怪しい宿に泊まろう
「こちらのペンを、お借りしても?」
「ええ、インクもご自由にお使いください」
俺は窓口から張り出したテーブルに置かれた羽ペンを手に取り、近くのインク壺へとペン先を漬けると申込用紙に目を落とす。
書く項目は、そう多くはない。
先ずは名前か……
本名はダンタリオン・ゴルドラッシュ・フィアスクラースという長ったらしい名前だが、これをこのまま書くわけにもいかない。
大半の者は貴族しか苗字を持っていないし、苗字を2つ以上持つ者は基本的に王族だけだ。
俺の名前は、まんま王族姓と国名が入ってしまっているので、馬鹿正直に書いて悪目立ちしたり、何処かから情報が洩れて実家にバレるなんて事態は避けたい。
ここはシンプルに『ダン』だけでいいだろう。
あとは、年齢と、種族に――
「――祝福教会名?」
という、ちょっと何を書けばいいか分からない項目があった。
「何か、ご不明な点でも?」
「えっと……この必記事項の祝福教会名って何です?」
俺が頭を捻っていると、受付の人が様子を見かねたのか、説明をしてくれる。
「ああ、そちらは成人の儀を行った所の名前を書く欄ですね。神殿で受けた場合は神殿名を。開拓村など教会が無い地域に関しては、成人の儀を行った司祭様を派遣してくださった教会名を記してください」
説明を聞きながら、俺は(まずい……)と心の中で呟く。
俺が家出をしたのは、王城で15歳の誕生日パーティーが開かれた日の夜だった。
本来であれば、その翌日に王都の大教会へと行き、成人の儀を受ける式典が予定されていたわけで……
つまりは、現状、俺は成人年齢には達していても、成人の儀を受けていない状態なのだ。
「どうしました? 正式な教会名が分からない場合は、その教会のあった街の名前を書いても問題ありませんよ。大半の教会名は街の名前と同じ事が多いですから」
書けずに固まっている俺を見て、受付のお姉さんがアドバイスをくれたが、悩んでいるのはそこではない。
王子として学んだ知識で分かるのだが、こういった儀式的な物や魔法が絡んだ署名や宣誓の類は誤魔化しが効かない物が多いのだ。
この世界では、魔法的な仕掛けや、教会や聖職者が行う儀式などを、様々な物のセキュリティとして使っていて、それは前世での科学的な技術よりも強固な物も多い。
俺の実家でも、正当な王族しか反応しない魔道具や、仕掛けの施された施設などがあったし、正式な書類などは魔法的に偽造や改変を受け付けない物がある。
おそらく、この成人の儀を行った教会名を書かせるのは、日本で言う、戸籍や住民票の照合に近い物の可能性が高い。
「その……まだ成人の儀を受けてないんですが、ダメ……ですかね?」
「成人の儀を受けていない?ですか? でしたら、仮冒険者免許であれば発行できますが……」
「仮、冒険者免許ですか?」
そういうのもあるのか。
「はい。いくつか制限はありますが、鉄級冒険者に準じた冒険者免許です。15歳未満の人向けの物で、15歳になり成人の儀を済ませれば直ぐに鉄級冒険者免許へ切り替えができる物になります」
なるほど、それなら行けるか?
後で適当な教会で成人の儀を受けてくればいいだけし?
「ただ、こちらも通常の物と試験内容は変わりませんし、保護者の同意、または銅級以上の冒険者の推薦が必要となりますので、その場合はその下の欄に署名をもらって来てください」
……うん。
保護者はもちろん、推薦も無理だな。
「えーっと、その……また来ます」
「そうですか。では、またのお越しをお待ちしております」
俺は即座に撤退を決め、途中まで書いた申請書を持ち、受付から離れる。
くそう……
試験さえ受ければ楽勝だと思ったのに、意外な落とし穴があったな……
「あ、ちょっと待ってください」
「はい?」
出鼻を挫かれトボトボと帰ろうとすると、受付のお姉さんから呼び止められる。
「宿がまだお決まりでなければ、裏通りのをお勧めします」
「裏通りの……ですか? わかりました、ありがとうございます」
なんだか、よく分からないアドバイスだな?
てっきり、書きかけの申請用紙の返却を求められるのかと思ったんだけど、何だったんだろう……?
