11 ドレスが窮屈だから
終わった……! 思った以上に早く終わった!
それもこれも、刺繍王子ハリー様のおかげです。
慣れてくると、段々スピードも上がって、私に手を取られることが少なくなると、ハリーのスピードも上がって、私は無事課題を終えたし、ハリーはこの期間に、クッション二つとコースターを仕上げていた。速すぎるわ、ハリー王子。
達成感いっぱいで音楽棟を出ると、今日は最後になりそうだからと、あと少し、と粘ったせいか、いつもよりも辺りが暗くなっていた。
そう言えば、今日はテオのピアノの方が、先に終わっていた。
わ、暗くなってる、と言いながらハリーと話していると、
「こんな時間まで、何やっていたんだよ」
と、不意に背後から声を掛けられて、思わず悲鳴を上げそうになる。
暗がりで、はっきり顔が見えないが、テオだ。
大方そうだろうとは思っていたが、驚きすぎて動悸がする。悲鳴は何とか堪えたのに、ひっと大きく息を吸いすぎて喉も痛い。
「大したことじゃないよ。テオもお疲れ様」
暗くてよく見えないけど、ハリーはいつものように笑っているんだろうな。
テオはそれに視線を一つくれただけで、言葉は返さずに、
「で、何やっていたんだよ。こんなに暗くなるまで」
と、私に訊く。何だか、怖いな。怒ってるっぽい。
「その……、課題を教えてもらってて、ハリー様に……」
「課題? 何の」
「それは……」
このハリーに、刺繍を習っていたとは、とても言い辛い。人に言って良いものか躊躇う。いや、私は素敵な事だとおもんだけどね。刺繍ができる男子。
「ふーん……。まあいいや」
私が口籠っていると、テオは何かまだ釈然としない様子だが、返事を諦めたようだ。
「ハリーも迎えが来ているだろ。アメリはこのまま、俺が寮まで送って行くよ」
え。有り難いけど、気まずい。何かテオ怒ってるし。
不機嫌そうなテオは、いつも通りといえばいつも通りだけど、今回は気まずい。
大丈夫だよ! 学園の敷地内だし、走って帰れば!
ハリーは小さく、ふっと笑うと、
「そう。じゃあよろしく頼むよ。アメリ、また明日」
と手を振って、先に行ってしまった。ええー。
「じゃあ、さっさと帰るぞ」
そう言うと、テオはすたすたと先を歩き始めた。小走りでそれに近付き、隣に並ぶ。
私の小走りに気付くと、少し歩調を緩めてくれた。
「テオのピアノが聴こえてきていたわ。ピアノも得意なのね。すごく綺麗だった……」
沈黙が嫌で、何か、と思った時に、いつか伝えたいと思っていた、それを口にした。
テオが歩きながら、こちらに視線を向けた。あ。機嫌が悪いのに、盗み聞きみたいな事した話は不味かったかしら……。
だがテオは、先程までよりも幾分か落ち着いた声で、
「……そうか。別に、得意というか、音楽の入口として、最初はピアノからって奴は珍しくないだろ」
と話した。
…………。会話が終了してしまった。何となく、何て返事しようかと一瞬詰まってしまったら、そのままテオも前を向いてしまい、返せなくなった。
本当に、凄く上手いなって思ったんだけどな。
以前、私も弾いたことがある練習曲だったけど、あの後半で三連符が続くところが難しくて、何回も先生に注意された。男の人だと、手が大きかったり力も強いだろうから、弾いても違うのかな。
つい、テオの手をじっと見てしまった。
確かに大きい。他の人と比べて……はよく分からないけど、兄より大きい気もする。と言うより指が長いな。指先……まではよく見えないけど、うーん、暗くて見えにくいな。
「今度は何だ。何をじろじろ見ているんだよ」
おっと。こっそり観察していたのが見つかってしまった。暗がりで無理に凝視していたのが悪かったかな。
いや、手が大きいなーと思って。
とか言っても良かったんだろうけど、何故か口に出来なくて、「いえ、別に……」と、目を逸らしてしまう。
何となく緊張するな。別に疚しい事もないのに。
「……課題って、ハリーじゃないと駄目だったのか?」
え? そう言われてみると……。でも、シャーロットには他の科目も教えてもらっているし、練習後までは無理だし……。
「……まあ、そうですね」
「そうか……」
「でもそうだな……。ハリーも目立つ奴だからな。無闇に近付きすぎて、無駄に女子生徒に目を付けられても厄介だぞ」
「ああ。フレア・キャンベル様とか」
「誰だ、それは」
「ハリー様の幼馴染のご令嬢です。彼女にとって私は、ハリー様に集る蝿のようなものです」
「……もう、睨まれてるじゃないか。まあ、気を付けろよ」
何だ。そんなことを警戒してくれていたのか。
やっぱり、テオは何だかんだ言って面倒見が良い。
「そして、厄介事をこっちに持ち込んでくるなよ」
「…………はい」
* * *
そう言えば、これを確認しておかねば。
と、翌日の練習後、テオに質問しに行った。
「今度の学生親睦会、管楽部としては、何か活動がありますか?」
ほら、学園一の行事だし、お手伝いとか。何も聞いていないけど、本当にヴァイオリンでサポート要因として参加するなら聞いておかないと。
「ああ……。トランペットだけ、入場前のファンファーレがあるけど、俺とユージンでやるからいい」
えっ。あるの? しかも、私はいらないの!? ショックなんですけど!
