第五十話 統治者からの依頼
ヴォレオスの猟獣——魔獣討伐の専門家集団。
魔獣信仰の昇天の民に対抗する為に生まれたこの組織は、その名の通り元々はモダール地方の国ヴォレオスに存在していた。
時代が下るにつれて魔獣がゴーノクル全土で出現するようになり、それに応じてこの組織も同じくゴーノクル全土に展開した。
ヴォレオスの猟獣エトロン本部、その中では団員があちらこちらへと忙しなく行ったり来たりしていた。
その様相はまさに緊急事態——件の魔獣の対応に追われているのだろう。
実際、イギティの描いた地図によればその魔の手がウルスの目と鼻の先にまで迫ってきている。
「……さて」
当然ながらヴォレオスの猟獣は部署ごとに団長がいる。まずはここの団長を探さねば——
「ダス・ルーゲウスか」
周囲を見回しながら歩いていると、不意に声を掛けられた。その声には聞き覚えがあり——
「——マート」
声の方を向くと、エトロンの統治者の一人『マート・フィルス』の姿があった。
水神エヴリア信仰と結びついた淡い青色の服に身を包んだ、初老の男性。彼もまた対応に追われているのか、髪はぼさぼさで額には汗が浮かんでいる。
「ダスさん、知り合いですか?」
こちらへと歩いてくる彼をじっと見たままミーリィが小声で問い掛けてきた。
「ああ、エトロンの統治者だ」
ゴーノクル全土では王政や帝政が未だに主流だが、人間の時代となって民主政を取る国も増えてきた。
エトロンはその一つで、民間人から四人の代表を選ぶ——その代表の肩書が『統治者』だ。
言い換えれば、この国の最高権力者となる。
その統治者がこうも現場であくせくと働いているとなると、件の魔獣が喫緊の——それこそエトロンの存亡に関わるような案件だと分かる。
「ここに来たということはそういうことだろうが——」
俺達の目の魔に立ち、真剣な眼差しでこちらの目をじっと見て彼は続ける。
「依頼だ。ある魔獣を倒して欲しい」
続けられた言葉は、果たして魔獣討伐の依頼であった。
こちらの意向はとうに決まっている。
「当然、その為にここに来た」
そう応えると、その言葉を反芻しているのか、彼はじっとこちらを見つめ——
「……ふぅ」
一息吐いた。
「——失敬。お前のことだから断られることは無いだろうと思っていたが……この先が見えない状況で、お前に断られたら真に真暗だったのでな」
どことなく冗談めかした発言だが、イギティがそうだったようにその顔は一切笑っていない。
それ程までに切迫した状況なのだろう。
「いつもこちらの依頼を聞いて貰って申し訳無いな。どうだ、私の下で働く気は無いか? ファレオの数倍の待遇を保証しよう」
ここに来ると毎回のようにマートからの依頼を受けるが、その度に微笑と共にこのような言葉が告げられる。
しかし今回は微笑が一切無く、この状況も相俟って本気で言っているかのように思えた。
「え!? ダスさん!?」
案の定その発言を聞いて戸惑ったミーリィが、心配の叫びを上げてきた。嘆息を吐き、彼女を見遣って宥めるように言う。
「安心しろ、ミーリィ。俺はファレオを辞める気は無い。それに、いつもこう言ってくるからな。恒例行事みたいなものだ」
「で、ですよね……!」
俺の言葉を聞いて、彼女もまた一息吐いて胸を撫で下ろした。
「……今回だけは本気だったが……まあ、断られると分かっていたよ」
その呟かれた言葉に俺とミーリィの視線は自然と彼に吸い寄せられ、「失敬」と彼は付け加えた。
「統治者として恥ずかしい話だが……正直なところ、色々ときつくてな……如何に対応しようとも、状況は悪化する一方で、他国からの増援も最早厳しく……って、失敬。愚痴を零して申し訳無い」
そう言うと彼はこちらを見たまま背を向け、歩き始めた。
「場所を変えよう。魔獣の特徴と今の状況について共有したい」
先導する彼についていき、俺達は会議室に入る。
壁にはエトロン、そして魔獣の縄張りの描かれた地図が張られ、机には会議で使ったであろう資料が散乱している。
マートは探るように手を動かして資料を何枚か手に取り、その紙の束を俺とミーリィに渡してきた。
「それに魔獣の特徴が詳細に載っている——と、言いたいところだが、恐らくまだ完全に把握できていない」
彼は申し訳無さげにそう言ったが、資料数枚に及ぶ程度に特徴が判明しているのであれば、充分にありがたい。
特徴が分かれば分かる程、対処がしやすくなる。
「さて、ここに来たということは、魔獣と交戦したのだろう?」
見透かしたような問い掛けに、俺は頷いて肯定した。
「鳥の群れと、遠くから飛来する魔獣——そうだろう?」
「え、魔獣と戦ったんですか?」
こちらを向いてミーリィが尋ねてきた。
「ああ、お前気を失っていたな」
「そ、そうだったんですね……申し訳ありません、ダスさん」
「いや、気にするな。あの時気付けなかった俺も悪い」
そう言ってマートの方に向き直る。彼はこちらを待っていたかのようにじっと見つめていた。
「それで、その魔獣の群れについてだが——あれは全て同じ個体だ」
マートの重く告げたその言葉。
それは俺の推測通りの言葉で、イギティの話を聞いたこともあり、特段驚きはしなかった。
——一番面倒な奴が来たか。
一番現れて欲しくなかった魔獣が現れたが故に、驚くことは無く、その一方で落胆を抱き、苛立ちが沸々と湧いてきた。
だが、納得できることもある——酷く追い詰められているこの状況、確かにあの魔獣以外に成し得る奴はいないだろう。
「ダス・ルーゲウス、お前も心当たりがあるだろう?」
さも知っていることが当然のようにそう言われ——
「ああ」
当然知っており、俺は小さく答えた。
その魔獣は、ブライグシャ地方の人間なら誰しもが知っているであろう、災厄の如き魔獣。
戦後ブライグシャ地方の各国が魔獣討伐に勤しんでいた中で、その兇猛な攻撃性故に唯一手を出さないと選択せざるを得なかった魔獣。
その名は——
「——ボスカルの獣」




