第三十二話 奇跡を願うのなら
ミーリィの前に出てきたおれを見て感心したのか、ジャレンは憎たらしい微笑みを浮かべる。
「ほぉ、あの売女を守る為に自らを犠牲とするか。ならば、こちらに——」
そう言うとジャレンは右手を差し伸べてきた。おれはその手をじっと眺め——
「バーカ、誰がお前のところになんか行くかよ」
そう吐き捨てるように言い、拒絶した。
予想外の言葉だったのだろう、奴の微笑は一瞬にして崩れ、呆然とおれのことを眺め——
「…………は?」
口から漏れ出てきたのは、たったその一言だけだった。
「え……?」
背後のミーリィも困惑の声を零した。後目に彼女を見て、そして己の口を開く。
「何でミーリィが自分の命を賭してまでおれを助けようとするのか訳分かんねぇ……けど、だからこそ、おれはミーリィを死なせたくねぇッ!」
力強く言い放つと同時に、ジャレンを鋭く睨む。
狂っていると思ってしまう程、他者を救うことに命を捧げる彼女——そんな彼女をこそ、この世界の苦しんでいる人々は強く求めている。
だからこそ、おれは彼女を助けたい。
彼女を手伝って、苦しんでいる人々を救いたい。
彼女のように、なりたい!
それがおれのやりたいことで、ゲロムスの魔術師としての責務で——そして、父さんと母さんとの約束なのだから。
「——ふ」
ジャレンの顔が、さながら炎が燃え上がるかのように、見る見るうちに赤く染まっていく。そして剣を掲げてその切っ先をこちらに向け——
「ふざけるな餓鬼がァッッッ!!!」
憤怒の炎の叫びが、まるで爆発するかのようにその口から溢れ出てきた。その咆哮にたじろいでしまう——が、決意故か、以前程恐怖は感じない。
「良いだろうッ! 貴様も、あの女もッッ!! 灰燼一つ残さず燃やし尽くしてくれるゥッッッ!!!」
咆哮と共に奴は剣を大地に突き刺し——斬り上げるように引き抜かれた。
それと同時に、烈火の波が生じてこちらに襲い掛かってくる。辺り一帯を燃やし尽くさんとするかのように横に長く、先程ジャレンが行使した炎の魔術以上の規模である。
その迫りくる火の海を、きっと睨む。
「————!」
後ろからミーリィの叫びが聞こえたような気がした——がそれを無視する。
彼女がおれを守る為におれの言葉を、思いを無視した時と同様に、おれも彼女の言葉を、思いを無視する。彼女を守る為に。
——奇跡を願うのなら。
「おれが……おれがッ! ミーリィを守るんだァ————————ッッッ!!!」
——今だ。
視界が炎に満ちている。
俺の炎の魔術が、この辺り一帯を燃やし尽くした。草は焼失し、列車は溶解し、まともなものは何一つ残っていない。
——はずだった。
「——なっ」
火の海が消え、焦土が露わになった時——その姿も露わになった。
眼前にいたのは、焼き殺したはずの餓鬼と売女。それだけじゃ無い。焼失したはずの草も残っている。
「何故だッ!? 何が起こったッ!?」
理解できない。確かに燃やしたはずだ。火の海の中にあって、消えないことなどあり得ない。
「燃え尽きろォッッッ!!!」
剣を突き出し、その切っ先から烈火を放つ。兇猛な獣のように烈火は猛然と餓鬼目掛けて進み——
「——ッ!?」
何かに直撃して儚く霧散した。
やはり理解できず、こちらを睨む餓鬼をじっと見て——
「……何だ、あれは……?」
餓鬼の前の空間が、微かに歪んでいた。その歪みはまるで壁のように、或いは盾のように餓鬼の前だけに発生していた。
そしてその歪みを境として、焦土と化した大地と草の生い茂る大地の二つに分かれている。
——これは、氷壁隊の魔術……?
魔術師の時代、ダプナル帝国の擁した部隊の一つに『氷壁隊』というものがある。帝国の守りの要で、その特化魔術はあらゆるものを防ぐ障壁を発生させる。
だが、そうだとしたら何故、今まで使ってこなかった? 同行している以上、ゲロムスの魔術師だとダス・ルーゲウスとミーリィ・ホルムは知っているはずだ。なら隠す必要性が無いのに、何故——
そこで気付く。魔術師喰らいでは無い、純粋なゲロムスの魔術師をこれまで相手してこなかったが故に、今までその発想に至らなかった。
——奇跡魔術……!
それは、心の底からの強い願いと共に発現する、個人の持つ魔術の中で最高の性能を持つ魔術。
あの餓鬼はそれを、この場で発現させた。
それに気付いた瞬間に、戦慄が走った。
俺の炎を完全に防ぐ障壁。それは氷壁隊の特化魔術でも変わらないだろう。しかし、あの餓鬼のそれは奇跡魔術だ。
それが意味することは、氷壁隊の障壁以上の性能を持ち得ること。
「く、糞……!」
餓鬼の毅然とした立ち姿。怒りと決意に満ちた双眸。貧弱だったはずの存在が、自分を圧倒し得る存在と化した。
その事実に思わず怯み——
「あぁぁ————————ッッッ!!!」
己の腹に剣を突き刺す。強烈な痛みが腹部に生じ、呻きが口から零れ落ちていく。剣と肉の隙間から血が噴き出し、焦土と化した大地を赤く彩る。
あの餓鬼も売女も、自身の腹に剣を突き刺すという、傍から見ればただの奇行に愕然としている。
だが、それが狙いでは無い。
血飛沫と共に剣を引き抜き、再生と痛覚遮断を願う。痛みも傷も一瞬にして消え、先程の痛みで混乱から正常に戻った思考で考える。
——勝ち筋は、充分にある。
ゲロムスの魔術師の子供であるなら、その魔腑は成長しきっていない。つまり、使える魔粒の量が少ない。そして発現したばかりであるのなら、恐らく単に障壁を発生させることくらいしかできないだろう。
そうであるなら——
「魔術を使えないように、魔粒を使い切らせるだけだァッ!」
俺は再び剣の切っ先を餓鬼に向け——
「——ッ!?」
——何故、あれだけの敵を前にして生きている……!?
満天の星の空、爛然と輝く月を背景に、ダス・ルーゲウスが宙を舞って襲来してきた。




