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ゲロムスの遺児  作者: 粟沿曼珠
幕間
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第七十九話 ポンの退院

 ボスカルの獣との戦いから数日が経った。破壊された街も修復されつつあり、それに伴って活気も戻ってきている。

 それなのに、おれの中には依然としてあの時の出来事が鮮明に残っていた。

 まだ、ミーリィ達と共に進み、その中で戦いに身を投じることが怖い。進まなければならないとは分かっているのに、その一歩を踏み出すのが怖い。


 おれは今日退院した——と言うよりは、追い出された。「いつまでもクヨクヨしてんじゃないよ!」という看護師の言葉と共に。

 看護師の言葉は尤もであった。いい加減恐怖を克服するべきだ——そんなことは、おれ自身も思っている。


「ん、ポンか」


 イギティの宿に戻り、泊まっていた部屋に入ると、巨槍の手入れをしているダスが声を掛けてきた。

 彼は巨槍を床に置き、こちらへと歩いてきた。


「お前……大丈夫か?」


 そう言う彼の顔は憂いを帯びており、また声は普段より暗く低い。


「…………」


 大丈夫、なんて嘘でも言えなかった。そう嘘をついたところで、大丈夫でないことなど明らかだ。

 おれは黙ったまま首を横に振った。


「……悪かった。止めておくべき——」

「いやっ!」


 ダスが紡いでいた謝罪の言葉を声で遮った。


「いや……ダスは悪くなくて……おれが悪いんだ……おれが命懸けで戦うってことを舐めてて……自分の力を過信していて……だから、おれが悪いんだ」

「ポン……」


 実際にあんな目に遭って初めて痛感した。戦いという死地は、おれの想像以上に恐ろしいものであるということを。

 ……いや、そんなことはよく考えれば分かるだろう。おれは単に短絡的なだけだった。


 ——死ぬ覚悟はできているか?


 ボスカルの獣との戦いに参加したい——その意思をダスに伝えた時に、彼が言い放った言葉。

 おれはその時、覚悟できていなかった。そして、それでもおれは戦いに参加してしまった。死ぬことについて深く考えもせずに。

 確かに恐ろしくは感じた。だけど皆怖い思いをしながら戦っていて、おれも戦わなければと——戦いたいと思った。

 それがゲロムスの魔術師の使命で、おれのやりたいことだから、そしてミーリィとダスみたいになりたいから。二人みたいに強くて皆を守れるような魔術師になりたいから。


 おれはその程度のことしか考えていなかった。

 だからこそ、その身を以て死の恐怖を味わった時、おれの心は、意思は、粉々に砕かれた。


「……ダスは死ぬのが怖くないのか?」


 疑問が口を衝いて出た。

 ミーリィもダスも、その戦いっぷりには死に対する恐怖心を微塵も感じさせない。

 或いはそれは、長い訓練や戦いの果てに醸成された勇猛さなのだろうか。おれも戦い続ければ、二人のようになれるのだろうか?


「……一応言っておくが、俺だって戦いとか死とかを恐れていた時もある。餓鬼の頃なんて、『弱虫ダス』って呼ばれていたしな」

「弱虫?」


 勇猛なダスを見て『弱虫』なんて言葉は出てこない——そう思えるからこそ、彼がそう呼ばれていたことに驚きと違和感を覚えた。


「ああ。当時はそんな自分が嫌だったが、今にして思えばあれが普通だ——まあ他の人に比べたら過剰だったろうがな」


 ダスは苦笑してそう言い、そして天井を見上げた。だけどその目はまるで天井を見ているのではなく、その向こうにある空を見ているようであった。


「……怖いものが怖く無くなってしまうことなど、あっていいはずが無い。俺はそう思う」


 彼は小さく、そして切なくそう零した。

 ダスにとって恐ろしかったものが、今や恐ろしくない——まるでそう言っているように感じられて——


「……どうやって、恐怖を克服したんだ……?」


 そう聞かずにはいられなかった。

 おれの言葉を聞いたダスは、しかしこちらに一瞥も与えなかった。彼はじっと天井を、その先にある空を見つめている。


「……克服したんじゃない」


 少しして、重く切ない声が小さく開かれた彼の口から零れ落ちた。


「……俺はただ、壊れてしまっただけだ。まともな人間として、もう二度と生きていけない程に」


 まるで過去に思いを馳せるような物言い。

 しかしそこに悲痛さはあれど、後悔は無いように感じられた。まるでそれ以前の自分に戻りたいとは一切考えていないかのようで——


 ……或いはそれも、彼が壊れてしまった証なのだろうか?


 そう思わずにはいられなかった。


 彼の発言の後、沈黙が——気まずい空気がこの部屋を包んだ。

 彼は天井を見上げているだけで何も言おうとしないし、まだ動く気配も無い。


 ……つ、ついまずいことを聞いてしまった……何か、別の話題を……


「あ、そうだ」


 重苦しい雰囲気はどこへやら、何かを思い出したであろうダスは間の抜けた声でそう言った。

 彼は視線を落としてこちらを見て、問い掛けてくる。


「お前の魔術で気になったことがあるんだが、それを確かめたい。勿論、今は精神的にきついだろうから楽になってからで大丈夫だが」


 ……おれの魔術で気になったこと?

 以前の訓練みたいなことをするのだろうか?


「……戦ったりとか、犯罪者を懲らしめるとか、そういうことはしない……?」


 今戦ったらあの時の光景が蘇りそうで怖い。

 だけど、死の恐怖の克服——とまではいかずとも、精神を戦える状態に戻したいという思いはある。

 ……今のままでは、ただのお荷物で役立たずだから。

 だから、まずはちょっとした訓練から慣らして、また戦えるようになりたい。


「いや、そういうことはしない。瓦礫とかを使って試すつもりだ」

「……なら、やる。もう行くの?」

「行けるが、お前の好きな時でいい」

「分かった。じゃあ行こう」


 おれの言葉を聞くと、ダスは部屋の奥へ戻って巨槍を握り、こちらへと戻ってきた。


「よし、行くぞ」


 そう言ってダスは部屋から出ていき、おれは彼についていった。

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