第四十九話 ダスの旧友
ヴォレオスの猟獣のエトロン本部に向かう前に寄った場所——それは、とある酒場を併設した宿であった。
「はーいいらっしゃ——」
俺の顔を見て、店番をしている女性の言葉が止まった。彼女はじっとこちらを見て——
「おーダスじゃーん! 久しぶりー!」
その顔は一瞬にしてぱぁっと明るくなり、受付から出てこちらに駆け寄ってきた。
彼女の名は『イギティ・メゼル』——かつて俺と同じ村に住んでいた友人で、戦争の前に偶然ウルスに引っ越したことで村を襲った戦禍に巻き込まれずに済んだ。
……今となっては唯一の、ブライグシャ戦役以前から交流のある人物だ。
「よぉ、久しぶり」
「ねーほんと久し——え、何その肩の人達。結婚してたの?」
彼女は一本に縛った茶髪を揺らし、訝しげに肩に担いだ二人を交互に見ている。
「あぁ、女性の方はミーリィ、ファレオでの相棒。それでこっちの子供の方はポン、今はこいつを故郷に送り届けているところ」
「なーんだ結婚してないんだ」
そう言って彼女は肩を落とし、とぼとぼ歩いて受付へと戻っていった。
「俺が結婚すると思うか?」
その丸まった背中に問い掛けた。
かつての俺を知っている彼女なら、俺が昔からそういう性格じゃないということは知っていると思うのだが。
「んー、まあそうは思わないんだけど……だからこそ、結婚していた方が面白いかなーって」
彼女は微笑を浮かべてそう言うと、漆黒のキムを掛けた椅子にどすりと座ってこちらを見た。
「……しっかしダス、よく来たわね」
先程とは打って変わって真剣な表情で告げられたその言葉。
その言葉に引っかかるものを覚え、疑問の言葉が口を衝いて出た。
「どういう意味だ?」
先程交戦した魔獣の群れ——あれのことを指しているのだろうか?
「あー確か東とか南とかの方は安全なんだっけ? 詳しいことは分かんないんだけど、めっちゃ強い魔獣が出没したらしいよ」
返ってきた答えは、果たして魔獣のことであった。
だが——東とか南とかの方は安全?
俺達はバイドーグシャ地方から来たが、エトロンから見ればバイドーグシャ地方は南東に当たる。安全とされる場所で、俺達は襲撃を受けたのだ。
「いや、安全じゃないな。列車でここに向かっていたが、途中で魔獣の群れに襲われた」
「マジ? 縄張りを広げたか……」
そう言うと彼女は机に肘をつき、黒の長い袖で隠れた手に頭を乗せた。
その姿勢のまま彼女は紙と筆を取り出し、何かを書き始める。
それを上から覗き——彼女が簡易的な地図を描いていることに気付く。左端にこの都市ウルスがあり、線路や他の街、村も描かれている。
すると彼女は、完成した地図の上に大きく楕円を描いた。歪な形をしており、バイドーグシャ地方とブライグシャ地方を繋ぐ線路と、ブライグシャ地方とヴァザン地方を繋ぐ線路のそれぞれの一部が、そして幾つもの中小規模の街や村がその楕円の範囲に収まっている。
「それが『縄張り』って奴か?」
「南東の方は推測だけど、そうね。この楕円の中には入るなって言われててさ——あ、そうそう、変な鳥の群れ見なかった?」
変な鳥の群れ——広い間隔を開け、広範囲に展開していたあの鳥の群れのことだろう。
「見たぞ」
「それが魔獣の縄張り」
彼女の告げた事実に、内心衝撃が走った。
——魔獣が他の魔獣と協力した……? 或いは、俺の推測が正しければ、鳥を生み出して、その鳥のいる場所を縄張りとしているのか……?
