第1話 召喚士、借金奴隷になる
2020/09/09 本文を細かく修正
「あなたへの請求金額は15億268万2109マーネとなります」
「は? 何かの間違いじゃないのか? 15億?」
「間違いではありません。請求金額は確かに15億マーネです」
これは神が去った後の話である。
神の怒りを買い神殿に甚大な被害を与えた罪で、クーネルは神殿騎士に身柄を拘束されてしまった。
神殿騎士というのは、文字通り神殿に仕えている騎士を指す言葉である。
クーネルのような王国所属の兵士とは違い、彼らは〈神殿〉という宗教組織に所属する騎士であった。
彼らの主な任務は世界各地に点在する神殿及び神殿関係者の警護である。
風の噂では神殿にあだなす者たちを密かに始末する闇の神殿騎士なる者もいるとのことであるが、所詮は噂の域を出ない戯言とされていた。
それはともかく、神殿長を背負い転職の神殿から出てきたクーネルは問答無用で神殿騎士の手で拘束されてしまったのだ。
神殿が吹き飛んだ原因を作ったのだから、この対応も当然の事であった。
その後、厳しい尋問は日が暮れるまで続くこととなった。
およそ半日に渡り、彼は神殿騎士に拘束され続けたのである。
そして大まかな事態を把握した神殿騎士たちは、王国との約定に従い彼の身柄を王国の治安維持組織へと引き渡した。
王国の治安維持組織に引き渡されたクーネルを待っていたのは、まさかの再びの厳しい尋問であった。
王国の兵士と神殿騎士との間に情報の共有が出来ていなかったために、クーネルはもう一度最初から同じ説明を繰り返す羽目になったのである。
クーネルから情報を聞き出し、神殿にも具体的な被害状況を問い合わせた治安維持組織の者たちは頭を抱えた。
現役の王国軍所属の兵士が、よりにもよって神殿の中で最も権威のある転職の神殿を吹き飛ばす事態を引き起こしたからである。
この際、話の流れがどうだったとか、神が癇癪を起こしたからとかは割とどうでも良かった。
『クーネルが転職の儀に臨んだ結果、神の怒りを買い神殿が吹き飛んだ』という事実だけで、クーネルは問答無用で悪人認定されてしまったのである。
結果として王国の治安維持組織の者たちは、これは自らの領分を超えた話だと結論を下し、上司に話を丸投げすることにした。
その上司も更に上の上司に話を丸投げし、そこでようやくクーネルの処分は決定したのである。
今回の事件は一般市民や並の兵士であったのならば問答無用で処刑される程の案件であった。
しかし事態を引き起こした兵士が転職可能なまでに職業レベルを上げきった歴戦のつわものであったがために、処刑の選択は速い段階でなくなっていた。
今は全世界的に魔物が活性化している危機的状況なのである。
つまりどこもかしこも慢性的に戦力不足かつ人材不足なのだ。
そんな状況下で戦力になる兵士を処刑することは愚の骨頂の極みでしかないという結論に至り、クーネルの命は助かることとなった。
つまり、実に皮肉な話ではあるが、騒動の原因となった転職に至った原因である魔物の活性化こそが、彼の命を繋ぎとめる要因となったのである。
最終的に王国上層部は〈破壊された神殿の修復費用は全額国が支払う〉という約定を神殿と交わした。
こうしてクーネルの命は救われたのであるが、それは同時に彼が多額の借金を背負うことを意味していたのである。
何故なら〈その金は当然の事ながら国が立て替えた借金であり、当事者には全額働いて返してもらう〉からである。
そういった理由で、クーネルは顔見知りの文官から信じがたい額を請求されることとなったのだ。
「待て待て待て待て、ちょっと待て! そんな金額払えるわけがないだろう。常識的に考えろ!」
「問題ありませんよ。あなたなら払えると確信したからこそ王国上層部はこの話をまとめたのです。そうではありませんか? サイダー伯爵家のジェノ、通称〈虐殺者〉さん」
「その名で呼ぶな。俺の名前はクーネル=アスオーブだ」
「なんでよりによって『食う寝る遊ぶ』をもじった偽名なんか名乗るんですか」
「偽名じゃなくて改名だ改名。どちらにしたって、ジェノ=サイダーよりはましだろうが」
クーネル=アスオーブはかつての名を〈ジェノ=サイダー〉といった。
国中に血族が散らばるサイダー伯爵家の一員であり、その名をもじっていつの頃からか〈虐殺者〉という異名まで付けられていた。
