弔い
国一つくらい、君の幸せのためなら惜しくない。
その地に立ったのは、弔いのためだ。
愚かしい義妹と元婚約者。
「本当に、愚かな人たち」
そう嗤うつもりだった。
ブランカは、元はこの国の王太子の婚約者だった。生まれたときに決まったもので彼女の気持ちも考えも何一つ入っていなかった。
それでも、それ以外の生き方を許されるわけでもなかった。
決まった通りに、生きる息苦しさがなかったとは言わない。けれど、婚約者は優しく、その後も穏やかに過ごせると信じていた。
愚かにも。
ブランカに異母妹がいたと発覚するのは、10の時だった。そのときに、母は家を出ていき、もう戻ってこなかった。代わりにいることになった義妹は見知らぬ家に怯えていた。おうちにかえりたい、お母さんに会いたいと泣いていた。
ブランカは、この義妹を家に戻せば母が戻ってくるのではないかと考えた。
おうちにかえりたい義妹と義妹をおうちにかえしたいブランカ。
二人はこっそりと計画を立てた。周囲は、仲良くなってよかったとほっとしていたようだったが、それは共犯者だった。
そして、決行した日。
それが一番の過ちの日であったとブランカは思い返す。
普通の女の子の格好をしていても、ブランカも義妹もいいところのお嬢さんであることは隠せなかった。着替えれば変装は終わりだと、皆に紛れられると信じていた。
そんなわけもないのに。
義妹の住んでいた家は見つかった。ちゃんと地図を見て調べた通りに。
しかし、そこは、なにもなくなっていた。
火事があったのだという。深夜のことで、住人は皆逃げられず、死んだ。義妹が言う住人は誰も残っていなかった。
ただただ泣く義妹を持て余したブランカに声をかけてきたのは、やさしそうな紳士だった。落ち着くまで近くで休まないかと言われ、頷いてしまった。知らない人についていかないという注意は知っていたが、こんな優しそうな人が悪い人などと少しも思わなかった。
だが、物陰で馬車に押し込まれそうになり、咄嗟にブランカは義妹を逃がした。助けを呼ぶように言ったが、当てになるとは思えなかった。しかし、私のほうがお姉ちゃんなのだからと守らねばならないと体が動いてしまった。
見捨ててしまえば逃げられたかもしれないのに。小さく震えるブランカにやさしそうに見えた紳士は、笑う。
良いおうちに、連れて行ってあげましょう。もう、怖い思いをすることはないでしょう。
そういわれて信用はできなかった。
永劫と思えるほどに馬車は走り、止まった。終点と思えば、違ったようでガタガタと馬車が揺れる。何事だと外の様子を見た男は、そのまま引きずりおろされた。
男の悲鳴にブランカは身を竦ませる。次は自分だと。
それからしばらくたって、顔をのぞかせたのは、見知らぬ少年だった。
ぶっきらぼうに無事か? と尋ねられ、ブランカは頷いたが、そのまま意識を失ってしまった。
次に気がついたときは、家だった。泣きじゃくる義妹と焦燥したような顔の婚約者。
それから、見知らぬ少年。
その少年は、婚約者の友人だった。そこから、婚約者とブランカ、義妹の3人で一緒に居ることが増えた。時折混ざる婚約者の友人も交えた穏やかな日々。そこに少しずつ闇に染まるものに気がつかずに。
数年を経て、ブランカは改めて婚約者から求婚された。生まれたときからの取り決めだからではなく、これまでの積み重ねを経て人生を共にするのは君しかいない。と。
思えば、ブランカが一番幸せだったのはこの日だったのだろう。
国内外にブランカは正式に王太子の婚約者として紹介されるようになった。それに誇らしさを感じていたが、同時に忙しくなり婚約者との時間を持つのが難しくなっていった。
それでも、相手のためだとブランカは寂しさを我慢した。
そんなある日、嫌な噂を聞いた。
義妹と婚約者の仲が怪しいと。幼馴染のようなものだから、彼にとっても妹のようなものだから。そういってブランカはその話を退けた。
当の本人に問い詰めれば、良くない噂が立つのも困りものだと言いながら、会わないことを約束した。
事実、全く会っている様子はなかったのだが、その噂は消えることはなかった。
婚約者の友人も心配そうに仲が良さげだったと証言するに至ってブランカは疑心を持ってしまった。
疑わしいという目で見てしまえば、すべてが黒のように見えた。今までの思いでさえも。
そして、ある夜会の日。
事件は起こってしまった。
「ブランカ、僕は君と結婚することはできない」
そう宣言された。婚約者の隣にいたのは、義妹だった。
噂は本当だったのだ。
そう、思ってしまった。
「相応しくないものは、退場するしかないんだ」
悲し気といえるような表情にブランカは衝撃を受けた。
隣に立つための努力さえも、無駄であったと。
「かわいそうに。
では、私の国に逗留するといいよ」
婚約者の友人が、手回しよくブランカを連れて行ったことに疑問を抱かずについていってしまうほどに。
ブランカは、異国の客人となった。
婚約者の友人は、いつまでも優しかった。ブランカは心を許し、いつしか恋するようになった。
彼もブランカを求め、求婚されたときはうれしかった。しかし、どこかに引っかかりを覚えてもいた。
初めて見たときから、好きだったんだ。
その言葉は、どこか、違和感があった。彼は優しくはあったが、友人として度を越えたことはない。婚約破棄しなければ、黙っていたけどねと言われても、拭い去れぬ違和感。
それをブランカは見ないふりをした。そうでなければ、今の幸せはなくなると気がついていた。
それでもある日、聞いた。
故郷がどうなっているのか、と。
彼はこの国の一部だよと笑って答えた。
元婚約者や義妹がどうなったのか、尋ねれば、少し機嫌が悪くなったようだった。
君を裏切ったやつを気にかける必要はない。
それ以上は、聞かなかった。
ブランカは、わかってしまった。
それから、ブランカは大人しくしていた。可愛い婚約者の役を必死でこなし、故郷へ一度戻ることを許された。
城は、荒れるままにされていた。
他の場所は復興しているのに、ここだけは許されないと言わんばかりに。
「ごめんなさい」
本当に疑うべきは、婚約者の友人だったのだ。
本当ではない噂が消えないことを疑うべきだった。
信じるべきは婚約者と義妹だった。
彼の国とこの国は大きさも違う。気まぐれで滅ぼしてしまうほどに。
ブランカを望まれて、否といえるわけもない。しかし、強引に連れていけばブランカが抵抗すると思ったのだろう。
だから、わかりやすく、捨てられたと思わせた。
ブランカだけが何も知らずに、国を出て行き、残ったものは、皆死んだ。都合の悪いことを口にせぬように。
かつての日々は戻らない。
ブランカは城の上に向かった。この城は昔から知っていたのだ。どこに隠し通路があるのかも覚えている。
誰もブランカに付いてくることはできなかった。
たどり着いた塔の窓は壊れていた。ブランカは微笑んだ。
「私一人が残っても、仕方ないじゃない」
愚かなのは、私だ。
ブランカは、外を覗き込んだ。彼は遅れて迎えに行くと言っていたのだ。
そんな必要、ないのに。
「さようなら」
私を愛するあなたの前で、私は私を殺したい。