第三十一話 例えそれが分からなくても
振り下ろした鉄棍が炎を纏った剣に弾かれる。
「くぅ……!」
鉄棍を通じて伝わった熱が掌を焼く。冷気を願って掌を冷やし、跳躍して距離を取る。
——わたし一人では、足止めするので精一杯か……
どうにかする方法が無くは無い。しかし、それは決して使ってはいけない。それが招くのは、恐らく惨劇のみだ。
ポン君を後目に見る——そこにいるのは、酷く怯えた少年。彼だけでも、早くダスさんのところに向かわせるべきか。
「ポン君! 列車の後ろの方に走って! ダスさんがそっちにいる!」
そう叫ぶ——が、彼は僅かに体を動かしただけで、それ以上は動けない様子であった。
「ポン君——」
「隙を見せたなァッ!」
一瞬にして肉薄してきたジャレンさんが、わたしの眼前に躍り出てきた。右腕が突き出され——猛火が迸る。
一瞬にして体が炎に包まれ、視界が赤に染まる。息が上手くできない、熱い、痛い、苦しい。
「ミーリィッ!」
ポン君の悲痛に満ちた叫びが、それに続いてこちらへと駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「次は餓鬼ッ! 貴様だァッ!」
——させないッ!
冷気を願って熱を誤魔化し、透かさず立ち上がって跳躍する。
戦慄を抱いたポン君の、尻から転倒した姿が見える。ジャレンさんはこちらに気付かずに右腕を再び突き出し——
その顔の側面に、炎の鉄棍を叩き込む。
「がぁっっっ!!!???」
魔術による膂力強化が込められた一撃——鎧を纏った彼の体すらも吹き飛ばし、その体はさながら砲弾のように列車の壁を突き破って飛んで行った。
——水よ、火を消せ。
その願いと同時に体に纏わりつくように水が生み出され、炎が消される。次いで再生を願い、焼失した服と焼け焦げ、爛れた肉と皮を再生させる。
「ごめん……! おれ……!」
ポン君は目に涙を湛え、悲痛の声を上げた。そんな彼の手を掴んで立ち上がらせ、言い聞かせる。
「大丈夫、そんなことより、早くダスさんのところに——」
「炎よ! 全て焼き尽くせェッ!!!」
ジャレンさんが飛ばされた方から憤怒の叫びが轟いた。咄嗟にポン君を突き飛ばし——
烈火の波を認めた瞬間、その一瞬のうちにわたしの体は炎に呑まれた。烈火がわたしに喰らいつき、吹き飛ばす。
「————!」
消えそうな意識の中、ポン君の叫びが聞こえたような気がした。それがわたしの意識を、命をこの世界に繋ぎとめた。
——痛みを消し、再生させ続け、冷気はわたしを包めッ!
咄嗟に願い、吹き飛ばされる中体を捻って鉄棍を深々と大地に打ち込む。わたしを喰らい続ける烈火に耐え——
そしてようやく、視界が開けた。
大地は焦土と化し、烈火に呑まれた列車は溶解している。じっと見ていると、炎上する列車を踏み越える人影が現れた。
そこに現れたのは——果たして、ジャレンさんであった。炎に呑まれようともそれを意に介さず、憤怒の双眸でこちらを睨む。彼に着火した炎は、まるで彼の怒りを表しているかのようであった。
「やってくれたな、売女め……! やはりまずは、貴様から殺してくれる……!」
彼が右腕をこちらに向けると同時に跳躍する。迸る烈火はわたしのいた場所を通り過ぎ——
「——ッ!」
こちらが跳躍して躱すことを見越していたかのように、彼が眼前に躍り出てきた。それに気付いた瞬間には時既に遅く——
「ぐぅっ……!」
何とか体を翻し、左腕が血を撒き散らしながら宙を舞った。走る激痛を堪え、その燃える体を気にせず眼前の敵の体を両脚で掴み——
「っだァ————————ッ!」
腹筋で起き上がり、その顔面に鉄棍を打ち込む。彼は骨が粉砕されるかのような音を響かせて大きく仰け反り——
「売女めがァッッッ!!!」
上半身をがっと起こしたジャレンさん、その顔は何事も無かったかのように元に戻っていた。
その怒りの表情に戦慄を抱き——次の瞬間には両脚が切断された。
「ぎぃっ!?」
断面から血を零しながら焦土に落ちる。
——体を再生させろ!
