第五十五話 ダスをお願いね
「ダスー? ダースー?」
ウルスに着いた日の翌日。そう言いながら部屋の扉を開けてきたのは、ダスさんの友人のイギティさんであった。
部屋に入るや否や彼女はきょろきょろと周囲を見回し——
「——お」
わたしの姿を認めると何故かにやりと笑った。訳も分からず、その顔が不気味に思えてしまった。
「朝からどうした?」
荷物を整理していたダスさんが、視線を移さずに作業をしながらそう反応した。「うーわ忙しそう。流石ファレオ」と彼女は小さく零し、
「ミーリィちゃん、ちょっと借りてもいい?」
続けてそう言っ——
「え? わたしですか?」
思わず疑問の声が零れた。
彼女とは昨日初めて出会ったばかりだし、会話は全然していない。それもあって彼女がわたしに何の用があるのか見当が付かない。
エトロンの美味しい料理の話だろうか? ダスさんの扱い方について教えてくれるのだろうか?
「そそ。忙しそうだったら後でもいんだけど——」
「いや、大丈夫。ただ長時間拘束するなよ」
返答を聞くと彼女は「了解ー」と微笑んで言い、一本に結んだ茶髪を揺らしてこちらにぐいと身を寄せてきた。
急に肉薄され、悪い人では無いと分かっていても思わず身構えてしまう。
「そう警戒しなさんなぁ! 別に悪いことはしないよぉ!」
強張ったわたしの顔を見て、彼女は長い袖に隠れた手でわたしの腕を掴んで引っ張ってきた。
「ちょ、ちょおっ!?」
魔術を使えば対抗できる——が、そんなことをするのは申し訳無く、わたしは彼女にされるがままに連れていかれた。
そうして着いたのが廊下の奥の部屋、彼女の部屋である。仕事中に読んでいるのか、本がぎっしりと詰まった本棚が幾つかあり、こんなに読めるものなのかと目を引かれる。
大きめの寝台に彼女と同じくらいの大きさの抱き枕、ふかふかの安楽椅子に植木鉢や小物——何と言うか、日頃苦労しているんだなぁと感じざるを得なかった。
「こんなに本を読めるのか、とか、大変そうだなぁ、とか——大方そんな感じのこと思ったでしょ?」
「え? ま、まあそうですが……いつも同じ反応されるんですか?」
どすりと寝台に腰掛けた彼女にずばり言い当てられて心臓が跳ね上がった。微笑と共に、こちらの心を覗いているかのような鋭い視線が向けられていた。
「そっ。まっ、それ抜きにしても視線とか表情とかで何となく分かるんだけど」
そう言うと彼女は「座ってー」と、安楽椅子に手を向けて座るよう促してきた。促されるまま安楽椅子に座り、前後に揺れる椅子に身を委ねた。
——あ、ちょっと楽しいなこれ。
「良いでしょー、それ。普通の椅子より高いけど、値段の高さは質の高さって言うしね」
先程の微笑みのまま彼女はそう言い——次の瞬間にはその気色が消えた。
同時にわたしの中からも楽しい気分が消え、緊張に思わず背筋がぴんと伸びてしまう。
——一体、何を話すのだろうか……?
