第五十三話 考え無しの気付き
ウルスに戻ってすぐマートの所に向かった。
「三日後の昼に帝国が動くのか」
「ああ、奴等がボスカルの獣と交戦するのを見計らってこちらも出発しよう」
帝国とボスカルの獣が交戦している隙、魔獣を飛ばしてこないであろう瞬間に縄張りを突破する——謂わば運任せの強行軍。
だからなのだろう、彼の発言にそう応えると、彼の顔に僅かに憂いが浮かんだ。
「しかし……本当に大丈夫なのか? 魔獣を絶対に飛ばしてこないという訳では無いのだろう?」
問題はそこだ。仮に魔獣を飛ばしてきた際にどう対処するのか。
恐らく数百人規模で討伐に向かうのだろうが、魔獣に襲撃されれば甚大な被害は免れない。
どのように仲間を守り、魔獣を足止めし、討伐するのか——
「——それについては、奥の手がある」
「奥の手?」
「え、何かあるんですか?」
その発言にマートだけでなくミーリィも疑問の声を零した——が、ミーリィには心当たりがあるだろう。
——まあ、正直俺としても気が引けるのだが。
この奥の手は道徳、倫理、社会通念的にも受け入れ難いものであろう。ミーリィにとっては特にそうだろうし、エトロンを守りたいマートにとってもそうだろう。
その疑念を解消させるべく、重い口を開ける。
「ああ——」
「ダスさん、流石にそれには、ダスさん大好き人間のわたしも反対ですよ!」
マートに反対された後にヴォレオスの猟獣のエトロン本部から出て、開口一番ミーリィはそう言い放ってきた。
その表情には、普段俺には見せてこないような怒りが僅かに滲んでいた。鋭い緑の双眸がこちらをじっと見つめている。
——分かりきっていたことではあるのだが。
というかダスさん大好き人間って何なんだよ。
「……正直、俺も気が引ける」
「だったら何故……!」
そう言われ、言葉に詰まった。
ミーリィの気持ちは痛く理解できる——そしてそれ以上に、彼女の言葉を聞いてようやく気付いた事実が重くのしかかってきた。
——俺は、深く考えずにその選択肢を取ろうとした。
それはきっと、俺の過去によるものなのだろう。もう何も失いたくないと、その人間性を疑ってしまうような選択肢に縋ってしまった。
この旅の目的を捨てるような、非情な選択肢に。
——もう彼だって、俺の大切なものの一つだろうに。
「……ああ、止めようか」
「……え?」
俺が零した言葉に、彼女も戸惑いの声を零した。その顔から怒りの色が消え、目が大きく開かれて緑の瞳がよく見える。
「悪い、考え無しだった。もっとちゃんとした策を練ろう。それか、俺が一人で対処する」
「え、で、でも……」
俺の言葉に彼女は動揺し——
「……ごめんなさい、ダスさん」
俯いて謝罪の言葉をぽつりと零した。
——強く言ったことを気にしているのだろうか。或いはミーリィも、俺の策が最善だと心のどこかで思っていたのだろうか。
「謝らなくていい。お陰で色々と気付けた」
「はい……」
肩を落とすミーリィを隣に、俺達はイギティの宿へと戻った。
「はーいいらっしゃ——ってダスじゃん。それに……ミーリィちゃん、だっけ? も一緒で」
宿の扉を開けると、眠そうで気怠げなイギティの声が聞こえてきた。今まで机の上に突っ伏して寝ていたのだろう、顎を机上の腕に乗せている。
彼女は大きな欠伸をして体を起こし、肩に掛かった一つ結びを手で背中へと振り払う。
「遅かったわね。何、ダスとミーリィちゃんでいちゃいちゃしていた訳?」
「い、いちゃいちゃっ!?」
あわあわと慌てだしたミーリィは咄嗟に部屋へと入っていった。
「……成程ねぇ」
彼女の後を追うように目線を部屋へと向けたイギティがにやりと笑ってそう呟いた。
……何が成程なんだ?
