第百五話 クァヴァスの大闘技場
ポン君の腕を引っ張りながら先導するダスさんについていくと、やがてその威容が視界に入ってきた。
他の建物が歓楽街に誂えた真新しく絢爛な様相である一方で、その白亜の建造物——城の如きそれは飾り気が無く、また仄かに薄汚れている。まるで太古から今までこの街を見守ってきているかのようだ。
「クァヴァスに来たら絶対に行くべき場所——クァヴァスの大闘技場だ」
ダスさんは白亜の闘技場から視線を移さずに、わたしとポン君に何かを差し出してきた。それを受け取り——
「……『ようこそ、クァヴァスへ! クァヴァス観光案内』……」
その縦長の折り畳まれた紙の文字を読み上げた。
……ダスさん、わたしが誘わなくても三人で歓楽街に行くつもりだったのかな……?
胸を撫で下ろし、観光案内の紙を開く。そこにはクァヴァスの大闘技場だけを取り上げた記事があり、街がこの闘技場をとりわけ推していることが窺える。
——この闘技場は北方の戦の民が儀式の為に用いたとされていて——
その一文に目が吸い込まれていった。
シャールは夢の中で戦の民の末裔がどうこう言っていたが、ここがかつては戦の民の街だからそんなことを言っていたのか。
「闘技場って名前の通り、ここでは大会が開かれている。朝昼晩、ずっとだ。単に観戦する人もいれば、誰が勝つか賭けをする人もいるし、大会に出場して金や物を得る人もいる。俺も昔は……」
何かを言いかけたダスさんの顔が、見る見るうちに苦々しく歪んでいった。
「だ、ダスさん?」
「おい、ダス……?」
わたしもポン君もぎょっとしつつ、恐る恐る彼に声を掛けた。すると「あ、ああ、悪い……」と言い、普段の真顔に戻る。
「糞師匠に何度も連れて来られてな……あー、胸糞悪い……」
……取り敢えず何か酷いことをされたのだけは分かった。
ダスさんの師匠——『オッディーガ・ミッシャー』。あのダスさんがゴーノクル全土で見ても最高峰の実力を持つと評する一方で、ゴーノクル最高峰のゴミクズとも評する女性。
碌でもない思い出しか無いからか、彼は彼女のことを思い出そうとしないし、不意に思い出してしまったらいつも凄く苦しい顔をするのである。
……正直、どういう人なのか一度会って確かめたい。
ダスさんにこんな思いをさせる人なんて、わたしの知っている限りではいないのだから。
ダスさんは咳払いをし、再びその口を開く。
「まぁ、そういう訳だ。賭けの店は他にもあるし、ポンの行きたい風俗もあるが——」
「いや誰も行きたいとは言ってねぇよ!?」
ポン君は爆発したかのような紅潮した顔で否定の叫びを上げた。恐らく本当は行きたい反応である。
先程わたしにしたように彼はダスさんの足を蹴りまくるが、ダスさんはそれを気にする風も無く、遮られた言葉を再び紡ぐ。
「取り敢えず今日は大会でも見ておこう。ここは売店が充実していて、軽食から豪華な食事まで楽しめる——小休止には丁度良いだろう」
そう言うと彼は扉の無い大口を開けた入り口へと入っていき、わたしとポン君はその後をついていった。
観戦券の購入を済ませ、今は良さげな食べ物が無いか探しているところだ。
ダスさんは「売店が充実していて」と言っていたが……確かに充実しているけど、こちらの想像以上のものであった。
そもそも大闘技場が城と見紛う程の規模感で、その中の丸々一階が売店の為の階となっている。しかも店ごとに取り扱う料理が結構違っていて、その豊富さに思わず舌を巻いてしまう。
……まぁ、どの店も価格が微妙に高いのは気になってしまうけど、ここが歓楽街である以上仕方の無いことであろう。
既にこの売店通りを三周しているが、ある程度の目星は付いたもののなかなか決められない。
何度も回っても仕方無いので白亜の壁に凭れ掛かり、何を食べようか再び悩み始める。
——のだが、ふと先程のダスさんとポン君の姿を思い出した。
或いは取り繕っているのかもしれないが、少なくとも外から見た感じは普段通りの雰囲気であった。そんな二人の姿が脳内に現れて、心にのしかかっていた重いものが消える感覚を覚える。
——一時はどうなるかと思ったけど、いつもの雰囲気で良かった。
正直、何か厳しいことを言われるんじゃないかと多少の恐怖心を抱いていた。ボスカルの獣との戦いを通じて今も苦しめられているのだから。
けど実際のところ二人は歓楽街に行くことに乗り気だったし、何ならダスさんから誘ってくる可能性もあった。そして先程やったみたいに、いつものようなやり取りもした。
心に括り付けられた枷が消えた訳では無いだろうが、それでも多少はましになったのではないだろうか?
「……時間が、楽しい思いが、これを解決してくれるのかなぁ……?」
とはいえその枷を外す鍵が見えてこず、自然と言葉が口から零れ落ちた。
——と、いけないいけない。
皆で楽しい気持ちになろうとわたしが誘ったのに、そのわたしが暗い気持ちを抱いていては駄目であろう。
今だけ邪魔な思考を打ち消し、目星を付けた料理を脳裏に浮かべ——
「ちょっとー、お姉さーん」
と、知らない男性の声に料理の像も打ち消されてしまった。