この世界の異名持ちは周囲から一目も二目も置かれている。
だからこそクーネルの転職の儀は大神官が担当したのだし、そのおかげで彼の命は長らえたのだ。
「赤の軌跡を自在に操り、数多の屍を築き上げて戦場を暴れ回る歴戦の戦士、〈虐殺者〉ジェノ=サイダー。それがあなただ。違いますか?」
「違うね。俺は食う寝る遊ぶな暮らしを心から愛する、新米召喚士クーネル=アスオーブさ」
「どちらでも構いませんよ。まったく、いつの間に名前の変更なんて面倒なことを行ったのです。あなた最前線に張り付きっぱなしだったでしょう? 一体どうやって面倒な手続きを終えたのですか」
「いや、母親の生家がアスオーブ家だったんで。転職の儀のために部隊から離れて首都に向かう途中で向こうの養子に入ったんだよ」
「私と共に戦っていた頃はジェノ=サイダーと名乗っていたではありませんか」
「そもそも俺がその名前を嫌っていたことは知っていただろう? 丁度良い機会だからサイダー伯爵家とは縁を切ろうと考えたんだよ」
「それはちょっと無理があるでしょう。これだけ実績を積み上げておいて今更他人になれるわけがないじゃありませんか」
「それでもジェノ=サイダーなんてふざけた名前からは解放されるだろう? せっかく楽が出来る【召喚士】に転職できるんだから、名前から変えてやろうと考えたわけさ」
「その目論見は脆くも崩れましたけどね」
「こんな事態になるだなんて想像できるわけがないだろうが! そもそも俺みたいな一兵士にこんな額を請求するだなんて、一体どういうつもりなんだよ王国の上層部は!」
ジェノ=サイダー、もといクーネル=アスオーブの話を聞いた文官の青年は大袈裟に肩をすくめた。
目の前の戦場帰りが世間一般の常識をまったく理解していないことを認識したのである。
「ただの一兵士があの過酷な戦場を十年も生き延びられるのならば誰も苦労はしませんよ。あなたは間違いなく優秀な戦士なのです。実際あなたが稼いできた退職金は、この十年余りで7億を超えていましたからね。15億と聞いて驚いたかもしれませんが、なに同じことを後二十年続けるだけで払い終えられる程度の金額ではありませんか」
「は? 退職金が7億? って何の話だ?」
突如突拍子もない話を聞かされたクーネルは思考が停止してしまった。
そもそもクーネルは退職金があった事自体を知らなかったのである。
それが7億もの大金だと聞かされては、脳が一時停止するのもしかたないと言えるだろう。
「おや、ご存じなかったのですか? 魔物の活性化が始まった翌年から、討伐した魔物の素材や魔石の売却額の一部は兵士の退職金として計上されているのです。あなたは仮にも最前線の激戦地で長年戦い続けてきた稼ぎ頭ですからね。これだけの金額を貯めていたところで何の不思議があるというのです」
「はいぃ? ってことはあれか? 早期退職をしていたら、何億もの金を手にして悠々自適な生活を」
「送ることは出来なかったでしょうね。学徒動員、強制徴用が当たり前のご時世なのです。兵士を辞めることなど出来ませんし、他国に亡命などすればもちろん稼いだ退職金は没収となります」
「そんな金に何の意味があるんだ!」
「意味ならありますよ。高額な退職金が手に入るとなれば、なにがなんでも生き延びてやると考えるじゃないですか。実際この制度を導入した途端、僅かではありますが兵士の生存率が上昇しましたからね」
「そうなのか。でも結局受け取れないんじゃ意味がないんじゃないか?」
「実はそうでもないんです。仮に志半ばで倒れても、その退職金は慰労金と名を変えて、一部が残された遺族の下へ支給されることとなっているのです。慰労金を手にした息子や娘、そして一族の者たちは優秀な装備を整えて戦場へ馳せ参じるというわけです」
「巡り巡って国のためになるってわけか」
「そういうことです。さて話が分かりましたらここにサインをお願いします」
そう言って目の前の男が差し出してきたのは奴隷契約の契約書であった。
これを見たクーネルはさすがに驚きをあらわにする。
確かに神殿は吹き飛び、ついでに大神官がヅラであったことも町中に知れ渡ってしまった。
しかし、どちらも犯人はハロワック神であるので、むしろ自分は被害者だとクーネルは考えていたのである。
