56
第二十五階層は、更に厳しい寒さと雪がパラつく階層でした。
全員が階段を降りきったところで、キャシーが「……何の気配もしない?」と首を傾げています。
レダさんのパーティの斥候であるデイルさんも同じことを指摘したので、どうやら本当にこの階層には魔物がいないようです。
「どういうことでしょうね?」
「アタシに聞かれてもねえ。とりあえず魔物がいないなら宝箱を探してみようか。誰も入ったことがないなら、手付かずの宝箱が沢山転がっているはずだよ」
「おお、宝箱。今までの階層ではほとんどお目にかかっていませんね」
「いくら宝箱が湧くっていったって、かなり長いスパンの話だしねえ。そこはダンジョンの気分ひとつだ。ただ新しい階層ならそういうこともないよ」
とりあえず私はオブジェクト探査をかけながら進むことにしました。
広々とした空間には、ただシンシンと雪が降り積もるのみで、宝箱のタの字もありません。
もちろん魔物もいませんが……。
「これは本格的におかしいね。第二十五階層に何もないだなんて……アタシも予想外だったよ」
「そうですね。それになんでこんなに寒いんだか……」
私たちがボヤいていると、レダさんのパーティメンバーであるソルさんがブツブツと呟きながら、突然「しまった!」と言いました。
「ソル、何か心当たりがあるのかい?」
「考えたくもなかったのですが、もし俺の想像が当たっていたら最悪です」
「言ってみな」
「このトバイシーハーゲンのダンジョンにはフロアボスがいないと信じられてきました。しかしもし、単に最初のフロアボスが第二十五階層からだったとしたら?」
「――――っ」
レダさんの顔色が変わります。
「リナリー、フロアボスってなんです?」
「通常、ダンジョンには特定の階層ごとにフロアボスと呼ばれる強力な魔物が存在します。例えば第五階層にフロアボスがいた場合は、第十階層、第十五階層、と五の倍数の階層にフロアボスが存在することになります。フロアボスはひとつのダンジョンに多くても10体程度しかおらず、フロアボスのいる階層によって、おおよそダンジョンの深さが分かると言われています」
「第二十五階層にフロアボスがいるということは……次のボスは第五十階層というわけですか?」
「フロアボスが1体しかいないとしたら分かりませんが、2体以上いるとしたらそうなりますね。トバイシーハーゲンのダンジョンにはフロアボスがいない、と信じられてきましたが、まさか第二十五階層に来てようやくフロアボスがお目見えするとは……かなり深いダンジョンだったのですね」
なるほど、つまりかなり特殊な例だったようですね。
「最悪だ。フロアボスは前後の階層の魔物よりも格段に強い。第二十五階層にして最初のフロアボスってことは、かなりの強敵が存在しているはずだよ」
「では一旦、引き下がりますか?」
「おい、デイル。階段はどうなっている?」
レダさんに言われて双眼鏡のようなもので後方を確認したデイルさんが、「……マズいです。階段が封鎖されています」と暗い声で言いました。
「え、階段が封鎖ってどういうことです?」
「逃げられないのさ。フロアボスの階層に入ったら、倒すか全滅するまで戦うしか無いんだ」
「あの……転移は?」
「転移も封じられると聞いたことがある。けど確実な噂じゃないからね。試してもらえるかい、サトミ?」
「分かりました。第十九階層まで戻ります」
《このマップから出ることはできません》
…………は?
