第二十四話 別れ
唐突に見せつけられた眼前の光景を、すぐに理解することができなかった——否、理解するのを拒んだのだろう。
しかし、眼前の光景は惨たらしい現実をはっきりと教えてくる。
——ポン君のご両親は、既に殺されている。
その現実に思わず放心し、次いで様々な感情が心に襲い掛かってくる。
ポン君の両親を救うことができなかったことへの後悔、非力な己への苛立ち——そして、帝国、教団、ジャレンさんに対する怒り。
涙は自然と零れ落ち、悲憤に満ちた目で彼を睨む。
「ジャレンさんッ! 貴方をここで——」
そう叫んで鉄棍を構える。そして歩き出し——
「——ッ!?」
背後から何かに押し倒された。わたしの体は床に強く押しつけられ、動けない。
「ミーリィ! クソッ、増援か……!」
ダスさんが巨槍を構え、敵を睨む。
押さえているのは教団の教徒だろう。騒ぎを聞きつけて、上の階にいた人達が来た、といったところか。
「ダス・ルーゲウス殿、下手に動けば二人の命を失ってしまいますよ?」
不敵な笑みを浮かべるジャレンさんに、ダスさんは「くッ……」と苦しい声を零した。
わたしとダスさんの視線はポン君に向く——涙を流して呆然自失しており、床に力無く膝をついて言葉にならない声を零している。
「あ……あぁ……」
「ポン君! 気をしっかり——」
「静かにしなさい。お二人に話があります」
わたしの声を、ジャレンさんは強い口調で遮った。そしてわたしとダスさんの方を向き、口を開く。
「私が貴方達——と言うよりはファレオに求めるのは次の通りです。この少年を我々に譲ること、そして今後一切この少年に関わらないこと。そうすれば、今回の件は不問に付しましょう」
どうですか? と言わんばかりに彼は不敵に微笑む。
それに対する答えが、無意識に口から飛び出す。
「そんなの、絶対に——」
「もういい!」
わたしの声が再び遮られた。しかし遮ったのはジャレンさんでもダスさんでも、他の教徒でも無い。
「もう……いいんだよ……」
そう言って、ポン君は立ち上がる。
そう、わたしの言葉を遮ったのはポン君だ。それが意味することを、簡単に察することができた。
「おいポン! 馬鹿な真似は止めろ!」
ダスさんもそれを理解したかのように、ポン君を止めようと叫ぶ。
彼がやろうとしていること——それは自らを犠牲にして、教団や帝国からわたし達を守ることだ。
いや、ポン君だけでは無い。他のゲロムスの魔術師達さえも犠牲にし、彼らの願いを踏み躙ることになる。
「ポン君絶対行っちゃ駄目っ! いいように扱われるだけだよっ!」
「……そうだとしても、それでも……」
彼は俯いて顔を見せずに、ゆっくりとジャレンさんに近付いていく。
「おれが、お前らにできることは何か……おれは弱いから、こうすることしかできないと思う」
「でも、だからって自分達を犠牲にする必要なんて……!」
そんな必要は無い。君が辛いのなら、わたしは——己の命さえ捨てることができる。君が犠牲になって苦しむ必要なんて無い。
もっとわたし達を頼っていい。もっとわたし達に甘えてもいい。わたし達ファレオは、辛い思いをしている人達を救う為にあるのだから。
「……こんな餓鬼の為に体張って、命捨てようとするなんて……馬鹿だろ……お前らを必要としている人は、もっといるだろうに……」
「確かに助けるべき人はいっぱいいる……けど! ポン君もその一人だよ! だから——」
「おれな……!」
ジャレンさんの横で立ち止まり、彼は力強く、震える声で叫んだ。
「この世界の本当の姿を知って……クソみたいだな、って思ったよ。本当に碌でも無い奴らばっかでさ……教団や帝国さえも、その実態はクソで……」
ポン君が自分の手をぐっと強く握る。そして絞り出すかのように、震える声を上げる。
「でも、そんな中で良い奴らを知った。変な奴らだけど……強くて、優しくて……死さえも恐れていなくて……そんな奴らだからこそ、死んで欲しくないと強く思った。だから……」
そして彼は遂に顔を上げ——
「……今まで、本当にありがとうな」
ぐちゃぐちゃに歪んだ顔で、彼は精一杯の笑顔で笑顔を作っていた。涙は頬を伝って床に落ち、消える。
「ポン君っ!」
「ポンッ!」
そして彼は自分の顔をわたし達から隠すように後ろを向いた。腕で涙を拭う動作をするが、その肩は、その体はまだ微かに震えている。
「それでは、行きましょうか。我々が去るまで、ミーリィ・ホルム殿を押さえておきなさい」
そして二人は歩き始めた。
——嗚呼、ポン君が遠のいていく。あんな子供に、こんな酷いことを、惨いことを……苦しみから人々を守る立場にある人が、子供を、自分達の私利私欲の為に利用するなんて……
先程のポン君の顔が脳裏に浮かぶ。苦しいのに、わたし達を安心させようと無理して作ったであろうあの笑顔を。あんな笑顔は……子供がしていい笑顔じゃない。
そうやって人々を利用して苦しめるのなら……
……許さない。絶対に、絶対に——
そこにいたのは、幼い頃のわたしだった。
膝を抱え、顔を埋め、ただただ泣いている。
そこは灰色の世界で、草木も、街も、わたし以外にはあらゆるものが存在していなかった。
——ただ一つを除いて。
「……憐れみを捨てろ。慈しみを捨てろ。怒りに燃え上がれ。憎しみに狂え。そして、分からせてやれ——貴様は、この世から消えるべき命なのだと」
祈りめいた、或いは呪詛めいた言葉を垂れながら、男はゆっくりと幼いわたしに近付いていく。荒々しい黒の短髪で、ぼろぼろの薄汚れた服を纏い、大剣と短剣の二つの剣を背負っている。
そして泣いている少女の前に立ち、彼女を見下ろす。
「……それは、貴様のような少女には酷であろう。何より、貴様には最早それを成し遂げる意志が無い」
投げられた言葉は、ぶっきらぼうながらに、先程の呪詛とは打って変わって、どこか憐れみに満ちていた。
彼は屈み、「面を上げよ」と言って彼女の頭に優しく触れてから続ける。
「なればこそ、私を頼りとするが良い。貴様に代わり、この私が全てを終わらせてやろう」
そして遂に、少女はゆっくりと顔を上げた。その顔は涙に濡れ、目は腫れている。震える声で、彼女は問い掛ける。
「……おじさん、だぁれ……?」
「私か? 私は——」




