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前編

この作品は「トリトニアの伝説」の外伝です。

第六部 王宮円舞曲 直後のストーリーです。

前、中、後編の連載でお届けします。


これまでのあらすじ

地上で生まれた海人との混血児一平は人魚のパールを故郷に送り届けると、トリトニアにその身を落ち着けることにした。

他でもない、王女のパールと一生添い遂げるために。

国の三代柱のひとつ、青の剣の守人に就任することができれば父王から結婚の許しが出るのだ。

そのため修練に励み、実績をも得て、資格の一つである中将にまでのし上がった。


一平の父ラサールはかつてトリトニアでは名の知れた槍の使い手であったが、記憶をなくして日本に漂着し、一子を得た。

一平は生まれてから十三年間地上で暮らしたが、海人の知識など何も持たぬまま、パールを送り届けるために海へとその身を投じた。

トリトニアへ来て二年やそこらでこの地位に辿り着くなど不可能に近いのにここまで来た。


パールも修錬所の青科の副科で守人の妻となるべく修業に励んでいるが、先端恐怖症があるため、なかなか料理刀が使いこなせず悩んでいる。

大事な幼馴染であり、侍女であり且つ『影』であったニーナを失ったことで心の成長をみたが、本質は天衣無縫で泣き虫の甘えん坊である。


レレスクとの戦の後、落ち着きを取り戻したトリトニアの王宮だったが、身近なところで小さくて大きな野望が本格的に動き出そうとしていた。


詳しくは本編をお読み下さい。

「かっこいいじゃない⁉︎」

 大きな水晶玉を眺めて、ひとりごちる女性がいた。

 壮年だが、女性の(あで)やかさが前面に出ている毒のある美女だ。

 赤みの強い、厚みのある唇に思わず目が吸い寄せられてしまう。

 小昏い室内に女の纏う衣が黒々と揺らめいている。

 手元の水晶玉だけが明るい光を放ち、遠い地の出来事をテレビのように映し出していた。


 水晶玉に映っているのは一平の姿だった。

 トリトニア軍の総大将としてレレスク城に攻め上り、獅子奮迅の活劇を繰り広げている。ずたずたで血塗れの珊瑚色の髪の少女を背負い、なおかつ数人を相手にして引けを取らない。

 勇壮で猛々しい姿だったが、その鬼神のような実力に似合わぬ優しさと寛容さを兼ね備えた男であることを女は知っていた。

 この男を観察するのは今に始まったことではない。

 彼がトリトニアの王宮で賓客扱いの守人候補生であること、そして幼稚な王女に手を焼いている奇特な求婚者であることも、既に見知っていた。

「やっぱり、この男しかいないわ。いろいろ探して見比べたけど、勇猛さと広い心のバランスが一番とれているのはこの男だもの。…ふふ…さぞかし有能な(しもべ)ができることでしょうよ。楽しみだわ。彼から取り出すのが…」

 くつくつと、愉快でたまらない笑いを漏らす姿は魔女としか見えなかった。



 その日は珍しく早く帰れる日だった。練兵場の整備と点検のために、予定していた訓練が延期になったからだ。

 一平はふと思いついて、軍の購買部に立ち寄った。トリトニア軍の兵士たちの間で流行っている、額に巻く色とりどりの鉢巻きを、パールが欲しがっていたのを思い出したのだ。


 一平はすでに自分の鉢巻きを支給されて所持していたが、それを譲渡してしまうのは軍規に反した。軍費で賄っているのだから当然だ。だが、予備として自費で購入することは許されていた。洒落っ気のある者は、思い思いに染めたり、柄を刺してもらったりして楽しんでいるのだ。

 さらに、その鉢巻きをあげることは、思い人への告白の意味を表すことになると言うのが、この頃のトリトニアの流行であった。もちろん、パールが欲しがっていたのはそのせいである。