なんですか、このメッセージは。
いや、待ってください。
確か『闘争のロストグリモア』でも転移魔法で離脱できないボス部屋があったはずです。
しかしデバッグ機能である座標遷移はおかまいなく移動できたはずですが……。
いえ、それはまさしくデバッグの機能だった頃の話です。
今の【デバッグツール】はスキルのひとつに過ぎません。
多くの効果を発揮し、そのいずれもが強力だったので見落としていましたが、ただのスキルである【デバッグツール】の座標遷移は、転移魔術と同様の制限を課せられているとしてもおかしくはないのです。
そう、ただのスキルによる転移ならば、封じられるのもやむなし。
「すみません。転移は封じられています」
「クソっ! 本格的にマズいね。何が出てくるか分かったもんじゃないよ」
突然、ゴウ、と一際強い風が吹きました。
雪を散らしてモウモウと白い煙が辺りの視界を埋め尽くします。
「気をつけて! 何かの気配が生まれたよ!」
「同じく! フロアボスだと思われます。しかしこれは……多い!?」
キャシーとデイルさんが同時に叫びました。
私もオブジェクト探査を使い、周囲を調べます。
結果、レベル40のホワイトウルフが10体以上も引っかかりました。
肝心のボスはオブジェクト探査の範囲外だったらしく、取り巻きの反応しか拾えませんでした。
しかしレベル40の魔物といえば、先程まで戦ってきた階層の魔物と遜色ありません。
それが一度に10体以上、しかも本命のフロアボスと共に襲いかかってくるとしたら、確かに脅威です。
強風で吹き上げられた雪が地面に落ちて、段々と視界が明瞭になっていきます。
多くの白い狼の姿。
その奥の奥に、巨大な影が見て取れました。
全長はどのくらいでしょうか、イエティより大きいのは確実です。
「こうなったら腹をくくるしかないね」
「…………」
私たちが本気を出せば、なんとかなるのではないでしょうか?
フラガラッハ二刀流、その他にも神話級アイテムを使い捨てた火力押しの戦術を、今こそ試す時ではないのでしょうか?
「みんな集まってください。本気を出しますよ!」
その言葉にギョっとしたレダさんたち。
まだ本気には程遠かったのか、と驚愕しているようですが、「本気を出す」というのはただの符丁です。
今までだって私以外のパーティメンバーは手を抜いていませんでしたからね。
この符丁はつまり、「使い捨ての神話級アイテムを配布するから使え」という意味でしかありません。
「サトミ。使うのかい、アレを?」
「ええ、出し惜しみしていたらこっちが負けます。あの取り巻きの狼、レベル40もありますよ」
「それはマズいな。ということはフロアボスの方は?」
「遠くて分かりませんが、レベル40より高いことは確かでしょう」
エステルに使い捨てグングニルを渡します。
真っ赤な投槍は素材不明ですが、ミスリルより上等なのは確かです。
「ちょっと待ちな。サトミ、あんた一体……」
「話は後に。今はフロアボスの殲滅が優先です。あ、ちょっと高威力の攻撃が飛びますから、レダさんたちは離れていた方がいいですよ」
「く、どこまで……」
私たちに任せるしかない状況に歯噛みしているようですが、こればかりは仕方がないと思うのですよ。
「サトミちゃん、ボクもボクも! 一度も試し撃ちしていないから興味があったんだよ!」
「はいはい。矢は生成されるので、普通の矢をつがえる必要はありませんから、そこだけ気をつけてください」
私はキャシーに使い捨てミストルティンを渡しました。
緑色の草を象ったやはり素材不明の弓です。
「私は本気を出していいのでしょうか?」
「リナリーが本気を出したところを見たことがないので分かりませんが……ちなみに〈ソル・フレア〉ってどのくらいの威力がありますか?」
「この杖のままでも一軍を壊滅させられる程度の威力です。代わりに魔力を使い果たしますね」
「…………じゃあ武器は渡しますから、手加減して撃ってください」
「難しいことを……。分かりました、手加減して撃ってみます」
私は使い捨てレーヴァテインをリナリーに渡しました。
赤い刀身はグングニルとは似ても似つかない半透明で宝石にも見えますが、やはり材質不明です。
「ねえ、私まで必要かしら?」
「何を言ってるんですか。テスト運用も兼ねて、ギルマにも使ってもらいますよ。それに確実に初手で殲滅したいですし」
「分かったわ。やってみるけど……攻撃するのは初めてね」
「そういえばそうですね。まあやってみてください」
私はギルマに使い捨てケラウノスを渡しました。
雷を模した槍のような形状ですが、これは決して槍ではありません。
私はフラガラッハ二刀流にして、近づいてくるフロアボスに対峙します。
さあ、何が来るか知りませんが、迎え討ちますよ!
