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~死者を抱(いだ)いて山は沈黙する~ 6

Chapter 6


20


 バンコラン魔法学院はリヒャルトが下宿していた屋敷と同じオーウェン区にある。設立されて二百年の歴史を誇る、有名な私立校だ。かつて魔法は秘術として、ごく一部のものが扱う「術」であり、「学問」として研究されるものではなかった。しかし、大魔導士マーリンは魔法が学術的に解明できることを明らかにした。さらに、魔法は学術的に研究を続けることが必要であると説いたのである。マーリン二世は父の遺志を継ぎ、魔法を学ぶための学校を設立した。それが現在まで続く王立魔法学院である。この動きは世界的に広まり、私立の魔法学院も設立されるようになった。バンコラン魔法学院は、その動きが活発化する前に設立された学校だったため、先進性において他の学校より抜きん出ていた。設立者が貴族だったこともあり、バンコラン魔法学院は主に貴族の子弟が通う学校という特徴を持つようになる。学費が高いこともその傾向を強めた。また、優秀な人材を多く輩出してきたことで、名門校の地位を不動のものにしていたのだった。

 バンコラン魔法学院は商業区のはずれにあった。今では使用の許されない白レンガで造られた高い塀に囲まれており、学院の建物も白を基調としている。さらに、赤い屋根が白の対比で映えて美しく、名門の風格を漂わせていた。

 コーデリアとヴィクトリアのふたりは、その美しい屋根を見上げて立っていた。ヴィクトリアはしかめ面である。

 「なんか、イヤな感じがするわよね……」

 ヴィクトリアは校舎を前にして、不機嫌な声をあげた。

 「イヤな感じって?」

 「こう、壮麗というか、金持ちの学校ですぅって感じがあからさまで」

 「そうかしら? きれいな学校だと思うけど」

 コーデリアはすたすたと校舎に入って行く。ヴィクトリアは頭を振りながら、コーデリアに続いた。

 昨日の遺体の身元は、まだ確定していない。遺体の損傷が大きいのもあるが、検死により、遺体は顔の骨が砕けていたことがわかったせいもある。顔の輪郭がわからなくなり、リヒャルトのものだと断定しがたいからだった。父親のレナード・リースタイン男爵が検死の行なわれている病院に駆けつけたが、父親でさえ遺体が息子であると確認できなかった。現在、リヒャルトに関する資料を集め、遺体と照合しているところだ。顔の骨が砕けていた事実は、ふたりにとって意外なものだった。コーデリアが屍霊化グールかした遺体と戦ったとき、彼女は遺体の顔面には攻撃をしていないかったし、ヴィクトリアの雷撃魔法は、顔面の骨を砕くものではなかったからだ。つまり、あの遺体は殺害されたときに顔を砕かれたのである。しかも、それは死因ではなかった。遺体の後頭部には裂傷があり、首に圧迫された跡が残っていた。おそらく、被害者は後頭部に一撃を受けて昏倒した後、紐などで窒息死させられたのである。顔の骨折は、襲撃時に偶発的に起きたものか、殺害後に行なわれたものなのか、現時点で明らかではない。

 息子の安否が明らかにならないうえ、息子の下宿から身元不明の遺体が見つかった事実は、男爵を大いに動揺させた。所長は、男爵に遺体がリヒャルトではない可能性を示唆して、依頼は終わっていないと告げた。それを聞くと、男爵もいくぶん落ち着きを取り戻し、捜索の継続を頼んだのだった。それで、コーデリアたちはリヒャルトの捜索を続けているのだ。とは言え、それは男爵に対しての方便であり、ふたりはすでにリヒャルト殺害事件の捜査として学院を訪れたのだった。

 あらかじめ学校の時間割を確認してあるから、今の時間帯は休み時間に入るところだ。鐘の音が鳴り響き、ざわめき声とともに学生たちが教室から出始める。コーデリアはひとつの教室に入ると、まだ教室に残っている学生たちに声をかけた。

 「お話しうかがってもいいかしら?」

 学生たちは少女のようなコーデリアに怪訝な表情を見せた。コーデリアの背後からは大人の女性の色香漂うヴィクトリアが現れたことで、彼らはますます困惑の度合いを深めたようだった。ふたりが王立探偵事務所からやって来たと知ると、みんな目を丸くした。特に、実年齢より若く見えるコーデリアには興味津々で見つめる。

