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第16話 四日目 5/7

 時刻は午後二時頃。学校を後にした僕らはいつものスーパーに寄って買い物をしている。


 世間も長期休暇中なので子連れの主婦がちらほら目に付く。その中に主婦と呼ぶには若い、いや幼い少女が一人紛れて食材選びにいそしんでいる。


「これだよコレっ! 太くてなが~くてっ! それでいてガチガチに固くてずっしりとした~――――」

「おっと日乃実ちゃん。それ以上は」

「ニンジンっ!」


 なるほどね。


 芯は細いのに果肉部が太く、皮には持たなくてもわかるくらいに鮮烈なハリと照明を反射するツヤも有している。


 確かに神ニンジンだ、じゃなくて。


「ニンジンはうちに十分あったと思うけど?」

「ええ~いいじゃん! 今日と明日で最後なんだから~、たくさん作らせてよっ!」


 野菜をかごに入れるなり、彼女は次に肉類コーナーへ馳せていった。その背を追って買い物カートを押しながら、僕はこっそりと胸をなでおろす。


 たくさん作らせてほしい。その言葉から、日乃実ちゃんはなにも料理自体を嫌ってしまったわけではないとわかるから。


「ねぇシンタロー。豆腐を愛してるシンタローならコンニャクだって好きなんじゃない?」

「コンニャク……は普通、だけど」

「そ? まぁ買ってくんだけどねっ。あ、しらたきっ」


 小さい両腕で豚肉トレイ数枚を抱え、その上にコンニャクとしらたきを器用に積載して来た。その様子は無邪気さの象徴というか、頬袋に飯を貯めるリスを連想させる。


 パッと見ゴールデンウィーク初日に二人で買い物に行ったときとなんら変わらない、先の一件があったにも関わらず、日乃実ちゃんは日乃実ちゃんのままだった。


「あっ」

「ん?」

「手ぇ塞がっちゃった。シンタローとって」

「はいよ」


 コンニャクやらしらたきの積荷を買い物かごへ下ろしながら、

「あのさ」

「んー? どったのん?」

「徳枝さんが言ってた、正しい素質って結局なんだったんだ?」


 彼女にとってデリケートな話題だろうと、声はなるべくさりげない風を装った。目線も、食材と買い物かご以外のものを見ないようにする。


「愚問ですなぁ~。シンタローまだわかってないのっ?」

「な……っ」


 日乃実ちゃんにはわかっているのか。思わず食材を下ろす手が止まった。視線も買い物かごから彼女へと上がる。


 あれから心配だったけど、日乃実ちゃんの表情に陰りはなかった。


「…………なんて言ってたっけかいね?」

「とっきー先輩の話は一緒に聞いてたじゃんっ! ほら、いっちばん最初にあったときにっ!」

「いやそうだけど……えっと、なんだったっけか……」


 ――料理が好きかどうかですよ。


 徳枝さんはたしかにそう言っていた。

 けど徳枝さんの口から出るにしてはあまりにふわっとしていて、あの日の僕は腑に落ちていなかった。


 そして現在、僕は全力で怪訝な顔をして、わかり顔の日乃実ちゃんから豚肉トレイを受け取るに至る。うむ、二つの意味で腑に落ちない。


 日乃実ちゃんには呆れられながら会計を済ました。そのときでさえ、彼女が来てからドッと跳ね上がった食費に慄くより、徳枝さんの言葉を考えていた。


 そして、スーパーを出た帰り道が答え合わせの時間だった。


「私の料理が好きって気持ちと、とっきー先輩の料理が好きって気持ちは、ちょーっと別物だったんだよねー」

「好きが別物、か」


 ふむ、とあごひげをさする。

 喜んでもらうために料理をするのが日乃実ちゃんなら、腕や技術を磨くことにフォーカスしていそうなのが徳枝さんだ。


 どちらが正しいかなんて知らないけど、プロとしてどちらに適性があるかと問われたら、それは、おそらくは後者、と答える。


「……じゃあ、日乃実ちゃんは調理師にはなれないって?」


 そんなこと、口にしなければよかった。言ってから、買い物袋が重たく感じる。


「ううん。とっきー先輩は私に、どうするべきか考えろって言ってくれた」


 深刻に問う僕に対して、彼女の答えは軽やかだった。足取りも重くないし、うつむいてもいない。


「あのおっかないとっきー先輩のことだもんっ。才能ないってわかれば『計屋君はもう帰っていいです』とか言い出すに決まってるしっ」

「大変なこともあったけど、日乃実ちゃん的には今日までの四日間も捨てたものじゃなかったってことかいね」

「そだね~……まぁでも」


 歩いたまま日乃実ちゃんは晴れた空を仰ぐ。寂しいというより、さっぱりとしたような青さが視界に広がる。


「ほんとに調理師を目指すかどうかは、いったん地元に持ち帰って考えてみるよ。ほら、これもとっきー先輩の受け売りだけどさ――『焦って答えを出すのは賢明ではありません。悩めるときには……適切な悩み方が……必要、なのです』――ってねっ!」

「ははっ、あの人はそんなもったいぶった話し方じゃないだろ」


 ああ。そうか。


 僕は一体なにをそこまで悩んでいたのか。


「まっ、考えた上でやっぱり調理師目指すーっ! ってなったら夏休みにでもこっち来るよ。またオーキャンやるだろーしさっ!」


 今日まで僕を苛んでいた鉛のような苦悩が氷解するのを感じる。泥をかき混ぜたみたいな思考の渦も、これからは訪れない。


 日乃実ちゃんの進路が絡むと僕は事あるごとに頭を抱えていたけど、彼女のことをちゃんと見ていれば、そんな悩みは所詮、僕の独り相撲だったとわかる。


「正しい悩み方か。全く、その通りだよな」

「およ? シンタローどったのっ? トイレ我慢してるの?」

「タメになるなと思ってただけだよ。いや、ホントだから」


 うわ、シンタロー悩み多そうだったもんねー。とか相談乗りますっ、とか騒がれてしまった。ダメだ駄目だまた相ベッドなんてされたら寝不足で困る。

 悩みはなくなったよとキッパリ告げてやった。


 ――――苦悩だったものは、決断と行動に書き換わる。


 まだまだ日が高い午後三時。僕らは部屋に帰り着いた。


 二人して食材を冷蔵庫にしまい終えるとすぐ、僕はパソコンの電源を点けた。


(仕事以外の用事でパソコンを立ち上げるなんてのは……)


 何年、いや何十年前の自分と再会した感覚だった。


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