「なんで俺が奴隷にならなくてはならない! 神殿を吹き飛ばしたのはハロワック神じゃないか!」
「そんなことは先刻承知の上です。しかし神を断ずることは出来ないのですから、神のしでかした行いは事の当事者がその責を負わなければならないのですよ」
「そんな無茶苦茶な話があってたまるか! よしんばそうだとしても、俺には7億もの退職金があるんだろう? 差し引きで8億程度の金額になるはずじゃないか!」
「残念ですが、この額は神殿の復興費用からあなたの退職金を全額差し引いた後の残金なのです」
「なにぃ!?」
「つまり元々は22億を超えていたのですよ。あなたの命が助かったのは、元値からいきなり三分の一も減額できたために、完済が可能と判断されたことも大きいのです」
元の金額は更に高かったと言われてしまっては、これ以上反論することなどできなかった。
そもそもあの神殿はむやみやたらに高価な物で飾り付けられていたからそういった金額になっても不思議ではないのである。
(しかしだからといって、当事者だから借金を背負えとはあんまりではないか)
(楽をしたい、楽に戦いたいと考えるのはそんなに罪なことなのか)
(大体目の前にいるこの男にしたって、元は戦友として共に戦っていたのにレベルをカンストして戦場を去った後は城の文官になって……って、ちょっと待て)
「おいお前、キーマ。キーマ=ジーメ」
「わざわざフルネームで呼ばないでください。それで何ですか、ジェノ。じゃなかったクーネル」
「何ですかじゃないだろう。どうしてお前は神の怒りに触れなかったんだ?」
「運が良かったんですよ。担当に恵まれたのです」
「運? 担当? 何の話だ?」
「おや、それも知らなかったのですか? いくら職業が【戦士】とはいえ脳筋が過ぎるでしょう。ああいや、あなたの場合は基本怠け者だから情報の収集を怠っていただけなのでしょうがね」
「おい、角が立つ言い方だな。どういう事だよ」
かつての戦友、戦場では〈氷帝〉の異名を欲しいままにしていた鋭い目つきの七三分けの氷結魔法の使い手は、あきれた様子で事情を説明した。
「まず最初に前提となる基礎知識からです。ハロワック神が実は複数いることはご存じですよね」
「知らん。初めて聞いたぞ、そんな話」
「そこからですか。では詳しく説明しましょう。ハロワック神とは転職をつかさどる神でありますが、これは神の御業の中では割と下級に属するものなのですよ」
「え? つまりあの神様は下っ端だったのか?」
その時、クーネルの脳裏に中央祭壇に顕現した神の姿が蘇った。
金色に光り輝くその姿は、出現当初こそ確かに威厳に満ち溢れた神々しいものだったかもしれない。
が、激高してからの様子はヒステリーに喚く無様な姿だったと言えなくもないのだ。
「どうも神の世界にも明確な順位付けがあり、新米や何かへまをした神は弊職に追いやられるようなのですよ」
「それが俺が出会った神であったと」
「ええ。これはかつて転職の儀に臨んだ者たちの証言を基にしたほぼ正解と思われている考えです。さすがに神に向かって「あなたは新米なのですか?」とは聞けませんからね」
「それはまぁそうだろうな」
「なによりあなたが出会った神の特徴と、私が出会った神の特徴はまるで違っているのです。私の担当は温厚な女神様でして、更なる力を望んだ私に対して、「このままでは近い将来死んでしまうから転職した後は軍をお辞めなさい」とアドバイスまでしてくれたのです」
「だからお前兵士を止めて城勤めを始めたのか」
「ええ。戦場で戦う兵士も足りませんが、それを支える文官の数も危機的状況でしたからね。ここは一つ国を支える裏方の仕事もありかなと考えた次第でして」
「まぁ確かに戦場を知るお前が裏方に回ってから、格段に支援が強化されたからなぁ」
共に戦場を駆け抜けた時も、戦場から姿を消した後も、目の前の生真面目な男、キーマ=ジーメは実に生真面目に仲間たちを助け続けてくれたのである。
そう考えると目の前の男の言うことに従うのもやぶさかではないと思えてくるから不思議なものだ。
「超常の力を持つ魔物に対抗するために、神は私たち人間に【職業】という奇跡をお授け下さりました。あなたもそれに関しては感謝しているでしょう?」
「当たり前だろ。並の人間と職業持ちとでは、そもそも基礎的な能力に差がありすぎるからな」