「別にいちゃついてはいない。ちょっと帝国の駐屯地に行って情報を得てきただけだ」
「いやちょっとって……昔のダスに教えたいね、今のダスがこんなんだって」
驚いた様子を見せ、そして彼女は相好を崩してそう言った。
——まあ確かに、昔の俺なら泣いて部屋に引きこもるだろうな。
「あ、そうそう」
何かを思い出したかのように体と髪を揺らし、彼女は目線をこちらに向けてきた。
「ポン君、起きてるよ。それと状況の説明は一通りしといた」
「そうか、悪いな。様子はどうだった? 問題は無さそうか?」
そう問い掛けると彼女は天井を見遣って「うーん……」と唸り——
「……まあ医者でも無い素人が言うのも何だけど、問題は無さそうかな」
「……そうか」
その言葉に内心安堵した。ミーリィは早めに目を覚ましたが、ポンは一向に目を覚ます気配が無かった故に。
——そうだ、如何に生粋の魔術師とはいえ、ポンはまだ弱いんだ。
再び心に重くのしかかってきたのは、その事実であった。心が潰されてしまいそうな感覚に襲われる。
——俺はそんなポンを奥の手として利用しようとした。
強力な魔術を行使できるとはいえ、一人で数百人を守れるであろうとはいえ、戦闘に慣れていない彼を、まだまだ子供である彼を、深く考えずに利用しようとしていた。
——だから、この心の苦しさは然るべき罰だ。
例え己の過去に囚われていても、それが許される行為では——
「えいやっ」
突然、頬を軽く叩かれた。
「……………………あ?」
痛みは無いが、突然の出来事ということもあって衝撃は大きい。頬を叩いてきたイギティを呆然と見つめ——
「……はぁ」
と、彼女は一つ嘆息を零した。
「そこは昔と変わらないねー。すーぐ色々と思い詰める。悪い癖よ」
「いや、だが……」
説明しようと言葉を探し——
「それで今度は言い訳の言葉でも探しているの?」
彼女に遮られてしまった。再び彼女は大きく嘆息し、眠気もあってより鋭くなった目でこちらを睨んでくる。
「過ぎたことをどうでもいいものと思うのは違うけど、あれこれと悩むのも違うでしょ? 過去を顧みて、それを未来の糧とする——それが戦役を経たブライグシャ地方の人間の生き方でしょ?」
そう言われ、はっとする。
正直あれこれと思い詰めるのは俺の癖みたいなものだから改善はできないだろうが、確かに過去に囚われていても話は進まない。
——俺が目を向けるべきは、これからのことだ。
気付けば、いつの間にか心を押し潰そうとしていた何かが消えていた。
「……そうだな。まあ改善できるように頑張るさ」
「ま、正直あまり期待していないんだけどねぇ」
こちらの考えを見透かしているかのように、彼女はへらへら笑ってそう応えた。
——イギティもイギティで、昔から他人の心理を読むのが得意だったな。
「ほら、部屋に行ったら? ポン君が待っていると思うよ? それに私もう寝たい……」
そう言って彼女は欠伸をしながら立ち上がり、俺の横を通って宿の扉に鍵を掛けた。
「それじゃ、おやすみぃ……今日も今日とてオッサン連中に振り回されて疲れた……」
こちらに一瞥もくれずに就寝の挨拶を言い、そして仕事の愚痴を小さく零して彼女は廊下の奥へと歩いていった。
この宿は酒場も併設しているのだが、彼女は宿の受付だけでなく酒場の仕事もしている。店を閉める頃には彼女は疲弊しているのが基本だ。
「ああ、おやすみ」
返事をし、俺も部屋へと入った。
部屋の中ではミーリィは二つある寝台の一方で横たわっており、ポンはもう一方に座っていた。
部屋に入るや否や、彼はこちらに歩み寄ってきた。
「目、覚めたか。体に異常は無いか?」
「…………大丈夫」
そう答えた彼に、どことなく違和感を覚えた。何かを言おうとしているのか、言葉を探しているのか、返事が遅い。
「ポン、どうかしたか?」
それが気になって問い掛けると、彼はただ俯いただけで何も答えなかった。
——気のせい、では無いのだろうが、言う気が無いんだったら問い詰める必要は無いか。
そう思って一歩踏み出し——
「おれを、連れてってくれ」
足が止まった。
体と心がびくりと震え、目線は自然と彼の方に向かった。
「……お前、それって……」
——それが意味するのは、ボスカルの獣の討伐に同行したいということだろう。




