第八十四話 追憶 〜ブライグシャ戦役〜
戦争が始まった。
難しいことはよく分からないのだけれど、新ダプナル帝国がブライグシャ地方を併合する為に戦争を始めたらしい。
既にブライグシャ地方の東端では兵士達が交戦しているとのことだった。
イギティのお父さんが東へ派遣されたことに納得がいった——戦争に行ったのだと。
だけどそれは同時にもう一つの事実を突き付けてきて、それがぼくの心を酷く苛んだ。
イギティも戦争に、帝国との戦いに参加している。
当分はウルスにいると彼女は言っていた——でも戦いが身近なところにいることは間違い無い。
——お父さんのお仕事が終わったらこっち戻ってくるから!
彼女の言葉が頭の中で何度も何度も再生される。
多分何事も無いのだろうけど、それでも嫌な想像が頭の中に生じてしまう。
彼女の格好良い姿も、彼女の優しさも、彼女の輝くような笑みも。
……もう、見られないのだろうか……?
「……イギティ……死なないよね……?」
家の窓の外を眺めていると、自然とその言葉が零れ落ちた。
戦争の大変さも、イギティも戦いの中に身を投じていることも、何も分かっていない子供達は外で呑気に遊んでいた。
そんな光景に心を痛めつつ、その一方で仕方の無いことだとも思う。
ぼくを含めて子供達は戦争の真の恐ろしさを理解していない。これまで戦争というものを体験してこなかったが故に。
そしてここエトロンはブライグシャ地方の西端に当たる。ブライグシャ地方で今最も戦争の影響を受けていない国と言っても過言では無い。
こんな状況では、戦争なんて他人事みたいに思えてしまうだろう。誰もイギティのことを思っていないのが、とても悲しかった。
「ダスー、ご飯だぞー」
そうお父さんが背後から声を掛けてきた。
「あ、うん……」
そう言って立ち上がり、お父さんの後についていって居間へと向かった。
居間の大きな机の上には大きな皿に小さく盛られた料理が並べられていて、お母さんと妹は既に席に着いている。
ぼくとお父さんはすぐに席に着き、
「いただきます」
と四人で一緒に言ってから食べ始めた。
普段は色々喋りながら食べているけれど、戦争が始まってからはずっとこの調子だ。
……多分、ぼくがずっと暗いからだ。無理して明るく振る舞えば多少は変わるのかもしれないけれど、上手く振る舞えそうに無い。
「……ねぇ、お父さん。いつ村を出るの……?」
先日、お父さんはぼく達を連れて村を出ると言ってきた。エトロンが本格的に戦火に呑み込まれる前に、この戦争で命を落とさないようにする為に。
彼は「うーん」と唸って天井をじっと見て、少し経って口を開く。
「お金が貯まってからとしか言えないな……でも、数日もすれば貯まると思う」
ぼくの家は貧乏では無いが、それに近しいものではあった。戦争が始まってからは可能な限り出費を減らして、列車に乗ったり宿に泊まったりできるよう備えている。
正直に言えば、早く逃げたかった。村の皆とお別れするのは辛いけど、それ以上に自分が、両親が、そして妹が戦争に巻き込まれて死んでしまうのが辛い。
……今も戦いの手伝いをしているイギティには、合わせる顔が無いのだけれども。
「……ぼく、お金稼ぐの手伝うよ」
「え、ポン?」
「急にどうしたの?」
お父さんもお母さんも目を大きく開いてこちらを見てきた。
「ぼく、お父さんもお母さんも、リアも、みんな死んで欲しくない。だから……ぼくもお金を稼ぐ。稼いで……早く、安全なところに逃げよう……?」
そう吐露すると、お父さんもお母さんも驚きの表情が段々変わっていって、微笑が浮かんだ。
「わたしも、わたしも!」
「リアも……ふふ……!」
妹が身を乗り出してそう言うと、お母さんが、そしてそれに次いでお父さんが笑い声を零した。
「いや、気持ちだけで充分だよ……でも、そうだな。お父さんももっと頑張らないとな」
「そうね、私ももっと頑張るわ!」
二人は笑いながらそう言った。
今でも充分お父さんとお母さんは頑張っているのに、そう言わせてしまったことが申し訳無く感じてしまう。
「て、手伝えることがあれば何でも手伝うから……!」
「わたしも! お兄ちゃんと一緒に手伝う!」
快活な笑みを浮かべてそう言った妹に、思わずぼくも笑ってしまった
ちょっと前の時も、その前も、妹はずっとこうやってぼくを励ましてくれた。
弱虫なぼくには、それがとてもありがたく、心強かった。元気が無くても、酷く落ち込んでいても、妹がいてくれればすぐに元気になれる。
「うん……! ありがとう……!」
いつの間にか暗い気持ちは、すっかりどこかに行ってしまった。
「おら、こっち来い弱虫!」
「や、やめて……!」
イギティがいなくなってから、友達のいじめは酷くなっていった。
昼はお父さんとお母さんは働いていて、彼らを止める人がいなくなって、好きに振る舞えるようになってしまったからだ。
「腕と脚を縛ろうぜ! あと喋れないようにしないと!」
「おう!」
村の端にあるずっと使われていない小屋に入れられ、縄で縛られ、そのまま放置された。
「じゃーな! これは飽く迄特訓だからな! 一人で出られるよう頑張れよー!」
「んーっ! んーっ!」
二人はげらげらと笑いながら小屋から出て行った。
ここから出ようと動くも、縛られている所為で立ち上がることさえできない。
光は壁の隙間から僅かに入ってくるだけで、薄暗さが不安感と恐怖心を煽ってきた。
——誰か……誰か……助けて……!
「んん————————っっっ!!!」
涙を流しながら何度も何度も叫んでも誰も来ず、ただ静寂だけが——
「がぁっ!?」
「や、やめ——」
——え……?
小屋の外から友達の声が——悲鳴が響いてきた。