【戦士】の職業を授けられた者は、力が強くなり体力が付き、魔物と戦うための〈スキル〉という名の特殊な力を使うことが出来るようになる。
そしてキーマのように【魔法使い】だった者は、〈魔法〉という神秘の力を扱えるようになるのだ。
ちなみに身に付いた基礎能力やスキルは転職しても消えることはない。
だから【召喚士】になったクーネルは今でも歴戦の戦士のままだし、一線を退いたキーマもまた、今でもその気になれば町を丸ごと凍らせることのできる凄腕の魔法使いのままなのだ。
「転職は、神から授けられた【職業】を極めた者にのみ与えられる、自らの人生を変えることの出来る最大のチャンス。しかしそれをつかさどるハロワック神の中には自らの考えを押し付ける者もいるのですよ」
「俺の担当のようにか」
「ええ。人間に色々な考えを持つ者がいるように、神にも色々な考えがあるということなのでしょう。あなたの担当になった神は、察するに頭の固い新米の神だったのでしょう」
「それで運悪く呪いまでかけられた上に多額の借金を背負う羽目になったと」
「そういうことです」
「分かった。百歩譲って俺の神運の悪さは致し方なかったと諦めるしかないだろう。それはいいとして、どうして奴隷だ。俺は仮にもこの国の貴族であり兵士なんだぞ」
「改名したくせにまだ貴族のつもりですか」
「アスオーブ家もサイダー家と同じ伯爵だからな。俺が貴族であることに間違いなんてねぇよ」
「……まぁ良いでしょう。それはさておき額が額ですからね。万が一にも逃げられないようにするための処置なのですよ。理解してください」
「だからってなぁ……。というかこの場合、俺は一体誰の奴隷になるんだ?」
「この場合は国ですね。つまりこのタンサン王国に借金をした借金奴隷という位置づけになります」
「奴隷になると具体的にどうなる?」
「まず逃亡防止のための腕輪を身に着けることとなります。これは定められた範囲の外へ移動すると、爆発する仕組みとなっているので注意が必要です」
「なるほど、それで?」
「それからあなたが戦って戦果を挙げるたび借金が減額されていきます。ゼロになれば腕輪は外れて、あなたは晴れて自由に身ですよ」
「……なぁ、この国は、というか全世界が今は戦時下で、俺もお前も強制徴用されて戦場に送られた口だよな」
「ええ」
「強制的ではあっても兵士になったんだから、もちろん逃亡は重罪だ。そもそも俺に逃げる気なんか更々ないんだ。ただ単に普段の戦いで楽がしたいと思っただけなんだから」
「そうですね」
「つまり奴隷になったところで、扱いもやることも変わらないってことなんじゃないのか?」
「変わらないでしょうね」
「じゃあわざわざ奴隷契約なんてしなくてもいいだろうがよ!」
「そういうわけにはいかないのですよ。私も王国上層部もあなたの献身を理解していますが、口さがない者というのはどこにでもいるものですからね」
「神殿が吹き飛んだ原因を放置できないということか」
「それもですが、それよりも神の怒りを買ったという事実が大きいのですよ。ついでに言わせてもらえれば、大神官様の髪の怒りも買っていますからね」
「ヅラだってことがバレたから俺に怒りをぶつけていると?」
「大神官様直々のお怒りはまだ届いておりませんが、恐らくはそういう事だと思います。宙に舞う金色のかつらの話を知らぬ者は今やこの町には一人もいませんよ」
「くっ! まさかの思惑通り!」
結局クーネルは奴隷契約にサインをした。生まれ育った国の奴隷となったのだ。
これまで稼いできた退職金は全て没収された。
そしてこれから稼ぐ予定の退職金は全て借金の返済に充てられることとなった。
兵士としての給料は満額支払われるらしい。
これはクーネルの兵士としての力量を高く評価した王国上層部の英断である。
なんと休暇もそのまま認められることとなった。
これは王国上層部のハロワック神への対抗策であるのだという。
これから先、同じような事情の兵士が出てこないとも限らない。
その時に『借金は背負ってもらうが決して理不尽な扱いはしない』という前例を作っておけば自暴自棄になる兵士が少なくなるのではないかという話になり、クーネルをその最初の例とすることにしたのだそうだ。
こうしてクーネルは王国所属の兵士にして、15億もの借金を背負った王国の奴隷となったのだった。