第八十五話 追憶 〜慟哭に意志は宿る〜
友達二人が悲鳴を上げた。
外で何が起こっているのか心配になって小屋の中を見回し、体を擦り付けるようにしてぼろぼろの壁や道具を使って立ち上がる。
そして光が僅かに差し込む壁の隙間から外を見て——
……何……あれ……?
何とも形容し難い恐怖が襲い掛かってきた。
そこにいたのは、人だと思う。
ぼくより年上だけど、かといって大人でも無い、子供と大人の中間に当たるような外見。
その人間らしさの一方で、人間には本来無い翼が生えている。鳥の翼では無く、まるで枯れ木のような、本で見た始まりの者を想起させるような光り輝く翼だ。
そしてその手には武器——と呼べるのかさえ分からないような物体を持っている。剣の握りと、その先から無数の紐が垂れている。
周囲を見回す彼をじっと見て——
「——っ!?」
息を呑んだ。
彼のすぐ下には友達がいた。
その体は薄く斬られていた。
断面から落ちた内臓と血溜まりの上に、友達二人の薄く斬られた体が何十枚、或いは百枚以上も載っていた。
それが友達だったものだと分かった瞬間に倒れ、喉の奥から込み上げてきたものを吐き出した。
しかし口が塞がっている所為で上手く吐き出せず、口に酸味と食べたものの成れの果てが口に留まる。
——やだ……死にたくない……!
息を殺し、心の中であの敵がどこかへ行くよう、自分が友達と同じように殺されないよう何度も何度も祈る。
そう祈り続ける傍らで、あれこれと考えてもしまう。
——帝国の兵士……!? でも、兵士だとしたらもっと他にもいるはずだし……そもそも今帝国は東の方じゃ——
「きゃぁ————————っ!?」
更なる悲鳴が耳を劈いて、思考を消し去った。
自然と祈りの言葉が心の中に浮かび上がり、早くここから抜け出す為に縄を切ることができる何かを探す。
——あった!
小屋の端には農具や工具が立てかけてあった。その中には鋸があり、縛られて覚束ない足取りでその前へ向かう。
刃に縄を当て、擦る——が、手入れされていないこともあってか、上手く切ることができない。
——早く……! 早く……! 早——
「嫌っ! 嫌ぁっ!」
「誰か助け——」
「父さん! 母さ——」
悲鳴が続々と響いてきた。
恐怖のあまり汗、涙、尿——色んな液体が体から吹き出してくる。
馴染みのある声の悲鳴が響いてくる。友達の悲鳴が、そのお父さんとお母さんの悲鳴が、良くしてくれたお爺さんとお婆さんの悲鳴が。
耳を塞ぎたくても、こんな有様じゃ塞ぐことなんてできなかった。
悲鳴が聞こえ、消える度に、鋸に縄を擦り付ける速度は勢いを増していった。
——嫌だ嫌だまだ死にたく——
「リア! 逃げ——」
お母さんの悲鳴が聞こえて消えた。
「——っ!?」
——駄目……やめて……
腕をより速く動かしても、縄は切れない。
「リア! 急い——」
お父さんの悲鳴が聞こえて消えた。
汗と涙がぶわっと噴き出した。
どんなに速く腕を動かしても、一向に縄は切れない。
早くしないと妹が殺されてしまう。その前に自分が代わりに……!
そう思ったのに、体を縛る縄がそれを許さなかった。
——ぼくの家族だけは……!
——妹だけは……!
「お母さん!!! お父さん!!!」
妹の叫び声は段々近付いてきていた。大きくなるにつれて駆け足の音もはっきり聞こえるようになり——
「——んんぅ!」
小屋の隙間から妹の姿が見えた。一心不乱に村の外へと逃げている。
——お願い、このまま——
急接近してきた光の翼に妹が捕まった。
敵が妹の脚を掴んで片手で持ち上げ、異形の剣を振り上げる。
そしてそれと同時に、敵の右腕が爛然と輝いた。
敵の悪辣なにやけ顔が、はっきりとこの目に映った。
妹の泣き顔も、はっきりと見えた。
妹が殺される、早く助けないと——それ以外何も考えられなかった。
ただ狂ったように縄を鋸に擦り付け、しかし切れない縄に焦りと苛立ちが最高潮になる。
——やめて……やめろ……!
しかし心の声が、敵に届くはずなんて無かった。
敵を止めたいのに止められない、妹を助けたいのに助けられない——非情な事実が、ぼくの心を酷く苛む。
最早手遅れだと頭では分かっていても、心はそれを認めなかった。尚も縄を擦り付け——
敵の異形の剣が振り下ろされた。
「助けて! お兄ちゃ——」
「うわああああああああ————————————————っっっ!!!」
皆、ただの肉になった。
皆、動かなくなった。
皆、殺された。
ぼく以外皆、ただの肉になった。
ぼく以外皆、動かなくなった。
ぼく以外皆、殺された。
小屋から出てきた時には、ぼくはあらゆるものを失った。
遊んでくれる友達も、良くしてくれた人達も、ぼくを産んで育ててくれたお父さんとお母さんも。
……助けを求められたのに、助けることができなかった、最愛の妹も。
妹の血肉の前に頽れ、ただひたすらに慟哭する。
「ああっあああっっっがああああああああ————————————————っっっ!!!」
自分の弱さが、臆病さが、酷く憎い。
ぼくが強ければ、せめて妹を守ることくらいはできただろうに、それができなかった。
自分一人だけがのうのうと生きていることさえ許せなかった。
——わたしはそんなお兄ちゃんが大好き!
——ありがとう、お兄ちゃん……やっぱり、お兄ちゃんは優しいね……
妹の優しい言葉が次々と湧いてくる。
弱虫なぼくを認めてくれた、誰よりも優しかった妹。ぼくにずっと色んなものを与えてくれた妹。
ぼくは妹に、何も返せていない。助けることもできなかった。
ぼくにはそんな優しい言葉を貰う権利なんて無かった。
そして妹の悲鳴が、助けを求める声が、何十枚にも斬られた光景が頭の中で何度も何度も再生される。
その度に這い蹲って吐き、吐瀉物が妹の血と混ざり合う。
村の皆は、お父さんとお母さんは、そして妹は、魔術師に殺された。あの時爛然と輝いていた右腕が、それを物語る。
あの人の姿をした、人の心など持っていない怪物に殺されたのだ。
……魔術が、憎い。
魔術さえ無ければ、あんな怪物が生まれることなんて無かった。
魔術さえ無ければ、全てを失うことなんて無かった。
魔術さえ無ければ、村の皆を、友達を、お父さんとお母さんを——妹を、殺されることなんて無かった。
……そうだ。
ぼくがやるべきこと、やらなければならないこと——罪の償いとしてやることは、一つしか無かった。
皆を殺した魔術を、友達を殺した魔術を、お父さんとお母さんを殺した魔術を——
「……消し去ってやる……魔術なんて……」
——妹を殺した魔術を、殺された皆の為に消し去ることだ。




