12 学生親睦会
弦楽部の衣装は、管楽部と色違いで上着が黒だ。
下は白いスラックスに黒いブーツで、トランペットを吹く時と同じなので、これまでと同じ物を持って来た。帽子はない。
これはこれで良いよね。落ち着いて見えて格好良い。
親睦会に向けて、赤点回避はならなかった。
テオの言う通りになるのが癪で、数学も取ってやる、と結構頑張ったんだけど、二十点くらい足りなかった。まだばれていないと思うけど。これはこっそり単位取得を諦めた。
他は、何とか及第点を取れた。大分ぎりぎりだけど。取れたらいいのよ。
正直驚いた、とユージンは、数学以外の単位が取得出来たことにびっくりしていた。
一方のシャーロットは、「アメリはやれば出来ると思っていたわ。さすが私のアメリ」と、上機嫌だった。
二人には本当に頭が上がらない。
刺繍も無事単位取得だ。「……まあ、いいでしょう」と、先生の眉間には深い皺が見えたが、見ない振りをした。
はあ……。一安心。ハリーにも頭が上がらない。
ユージンにも、シャーロットにも、ハリーにも悪いから、休み明けからはもっとちゃんとしよう。
という訳で、無事今日の親睦会本番を迎えている。
弦楽部の人達は、予想はしていたが、歓迎してくれる人達ばかりではなかった。直接文句を言われる事はなかったけど。
ただ同じクラスで、ヴァイオリンのライアンからは、「ヴィオラメンバーの持ち替えでうまく行っていたのに、何故わざわざ」と怒りをぶつけられた。
それも、「ごめんね。もうドレスも間に合わないから」と居座っていたら何も言わなくなった。そんなに争いたい人ではないらしい。
管楽部もそうだけど、弦楽部も、基本的に部員は毎回全員参加だ。なので、バランス云々で難が出る事がある。それでも全員で演奏するのは、あくまで教育活動である、というのがその理由らしい。
アンバランスな状態で合奏を作り上げることも、それはそれで収穫がありそうな気がする。
ちなみにヴィオラの人達が、
「ここの刻み、この変化したとこの和音絶妙」とか
「これ旋律と同じ動きだけど、この音程でこの動き渋いな」とか盛り上がっているのを見て、いつかロバート達ホルンの人達が、
「俺、この行進曲の裏打ち好きだわ」とか
「この後半に来る副旋律が格好良い」とか話していたのを思い出した。
どこも同じだな、と。
そう言えば、以前ロバートは、
「テオやアメリみたいな目立ちたがりは、トランペットで旋律吹くのが合ってるよ。俺等は、こうやって下であれこれ動いているのが好きなんだから」
とも言って笑っていた。「そう言いながら、たまに旋律が来ると張り切るよな」と同じホルンメンバーに突っ込まれては、「違いない」とまた笑っていた。
いい人達に出会ったな。
みんなそれぞれが、音楽が好きで、楽器が好きで集まっている。もっと、女子生徒にも門戸が開かれたらいいのに。こうやって音楽を語りたい女子だって、きっといる。
弦楽部の座る横に、すっと二つの影が差す。
トランペットを持つ、テオとユージンだ。今日は、二人も弦楽部と同じ黒い上着だ。
色が違うだけで、かなり印象も変わる。今日はいつもより大人びて見える気がする。
ユージンが私に気付いて笑い掛けてくれる。手を振って返す訳にいかないから、私も目を合わせて微笑み返す。
テオとも目が合った。
弦楽部に応援に行く事が決まって以来、初めて顔を見る。同じ建物の中だから、ユージンやロバートは時々見ていたが、テオには会えなかった。
テオは相変わらず、笑顔の一つもないけれど、それでも私を見つけると、一瞬視線を止めた。
本番用の真剣な表情で、決して睨むわけではないけれど、強い眼差しに、きっと応援してくれている、と思うことにした。うん。きっとそう。
二人がトランペットを構えて、テオのベルが軽く上下に振られ、それを合図に、二本のトランペットによるファンファーレが鳴る。
王立学園最大イベントの、学生親睦会が始まった。
* * *
アメリはヴァイオリン隊の中でも、後ろの席にいる。
舞踏スペースを広く取る都合もあって、演奏スペースはそう広くなく、演者同士の距離も近い。
とはいえ、十五人しかいないので、背が低いアメリの様子も、まあまあ見える。
トランペットよりもまだ得意、という言葉は本当だったのだろう。
ロバートが心配しては、よく覗きに行ったり、弦楽部の部長に様子を聞きに行ったりしていたが、特に問題はなさそうだと言っていた。