「……本題なんだけど」
生来のものでありながら、この緊張感に包まれた状況の中でより一層鋭く感じる彼女の視線。放たれた言葉と同時に向けられたそれに内心怯み——
「ダスをお願いね」
「…………へ?」
——ダスをお願いね。
その言葉の意図がよく分からず、頭の中で反芻する。
「あ、突然ごめんね……ダスの生い立ちは知ってる?」
「……はい」
ダスさんの生い立ち。詳細なところまでは知らないが、ある程度は彼から聞き及んでいる。
……その悲惨さは聞いているこちらの、その情景を想像しているこちらの胸も苦しくなる程で。
ダスさんはエトロンのある村で生まれ育った。
彼が十歳の頃、後にブライグシャ戦役と呼ばれるエトロン含めブライグシャ地方の国々と新ダプナル帝国による戦争が勃発した。
ブライグシャ戦役は魔獣による被害が大きかったが、それに比肩し得ると言われる被害を——たった一人で齎した存在がいる。
その名は、『骸谷』の異名を持つ傭兵『ロイン・ヒュー』。
ほぼ一人でエトロンを壊滅させた、最凶の傭兵。
ダスさんの村も彼に攻められた。村人達は一切の抵抗もできず、ただ殺されていくだけだった。
……隠れていたダスさんの目の前で、彼の知人が、友人が、家族が、無惨に斬り刻まれ、斬り落とされていった。
「ダスは同じ村に住んでいた人達全てを失った。だけどダスは——ダスだけは、生き延びた。曰く、ただただ怖くて隠れるだけしかできなかった——皆を守ることができなかった、とのこと。そのことで、ダスはずっと負い目を感じているの」
物憂げな表情でそう言った彼女は、「そんなの、誰も責めるはずが無いのに……」と小さく零した。
「だから、ダスはこれまで何度も無茶をしてきたし、これからもすると思う。些細なことやダスに非が無いことでさえ自分の責任だと感じていたし、これからも感じると思う。それをダスのことがだーい好きなミーリィちゃんに何とかしてもらおうかなーって」
「はい——はいっ!?」
どこか含みのある言い方に、思わず顔が熱くなって大声が出てしまった。
「た、確かに好きですけど人としてですよ人として! わたしだって子供の頃にダスさんには色々と助けてもらったんですから!」
「え、そうなの?」
「はい、独り身だったわたしをダスさんが拾って下さったんですよ」
「へぇ……」
そう零すと彼女は何かを考えるかのように天井を見上げた。そのまま暫しじっと見つめ——
「……断言はできないから細かいことは言わないけどさ」
鋭い視線をこちらに向けて切り出してきた。
「ダスにとってミーリィちゃんは、ミーリィちゃん自身が思っている以上にでかい存在だと思う」
「……はい?」
その言葉もまた意図を理解できず、首を傾げた。
「もしそうだとしたら、そのうち言うと思うよ。まあそれに別に分からなくても大丈夫なことだと思うし。でも——だからこそ、ミーリィちゃんの言葉はダスに届きやすいのかなーって。そういう意味でも、ダスのことを任せたいな」
自分が思っている以上に、自分がダスさんにとって大きな存在。
それが事実だとすれば嬉しいことではあるが、一体ダスさんはわたしで何を考え、何を思い、何を感じているのだろうか?
……何かいやらしい言い方になってしまった。
思い悩む姿は実はあまり見たことが無いが、しかし確かにダスさんはこれまで何度も無茶をしてきたらしい。
例えば地を這う者達の壊滅は彼の活躍による部分が大きいが、ファレオ総出で壊滅させに行ったと言うよりは、ダスさんが単身敵の本拠地に乗り込んで後からファレオが支援をした、と言うべき有様だったとのこと。
そういう風に、ダスさんが無茶をしたり悩んだりするのであれば——
「……分かりました! 本当にできるか分かりませんが、最善を尽くします!」
ダスさんの相棒として、できる限りのことをするだけだ。
彼女を安心させるよう、力強く応えた。わたしのこの言葉に彼女は微笑を浮かべて口を開く。
「ありがと、頼もしいねぇ……それから、できればでいいんだけど……」
何かを言おうとして躊躇い、彼女は口を閉じて俯いた。その顔からは微笑が消え、わたしは再び首を傾げ——
彼女の口が小さく開かれる。
「……もし私のさっき言ったことが正しかったら、彼の傍から離れないであげてね」
小さな声で零れ落ちたその言葉。
果たしてその真意は何なのか——それはわたしの頭の中で、音を伴って何度も何度も反芻された。




