勇者の憂鬱
「憎い。憎い。魔王が憎い。俺の人生をメッチャクチャにした魔王を必ず殺してやる」
光が遮られた部屋で、男は憎しみで眠れぬ夜ごとに、怨嗟の声を上げていた。
今夜も胸を狂わすような濁った気持ちを全身に巡せ、長い年月がそれをドロリとした呪いへと変質させていく。
男の瞳を覗き込めば、ヘドロのようなモノがへばりついている事が分かったかもしれない。
「やっと見つけたんだ。もう逃さない。15年以上も探したんだ。腐って蛆がわいている俺の心がもう一度綺麗になるためには、あいつを殺すしかないんだ。必ず……必ず」
暗い暗いヘドロの中に囚われていた彼の意識が完全に沈もうとしていた瞬間に、温かい光の波が彼の意識を救いあげた。
吐き気を催すような自己嫌悪に、男……勇者は気を紛らわすように大きく頭を振った。
「あ~あ。もう朝かぁ。はは」
勇者は乾いた笑いを吐いていた。
◇◆コケ◇◆コケ◇◆◇コケ◆◇コケ◆◇コケ◇◆コケ◇◆コケ◆
青い空にはチラチラと雲が流れているが、この暗い時代の人々の心に比べれば快晴と言っていいかもしれない。
そんな青空を通る太陽の光が、ミルクのような柔らかな白い壁を真珠の様に光沢ある幻想的な建物に変えている。
その外観には神の祝福が宿っているのだと、人々の間でまことしやかに信じられていた。
神を感じられる崇高さを体現した建物に、人々は常に祈りを捧げるために巡礼者として訪れるのだ。
この建物は聖浄教会の総本山たる教都マグノーグメルにそびえ立つ大聖堂であった。
神が立ち寄ると言われる大聖堂の中央には、人々を愛し常に教え導いた神の像が厳かに鎮座している。
神の至高性は、人々の魂に刻まれた教えの強固さに比例している事がうかがえる。
祈られし神は宣うた『人は平等である』と。
賛美されし神は宣うた『汚れる魂は浄化により救われる』と。
崇められし神は宣うた『神から授かりしこの世の役割を果たせ』と。
華やかな大聖堂と反対の位置には、教会の聖職者達が日々の鍛錬に使う鍛錬所があった。
「ミア!疲れたよ」
「お姉ちゃん、あと5回!」
二人の女の子が剣の稽古をしているのか、不器用に剣を振り降ろしていた。
「もう駄目。腕がプルプルする」
「頑張って。先生に怒られちゃうよ」
限界に達したのかお姉ちゃんと呼ばれた少女……メアは、重力に逆らう事が出来ずに剣を地面に触れさせていた。
「ああ!もうお姉ちゃんたら」
ミアは眉を釣り上げて怒っていたが、年齢が8歳ぐらいのため余り怖くはなかった。
むしろ可愛らしい印象を受けるかもしれない。
もっとも怒られているメアも同い年なので、そこまで達観して見る事はできないはずだが。
しかし、なぜかメアはミアの怒っている顔をニマニマと見つめている。
「何よ!お姉ちゃん、私は怒っているのよ」
「いやぁ。ミアは可愛いなと思って」
「何言ってんのよ。同じ顔の人に言われても嬉しくないわよ」
そう、ミアとメアは双子の姉妹だったのだ。
「違うのよ。何て言うの。内面の可愛さが滲み出てるっていうの?そんな感じ」
メアは妹のミアを、世界で一番大切にしている。
「もうお姉ちゃんはいつも適当なんだから」
二人きりの家族であるため、ミアも気持ちはメアと同じである。
「アハハ」
「うふふ」
ミアとメアは見つめ合うと、お互いに笑いだしてしまった。
「やあ、二人とも仲がいいね!朝の鍛錬かな?」
突然、笑い合う2人に話しかけて来る者がいた。
「あ、勇者様!」
「お姉ちゃん!違うでしょ。ちゃんと挨拶しないと。おはようございます。勇者様」
「そうだった。おはようございます。勇者様」
「あははは。そんなに畏まらなくていいよ。僕はそんな偉い人間じゃないんだから。気軽にイシュアと呼んでくれよ」
イシュアは気軽な感じで、双子の姉妹に笑いかけた。
彼の笑顔に釣られるように姉妹も、知らず知らずの内に笑顔が零れていた。
まるで向日葵のような双子の笑顔によって、イシュアは心の中にあった濁りが解けていくように感じた。
「勇者様!貴方様は尊きお方なのです。この様な者達に時間を取られるべきではございません」
イシュアは陰気そうにしたが、それは一瞬のことであり、声をかけて来た者に気付かれることは無かった。
「勇者様、お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」
「勇者様、申し訳ありませんでした」
ミアとメアは、それぞれイシュアに頭を下げると逃げる様に去っていった。
「それで、何か用ですか?モーント」
双子が走り去る様子を眺めながら、笑顔の仮面を貼り付けて勇者パーティーの一員であるモーントに問い質した。
「勇者様、教皇様がお呼びになられております。お急ぎください」
「教皇様が?魔王の事でしょか?それとも……失敗した聖櫃の儀についてでしょうか?分かりました。直ぐに向かいます」