実際、ちゃんと弾けているようだ。
弦楽部の衣装を着て、いつもとは違う楽器を手にして、自分のよく知らない団員とも親しげに話すアメリは、アメリであってアメリでないような、まるで知らない人にすら感じる。
「踊らないのか? 踊る気なさそうな顔だな」
楽団の衣装から着替えて会場に戻って来たところだった。
喉が渇いたから、一番近くにあった果実水のグラスを取り、壁に凭れて演奏を聴いていたところに、ロバートが来たのだ。
「ダンスは得意じゃない。部長は?」
「今、ナディアと踊ってきたところだよ」
ロバートは楽器商も営む、男爵家の令嬢と婚約している。
ふと舞踏スペースを見れば、ユージンも金髪の女子生徒と踊っていた。確か、アメリの友人だという子だ。
ハリーの誘いがなければ、アメリも今頃、彼女のように着飾って、ああして踊っていたのだろうな。
……今となっては想像できないが。
「どうだ? 自分の子が旅立った気分か」
そうか、自分の子か。妹ですらなかったのか。
「別に。俺が旅に送り出した訳じゃない」
ハリーが誘い出し、アメリがその手を取って、自分で飛び出して行ったのだ。そして、俺の知らない顔をして、そこで目を輝かせてヴァイオリンを弾いている。
それで良かった、と思う反面、少し面白くない。
いや、少しじゃないな。かなり面白くない。我ながら身勝手だと思う。
ずっと、手が掛かるなりに可愛いとは思っていた。
図々しいところはあるけれど、それ以上に直向きに努力を積み重ねていく。そんなところは好ましいとも思っていた。
楽団員として生き生きと変わっていく彼女に、魅せられていた事も自覚している。
新しい楽譜を見る度に目を輝かせ、難しいフレーズを克服したら満面の笑みで喜んで、三人が輪になって合奏した時の幸せそうに綻んだ顔が、目に焼き付いて離れない。
けど、自分の指導を聞きながら、私もこんな風に吹きたい、というアメリを、自分のものくらいに思っていたのかも知れない。
最初から、そんな事はなかったのだが。でもいつの間にか、そんな身勝手な感覚に囚われていたらしい。
ハリーが近付けば無性に腹が立って、それに嬉しそうに応えるアメリに苛々して。
情けない話だが、随分とこどもじみた態度を取ってしまったものだ。
俺自身がハリーを苦手としているせいだと思っていた。まあ、それも嘘じゃないが。
「…………」
それが分かったからと言って、どうすると言うんだ。
結局、扱い切れない感情に、悶々とする。
未体験の独占欲と、それが叶わない現状に胸が締め付けられる。
「テオでも、そんな顔するんだな」
「は?」
「寂しいのか。泣きそうな顔してるぞ」
「滅多なこと言うなよ」
「怖いなー。悪かったって」
ロバートは、俺より一歳上であるにも関わらず、部のことに関しては、俺の事も対等に扱ってくれる。
そのくせ、時々こうして妙に歳下扱いしてくる。今だって、睨みつけたところで、全然悪びれた様子もない。
すっかり毒気を抜かれ、溜息をつく。
「面白くなければ、どこかで休むか?」
「いや、最後まで聴くよ」
ふと、「楽団……」と聞こえてきて、そちらに耳を傾ける。
俺達から程近い場所で、二人の令嬢が、弦楽部の方を見ながら会話しているようだった。
「あの、ヴァイオリンの三列目の方って、もしかして……」
「あら、本当ですわ。青百合の君ですわね」
「ヴァイオリンもなさるのね」
「あの方、私先日お見かけした気がしますの。一年生の……」
「駄目よ。気付いていない方もいらっしゃるわ」
「そうね。ジュリア様とか。ご存知になられたら何と仰るか……」
「怒られるかもしれませんわね……」
「でも私思いますの、あの方……」
やっぱり、いつまでも隠しきれるものではなかった。時間の問題だという事は、分かり切った事ではあったが。
さて。何も後ろめたい事はないが、無駄に騒がれたくもない。アメリがこれからも、自由に活動していくにはどうすべきか……。
「まあ、仕方ないよな。爺さん連中に何か文句言われたら、テオが睨み返しとけば良いか」
「馬鹿を言うな。俺みたいな若造に何が出来る」
でも良かったな。
女子部員としてのアメリを、女子と分かってもやはり格好良いと、素敵だと言ってくれる者もいる。
簡単に受け入れられないかも知れない、と危惧していたが、確実に団員としてのアメリを受け入れてくれる人達が増えている。