中編
「貴様…」
常識で考えてはならない。この女の言っている事は事実だ。自分が一番そのことを知っている。どういう方法でかはわからないが、この女は自分のことを信じられないほど詳しく調査済みなのだ。
「ああら、怖い顔。いい男が台無しよ。あたくしはただあなたの質問に答えただけじゃないの。怒るのは筋違いと言うものよ」
女は一平をからかっている。手の内を少しずつ見せ、相手がどう反応するのか面白がっているのだ。
「…もういい!目的はなんだ?オレを身ぐるみ剥いでこんなところに括り付ける理由を言え!」
「だから、そんな格好で凄んだってダメだってば…」
女は再びチラチラと一平の股間に目をやった。
もうその手に乗るかと、一平は面を引き締めた。
女がふわりと浮かんだ。悠々と泳ぎ寄り、一平の両肩に手を乗せた。
嫌な予感がした。
残念ながら予感は的中した。女は自分の身体を動けない一平の身体に近づけ、唇を合わせてきたのだ。
ねっとりと味わい尽くし、女は離れた。
「…こういうのが…望みか?…」
彼は尋ねた。
それならば理解できる。この戒め方は。
「それもいいけれど…。ちょっと違うのよね」
女は一本立てた指を頬に当てた。妙にちぐはぐに可愛らしい動作だった。
だが、女はすぐに表情を変えた。別人のように鋭く光る目が、欲望を剥き出しにして一平を目を見つめてくる。
女が言った。
「あたくしの欲しいのはあなたの種」
「種?」
「そう、種」
種といえば、植物の種だ。動物に例えるならば、子種だ。
「どこが違う⁉︎」
そういうことじゃないか、と一平は鼻白んだ。
「あたくしの用意した優秀な器に、あなたの種を植えたいの。ひとつじゃなくて、たくさん、たくさん…」
(優秀な器⁉︎たくさん⁉︎どういうことだ?多胎児を産みたいと言うことか?)
「あたくしが産むんじゃないわ。生み出すのは私の作ったあたくしの分身。いろいろ操作をして、若く美しく有能に仕上げであるわ。そこへ強く心広く有能なあなたの種を植えるの。最高に強くて、美しく有能で素晴らしい僕ができるはずよ」
(クローン⁉︎)
牛の実験など、地上ではクローン技術が既に試されている。この女の話は、まさにそのクローン人間のことのように聞こえた。
「そうしたら…あんたはどうする気だ?」
「決まっていてよ。あたくしに従う、あたくしと僕だけの帝国を作るの。別に他の国に迷惑をかけるつもりはないわ。あたくしが幸せならそれでいいのよ」
狂人だ、と一平は思った。
科学を狂信的に追求した人間がマッドサイエンティストと呼ばれるように、この女は自分の世界に酔っている。どういう力があれば…どういう方法ならそんなことが可能なのか…。一平にはわからないが、この女が本気であることだけは確かだった。
何とか、しなければならない。
そんなことがまともな人間のすることであるはずがない。まともでない結果を産むことは目に見えている。
幸い、と言うか奇遇にも、この女が欲しいのは一平の種だと言う。それが手に入らなければ、彼女の野望は達成されないのだ。何とかできるものならば、何とかしたかった。
(だがなぜ?なぜ、オレでなければならない?)
「なぜ、オレなんだ?男なら他にも山ほどいるだろうに」
自分に白羽の矢を立てた理由を聞いてみたかった。
「もちろん探したわ。あたくしの理想の男をね。何年も何年もこの水晶玉で…。でも、あなたしかいないの。あなたが一番相応しかった」
女はそう言って、何処からか水晶玉を取り出して見せた。
「見せてあげましょうか?何が見たい?あなたの大事なお姫様が悲しんでいるところなんかどう?」
一平の返事を待たず、女は水晶玉に映像を結ばせた。女の言う通り、そこには一平のよく知る少女の無邪気な姿があった。
だが、少女は嘆き悲しんではいない。手には料理刀を持って、おっかなびっくり魚を捌く練習をしている。そばについているのは侍女のフィシスだ。大方、近いうちに料理の試験でもあるのだろう。刃物の怖いパールは大騒ぎをしていた。
近頃のパールは、表向きの顔と内向きの顔を使い分けられるようになってきた。だから内面は必ずしもいいとは言えない。『やだやだ』と繰り返し、すぐに『できない』と刃物を放り出してしまいそうになるので、フィシスがとても苦労していた。
一平が姿をくらましたことなど知らないのだろう。ましてや最愛の人の童貞が危機に瀕していることなど、想像のしようもないのに違いない。
「あらまあ、ずいぶん薄情なのね。このお姫様は」
必要以上に女は驚いて見せる。
肝腎の一平の方は、なんと笑顔を見せていた。泣いているパールより、こうして戯れて騒いでいるパールの方がずっと安心できるのだ。
自分はどうなってもよかった。パールさえ守れるのなら…。
目を細め、愛しそうに水晶玉の中の娘を見つめる一平に、女は疑問のまなざしを向けた。
