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第6話 記録庫で導素路と月潮暦に触れる

蒼の訓練場で、廉は線灯の格子内での基礎修行を開始。呼吸と足さばきを合わせ、刀の「最短」を導素の「線」と噛み合わせる感覚をつかんでいく。訓練の最中に喰い影の小群が出現。格子の外縁での押し出し突き、白粉で核眼を露出させる工夫などを重ね、子影は連携で撃退。だが親影は動きが重く、突きをはじく膜で苦戦する。廉は角の結び目を二重にして線を強め、間合いを一瞬だけ縮めると、粉の幕を一筋に裂いて核眼へ最短の突きを通すことに成功。息切れしながらも実戦初勝利を収める。戦後、緋側にいる「薄衣の剣士」の技の写しが記録庫にあると聞き、翌日の閲覧手続きを決める。

朝。塔の影は短い。空は澄んでいる。

ファルコに連れられ、石造りの大きな建物に着いた。柱の上に丸い輪の印。入口には小さく「記録庫」。


「月満ちて」

出迎えた女性が、胸に手を当てて礼をした。

「引きと共に。記録庫書記官のミレイユと申します。本日は私がご案内します」


「望月廉と申します。よろしくお願いします」


中は涼しく、紙の匂い。羽根ペンの音がかすかに続く。

壁一面に、薄く光る地図。塔と塔を細い線が結び、ときどき格子になっている。


「まずは導素路どうそろの地図(=導素の道の地図)をご覧ください」

ミレイユの指が、光る線をなぞる。

「この線は力の通り道です。私たちは線の灯り(線灯)で強め、影の化け物が通れる道をしぼります」


(まっすぐ。最短。俺の刀と同じだ)


「次は月潮暦げっちょうれきです。大事な点は三つ」

机の上の板で、二つの月の印が静かに動く。


「一、蒼が強い夜は集中と精密が上がります。

二、緋が強い夜は速度・回避・直感が上がります。

三、二つが交じる夜(合月ごうげつ)は不安定ですが、使いこなせれば大きく伸びます」


(合月……危ない。でも、伸びる)

胸の奥が熱くなり、喉が少し詰まった。息を一つ、深く吐く。


――


「昨夜の赤橋については、こちらに記録があります」

ミレイユが薄い束を出す。表紙に「赤橋の巡回記録」。

中には見取り図、足の運びの小さな絵、そして号令のタイミング印。

(この世界では、出来事を文字と絵図、合図で残す。――こうしたやり方を、この街で教わった)


ページをめくる。“薄衣の剣士”の欄。

小さな人形図が、半歩で消え、別の位置にふっと現れる。薄い残像が二重三重に重なる線も引かれている。

(――霞だ)


「指導の合図はここです。“S式の”と注記」

ミレイユが、指導者の位置の小さな「S」と、不自然に長い“間”の符を指す。


(この“間”の取り方――どこかで見た。沖田さんの“間”に似ている?)

胸の奥がざわりと揺れた。息を整えて尋ねる。

「S式の出どころは?」


「不明です。写し(写し取り)だけが各所に残る伝わり方です。余白に薄い紫の印が滲む写しが多い、とも聞きます」


小さな棘が胸の奥を刺した。紫…


――


「昨夜分は以上です。……もう一件、望月様が探しておられる“目印の品”について、記録庫の規定により照会いたします」

ミレイユが分厚い台帳を開く。表紙には「落とし物の記録」。

「ここでは、『断面落ち』――あの白い石の輪の裂け目から落ちてきた方のことをそう呼びます――が言及した品は、拾得台帳を先に照会する決まりでして。……ありました。右半月札みぎはんげつふだ(青い縁)。保管庫の七段目。『図書塔の階段で拾う。持ち主不明』」


(右半分。青い縁。――霞は左半分、赤い縁。二つが合えば満月になる)

その時、胸の奥で小さく「コト」と何かが鳴った。


「……なぜ、こちら側に札が?」思わず口に出る。

ミレイユはうなずく。

「対の札は“縁”が強いため、朔望環さくぼうかん(あの白い石の輪)が共鳴して引き寄せることがございます。持ち主ご本人ではなく、片割れだけが現れる事例は、まれですが記録にあります」


(引き寄せられた――理屈は後でいい。今は確保だ)

「申請用紙を出していただければ、閲覧と受け取りの確認ができます。身分の証明を一つお願いします」

「分かりました。手続きをお願いします。準備して、また来ます」


ミレイユは短くうなずいた。所作は正確で、無駄がない。ギルド受付のセリナの柔らかさとは、また違う静けさだ。


――


地図の前に戻る。線が街を支えている。

ミレイユが白い粉で、弱っている格子に印をつけた。

「ここが薄いです。合月前に補強したいですね」


ファルコが腕を組む。「巡回の手を増やす。廉、見えるか?」


余計な力を捨てる。呼吸を合わせる。最短を探す。

補強の順番が浮かぶ。巡回の順路も。休む間も。

「――ここから始めます。油は多めに。角は二重に結びます」


ファルコが小さく笑う。「言い切ったな。蒼の線の仕事だ」


――


出口で、ミレイユが小さな包みを渡した。

「蒼の見習いバッジです。記録庫に入れる印と、図や写しの閲覧許可がつきます。……それから、“薄衣の剣士”の図と合図(拍)の写し。練習にどうぞ」


「ありがとうございます」


胸に留める。軽いのに、不思議と重い。

外へ出ると、空の色が少し緋へ寄っていた。風の匂いも変わる。


(霞。俺は蒼の線で強くなる。そっちは緋の曲で速くなる。

その先で、きっと――交じる)


「ファルコさん」

「ん?」

「合月までに、線灯が弱い区画を全部まわります。お願いします」

「任せろ。ただ無茶はするな。それと分かっているな?線は跨ぐなよ」


うなずく。

誠を背に、最短で守り、最短で届かせる。

合月の夜までに、できることを全部やる。

――第1部完 第2部へつづく

第6話 ミニ用語メモ


・記録庫

街の出来事や図面を保管・閲覧する塔内の書庫。静かで涼しい。


導素路図どうそろず

導素(力)の通り道を線で示した地図。補強や巡回の計画に使う。


月潮暦げっちょうれき

二つの月の満ち引きを示す簡易暦。蒼が強い夜/緋が強い夜/交じる夜(合月)の目安。


合月ごうげつ

二つの月が交じる夜。力が不安定だが、使いこなせれば大きく伸びる。


・断面落ち《だんめんおち》

白い石の輪(朔望環)からこの世界へ落ちてきた来訪者の呼び名。


拾得台帳しゅうとくだいちょう

落とし物の記録帳。申請すれば閲覧・受け取りの確認ができる。


・写し/拍《うつし/はく》

写し=技の図や要点を書き写した記録。拍=合図のタイミング記号。会話が通りにくい場面で使う。


・S式のえすしきのま

指導法の一種とされる“”の取り方。出どころ不明だが各地の写しに残る。薄い紫の印が伴うことがある。

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