 「話って何?」

 学生たちの中で一番背の高い男が尋ねた。

 「あなたたちの教務担当をされていたリヒャルト・リースタイン卿のことを教えてほしいの。今、行方不明だという話は聞いているかしら?」

 学生たちはあいまいにうなずいた。リヒャルトが失踪していることは知ってはいるようだ。

 「確かにリースタインさんは僕たち下級科の教務担当でした。でも、あんまり関りがないというか、話をしたことがないから……」

 彼らは顔を見合わせるとうなずき合う。

 「何を話したらいいか、わからないですよね」

 「あなたがたとは接点がなかったの?」コーデリアが尋ねた。

 「うーん、接点というかさぁ、あまり話しかけてほしくなかった、っていうのが本当かな」

 背の高い学生のかたわらに立っていた小太りの青年が答えた。

 「話しかけてほしくなかった?」

 コーデリアはオウム返しのように繰り返した。

 「だってさぁ、男爵家と言っても、父親の代で爵位を授けられた『にわか貴族』ですよ。何世代にも渡って貴族を続けている僕たちと肩を並べたなんて……、いや、上の立場なんて考えてほしくないですからね」

 「そうそう。教務担当って、僕たちの上に立って指導する立場ですからね。『にわか貴族』に上に立たれるのは変ですよ、実際」

 話を聞いていた、ほかの学生がうなずきながら後を継いだ。

 「直接、爵位を授けられたレナード男爵はともかく、息子のリースタインさんは生まれたときはただの上級市民だったわけですし、生まれながらの貴族じゃないんですよ。バンコラン魔法学院が貴族の学ぶ学院になったのも、貴族が一般民と混じって魔法を学ぶなんてとんでもないからです。ましてや一般民に教わるなんて、なぁ?」

 その学生は同意を求めるように周りを見回した。

 「違うよ、『元』一般民だよ。そこはちゃんと区別しておかなくちゃ」

 ひとりが混ぜっ返すと、周りからクスクス笑う声が漏れてきた。

 「少し話を戻させていただくと、皆さんはリヒャルト卿とはあまり接点をお持ちではなかった。だから、失踪の背景も、行方の心当たりもないのですね?」

 コーデリアは静かに尋ねた。ヴィクトリアは途中から彼らの傲慢な態度に辟易していたので、コーデリアの落ち着いた態度に感心した。見た目と違い、さすが年長者だと思った。

 「実家に帰ったんじゃなきゃ、どこへ行ったか見当もつかないですよね」

 背の高い男がそう答えると、小太りの男が思い出したように手を打った。

 「おい、あの方はどうだ?」

 「あの方?」

 背の高い男が聞き返す。

 「ほら、あれだよ。その『元』一般民と並んで歩いていた物好きなご令嬢がおられるじゃないか」

 それを聞くと、背の高い男も思い出したようだ。

 「ああ、あれだ。レイドック伯のご令嬢、エリザベス様だ。確かに、あの方だったらご存知なのかもな」

 「エリザベス様?」コーデリアが小太りの男のほうに向いた。

 「そう、レイドック伯のご息女で、この学院の院生がおられるんです。あの方とリースタインさんは同じ研究室なのですよ。そのせいか、ふたりで並んで歩いていたことがしばしばありました。どのくらいの親密さか知りませんが、我々よりは詳しいと思いますよ」

 コーデリアはヴィクトリアを振り返った。ヴィクトリアがうなずく。

 「研究室はこの廊下を出た奥の突き当りよ」

 「行きましょう」

 コーデリアは礼を言うと、教室を出て行った。ヴィクトリアは教室を去り際に学生たちの様子を見ると、彼らはコーデリアたちのことを忘れたように談笑している。ヴィクトリアはため息を吐くと教室を出て行った。

 「ああヤダ、貴族って。私、王立魔法学院で学べて、本当良かったわ。あそこにも貴族の学生はいたけど、ああも貴族風を吹かしたりはしなかったわよ」

 「王立軍もそうだったわよ」

 ヴィクトリアの前を歩いているコーデリアが、顔を向けずに話した。静かな口調で、どんな表情で喋っているのかわからない。

 「軍の階級は、兵士としてどれぐらい優秀であるかどうかで決められる。生まれだけで階級を付けられることもあるけど、そのひとたちは前線に出てこないから、私と接点なんてありえなかった。私は常に最前線で戦っていたから」

 コーデリアは話しながらすたすたと歩いて行く。

 「イヤな部分もあったけど、能力重視であった分、軍の私への扱いはそれほど悪くなかったわね。それに、一緒に戦ったヒルディーは、出身で威張るようなひとじゃないし。家柄がどうということで悩まされた記憶はないわね」

 ヒルディー・ウィザーズ所長は、ウィザーズ公爵の長女だ。ウィザーズ家は王家の血を引く名門である。その関係もあり、所長が少女だったころは、まだ幼少のルチウス王太子の遊び相手を務めたことがある。彼女に対する王太子の信頼の厚さは、新設組織の長、つまり、王立探偵事務所の所長に抜擢するという形で表れている。また、所長とコーデリアとは、軍学校の同級生だけでなく、『討伐戦争』で同じ戦場で戦った同僚である。勇猛さで知られたヒルディーと、無類の強さで戦場を席巻したコーデリアは、その名だけで敵をひるませたほどで、彼女たちは固い信頼のもと、多大な戦果をあげてきたのだった。探偵事務所の所長に就いたヒルディーが、コーデリアを誘ったのは必然だったと言える。コーデリアは上級市民の出だが、ふたりの間に身分の差など存在していない。

