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河童のハル  作者: 猿戸柳
4/5

キュウリ

「よおニンジョ、今日は早いな」

ハルは池で仰向けでこちらに不格好な足を放り出し、蓮と一緒にプカプカ浮いていた。壬条は少し不満げだ。この前の気持ちの高ぶりを返して欲しいと、あからさまに顔に出している。最初の皿は良かったのに、今回はなんの緊張感も感慨も無い。無防備に嘴を上に向け、アイツは呑気に漂っている。もうちょっと登場に気を配って欲しいとも考えたが、それは壬条の勝手な思い込みである。自分に期待してないのに他人、違う、他河童(たがっぱ)に期待してしまった。人間がよくやる癖だ。当の本人は大層な事をしていないのに、他に何かを求める。彼は人知れず自身の軽率さを反省した。自分にも他にも希望を持ち過ぎない。それが感情の波を出来るだけ静かに保つ秘訣だ。

「……今日は泳いでるんだな」

しゃがみ込んでハルの足の裏に向かって話しかける。

「おう。きおち(気持ち)良いぞ。ニンジョは泳がないのか?」

力強い陽の光を池の水がゆらりゆらり、不規則に反射する。その中にとけ込んだ緑色の生き物が人間を誘う。

「水着が無いからダメだ。それにここで泳いでたら人間は警察に通報される」

「じゃあ警察うぉ()一緒に泳げうぁ()いい」

なかなか困った河童だ。コイツは赤信号も皆で渡れば怖くないと思う種類の妖怪のようだ。確かに一人で池に浮いて遊ぶくらい良いのではないのかと思ってしまうが……やっぱりそうもいかない。難しい。

「それが出来れば楽しいんだけどな。人間てのはプライドが高いんだ」

「フュライド……」

「そ。日本語にすると誇りとか自尊心だな。自慢みたいに受けとられる場合もある。外を歩く時は服を着るとか、泳いじゃいけない所で泳がないとか、色々あるんだ」

ハルは嘴を半開きにしている。体は微動だにせず揺蕩(たゆた)っているから、一見しただけでは生きているのか死んでいるのか良く分からず、心臓に悪い。一応珍しい妖怪だという自覚くらいは持って欲しい。

じあん(自慢)は誰かにするけど、誇りは誰かにしないよな」

どうやら生きているようだ。阿呆な顔して水面を漂っていたが、河童なりに思考を巡らしていたらしい。

「ハルは面白い事言うな。確かにその通りだ。きっと人間のプライドがプライドをねじ曲げちゃったんだろうな」

壬条は自分で言って自分で満足した。我ながら上手く表現したもんだと胸中で自画自賛する。さっきの発言を絵に出来るものならしてみたいとさえ思った。

 自分の全てを誇る事が出来れば一番良いのだろうが、そんな人間はこの世に居ないだろう。自身で認められない負い目を隠す為に、自慢したり傲慢になったりする。一人で何とか出来ないから偉そうに他人にもたれかかる。少しなら問題ないが、完全に体を預けてしまえばそれは依存だ。助けてもらうのと依存の区別をつけるのは難儀だ。ただハルは、この人間の世界と比べれば非常に小さな蓮池の中で、一人で楽しそうに生きている。河童は立派だ。

「クワックワックワッ」

河童の笑い声が池から噴水のように上がり、壬条に降って来た。不思議とハルに嘲笑された気はせず、寧ろ清々しかった。

「ハル、キュウリ好きか?食うか?」

気分が良くなった壬条は食い物でハルを釣り始めた。

「キュウリ?食うよ」

やっぱり河童はキュウリを食うらしい。仰向けのまま壬条の方まで向かって来た。半分池に浸かった皿が近づいて来る。腹は蛙のそれみたいに色が白い。ずずっと土に皿がめり込む。着岸成功だ。

「くれ」

壬条は左腕に引っ掛けていた白いビニール袋をガサガサ鳴らし、河童色の野菜を河童に渡した。ハルは右手で持つと、仰向けのままシャクシャクと器用に食い始めた。

「河童ってキュウリ好きなのか?」

「食いやすい。おち()とかは食いにくい。くちわし()にくっ付く」

ハルは向きを変え、また池の真ん中の方へ徐々に遠ざかって行く。

「あー、そう言う事か。じゃあ果物でも良いのか?」

「あれうぁ()食うよ。蓮根とかうぉ()食う。」

だから蓮池に居るのか。それとも蓮池に居るから蓮根を食うようになったのか。なんだか「鶏が先か、卵が先か」みたいだ。

「そういえばハル。お前、この前俺以外の人間が来たら逃げたよな」

「おう。ゲフ」

腹が満たされ、至福のゲップを吐いた。

「人間にお前の存在を知られちゃいけないのか?」

「ううん。沢山居るとえんどう(面倒)くさい。疲れる」

いささか拍子抜けの答えだ。

「例えば、あのランナーが一人だったら会いに行ってたのか?」

壬条はもう一本キュウリをハルに見せびらかした。また食い物に釣られて岸に近づいて来る。どうやらさっきのゲップは、胃の中の容量を空けるためにしたらしい。

「うーん。たうん(多分)行かない」

「そうか。じゃあ俺とソイツの違いってハルにとって何だ?」

「河太郎に似てるか似てないか」

またキュウリをパリパリ食いながら水面を漂う。

「お、俺は河童に似てるのか?」

壬条は将来、頭髪が薄くなるのではないかと危惧した。体が緑の鱗で覆われる事よりも、嘴が生える事よりも、甲羅を一生背負わないといけなくなる事よりも、禿げ上がる心配の方がそれらを上回った。

「なんでニンジョはあたわ()を押さえてるんだ?尻はもう良いのか?」

河童におちょくられる人間。だが禿という単語が頭のほぼ十割を占めていた壬条は、ハルの発言に対抗する余裕など持ち合わせていない。

「いや、河童の頭は禿げてるから…悪いけど俺はそうはなりたくないんだ」

「似てると同じは違う。だからしんふぁい(心配)すんな。ゲフ」

「へえ、壬条君は禿げるの嫌なんだ?」

聞き慣れぬ女の声が二人の会話に割り込んで来た。声のする方へ振り返った一人と一匹の叫び声が、蓮池に響き渡る。

「グア!」

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