 せがまれてプレゼントするのもおかしな話だが、そこはそれ、相手はパールなのだ。そして一平はそのうちにな、と、もう約束してしまったのだ。


 購買を出ると、まもなく辺りは人気が少なくなる。

 懐の鉢巻きを早くパールに見せてやろうと急ぐ一平の前に、ひとりの女性が蹲っていた。

 鮮やかなオレンジ色のドレスが目を引いた。

「…?…」

 急に具合でも悪くなったのだろうか。腹を抱えて、身を折り曲げている。顔が見えないが、頭に纏いつけた領布(ひれ)が不自然に揺れている。

「もし…。どうかされましたか?具合が悪そうだが…」

 知らん顔をして通り過ぎることのできるような一平ではなかった。

 女性は苦しそうに呻き、僅かに顔を上げる。

「恐れ入ります。…急に、差し込みまして…。王宮まで届け物に参りましたのですけれど…。近くにお医師さまをご存じありませんか?」

 王宮近くには頼りになるザザがいるが、ここからは遠い。軍医の診療所が一番近いが、それでも逆戻りすることになる。迷っている間にも、女性は時折顔を顰め、痛そうに腹を押さえている。


(まあいいか。どうせ、思いがけず早く終わったんだ)

 今の時間、パールが今か今かと一平の帰りを待っているわけではないのだ。

「…泳げますか?軍医のところでよければ、お連れしましょう」

「…忝うございます。… ひとりよりは、何とか…」

 女性はよろよろと立ち上がるが危なっかしい。一平は思わず手を差し伸べて、女性の身体を左腕一本で抱き止めた。

「あ…ありがとうございます。…とても…逞しくていらっしゃいますのね…」

 儚げな中にも少々妖艶さを秘めた黒い瞳が一平を見上げた。年配だが、美しい人だった。

「厚かましいお願いですが…やはり、泳げそうもありません。あなたの体格なら、私ひとり抱えていくのは簡単そうに見えます。お言葉に甘えても⁉︎」

 本人の言うように意外に厚かましく思えたが、乗り掛かった船である。一平にとっては負担でも何でもなかった。

「どうぞ。ご遠慮なく。…失礼しますよ」

 一平が女性を抱え上げる。

 と、女性は腹を押さえていた手を、いきなり一平の顔の前に広げた。


 目の前に紫色の煙膜が広がった。

「貴様、何を…」

 慌てて口と鼻を手で押さえたが、手遅れだった。痺れと同時に息苦しさが襲ってきて一平はよろめいた。

(…不覚‼︎…)

 倒れ込みながら、ただの行きずりの女と侮った自分の油断を歯痒く思い、一平は心を苛まれていた。

(パール…)

 こんなところで、何者かもわからない相手に嵌められてしまったら、パールを守れない。

 パールに会えない。

 パールを心配させる。

 不安がらせる。

 泣かせてしまう…。

 思っても、どうにもならなかった。意識はみるみる遠のいた。



 気がつくと、一平は戒められていた。

 両手首と両足首を幅広の海藻で巻かれ、それぞれを二方向から引っ張られて吊るされていた。

(どこなんだ?ここは…)

 見たこともないような場所だった。

 辺りはジャイアントケルプの林であり、彼の手足を戒めているのは、その一部のようだった。たかが海藻とは思えないほど強靭かつしなやかに、ジャイアントケルプは意思を持って一平の身体を縛り付けていた。

 当然、丸腰だった。しかも全裸である。剣もマントも胴衣も、下履きすら、一平は身につけていなかった。

(くそ…)

 こんなにされるまで何も気づくことができなかったとは口惜しい。

 

 見たところ、辺りには誰もいないので恥ずかしくはない。

 ただ不思議だった。

 差し込みのふりをした女の仕業である事は明白だったが、理由がわからない。

 追いはぎなら身ぐるみ剥いで捨て置くもので、捕える必要はないだろうし、どこかの国の間者だとしても解せない。一平はパールやキンタのように王族ではないので、人質としての価値は低いのだ。価値がないと思っているのは当人だけだったとしても、次代の守人の第一候補とも噂される彼の武力を知っていれば、なおさら手を出すのは遠慮したいところだろう。