「変な人ね。がっかりしないの?」
また、『変な人』と言われた。一平のことを散々そう評したニーナのことを、一平は思い出した。
「……」
多分、ニーナも一平と同じように思うことだろう。
女は言った。
「本当にお子様ねえ。よく嫌にならないと感心するわ。とっても溜まっているんじゃないの?」
それもよく言われることだ。王やフィシスや、ニーナにも、僚友たちにも…。
「それも、ちょうどいいのよ。…たくさん、欲しいんですもの」
「いくら溜まってたって、相手が気に入らなきゃ出てこないぞ」
「それは心配ないわ。私の器はどんな男でも発情するようにできてるの」
「男を犬や猫みたいに言うな」
発情という言葉に、思わず苦虫を噛み潰した。
「何かしら?イヌヤネコって…」女には『犬や猫』がわからない。「でも、どうでもいいわ、そんなこと。文句は実物を見てから言ってちょうだい」
女ははじめ手にしていた黒い杖のような道具を拾い上げ、呪文を唱えながら何かの図形を描き始めた。
女が唱えると小さなつむじがひとつ、ふたつ…と一平の周囲を取り囲みどんどん増えていく。
やがて、それらの中からひとりずつ女が現れた。
黒い女だ。女にそっくりだが、十歳くらい若返って見えた。浅黒い身体には何も身に付けていない。
(まずい…)
いくら作り物の女とは言え、この数は多すぎる。憎まれ口は利けるが、身体は身動きならない。パール以外の女性を抱く気はなくとも、抵抗しきれる自信もなかった。
「さあ、お行き」
女が命令した。
クローンの中の一体が一平に妖しげに近寄った。柔らかい身体を押しつけ、一平の肌を撫で始める。
一平とて、若く健康な男であった。本能は、刺激されれば生理的な現象となって現れる。捕縛されているということが、禁欲的で、余計に刺激的だった。
女の言う『種』を取り出す準備は着々と進められていった。
(やめ…ろ…)
(オレに…触るな…)
(パールにやるんだ…。オレの子は、パールにしか生ませない…)
大人になったら赤ちゃんをたくさん産むんだと目を輝かせて話すパール。
一平ちゃんと二人でいっぱい育てようねと無邪気に微笑むパール。
お嫁さんになったら絶対赤ちゃんが生まれるようにしてねと何も知らぬままに念を押すパール…。
その度一平は、どんなにドキドキしたことか。平静を装うためにどんなに努力を要したか、パールは何も気づいてはいないのだ。
まだ気づかれてはならなかった。パールは何も知らない。男と女の秘め事など、縁のない世界に閉じ篭っている。無理矢理開かせたくはない。本当に自然にそんな気になるまで待つ覚悟はとうにできていた。
だが、実際問題としてはかなり辛い話だった。思わずドレスを脱がせてしまったり、口の中に忍び込んでしまいそうになったこともあった。だが、その都度思い止まった。パールのためを思えば思い止まれた。
出してしまうのは簡単だった。ムラーラと違い、トリトニアにはそのための遊び処もある。そういう所に出向いて発散したとしても、万が一他の女性と一夜を過ごしたとしても、パールは気がつかないだろう。気がつかなければ、悲しむこともない。パールが悲しむようなことは口外しない自信は一平にはあった。
けれど、それとこれとは別問題だ。
男には責任と言うものがある。
自分がしでかしたことに対する責任だ。
あのガラティスやロトーのように、女性をたくさん集めて後宮を作り、己の種をたんぽぽの綿毛のように撒き散らすのには賛成できなかった。自分の欲望が引き起こすことは、ひとつの生命というかけがえのないものの幸不幸に繋がるのだ。責任の持てないことには首を突っ込むべきではない。
そして何より一平はパールを愛していた。
彼女の傍らで眠り、共に幸せな夢を見ること。それこそが一平の痛切なる願いだったのだ。他の女性と寝たからと言って、その願いが達成されるわけではない。気持ちの問題なのだ。
だが、若い身体は精力を溢れさせたがっている。我知らず、陶酔しそうになってパールの面影が浮かんできた。
(パール…)
一平は絡みつく女を見た。それはパールではない。
しっかりと見た。その目に、これがパールではないことを焼き付けた。そして心を落ち着かせた。
「ええい。お下がり。能無しが!」
女の声がした。
「交代よ」
一平はカッと目を開き、意思のない彫像にでもなったかのように、微動だにしなかった。分身たちの方が反応のなさに疲れ果て、次々と眠りを貪り始めて行った。
前編のあらすじ
早く帰れることになったある日のこと、一平は差し込みで困っている女性の手助けをすることになった。
だがそれは罠であり、女性は不思議な煙幕を使って一平を拉致、身ぐるみ剥いで括り付け、一平の私生活をよく知っていると宣った。
その上、誰も知らないはずのニーナとの一件まで口にし始めたのだ。




