぅ……」
私は商人の男にスクロールとやらを手渡すとうんうん唸りながらあの奇妙な文字を解読し始めた。といってもあれに書かれていたものは文字なんて代物ではなくてただ蛇が通ったような波線でしかなかったはずだ。
しかし商人が一折解読し終えて返されたスクロールには、いつのまにか魔法陣のようなものが描かれており、成程、これが鑑定スキルの効果か、と感心した。
鑑定しなければ視界から入る情報がシステムにより遮断されるのだろう。そして今しがた鑑定されたからこそこれはスクロールという一種のアイテムになったのであろう。
【良質な帰還のスクロール】
【使用することでホームに指定した街か自宅に転移することのできるスクロール。良質なものは周りにいる人間を指定して複数を転移させることができる。なお、この転移は魔力抵抗によって無効化することもできる」
ほう、 と私はシステムに並ぶ説明に一人で納得し、目の前にいる男に視線を向ければ男は不思議そうな顔をして首をかしげた。おそらくだが、彼との邂逅もまたチュートリアルの一部のようなものなのだろう。これで街へ行く手段が――――いや、指定した街かホーム? 待て、私はそんなものを知らないぞ。
拓きかけた道が閉じたことでがっくりと肩を落としたが、考えようによってはまだなんとかなる。
「商人の方。わざわざ鑑定してもらった手前誠に申し訳ないのだが、あなたは近場の街に帰還するご予定はあるかな?」
「…………成程、そういうことですか。ならばかまいませんよ。そろそろ保存食も尽き掛けていましたので、私にとっても有難い申し出ですな」
「恩着せがましいことではあるが、これを以て鑑定の礼としたいのだが」
「ふふふ、駆け出しのご老人からふんだくるほど腐ってはいませんよ。私はゴルド。サファルの街で雑貨屋を営んでおります」
「忝い。私は駆け出し冒険者のシスケ。魔術師だが、まぁ所詮自称かな。邪教徒かもしれない」
「ははは! 邪教徒は決まって穴倉で何とも知れぬ神に祈りを捧げるものです。それと帰還のスクロールくらいは読めますよ」
「お恥ずかしい」
NPC。もはやそのようには思えないだろう。
笑いあいながら握手を交わしたが、その手は人間の温もりと変わらない。私の傍に立ち、スクロールに手を重ねながら呪文のようなものを詠唱するゴルドさんを見ながら、私はまだ見ぬ街を想像していた。