 「ここの様子を見ると、私は恵まれていただけなのかもしれない。たいていはリースタインのご子息のように、身分がどうだとかで差別を受けるものなのだわ」

 「さっきの様子を見るかぎり、教室ではいい思いはあまりできなかったでしょうね、きっと」

 ヴィクトリアはうなずきながら同意した。

 「でも、コーデリア。そうだとすると変じゃない?」

 コーデリアは立ち止まると振り返った。

 「だって、リースタインのご子息って、貴族主義に傾倒しているんでしょ? 『元』一般民扱いで差別されているひとが貴族主義にかぶれたりするのかしら?」

 「私にはわからないわ。貴族じゃないんだもの」

 「そうよねぇ。私も中級市民の出だから、貴族の考えや常識が理解できないだけかもしれないわね」

 ヴィクトリアは話を合わせたが、内心では納得いかない。下級貴族の三男であるということは、兄ふたりに何か不幸がない限り、彼が爵位を継ぐことはない。そんな彼に貴族主義などという思想が受け入れられるものなのだろうか。むしろ、貴族主義を排斥する側に回るほうが理解できる。

 コーデリアは廊下の突き当りの扉の前で立ち止まった。コツコツと扉を叩くと、「どうぞ」と応えが返ってきた。若い女性の声だ。

 コーデリアが扉を開け、ふたりは部屋に入った。日当たりのいい部屋で、部屋に差し込む陽の光が机に反射してまぶしい。

 一瞬、ヴィクトリアは目がくらんだが、すぐ、窓際にひとりの女性が立っているのがわかった。落ち着いた水色のドレスで、いかにも良家の淑女のようだ。彼女がエリザベスなのだろう。研究室には彼女ひとりだけしかいなかった。

 ふたりが名乗ると、彼女もエリザベス・レイドックと名乗った。非常に整った顔立ちで、誰もが美人だと認めるだろう。ただ、コーデリアが話す用件を、まったくの無表情で聞いていた。無表情でも美しいのではあるが、感情的にはかなり冷たい印象を受ける。

 「そうですか。昨日見つかった遺体は、まだリヒャルトだと断定されていないのですか」

 話を聞き終わると、エリザベスは相変わらず無表情のままでつぶやいた。ヴィクトリアは、エリザベスのまったく感情を感じさせない声に薄気味悪さを感じていた。

 「事件のことはお聞きなのですね」

 「昨日、憲兵の方が私を訪ねてきました。リヒャルトを害する人物に心当たりがないかという質問でした。もちろん、心当たりなどないと答えましたけど」

 憲兵は組織力の強みで、エリザベスの存在をいち早く掴んでいたようだ。昨日イレス隊長に反抗的な姿勢を見せたせいで、探偵事務所は憲兵とまったくの別行動になっている。向こうからの情報提供はもちろん得られていない。

 「もちろん、とは?」

 コーデリアはエリザベスに尋ねた。

 「リヒャルトは大人しい、普通の男性です。ここのひとたちとうまく付き合っていたとは言い難いですが、それでも、誰とも衝突をしないよう、慎重に行動していました。そんな彼を殺害しようなどと考える人物がいようはずもありませんわ」

 「リヒャルト卿は研究室の方がたとうまくいっていなかったのですか?」

 「表向きは何の問題もありませんでしたね。ですが、彼は誰からも肯定的な言葉をかけられたことはありませんでした」

 「肯定的な言葉」

 「あと少し噛み砕いて表現すれば、周りの者は彼を貴族の一員とみなしていなかった、ということです」

 「そうですか」

 コーデリアはちらりとヴィクトリアに視線を向けた。ヴィクトリアは目くばせの意味を考えた。想像するに、この学院でのリヒャルトの待遇は良いものとは言えない。いわゆる『にわか貴族』呼ばわりをされ、学院の研究者として、まともに扱われていない。しかも、生徒だけでなく、研究室においてもである。コーデリアは事件の背景に差別が関わるのではないかと尋ねているのかもしれない。

 「リヒャルト卿には親しい人物はおられないのですか?」

 ヴィクトリアの質問に、エリザベスの表情が動いた。口の端がわずかに笑みを浮かべるように上がったのだ。しかし、目が笑っていないので、本当に笑みを浮かべているのか確信が持てない。