イシュアは立ち上がると、教皇がおわす奥の院に向かった。
◇◆コケ◇◆コケ◇◆◇コケ◆◇コケ◆◇コケ◇◆コケ◇◆コケ◆
3メートルはあろう重厚な扉を開けると、部屋の中はどこまでも静寂が広がっていた。
ただ物音ひとつしないというだけではない。
沈黙自体が荘厳な雰囲気を醸し出しており、新たなる音を作り出す事を躊躇わせるほどであった。
「遅くなり申し訳ございません。イシュア、只今入室いたします」
唾を飲み込む音さえ部屋に響きそうに感じたが、イシュアは何とか心を平静に保ち自身の来訪を宣言した。
部屋の中の1人が無言で頷くと、イシュアはそのまま部屋の中央まで進み、膝を付き頭を垂れる。
中央に進む間にイシュアの視界には、4つの人影が入ってくる。
その影の奥には段差が設けられており、周囲から隔絶するように布が吊るされていた。
布が薄いためか、姿形はハッキリとは見えないが、そこには確実に人の気配が伝わってきた。
そこに鎮座が許されるのは、神の血を受け継ぐ者たる教皇だけであった。
初代教皇は神の落とし子として、親たる神より、この地の人々を導く役割を与えられていた。
その役割は現在の教皇であっても変わらず、人を平等に導いていかなければならないのだ。
そう、人である者は導き、人で無い者は教会によって浄化されなければならないのである。
「イシュア、お召しにより参上致しました」
イシュアの少し涼やかな声が室内に響くだけで、部屋の重苦しさは少しも変わらなかった。
「おお、勇者よ。よく来てくれました」
重たい沈黙が続くのかと思われたが、教皇の玉座に一番近い場所で侍っている男がイシュアにゆっくりと語りかけてきた。
教皇の傍で侍っている男達は、教会内では教皇を除けば一番の権力を持っている者達であった。
彼らは枢機卿と呼ばれ、最高意思決定者たる教皇をあらゆる面で補佐する役目を担っている。
枢機卿団は12人で構成されており、その1人1人が小国であれば逆らう事のできない程の権力を持っていた。
その枢機卿団の第3品位であるダイカトー枢機卿が、今勇者に声を掛けてきたのだ。
「いえ、恐れ多い事でございます。教皇様の御下命とあらば、不肖イシュアいつでも御前に参上いたします」
「それは結構なこと。他の神官達の手本であるな」
イシュアに答えたのはダイカトーであり、薄笑いがそこかしこで聞こえたが、薄布の向こうにいる教皇は声を発する事はなかった。
なぜ枢機卿風情が教皇への言葉を遮るのだと不満に思ったが、イシュアは一切顔には出さなかった。
「今回、勇者殿を呼んだのは先頃より巷で騒がれている魔王軍の侵攻に関してなのだが」
ダイカトーはでっぷりと太った腹を揺らしながら、オークの様に卑下た笑みを浮かべていた。
「噂は聞いております。此度は王国と帝国が魔王軍討伐の向かうとの事」
「その事でな。魔王軍討伐の編成が正式に決まった。今回は勇者殿にも参戦していただきたいと思いましてな」
「わ、私もですか?」
イシュアは失礼に当たるのだが、思わずダイカトーに対して聞き返してしまった。
教会は魔王の存在を認めていないし、魔王軍が侵攻してきたなら教会聖騎士団が出てきて全力でそれを阻止しようとする。
だが、このような戦争においても教会内部での権力闘争があるのだ。
少数で魔王大陸に乗り込み、幹部級の首を狩ってくる勇者は教会信徒に絶大な人気を誇っており、どの派閥も勇者を取り込もうと色々と画策している。
だが派閥のバランスを考慮すれば、特定の派閥に取り込まれる事を勇者は良しとしなかった。
勇者パーティーメンバーもそれを十分に理解し、普段から勇者に他の者が接触してくる事を防いでいた。
もっとも最近のパーティーメンバーの行き過ぎた行動のせいで、勇者の行動が著しく制限を受けるようになってきていたのだが。
先ほどのモートンの双子に対する態度も、その現れであった。
そういった事情から、魔王軍の侵攻などの大規模な軍事行動の際には、どの派閥にも属していない勇者を活躍させる事を極力抑えようとの力が働くのである。
もちろんこの力が働くのは、教会聖騎士団が勝利するとの考えが前提にあるのだが。
そういった事情があったため、イシュアが驚いてしまったのも仕方のない事だろう。
「何か不都合でもあるのかな?」
「いえ、何もありません。教皇様の御下命、謹んでお受けいたします」
イシュアは疑問を飲み込み、頭を垂れる。
もっとも、何かの力が働いており気を付けねばならないと、心の中ではイシュアは思った。
「勇者よ!教会騎士5万をもって魔王軍を討伐せよ!」
ダイカトーは勇者に対して軍の出陣を命じた。
【次回予告 俺っちは変態なお姉さんは好きっス。でも変態のお兄さんはちょっと遠慮するっス】