◆
フロアボスの全身が見えてきました。
女性の形をした巨大な氷像です。
オブジェクト探査の射程外ですが、配下のホワイトウルフが先に迫ってきています。
リナリーが炎剣レーヴァテインを手に、前に進み出ました。
「僭越ながら最初に撃ちますね。……我が魔力100を捧げる。太陽、ここに顕現せり〈ソル・フレア〉」
魔力暴走効果によりリナリーが宣言した魔力が爆発的に増幅され、魔術に注ぎ込まれます。
レーヴァテインは元々、『闘争のロストグリモア』では火属性の魔術の威力増幅効果を持っていましたが、この世界では火属性だけでなく炎属性の威力も増幅することは予め確かめてありました。
それは炎というよりも光。
莫大な魔力をもって発動し、更に威力を格段に高められた〈ソル・フレア〉は、リナリーの手加減にも関わらず前方の白狼の群れを蒸発させました。
炎剣レーヴァテインは砕け散り、リナリーは「手加減したつもりだったのですが……」とどこか釈然としない顔で言いました。
「次はボクだよ!」
出番がなくなりそうだと焦ったキャシーが草弓ミストルティンを構え、弓弦を引き絞ります。
それに応じて緑色の草がスルリと生え、矢としてつがえられました。
「〈溜撃〉!」
弓弦を引き続ける限り威力が上昇していく弓術を発動し、キャシーの動きが止まると、エステルが「なんだ。溜めるなら先に撃ってしまうぞ」と神槍グングニルを肩にかつぐようにして構えます。
「我が魔力10を捧げる。雷を纏え〈ライトニング・ウェポン〉。――――行け!」
雷を纏った真っ赤な槍は、エステルの手元から放たれた途端に急加速し、まっすぐに赤い軌跡を残してフロアボスに命中、爆発して肩を吹き飛ばしました。
まるでミサイルですね。
粉砕の効果を付与されていたグングニルは、一度の着弾で自身を破壊して破壊力を高めます。
ただ投げるだけでミサイル並み、それが粉砕グングニルです。
エステルは「ただ投げただけだというのに、恐ろしい威力だな」と呟き自分の手を見ます。
「もう、ボクが先に撃つつもりだったのに……最大まで溜まったよ!」
キャシーが弦から手を離すと、草矢がシュドン! と空気の壁を破壊して一直線にフロアボスの胸を貫きます。
弓は反動で破壊されましたが、これは付与された特別な一矢の効果です。
特別な一矢は確実にクリティカルヒットして大ダメージを叩き出す代わりに、弓が壊れるという効果ですね。
なお草弓ミストルティンの効果は、あらゆる対象に弱点を作り出し、それを突くというものです。
弱点を突いて威力は2~3倍に高まり、クリティカルにより3~5倍ほどのダメージを叩き出すことになります。
神話級の武器でそれだけのダメージが出せれば即死ものですが、更にキャシーは〈溜撃〉で威力を高めていたので……フロアボスの胸には大きな穴が出来上がっていました。
……貫通しましたね、完全に。
ガクリ、とフロアボスが倒れるようにつんのめったので、私は急いで距離を詰めてオブジェクト探査をかけます。
このままだと正体不明のボスが一方的に神話級武器の火力で吹き飛びかねません。
よし、出た。
レベル105のスカディという魔物ですね。
スキルは氷の槍を生成して投げるものや、氷の甲冑を生成して身に纏うなど、氷関連の魔法が多いようです。
スペックは把握したので下がり、ギルマに攻撃を促します。
「急に近づいてどうしたのかしらね。まあいいわ、攻撃なんて初めてだけど、武器で勝手にやってくれるようだし」
ギルマは赤みがかった紫色の槍のようなものを、手の平に乗せてかかげます。
雷霆ケラウノスは、武器のカテゴリとしてはいずれにも属しません。
しいて言うならば投擲、でしょうか。
ただし投げる動作は不要。
ケラウノスが解き放たれれば、雷となって対象に向かうのです。
そして今回も、その通りになりました。
解放されたケラウノスはドオン! という爆音とともにジグザグに空中を進みスカディに突き刺さりました。
本来ならば着弾後に手元に戻ってくるケラウノスですが、付与された拡散という効果により破壊されます。
拡散は本来よりも広範囲を攻撃の対象として巻き込む効果であり、ケラウノスの場合はスカディの全身を雷でズタズタに引き裂き消失していきました。
ああ、これは私の出番がなさそうですね。
ボロボロと砕けていくスカディを眺めながら、私はフラガラッハを手でもてあそびます。
スカディは低く唸りながら、身体を維持できずにバラバラに砕けて滅びました。
レダさんたちはあんぐりと口を空けて、その光景を見ていましたとさ。
 




