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空は澄み青空

「ただいま」

　そう言って部屋に入る。当然誰の返事もない。これは習慣である。

　女の一人暮らしなので、家に入るときには「ただいま」と言うんだよと母が口を酸っぱくして言い聞かせていたことを、未だに律義に守っているのだ。

「埃っぽいなあ」

　そう言いながら無意識に部屋の明かりをつけようとするが当然点かなかった。

「そうでした」

　自分のうっかりに苦笑する。

「ライト」

　私は魔法を唱えた。

　ぽうっと光る玉が頭上に出現した。

　ちなみに魔法の名前を詠唱するのはマナの消費を抑えるためだ。詠唱を省略することも可能だが、その分マナを消費することになる。

「ただいま」

　写真立ての中の両親に改めて挨拶する。もうすでに他界して久しい二人は、生前の優しい笑みで私を迎えてくれた気がした。

「あ、臭い」

　冷蔵庫の中は悲惨な状況だった。ビニール袋にダメになった食材を全部突っ込んで「収納」した。もちろん入れる先は自分の中で「ゴミ箱」と意識している場所である。

「何か食べるかなあ」

　私は「収納」からカセットコンロとガスボンベ、そしてインスタントラーメンを出した。

　大好きな塩ラーメンである。特に父が好きで日曜日の昼にはよく母がこれを作ってくれていた。

「おかずはハムと、卵でいいか」

　野菜が無いのは野菜ジュースで補うことにする。

　「収納」に入れた物は基本的に時間の流れが止まる。

「あ、ドー鶏の揚げたのがあったか」

　私はあちらの世界で作り置きしたドー鶏のから揚げも食べることにした。香辛料をまぶしてから揚げたこのから揚げは私のお気に入りだ。

　ドー鶏はこちらのニワトリに似ているがもっとでっぷりとしている。肉はニワトリの肉よりも少し油があるけれど、噛むとじゅわっと旨味が広がって大好きなのだ。

　あっという間に塩ラーメンを平らげた。スープまで飲み切ってしまった。

「クリーン」

　どんぶりと鍋に意識を向けながら清浄の魔法を唱えた。すっかりきれいになったそれらを「収納」する。

「次はお風呂かな」

　私はお風呂場に向かう。

　ああ、ここも少し埃っぽいな。

「クリーン」

　お風呂場全体を洗浄してから、湯船に「収納」から水を出して張った。私の手のひらから大口の蛇口をひねったように水が噴き出している。

　先ほどラーメンを煮るのにも使ったこの水は、あちらの世界でも清流として名高い川の源流の湧き水を大量に「収納」したものである。

「ホット」

　意識を集中して加減しながら水をお湯に変える。

「こんなもんかな」

　手を浸して湯加減に満足して私は足から湯船に入った。結んでいた長い髪をほどくと、湯船に髪がふわっと広がった。

　「クリーン」でも身体はきれいになるが、やっぱりお風呂に入ると気持ちがいい。

　両親ともに温泉が好きで、よく家族旅行で温泉に行ったことを思い出した。

　どこか温泉に行って温泉のお湯を「収納」して来たら楽しそうだなあ。あちらの世界では温泉が無かったからなあ。

　明日からどうしようかなあ。

　取り敢えず近所の避難所の様子でも見てくるかなあ。

　ぼんやりそんなことを考えながらお湯に浸っていると、私は自分が涙を流していることに気が付いた。

　そうか。

　最後には愛想を尽かしたけれど、好きだった男だもんね。

　死線を共にくぐり抜けた仲間だから、変わってしまったカイトの態度を見ても、いつか分かってくれると信じていた。

　やっぱりショックだったんだね、私。

　涙を隠すように湯船に頭まで浸かった。

◇

　翌朝、すっきりと目が覚めた。

　パジャマのまま朝ごはんに「収納」からお握りを取り出して食べる。

　これもあちらの世界で大量に作ったものを「収納」したものだ。ちなみにお米は圧倒的に日本の物が美味しい。

　あちらのお米は少し細長いお米で少し旨味が足りないのだ。

　魔導士のローブに着替えて家にあるものをいくつか「収納」しておく。

　両親の写真立てはそのまま。

　この部屋はアパートの２階にあるので突然モンスターが出ることは無い。しっかり施錠していればモンスターが入り込む可能性はほとんどない。

　さて、避難所だ。

　ここからだとおそらく近くの小中学校だろう。小学校の隣に中学校があるのだが、学校は避難場所に指定されているから備蓄された物資もたくさんあるに違いない。

　問題はモンスターの襲撃を退けることが出来ているかだ。

　自衛隊が間に合っていれば何とかなっていると思うけれど。

　しっかりと施錠して階段を下りる。

「サモン：ブラックドッグ」

　昨日拝借した自転車に跨って召喚魔法を使う。

「ハチ」

「わん」

　モンスターである黒い犬「ブラックドッグ」である。今日は人の存在も探りながらとなるのでハチの索敵能力を頼りたい。

　自転車に跨りながらハチの頭を撫でる。

「モンスターの気配だけじゃなくて、人の気配も探ってね」

「わん」

　うん、賢い。

「じゃあ、ゆっくり行くよ」

　私は小中学校のある方角へと自転車を向けてペダルを踏み込んだ。

　空が綺麗だ。モンスターが跋扈するようになってから空気が綺麗になったんだなあと実感する。

　絶好のサイクリング日和ね。

ちなみに歯磨きも「クリーン」で可能です。