第八十二話 追憶 〜弱虫ダス〜
「やーい、弱虫ー!」
「弱虫ダスー!」
そう言って石を投げてくる友達に、ぼくは何もできなかった。
「う、うぅ……」
子供の投げるものであっても痛いものは痛い——けど、それを止めることが、友達に立ち向かうことが、怖くてできなかった。
ただその場で蹲り、攻撃が止むのを待つ——それがぼくにできる唯一の抵抗だった。
「弱虫はこうして強くしな——がぁっ!?」
「え、おいどうし——ぐぅっ!?」
友達二人の頭に思い切り投げられた石が直撃した。当たったところから血がぶしゃっと溢れてきている。
二人はその場で少し蹲ると、涙目の顔を上げて石が飛んできた方を見た。
「コォラクソ共! アンタらダスに何してんのよ!?」
男勝りな友達——イギティの姿がそこにあった。
彼女は落ちていた石をいくつか拾って、そして美しく素早い動きで二人目掛けてぶん投げた。
石は二人の顔に、体に直撃し、またその服や肌を裂いた。
「うわぁ野獣だぁーっ!」
「逃げろーっ!」
二人は悲鳴を上げながら一目散に逃げていった。
「誰が野獣よ! ……全く」
彼女は嘆息を吐いてこちらへと歩み寄ってきた。そして屈んでぼくの顔の傷に手を当て——再生の魔術で傷は消えた。
彼女は慣れた手つきで次々と傷口に優しく触れては治してくれる。
「ダスもダスだよ……一矢報いるくらいしなさいよ」
「で、でも……怖くて……絶対やり返されるし、友達失っちゃうし……」
「まだあんな連中友達だと思ってるの……!?」
恐る恐る頷くと、彼女は先程よりも大きな嘆息を零した。
そして彼女はこちらを睨むように見てくる。それに思わず竦んでしまった。
「あいつらにとってダスは面白いおもちゃに過ぎないのよ? 対等な友達だなんて、絶対思ってない!」
「で、でも……二人共遊んでくれるし……」
「…………」
彼女は目を大きく見開いてこっちをじっと見てきた。まるで珍しい動物でも見ているかのようである。
「……ダスの将来が心配だよ……」
彼女は嘆息と共に肩を竦めた。
「ただいまぁ……」
「あ、お兄ちゃんお帰り!」
家の玄関を開けるや否や、妹——リアが廊下の奥から駆けつけてきた。
笑顔を作ったぼくを彼女は訝しげに見つめ——
「……お兄ちゃん、またやられちゃったの……?」
辛そうな顔で、声音で、そう尋ねてきた。
その一言に、ぼくの取り繕いは綻びた。これまで押し留めていた嘆息を、妹の前で遂に吐いた。
「……うん、イギティのお陰で無事だったけど……」
辛く無い訳じゃ無い。痛いのも怖いのも嫌だし、ぼくに立ち向かう力が、意志があれば立ち向かってる。
……だけど。
「……結局ぼくは、怖くてやり返すことができなかった……」
ぼくがやり返した結果どうなるか——それを考えると、怖くてそんなことができなくなってしまう。
もっと痛い目を見ることになるんじゃないか、友達を失うことになるんじゃないか、そして、大切な人が——イギティが、父さんと母さんが、妹が、傷つけられるんじゃないか。
もしそうなったら、ぼくはもっと辛い思いをすると思う。
だけど、それと同時に妹にこんな情けない姿を晒してしまっていることも辛かった。
「……でも」
妹が口を開けた。
彼女の顔には失望の色は無く、声音は冷たさを感じさせない優しいものであった。
そして、彼女は可憐な花のように微笑んだ。
「それができないってことは、お兄ちゃんは誰よりも優しい証拠だよ! わたしはそんなお兄ちゃんが大好き!」
「……リア……」
自分の弱さが、ずっと嫌だと思っていたけど遂には直すことができなかった自分の性質が、ほんのちょっとだけど今初めて良いものなのかなと思えた。
思わず微笑みが零れ、にこにことこちらを見つめている妹に言う。
「……ありがとう、リア」
ある日の夜だった。父さんと母さんは街へ買い出しに行っていて、家にはぼくと妹しかいなかった。
家が吹き飛ばされるんじゃないか——そう思ってしまう程の暴風が吹き荒び、家はまるで痛がっているかのように音を立てて揺れていた。
ぼくはそれが本当に怖かった。怖くて眠気が消えてしまう程に。
怪物の叫びのような音と共に家に襲い掛かってくる暴風、そしてその暴風に晒され続ける家。ずっとこの状況が続いていて、いつ終わるかなんて全く分からない。
ぼくにできたことは、ただ布団の上に横になって、家が壊れてしまうんじゃないかという恐怖心に耐えることだけだった。
体は微かに震え、目に涙が浮かんでいるのが感じられた。
「お兄ちゃん……風、止まないね……お家、大丈夫かな……?」
隣で横になっていた妹が、不安気な声でそう零した。そんな妹を安心させるよう、優しく声を掛ける。
「そうだね……でも、いつかきっと……止むよ」
実際に出てきた言葉は小さく、また震えていて、安心感も心強さも感じられなかった。
……やっぱり、ぼくは駄目だ。
妹はこちらをじっと見ている。彼女もまた、ぼくみたいに目に涙が浮かんでいた。
「……お兄ちゃん、わたし……怖い」
妹もまた、この怪物みたいな風に恐怖を抱いていた。
——何とか、リアの恐怖を和らげないと……!
だけどぼくには力が無かった。風を止める魔術も、家を強くする魔術も、恐怖心を消してくれる魔術も、ぼくには無い。
それでも、そんな自分に何かできることは無いかと考える。抱いていた恐怖心を忘れてしまうくらいあれこれと考え——
その答えを得た。
横になったまま妹へと近付き、彼女の目と鼻の先のところまで来る。
「お兄ちゃん……?」
何されるか分からないであろう妹は訝しげにこちらを見つめ——
そんな妹を、優しく抱いた。抱き締め、ぼくの体で包むようにする。
「大丈夫……大丈夫だよ……」
これが正解か——なんて、分からないのだけれど。
でもこれが、これだけが、力の無い弱虫のぼくにできることだと思った。
「……お兄ちゃん、温かい……」
妹は微笑んでそう呟いた。不安を感じさせる声の震えは消え、穏やかであった。
「ありがとう、お兄ちゃん……やっぱり、お兄ちゃんは優しいね……」
「うん……ぼくも、ありがとう、リア」
こうして横になりながら妹を優しく抱き続け——いつしかぼく達は恐怖を忘れ、ようやく眠ることができた。