冒険者ギルドを後にすると、外は日が傾きかけ始めていた。
確かに、そろそろ宿を探さないとダメな時間だ。
見知らぬ土地なので、早めに動かないとだな、と考え、俺は気を取り直して宿屋を探して通りを歩き始めた――
――小一時間ほど宿屋を訪ねて回ったのだが……
「……今日は満室だよ」
「悪いね、今日は休みなんだ」
「ヨソで泊まんな!」
と、なぜか全ての宿から塩対応で宿泊を断られてしまった。
なんだろう……
この街は余所者に厳しい土地柄なのだろうか……?
いやいや、宿屋が余所者に厳しくしてどうすんだよ!?
これを見越して、冒険者ギルドの受付の人は助言をくれたのか?
既に空は夕暮れに染まりつつあるし、どうしたもんか……
「しかたない……人目のつかない所でテントを出すか」
『拠点』のテントは外見がアレなので、街中では使いたくないんだけど……
などと考えながら人気の無い裏路地をうろうろしていると、ふと、一つのボロイ建物が目に入った。
その建物から吊るされた看板に、かろうじて読める宿の文字があったからだ。
薄汚れた路地裏にひっそりと佇むその建物は、一見して営業しているのかどうかも怪しいほどに古びていたが、看板には宿屋らしき文字が煤けて浮かび上がっている。
「やってる……のか?」
そういや、受付の人も裏通りの宿をとか言っていたな?
その事を思い出し、恐る恐る木製の扉を開けてみる。
すると、長年の風雨に晒されて歪んだドアは「ギイィィィ……」と低く呻くような軋みを上げ、開けた瞬間、外の空気とは正反対の、こもった様なぬるい空気と僅かに酒臭い匂いが鼻を突いた。
広くも無い1階のフロアには酒場みたいな物が併設されていて、少ない明りの魔道具に照らされた室内は薄暗く、そこにはフードを目深に被った者や、黙って杯を傾ける旅装束の者が各々酒や食事をとっていた。
なんだか、ワケ有りの者が使う宿臭がぷんぷんとする……
カウンターには壮年の男性がおり、不機嫌そうな顔と態度を隠そうともせず俺を一瞥すると「客か?」と一言だけ声をかけてきた。
「えっと……泊まりたいんですけど、個室はありますか?」
「素泊り、大銀貨1と銀貨5枚だ」
ダメ元で個室部屋の空きを聞いてみると、ドスの効いた声で短く金額らしき事を言われた。
食事無しで、大銀貨1と銀貨5枚か。
食事や酒が飲みたい場合は、そこの酒場みたいな所で別に頼めって事かな?
安いのか高いのか判断は付かないけど、他に泊まれる所も無さそうだし、ここに決めてしまうか。
とりあえず、腰のベルトに付いているポーチから言われた金額を取り出し、カウンターに置いてみる。
すると、親父さんは顎をしゃくり階段の方を指し「2階の突き当りだ」と部屋の場所を教えてくれた。
言われた通り階段を上ると、2階の突き当りにドアがあった。
ドアを開けて中を覗くと、四畳半程の部屋だった。
ベッドが一つに、家具は小さな机と椅子が一組だけという、簡素過ぎる部屋だ。
照明の魔道具などもないので当然室内は暗く、部屋奥の閉じられた木窓を開けると、夕日に染まった外の光が差し込み、ようやく明るくなった。
「……思ったよりも悪くないな?」
改めて室内を見回して、思わず口から出た感想がこれだった。
建物の外見や一階の様子から想像すると、もっと酷い部屋かも?と危惧していたのだが……
年季が入っていても、家具やベッドはしっかりと手入れがされている感じで、きちんと室内も掃除が行き届いている。
部屋のドアも、下の扉とは違い音もせず滑らかに開き、簡素ながらも閂の様な鍵も付いてはいる。
不愛想に見えた宿の親父さんだったが、どうやら仕事はしっかりとするタイプの人の様だ。
客層を見るに、あの態度や短い受け答えも、余計な詮索を避け、トラブルを未然に防ぐためなのかもしれないな。
とはいえ、日本と転生後の王宮暮らしを経験してきた身としては、この箱に藁束を詰めた上に分厚い布を被せただけのベッドでは寝られる気がしないのも正直な感想ではある。
なので、俺はインベントリ画面を開き『拠点』アイテムのテントを取り出し、部屋の空きスペースに設置すると、その中へと入った。




