第五十八話 縄張りを突破せよ
昇降口の蓋が開けられ、烈風と鳥達のけたたましい鳴き声をぶわっと浴びる。服と金の髪が靡き、吹き飛ばされるかのように体が後方へぐいっと動いた。
「大丈夫か?」
ダスが脚を抱えて支えているのもあって、実際は飛ばされはしないのだけれど。
この状況——戦車に乗るのも、その戦車から体を出して魔術を行使するのも、初めての経験だ。だからこそ、いつも通り魔術を行使していいのか、勝手がいまいち分からない。
振り返ると、広大な大地に轟音を響かせて幾つもの戦車が追随している。中には小型の兵器と人を載せた荷車もあり、そこに命があるということをはっきりと感じさせる。
——この作戦に参加した人の命も、エトロンの人々の命も、おれに委ねられていると言っても過言じゃ無い。
その数多の命が、おれに重くのしかかってきている。
……けど、これはおれが踏み入れた戦場だ。
助けたい、そう思って自らの意思で参戦した戦いだ。
大きく息を吸って吐き、地平線の彼方にいる魔獣を睨む。
——やってやる……!
『ボスカルの獣、射撃体勢に入ったっす!』
脳内に斥候の声が響き、心臓が僅かに跳ね上がった。
そのまま地平線の彼方を見据え、右腕を突き出す。魔獣を飛ばす、その瞬間が来るのを待ち——
『撃ったっす! 頼むっす!』
脳内にその声が響いた直後、地平線の彼方より飛来する黒い物体が目に入った。流星の如き勢いでこちらに飛来し——
烈風に煽られて右腕の袖が吹き飛ぶように捲れ、包帯が露わになる。
月のように小さく映った黒い物体が、おれ達の前方まで襲来して巨大な球体となった瞬間と同時だった。
——障壁よ、あの塊からおれ達を守れッ!
包帯の内側の魔腑が爛然と輝く。
その願いと同時に前方の空間が微かに歪み——勢いそのままに障壁に衝突した肉塊が、嫌悪感を感じずにはいられない轟音を響かせて血肉を撒き散らした。
硝子に付着したかのように血肉は空中に浮き、おれ達はその真下を進んでいく。真上の惨状を見ないよう、ずっと下の草原を向いていた。
「ポン、まだだ」
ダスの声にはっと頭を上げ、咄嗟に真下の彼を見遣る。
「俺が最初に交戦した時は、あれだけじゃ死ななかった」
「……えーと、つまり?」
嫌な予感に胸が苦しくなる。
多分あれを潰せとか——
「あの肉塊、徹底的に潰せ」
と思ったそばから的中した。
潰せってことは——
「潰すの!? おれの魔術で!?」
「ああ」
間髪を容れずさも当然のように言い放ってきた。
まあ確かに潰せなくは無いけど……と思って肉塊を見上げる。
血肉が障壁に付着しているという凄惨な絵面の時点吐き気を覚えているが、当然向こうはそんなこちらを気にすることは無く、肉塊が蠢きだした。
——やっぱりやるしか無いのか……!?
蠢きだした肉塊をじっと見つめ——
「……うぁぁッ!」
目を閉じ、願う。
——障壁よ、圧し潰せ!
肉が潰されて破裂し、血が噴き出す轟音——目を閉じていても、音で起こった光景が想像できる。気持ち悪い轟音が再び耳を劈き、音だけで強い吐き気を覚えた。
「……ダス、もうあれ過ぎた……?」
気持ち悪さに嗄れたかのような声で尋ねると、「ああ」とだけ何とも思っていないかのように彼は答えた。
場数を踏むと、嫌でも慣れるんだろうな……
ともかく、一発目は何とか対処できた。ボスカルの獣までの距離がどのくらいかは分からないが、あと一、二発分対処すれば大丈夫なのだろうか。
「……あと一、二回潰さなくちゃいけないのか……」
あまりの嫌気に、思ったことが言葉として零れ落ちた。
ただ障壁で防げばいいと思っていたんだけどな……あんな風に潰すなんて思わなかったもん……
『ボスカルの獣、形態変化っす!』
と、敵は当然こちらの思いなど露知らず、再び魔獣を飛ばそうと姿を変えたのだろう。
『——ッ!? 気を付けるっす! 大砲が……十門っす!』
「十門!?」
驚愕のあまり叫んでしまった。
エトロンが交戦した時、ダスが交戦した時、そして先程は一つの肉塊だけが飛んできた。一つだけならおれも対処しやすい。
しかし、十門——つまり十体分の肉塊を同時に対処しないといけなく、その分難しくなる。
——まさか、学習している……?
