第八十九話 追憶 〜悲痛な男〜
旧市街に近付くにつれて街の喧騒は小さくなっていき、それと入れ替わるように怒鳴り声や高笑いが響いてくる。
潜入して諜報活動をする際は流石に黙るべきだけど、今はまだ喋っても問題無い——だからこそ、私とダス君二人の沈黙が精神的にきつかった。
……な、何か話題を……
と、そこで彼が「強い」と評されていたことを思い出す。
彼の威圧的な顔を見て、話し掛ける。
「そ、そういえばダス君は強いって聞いたけど……どのくらい?」
私の声に反応してこちらを睨んできて、心臓がきゅっと締め付けられた。思わず体が揺れてしまい、恐怖心が露顕してしまった。
しかし彼はそれを気にすること無く、言葉を探すかのように空を見上げた。気まずいから適当に出した話題だとばれているかもしれないが、そうでなかったとしても彼がちゃんと答えようとするのが少々意外だった。
……実は雰囲気が怖いだけで、悪い子では無いのかな……?
「……流石にオッディーガには勝てなかったが、それなりには強いと思う……いや、強くない訳が無い……」
「強くない訳が無い……?」
彼の言葉が少々引っ掛かった——が、彼は怪訝の視線を送る私を気にせず言葉を紡ぎ続ける。
「強くないと駄目、駄目なんだ……そうじゃないと——」
突然甲高い悲鳴が聞こえてきて、ダス君の声を掻き消した。
私も彼も、自然と視線が、身体が、思考が、その声の方へと向いた。
——破落戸!? 潜入するって時に……!
「ダス君! 先に——」
そう言って彼の方を向いた瞬間には、彼は私の隣にいなかった。
視界に映ったのは、何かを伴って流星のように飛んでいく人の姿——それがダス君なのは、考えずとも分かった。
「……え、何あれ……」
思わずそんな声が零れた。
ファレオの職業柄、様々な魔術を見てきた。しかし、その魔術はこれまで見てきたどの魔術とも違っていて——
——いや、違う。
流星から飛んできた何かの欠片が顔に当たって理解する——あれは水だ。
奇跡魔術としてはまだ見たことが無い、けれど基礎魔術として誰しもが持っていて、誰しもが見たことがある水の魔術。
彼はそれで空を飛んだのだ。
……水で、空を飛ぶ……?
ブライグシャ地方に伝わる水神エヴリアを想起させるような御業に、思わず呆然としてしまった。
彼の飛んでいった軌道を、飛んでいった先をじっと見つめ——
「——って、私も行かなきゃ!」
そう思い至ったのは、彼の姿が視界から完全に消えてからだった。
旧市街には入り組んだ路地があり、初めて来た人は勿論、何度も来ている人でも道を間違えずに通るのは難しい。
それもあって先行したダス君と合流し、暫く彷徨ってようやく破落戸と彼に襲われている女性の姿を見ることができた。
「だ、誰か……そこの方……!」
助けを求める呻き声を上げる女性——破落戸に切断されたのか、両脚が切断されていて、その断面からは血がどばどばと溢れ続けている。
そしてそれを証明するかのように、破落戸は重量を感じさせるような錆びた大剣を持っていた。茶色い剣身は鮮血を纏って赤く染まっている。そしてその大剣を握る右腕は光り輝いている——完全な魔腑を持っている証だ。
——何て酷いことを……!
衣嚢の中にある拳銃を取り出し、破落戸から視線を外さずにダス君に言う。
「いい、ダス君! ファレオでは——」
私の言葉が止まった。自然と、言葉を紡ぐことを止めてしまった。
破落戸に襲われた訳でも、況してやダス君に襲われた訳でも無い。
「……え?」
私の真横から飛んでいった刃のような何かが破落戸の首に直撃——次の瞬間には、噴水のように溢れ出る鮮血と共に破落戸の首が飛んだ。
……これも……水……? 水を刃として——
「きゃああああ————————っっっ!!! 嫌っっっ!!! 嫌ぁっっっ!!! 来ないでぇっっっ!!!」
女性の悲鳴が私の思考を止めた。咄嗟に駆け寄り、眼前の恐怖に混乱する彼女を、魔術で脚を再生させつつ落ち着かせる。
「大丈夫です! 私達はファレオです! 危害は加えません!」
そう言って落ち着かせるも、彼女は混乱したままだった。
流石の私も苛立ちを覚えてしまった。余程のことが無い限り魔術犯罪者を殺すことはせず、魔腑を切り離して拘束するに留める——という規則がファレオにはある。
事前に説明しなかった私にも落ち度はあるが、せめて耳を傾けて欲しかった。
怒りの声と共に彼の方を見遣る。
「ちょっとダスく——」
そして再び、言葉が止まってしまった。
彼の姿に、纏う雰囲気に、思わずぞっとしてしまった。
彼はじっと破落戸の亡骸を睨んでいた——怒っているとも、苦しんでいるとも言える顔で。
この時初めて彼に激しい感情を見出した。怒りを、憎しみを——そして、悲しみを。
破落戸に近付いて握った巨槍を掲げ——
「——ッ!」
咄嗟に女性の目を手で塞いだ。
次の瞬間には巨槍が破落戸の頭を貫いて石畳に深々と突き刺さり、その頭は血と内臓を撒き散らして破裂した。
思わず吐きそうになって口を手で押さえ、込み上げてくるものをぐっと堪える。
凄惨な現場は何度も見てきたが、これ程凄惨なのは初めてだ。そしてそれが同じファレオの団員によるものだとは思いもよらなかった。
それだけでは終わらなかった。ダス君は倒れて動かない亡骸に近付き、それをじっと見る。
——いや、亡骸と言うよりは、その魔腑をじっと睨んでいる。
獣のように歯を剥き出しにし、怒りと憎しみに満ち満ちた瞳で。
そして彼は破落戸の魔腑に巨槍を突き刺した。引き抜き、突き刺し、引き抜き、突き刺し、引き抜き、突き刺し——まるで仇を殺すかのように。
……或いは、魔腑が——魔術が、彼の仇なのだろうか……?
そんなことをする理由は分からない。けれど、ドライアさんが感じたというダス君の悲しみは、きっとこれに由来するものだ。
それだけは、理解できた。