そう願い——
しかし何も起こらなかった。
——魔粒が切れ——
「がぁっ!?」
剣が口を、頭を貫いて焦土に深々と突き刺さり、激痛が体を支配した。苦悶の絶叫を上げてのたうち回るわたしを黙らせるかのように、剣の鍔が口に押し付けられる。
さらに隠し持っていた短剣がわたしの喉に突き刺さり——魔術が込められていたか、体が思うように動かなくなる。
「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛————————っっっ!!!」
剣から炎が生じる。
痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い——
「やめろぉ————————っっっ!!!」
ポン君が、ジャレンさんの頭を何かで殴った。
「ぐぅっ……!?」
不意打ちに彼は苦痛と困惑に満ちた呻きを上げ、剣を引き抜いて距離を取った。
そしてよく見えるようになった、ポン君が握っていたもの——恐らく、溶解した列車の部品であろう。
それを放し、咄嗟にわたしに駆け寄ってくる。一瞬だけその手が焦げ、爛れているのが見えた。
彼が喉に突き刺さった短剣を引き抜き、そしてわたしに手を当てると、一瞬にして体が元通りになり、痛みも消失した。しかし、短剣に掛けられていた魔術は打ち消せなかったか、体は動かし辛い。
体は碌に動かない。魔粒が尽きて魔術を使うことができない。
しかし——それでも、わたしがやるしかない。せめて、ダスさんが来るまでポン君を守り切ってみせる。
「あり、がとう……ポンく——」
「いい加減にしろよっ!」
声を遮った叫びに体が、思考が止まった。
わたしをじっと見るポン君の顔——怒りが、悲痛が、困惑が、その顔に立ち込めている。
「何で、あんな苦しい叫びを上げて……涙を流して……なのに、何でまだおれのことなんて助けようとするんだよっ!?」
そう言われて初めて気付いた。いつの間にか、涙が流れていた。
「訳分かんねぇよ! こんな碌でもねぇ餓鬼の命の為に自分の命を捨てるなんて! 頭おかしいんじゃねぇの!?」
動揺するわたしを意に介さず、彼は涙を流しながら魂の叫びを上げ続けた。
「おれが奴らに連れていかれれば! 全てが丸く収まるんだよっ! だから——お前が! お前らが! これ以上苦しむ必要なんてねぇんだよっ! もっと自分の命を大切にしろよっ!」
……ポン君は、わたしの身を案じている。その為に、己の命を犠牲にしようとしている。
でも——
焦土に両手を突く。まともに動かず、またふらついてしまう体に鞭打ち立ち上がる。鉄棍を杖のように突き、体を支える。
「……マジでふざけるなよ……おい! ミーリィッ!!」
困惑と怒りに満ちた叫びを上げるポン君。彼の方を振り向かず、わたしは口を開ける。
「……碌でも無い子供じゃ、無い……!」
何の罪も犯していない人が、碌でも無い人だなんてことは、決して無い。
その命があるだけで戦争を齎すことになろうとも、数多の人の命が失われることになろうとも、それで自分の運命を決めてはいけない。
私利私欲の為に人を苦しめることなど、あってはならない。
君が苦しむ必要なんて、無い。
「君は……大切な命の、一つなんだよ……! 例え、わたしが死ぬことになっても……君を守ってみせる……!」
——それがわたしのやりたいことで、責務で、そして——この呪われた命の、せめてもの贖いなのだから。
ふらつく体でミーリィは進もうとし——しかし、倒れてしまった。それでも彼女は立ち上がろうと、進もうとする。
「はぁ……はぁ……」
しかし、彼女は立ち上がることすらできなかった。
——やっぱり、分からない。
そんなに苦しい思いをしても、自分の命が消えることになろうとも、彼女がおれを守ろうとする理由が理解できない。
——それでも。
——困っている人がいたら、苦しんでいる人がいたら、そんな人達を守れるような魔術師になってね。当たり前のことだけど、それが私達——ゲロムスの魔術師が生まれた理由なのだから。
母さんの言葉が耳元に蘇る。
ミーリィが苦しみや死を厭わずに戦う理由——例えそれが分からなくても、おれにはできることが、やるべきことがある。
決意を以て立ち上がり、前へ進む。
「ポン君……?」
彼女の横を通ると、やはり彼女が反応した。
「駄目……ポン君……! そんなこと——」
「うるせぇな……!」
後目に彼女を見遣る。悲痛な顔で、手を伸ばしておれを止めようとしている。大切な命が失われることを恐れるかのように。
自分の命なんて、どうでもいいかのように。
——何が、君は大切な命の一つ、だ。
「お前の命も、大切だろうが……!」
そしておれは眼前の敵——魔卿ジャレン・ラングルを睨む。
おれを支配していた恐怖は、いつの間にか消えていた。