「ポン、戦車全てを覆うように障壁を展開しろ」
「おうっ……!」
そう応え、再び地平線の彼方の魔獣を睨む。右手を突き出し——
『撃ったっす!』
脳内に響いた叫びの直後、地平線の彼方から肉塊が飛来するのが見えた。急接近して大きくなり——
——障壁よ、おれ達を覆え!
その願いと同時に、おれ達を覆うように空間が微かに歪み、障壁の傘が生じた。幾つかの肉塊が障壁に直撃し、その一方で残りの肉塊はおれ達の両側の大地に直撃した。
「——あっ!?」
あることに気付いて声が零れ落ちた。
——地面に落ちた魔獣の対処が!
「どうした?」
ダスの声に、縋るように咄嗟に下を向く。
「地面に落ちた魔獣が……!」
おれがそう答えると、合点がいったのか彼は視線を戦車の内部に向けた。
「ミーリィ、ポンを頼む。あと、他の奴等に地面に落ちた魔獣の対処をするよう伝えてくれ」
「はい!」
「あいよー!」
するとダスはおれを抱えたまま戦車の中に入っておれを下ろし、昇降口を上る。
「すぐ戻る。ポンは障壁の魔獣を潰してくれ」
彼はそれだけ言って昇降口から飛び出ていった。
「それじゃポン君、お願い!」
「おうっ!」
快活に言い、ミーリィに抱えられて再び昇降口を上った。
そして上空の凄惨な光景を視界に収め——
「……ぅげぇ……」
先程の快活さはどこへ行ったのやら、再び吐き気を催し、目を閉じる。
——障壁よ、魔獣を潰せ……!
そして凄惨な音で魔獣が潰されたのを確認し、目を開けて周囲を見る。
——俺達は戦いの専門家だ、その後のことは上手くやってみせる。
ダスの言葉、その通りに彼らは魔獣と戦っている。中には既に討伐され、地面に横たわっている個体もいる。
……やっぱり、専門家は違うなぁ。
『ヤバいっすっ!』
脳内に響いた斥候の絶叫に、緊張感が勢いを増して戻ってきた。
『帝国が撤退! ボスカルの獣が融合——ッ! そっち向かってるっすっ!』
その叫びを聞いて抱いたのは、一時の安堵と更なる緊張感であった。
ボスカルの獣がこちらに向かってくるということは、縄張りを突破したも同然——そして言い換えるなら、遂にボスカルの獣本体と交戦する。
これから始まる決戦、戦の最高潮——それに呼応するかのように、心臓の鼓動が高鳴った。
「ポン!」
後方から聞こえてきた叫びに振り返り、それと同時にダスが昇降口の縁を掴んだ。さながら靡く雲のような体勢である。
「……中入る?」
「いや、大丈夫。それより——」
何かを言おうとして一度彼は口を止め——そして微笑んだ。
「まだ終わってないが、良くやった」
ジャレンの時と同じように投げかけられた、労いの言葉。
「…………どうも」
やはり、強者からこの言葉を掛けられるのは、非常に心に来るものだ。
俺も思わず、微笑みが零れた。
「さあポン、来るぞ」
「おうッ!」
再び地平線の彼方の魔獣を睨む。ただ一点だけをじっと見据え——
黒い何かが、地を這ってこちらに向かってくるのが見えた。それは次第に大きくなっていき——
「——ッ!?」
はっきりと見えたその姿に愕然とした。
斥候は「大砲」と言っていたが、比喩的なものだと思っていた。しかし——
「……戦車……!?」
眼前に躍り出てきた魔獣——ボスカルの獣。その姿は複数の大砲を持つ超巨大な戦車であった。




