第8話 線と曲の“交換稽古”
第7話 あらすじ(赤橋のすれ違い)
記録庫で廉は右半月札(青い縁)を受け取り、対になる左半分(赤い縁)が近づかないと封が解けず全文を読めないと知る。
蒼の巡回で赤橋へ向かうと、薄い白い霧と足元の紅粉が現れ、言の加護がざらつくため手符で連携を取る。
霧の奥では緋の教練士の拍子が響き、一拍だけ長い“間”に沖田由来のS式を感じて胸が冷たく縮む。
規約を守って線は越えず、風に乗せて「無事で」「お前も」と短く言葉を交わすだけに留める。
胸の小箱が温かくなり、霞が近くにいる確信を得た廉は、明日の中立地での“技の交換会”に備えて心を固める。
朝。塔の影が短い。訓練場の石はまだ冷たい。
胸に留めた小箱を指で確かめる。右半月札(青い縁)が入っている。昨夜、小箱が温かくなった。霞が近くにいた証拠だ。(左半分の赤い縁が近づけば、封が解けるはずだ)
「望月殿、始めましょう」
アランが片手を上げる。「線は導素の流れです。今日は、線の上で迷いを捨てる三つの基礎を固めます。二重呼吸、間合い、角の結び」
「お願いします」
まずは二重呼吸。浅く一拍。深く一拍。突きの直前に、息を二段階に分ける。浅い息で体をふわりと浮かせ、深い息で一気に沈める。
アランが胸の前で指を二本立てる。「二呼吸」
俺は真似をする。足が軽くなり、沈む場所がはっきりする。
次は間合い。半歩の出し入れだ。足裏で石の目を一つなぞる。止まる。にじませる。止まる。
「止まるのは“線”の始まり。にじませるのは“曲”の誘い。両方、道です」
(線と曲。まっすぐと、回り道)
最後は角の結び。線灯の白い線が直角で交わる“角”を使い、力を結び替えて受け流す稽古だ。
角の手前で止まり、肩の力を抜く。右から押される想定で、左足で小さく回して力の向きを変える。自分の線は切らないまま、相手の力だけを曲へ逃がす。横からの打ちや体当たりを受けた時に、崩れず立て直すための要だ。
胸の奥が静かになる。線の中は、音も力もまっすぐだ。
「緋の“曲”も学びましょう。今日は見取りです」
アランは薄い板を取り出した。足型と、拍の記号が描かれている。
「緋は“ずらす”。この足型は、半歩で消えて別の角に現れる形。拍は“タ・タァン”。最後だけ一拍、長い」
石の上で足型どおりに動き、胸の前で軽く打つ。タ・タァン。半歩、抜ける。正面からの突きが、空を切った気がした。
(なるほど。曲は、正面の線をはずす回り道だ)
そのとき、風の向きが変わった。空気がすっと冷える。広場の端に、薄い白い霧が生まれた。足もとに赤い粉が点々と残る。鼻に微かな金属の匂い。
「紅粉です」とアラン。「緋の霧薬の残りかすでしょう」
霧が濃くなる。ざわめきがにじみ、言の加護が少しザラついた。
『……※△……隊、右へ……』音は入るのに、意味が遅れる。
「手で話すぞ」
ファルコが手符を切る。手のひらを下に二度押さえ、“落ち着け”。人差し指と中指で“橋”、そして“移動”。俺も真似をする。
蒼の隊が素早く動いた。線灯の白い杭を刺し、糸の光で線灯の格子を組む。格子の内側は静かになる。胸の中の砂が沈むみたいだ。
霧の縁で、黒い細い糸が石に張りついているのが見えた。
「影糸だな」とファルコ。「触ると動きが重くなる」
短い笛が鳴る。二回、間を置いて一回。二連+一拍。境界を荒らす時の合図だという。
霧の先、通りの角で、誰かの足音が一拍だけ長く伸びた。
(タ・タァン……今の“間”は)
胸の奥が、冷たく縮む。あれは、霞が学ぶS式の“間”だ。
「望月殿」
アランが声を落とす。「線は越えません。けれど、見ることはできます」
「はい」
白い粉を撒くと、霧は薄れた。紅粉と白粉。赤と白。境界に色だけが残る。
訓練を再開してまもなく、使者が来た。胸に手を当て、一礼。
「中立地での“技の交換会”の打診です。柵越し、監視付き、短時間」
アランが俺を見る。「どうしますか」
「お願いします。学べるなら、行きたいです」
その返事のすぐ後、小箱がほんのり温かくなった。
(近くを通ったのか)
深く息を吐く。焦りは突きを鈍らせる。線は短く、まっすぐ。曲はやわらかく、遠回り。両方、必要だ。
夕刻。訓練場の角で、もう一度足型を踏む。タ・タァン。半歩で消え、角へ回す。
(線で届かせ、曲で外す。外して、また線で刺す)
「良い拍子です」とアラン。「交換会は明日。中立地の小広場。柵を挟んで十歩。やり取りは口で、動きは控えめに。霧が出たら、手で話す」
「承知しました」
訓練場を出る。空は蒼から緋へ、ゆっくり色を変えていく。
小箱の温かさは、もう消えていた。けれど、足の裏がしっかり石をつかんでいる。
明日、会う。線は守る。けれど、声は届かせる。
明日へ、一歩。
――つづく
第8話 ミニ用語メモ
* 二重呼吸
突きの直前に「浅い息→深い息」と二段階で入れる基本。体の浮き沈みを作り、線を通しやすくする。
* 角の結び(かどのむすび)
交差する角で力の向きを結び替えて受け流す技。自分の線は切らず、相手の力だけを曲へ逃がす。
* 拍子「タ・タァン」
緋の“曲”の基本リズム。最後の一拍を長くして“間”をずらし、攻撃を空振りさせる。
* 紅粉
緋が使う霧薬の残り粉。金属っぽい匂いがし、視界と“言の加護”を少しざらつかせる痕跡。
* 影糸
見えにくい黒い細糸。触れると動きが重くなる罠として使われる。
* 線灯の格子
白い杭から糸の光を張って作る簡易結界。音と導素の流れを整え、霧の中でも落ち着いて動ける。
* 技の交換会
蒼と緋が中立地で行う短時間の稽古会。柵越し・監視付きで、動きは控えめ。霧が出たら手符で会話する。