魔獣というのは基本的に知能が低く、高いものでも稀に——人間のものと比較すれば高度では無いが——魔術を学習して行使する個体が現れる程度である。
「魔獣の肉塊が飛んできた、そうでしょ? あれね、鳥が鳴くことで敵の位置を知らせて、その方向に魔獣を飛ばしているらしいよ。ヤバくね?」
軽い口調で彼女は言った——が、その口も目も、一切笑っていなかった。
そうであるのなら、あの魔獣は異常なように思える。仮に知能が高かったとしても、魔獣同士で協力する、或いはそのように魔術を高度に扱っている事例は聞いたことが無い。
一般的な魔術を学習した魔獣よりも遥かに高い知能を持っていることになる。
だとすると、あの魔獣は——
「——待て」
最悪の展開が脳裏に浮かんだ。
魔獣は鳥を展開して縄張りを広げていて、その方向にあの時のように魔獣を飛ばしている。
だとすれば——
「そのうち、ここも魔獣の縄張りになる……?」
「……ご名答」
彼女は嘆息を零し、沈痛に満ちた声でそう応えた。
咄嗟に視線を地図へと戻し——
「——ッ!」
楕円が——魔獣の縄張りを示す鳥がウルスの側まで迫っていることに気付く。
つまり、いつ魔獣の縄張りになり、襲撃を受けてもおかしくは無いということだ。
「……今仕事で忙しいのは分かってる。その上で——」
「任せろ」
彼女の言葉を遮るように、続く言葉を——その頼みを受けるのが当然であるかのように応えた。
元々魔獣を討伐するつもりだった。だがここも魔獣の襲撃に合う危険性があるのなら、尚更魔獣を討伐したい。
これ以上、俺の故郷を滅茶苦茶にさせない。
——これ以上、俺に残されたものを奪わせはしない。
俺の言葉に、彼女ははっと顔を上げた。呆然とこちらを見つめ——そしてすぐに微笑が浮かんだ。
「……ありがと、ダス。本当に変わったね」
付け加えるように言われた言葉。回顧に満ちたその声音は、嬉しそうであった。
——確かに、だいぶ変わったな、俺も。
「……否定はしない」
酷く臆病だったあの頃。それが懐かしくもあり、忌々しくもあった。
——俺が臆病じゃ無かったら——
と自然に考えてしまい、大きく息を吸って吐き、その考えを消す。
「それで肩のこいつらなんだけど——」
「やりましょうダスさんっ!」
「きゃぁ喋ったぁっ!?」
唐突に頭を上げて叫んだミーリィに、イギティは吹き飛ばされたかのように身を引いて悲鳴を響かせた。
「……起きてたのかよ」
嘆息混じりにそう言い、彼女とポンを床に下ろす。すると彼女は立ち上がり——しかしポンは立ち上がらない。
まだ気を失っているようだ。まあ、気を失っているからここに来たのだが。
「イギティ、ポンを頼めるか?」
そう言ってポンを両手で持ち上げた。二人を宿に置いてからヴォレオスの猟獣のエトロン本部へ向かう予定だったのだ。
「大丈夫よー。ほれ、部屋の鍵。廊下に入ってすぐの部屋だよ」
彼女は机の中から鍵を取り出して差し出してきた。ミーリィがそれを受け取り、部屋へ向かう。
彼女に扉を開けてもらい、寝台の上にポンを横たえた。様子がおかしくないかじっと見つめ、無事を確認して部屋を出る。
「ダスさん、これからどうするんです?」
部屋に鍵を掛けながら彼女が問い掛けてきた。彼女を見遣り、その問い掛けに答える。
「ヴォレオスの猟獣のところに行く。こうも縄張りを広げていれば、奴等も対処しているだろう」
「猟獣さんですか。そういえば今まで依頼しか受けたことがありませんでしたね」
ファレオとヴォレオスの猟獣が手を組むこと自体は何度もあるが、今回のような強大な魔獣を相手取る時くらいだ。
俺も俺で、沢山協力してきた訳では無い。
「早速行くぞ」
「はい!」
そうして俺達は宿を後にし、ヴォレオスの猟獣のエトロン本部へと向かった。




