婚約解消は突然に…でもない
少しの間お付き合いください。
「君は君の幸せを探してくれたまえ」
は?
何言ってんの、こいつ。
私は目の前で突然別れを切り出した男を見ながら小さく嘆息した。
今は戦闘時の鎧兜を外してぱりっとした背広姿の彼。オンラインゲームの製作運営を担っているこの会社、「カプリコン7」のCEOである斑鳩カイトは顔に微笑を浮かべている。
「確認しますけれど、それってもう私はいらないってことですか?婚約解消ということで理解していいですね?」
対して私、「カプリコン7」のプログラマーである一色百恵は魔導士のローブを纏っている。
それもこれもたった今までビルの外に沸いていたゴブリンを殲滅してきたからだ。
「うん、そうだね。君にはずいぶんと世話になったけれど、まだ結婚したわけじゃないのに世話女房みたいな態度を取られるのは、もううんざりなんだ」
誰が好き好んで世話女房みたいな真似をしていたと思っているのだ。
改めてカイトを見るが、なぜこんな男を好きになったのだろうと思えた。
確かにイケメンで高身長高収入。婚約する相手としては文句などつけようもない。
しかも彼とは転移したファンタジー世界でともに魔王を倒した仲である。
ある日会議室にいたメンバーが突然ファンタジーの世界に転移した。総勢7名。そのうち最後の魔王討伐まで生き残れたのは3名。
剣と魔法の世界で血のにじむような修業をする中で命を落としたのが1名。
魔王城を守っていた強敵を前に命を落としたのが1名。
どちらも蘇生魔法にも失敗してしまった。元々確率の低いギャンブルみたいな魔法ではあるが、その魔法を施した私はたいそう落ち込んだ。
そこで親身になって慰めてくれたこともあって、私はカイトの「魔王を倒したら結婚しよう」という言葉に頷いてしまった。
生活力は皆無ながら剣の腕は抜群だったカイトの戦う姿を見て、素敵だと思ったこともあった。
「分かりました。お世話になりました」
私はすっかり醒めた思いをぽいっと捨てて彼に答えた。
5名になって魔王に最終決戦を挑み、そこで2名が死んだ。
戦闘中に手間暇の掛かる蘇生魔法を使えるわけもなく、魔王を倒してから試そうと思っていたのだが。
魔王が魔王城の床に崩れ落ちた時に、カイトはその魔王の身体を踏んで剣を天に掲げた。
そして私達の足元に転移した時と同じように虹色の魔法陣が広がった。
魔王を倒した途端にこうなるなんて聞いてなかった。
お世話になった人たちにお礼を言うことも出来ず、さらに死んだ仲間に蘇生の魔法を唱えることも出来ずに、私達の身体は薄くなっていた。
「うん、今までありがとう。今後も、わが社の」
「辞めます」
「は?」
カイトがぽかんとする。
馬鹿じゃなかろうか。
どうして女達をはべらせて王様気取りの男のいる会社に呑気に勤められるというのだ。
そもそもこのカイトが魔王の身体を不用意に踏んでいたことが、この世界の状況を作ってしまったというのに。
身体が消えていく中、てっきり絶命したと思っていた魔王の手が動いた。
カイトは魔王に足を掴まれてぎょっとしたが、その手を振り払うことが出来ないまま転移してしまった。
「ですから、辞めさせてもらいます。お世話になりました」
「何を、いや、そういう」
「このご時世ですから退職金も出ませんよね。はい、それでいいです」
「ちょ」
踵を返して部屋を出ようとする私の背中に声が掛かったが無視だ、無視。
生き残った3人は元の会議室に戻った。死んだ4名はその姿もなかった。
元の世界に戻ったことを喜ぼうと思った瞬間に衝撃に襲われた。
後に「魔界振動」と呼ばれる地震に世界中が襲われた時である。
「魔界振動」の地震としての被害はそうでもなかったが、世界は激変した。世界中のいたるところでモンスターが出現するようになったのである。
「あれ?一色先輩、お話終わったんですか?」
「終わったわ」
私はカイトのお気に入りの女に視線も向けずに横を歩いて抜けた。
せいぜいよろしくやるといいわ。きっとカイトは私に気兼ねなく公然とイチャイチャし始めるのだろう。
モンスターが出現するようになった理由はおそらくカイトの足を魔王が掴んだから。
銃規制が厳しかった日本は悲惨だった。電力がまだ十分に供給されていた頃にはアメリカの様子も伝わって来たが、あっちは銃を持った民間人がモンスターをこれ幸いと撃ち殺していた。
日本では警察では手に負えずすぐに自衛隊も出動したが、結果的にはモンスターを駆逐することは出来ずにいる。
「カプリコン7」のビルはいざというときの避難場所に指定されていたこともあり、地下の備蓄倉庫に緊急時の食料等がたくさん入っていた。
ただしその日が日曜日の深夜だったこともあって、会社にいる人間は私達だけだった。
「伏見さん」
「おや、一色さん。また討伐ですか?」
「ううん。違うの」
私は1階で見張り番をしている伏見さんに挨拶をした。
彼は1階に入っていた牛丼屋の店長である。モンスターが跋扈する中を店が心配で命からがら辿り着いた時以来、ずっとお世話になっている。
「ここ、辞めることにしたので」
「え?出ていくのかい?」
「はい、ごめんなさい。お世話になりました」
「大丈夫かい?っていらない心配か」
カイトの婚約者という立場だったのでここにずっといたけれど、婚約解消となればここにいる理由は無い。そして私はモンスターなど恐れない。
「となるとこれは返した方がいいかい?」
手元の槍を手に伏見さんが言った。
「いえ、それはそのまま使ってください。防具もそのままで」
「いいのかい?」
「私は使いませんし、たくさん持ってますから」
厳しい修行の末に私は魔導士となった。魔導士の私は「収納」のスキルを身につけている。
そしてその「収納」の中には数限りなく物資が入っている。魔王軍を倒すために率いていた兵団の物資も私ともう一人の魔導士で全て「収納」していたからだ。
「どこへ行くんだい?」
「取り敢えず一度自宅の様子を見てきます」
「そうか、道中気を付けてな」
「はい、ありがとうございます。伏見さんも、その、気を付けてください」
私の言葉に伏見さんは苦笑いを浮かべた。私よりも伏見さんの方が危険なのは間違いない。
私はバリケードをずらしてビルの外へ出た。中から伏見さんにバリケードを元に戻してもらう。
先ほど倒したゴブリン達の死骸はもうすでに消えていた。
これはあちらの世界でも同じ。
マナと呼ばれる因子によって生まれたモンスターは死ぬと粒子となって消えていく。
「マナにもどる」と表される現象である。
ちなみに私達がスキルや魔法を使えるのもマナによる。
私達が大規模な召喚の儀式で呼ばれたのは、あちらの世界の住人に比べて私達のマナの保有量と質が格段に高いからである。
同じ魔法を使うのでも私達の方が抜群に強力になるのだ。
「さてと」
車も走っていないし、もちろん電車も止まっている。
周辺のビルにも生き残りはいないことが分かっている。
どこかに自転車でも落ちてないかな。
私は長い髪をもう一度結び直し、さばさばとした思いで家のある方角へ向けて、一歩踏み出した。
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