「元々、屋内だしそう広くないし、規模的にも二本で十分なんだよ。何だその顔。変な顔するな」
ああ、ショックが顔に出てた。変な顔って何よ。
でもそうか。じゃあ、弦楽部として演奏に参加しても問題なさそうな気がする。
「今回は、お前も準備とか忙しいだろうしな」
「準備? ……ああ、確かに」
チューニングとかリハーサルとか? ひょっとして、もう話が伝わってる? だとしたら、話がスムーズにできそう。
「初めてなので、準備もどんな流れかがよく分からないですけど」
「そうなのか? 普通の夜会と大して変わらないぞ」
「夜会って、行ったことなくて」
「まあ、十五歳だしな。でも親御さんも時間掛けて準備してたろ」
「うーん。でも、両親は夜会で演奏とかしないですし」
「……は?」
あら。うむ。伝わっていなかったっぽい。あれ。夏も近付くというのに、何だか寒気が……。
「……演奏とは?」
「…………。……楽器を吹いたり弾いたりして奏でることです」
「そういう事は聞いてない」
駄目か。そりゃそうか。
「どこにそんな暇があるんだ、赤点女」
「えっ。まだ取ってない」
「もうすぐ取るだろ、数学七点。勉強してろ」
楽器をケースに片付け終わったテオが、立ち上がり腕を組む。最近、すっかり鳴りを潜めていたテオの魔王の視線が降ってくる。
「まあまあ、アメリも最近は毎日、勉強を頑張っているよ。この前も小テストで……」
「黙ってろ、ユージン」
「えー、そんなぁ」
ユージン、勉強見てもらって、フォローまでありがとう……。
「どうせハリーだろ。どうやって参加するか知らないが」
「あの……、ヴァイオリンで……」
怖い。怖いよ。そりゃ練習に穴を開けるし、悪いけど。思った以上に不機嫌じゃないの。
しかし、私がヴァイオリンと言った辺りで、「ヴァイオリン?」と、眉を寄せて首を傾げた。
「ヴァイオリンが弾けるのか?」
「あ、うん……。五歳から習っていたし、多分今でも、トランペットより出来ると思う」
「お前……。本当に何故、トランペットにきたんだよ……」
だって、トランペットのほうが好きだったし。
て言うか、その言い方は、何だか私が入部したのが迷惑だったって暗に言われているみたいで、再びショック。がーん。そりゃ、テオには迷惑掛けたかも知れないけど。あ、やっぱり迷惑なのか。
テオは、はあーっと大きく溜息をついて、
「どうせ、弦楽部が許可すれば、俺がここでどうこう言っても関係ない」
と、組んだ腕を解いた。
そこにやって来るロバート。
「お。アメリ、さっき団長から聞いたけど、親睦会にヴァイイオリンで弦楽部に貸してくれって。しばらく何もないし、了解しておいたぞ」
「ほら見ろ」
意外とあっさり許可されるものなのね。テオが舌打ちをして、ロバートに向き直る。
「何もないことないからな、部長。試験でこいつが赤点濃厚だって、弦の連中にも伝えといてくれよ」
「お、おお。え、そんなに危ないのか、アメリ」
ロバートは私の成績を知らない。
「どうだかな、数学七点」
「ちょっと。そんなに七点七点って連呼しなくてもー」
「練習時間は基本的に一緒だしな……。まあ、テオも心配なんだろ……」
さすがにロバートにまでは、ユージンのように黙れとは言えないらしく、その代わり、顔を顰めたまま、すっと外方を向いて譜面などを片付け始めた。
「何か、苛々してテオらしくないよね」とユージンが呟いていたが、特に最近、基本私にはこんな感じですけど。あれ? やっぱり迷惑がられている……? がーん。
「ねえねえ、アメリはさ、親睦会でドレスを着て踊りたい、とか思わないの?」
「うーん。社交用のドレスって、着慣れないし窮屈で好きじゃないの」
「ふーん、そういうもの?」
ユージンは、「残念、可愛いだろうし、ちょっと見てみたかったのに」とか、こういう事をさらっと言う。優しいな。
どうせこの髪の長さだし、お手伝いしてくれる侍女見習いさん達を困らせてしまうからいいのよ。