 自分がどういう状況に置かれているのか把握するために、一平はなるべく多くの情報を仕入れようと回らぬ首を曲げ、自由にならぬ身体を捩ってこの部屋の造りを目に収めようと努めた。

 至るところにジャイアントケルプが繁茂してはいても、限られた室内であることは確かだった。見えにくいが壁がある。立ち込める香りには、ザザの診療所で嗅いだような没薬の匂いが混ざっていた。


 一平が鼻を枉げ、顔を顰めていると、目の前の海域が歪んだ。小さなつむじが発生し、竜巻のように螺旋の渦を巻きながら大きくなった。

 呆気にとられて見ていると、小型の竜巻は霧散し、代わりに人が現れた。

 黒い服を着ているので判別がしにくい。衣は長く、裾広がりのスカートである。その上に頭からすっぽりと黒いフードを被り、袖も長くして肌を隠している。まるで魔法使いのようだと一平は思った。


「気がついた?」

 魔法使いが口を開いた。女の声だった。

 女は徐に右手を上げ、フードを後ろに引き下ろした。

 露わになった女の顔も黒かった。いや、浅黒いと言うべきか。 妖しく問いかける目の色も髪も黒。左手に持っている得体の知れない小道具も黒だった。どこからどこまで黒一色で、ここまで徹底していると見事だ。

「気分はどう?ハンサムさん」

 問いかけられて、一平は気づいた。

 これはあの女だ。あの時と肌の色は違うが、確かにあの時の女の顔だと。顔に何かを塗っているのか?何かの(まじな)いか?それともあの時の方が偽りの顔だったのだろうか?


「…一体、何の冗談だ?説明してくれ…」

「あたくしはとっても真面目よ。やり方が乱暴だったのは謝るわ。でも、こうでもしなければあなたを捕えることはできないでしょ?」

 一平の力量を前から知っているかのような口ぶりを、彼は聞き咎める。

「オレが誰だか知っているのか?」

「もちろん。有名ですもの」

「……」

「トリトニアの王宮の居候。一介の戦士の一平。でも、次の青の剣の守人の最有力候補でもあり、トリトニアの王女をたったひとりで守って連れ帰った勇者でもある。この間のレレスクとの戦では、総大将として陣頭の指揮を執った」


 書かれたプロフィールを読み上げるように、女は言った。

「そんな事は誰でも知っていることね。でもあたくしはみんなが知らないことまで知っていてよ。あなたの私生活をね」

「いい加減なことを言うな」

 一平は眉を顰めた。

「あら、威勢がいいこと…。でも、その格好じゃあ…ちょっと迫力不足だわね」

 女はそう言って目線を落とした。


 女の視線がどこに注がれているのか気づいて、一平は思わず赤くなった。

「可愛いのね…。まぁ、仕方がないかしら。あんなお嬢ちゃん相手じゃ。まだなあんにも行動を起こせないんですものね」

「な…」

 一体、何を言い出すのだ、この女は?

「知っていてよ。みんな。あなたがあのパールティア姫をどんなに大事に思っているか。どんなに手を出したくてうずうずしているか。どこの誰が誘っても、気持ちを押し込めて誰にも靡かなかったことも」

「……」


 恥ずかしがっている場合ではない。どうも変だ。

「もったいない話ね。あの、あなたが救出した少女…死んでしまったようだけど、あなたの大事なお姫様よりずっと美人で優秀だったじゃない?…せっかく据えてくれたお膳を放り出すなんて、呆れたお馬鹿さんよ」

 誰も知らないはずのニーナとの出来事まで、この女は知っている⁉︎

(まさか…)

 いや、かまをかけただけかもしれない。動揺してはならない。

「大好きなあなたが他の女性と…それも一番身近な『影』と何度も口づけをしたことがあるなんて知ったら…どう思うかしらね、あのお姫様は…。その上、一度はひとつになりかけたなんて…」

 女の口から出る言葉の一つ一つが一平の認識を塗り替え、冷静さを奪い始めていた。

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