 「彼と一番近しいのは、たぶん私なのでしょうね。ほかにひとりいましたが、彼は先週に王立魔法学院に転籍してしまいました。私もここを離れるので、彼と近しいものは誰もいなくなるということですね」

 「ここを離れる……のですか?」コーデリアが尋ねた。

 エリザベスはややうつむいて、机の上に散らばっている書籍や書類に視線を落とした。ちょうど顔が日陰になっているのと相まって、ようやく憂いの感情をうかがうことができた。

 「嫁ぐことになったのです。さきほど退学届けを提出して、今はここの片づけをしているところですの」

 「ご結婚されるのですか? どなたと?」

 「ポール・マクダネル伯爵のご嫡男とです」

――ポール・マクダネル伯爵。

 聞き覚えがある名前だ。

 ヴィクトリアは心の中で、あっと思った。そうだ、貴族主義に傾倒したリヒャルトが、マクダネル伯爵が主催する集会に顔を出していたと、レナード男爵が口にしていたのだった。そのマクダネル伯爵の跡継ぎとエリザベスが結婚する。ヴィクトリアは困惑した。いったい、どういう人間関係なんだろう。

 「学生たちからは、あなたとリヒャルト卿がお付き合いしているのかもしれないと聞いていたのですが、誤解だったのですね」

 コーデリアの言葉に、エリザベスの表情が大きく動いた。険しい顔つきになったのだ。

 「誤解じゃありませんわ」

 「誤解じゃないって、それじゃあ」ヴィクトリアは言いかけて口を閉ざした。

 「ただ、恋人同士だったのかと聞かれると、私自身も答えられません。彼とは、そういう微妙な間柄だったのです」

 「……微妙ですか」ヴィクトリアは困り顔でつぶやく。恋愛関係では大雑把な彼女にとって、『男女間の機微』に関わる話は苦手なのだ。

 「わかりにくい言い方ですね。ですが、本当なのです。私は子爵の娘です。夫となる人物は子爵以上の家柄の男性と決まっています。男爵家の、しかも三男の男性に嫁ぐことなどありえません。ですから、私たちは結末の見えている恋愛に本気になどなりませんでした。ただ、今日のような日を迎えるまでの間、少しだけ家柄など気にしない生き方をしていただけです」

 さすがにヴィクトリアにも理解できた。エリザベスは人間らしい感情を諦観の奥に押し殺しているのだ。それが無表情という形で表れている。ひとりの男性を愛しながらも、どこか冷めているのだ。日頃のヴィクトリアであれば、嫌いな女だとハッキリ言い切って部屋を出て行くところだが、今回は捜査のために聞いている話だ。席を外すわけにはいかない。

 「あなたは本気になっていないとおっしゃっていますが、リヒャルト卿も同じ想いだったんでしょうか。実は、リヒャルト卿はあなたのことを本気で考えていて、あなたとの将来も諦めていなかったとは考えられませんか?」

 エリザベスはフッと息を漏らして笑った。ヴィクトリアは一瞬、寒気を感じた。エリザベスの表情に、何か得体のしれないものが見えた気がしたのだ。

 「彼はすべてを受け入れていましたわ。自分の身分のこと、そして私がいずれほかの男性の元へ嫁ぐことも。それが『貴族』の生き方なんですから」

 エリザベスは机の上にある書籍をかたわらの箱に放り込んだ。箱からは使い古された参考書など、さまざまな書籍が顔をのぞかせていた。箱には『寄贈』の文字が見える。

 「出身の女学校に寄贈いたしますの。私がこれらを読むことは二度とございませんから」

 好きな学問も中途半端に辞めるしかないのか。そうだとすれば、貴族という身分は何てつまらないものなんだろう。ヴィクトリアは中級市民という自分の身分と較べて、そう思った。裕福な暮らしはなかなか難しいが、それ以外のことで不自由などした記憶がないからだ。少なくとも、家の事情で男を袖にしたことなど一度もない。男を振るときは、自分の感情で決めている。

 「あのひとの下宿で見つかった遺体は、リヒャルトではないのですね?」

 エリザベスがぽつりと尋ねた。コーデリアは首を横に振る。

 「おそらくはリヒャルト卿のものだろう。それが大方の見方です。ですが、確定されるまでは何とも言えません。もし、リヒャルト卿だと断定されれば、リヒャルト卿を殺害した犯人を探し出さなくてはなりません。そのためにも、リヒャルト卿に関して、集められる情報を集めています」

 「そうですか」つぶやくエリザベスの横顔は、再び何の感情も見出せないものに戻っていた。

 「あいにく、私からお話しできるものって、大してございませんわ。あと、お聞きになりたいことはあるのかしら」

 「さきほど、リヒャルト卿と親しい人物は、王立魔法学院に転籍されたとお聞きしましたが、その人物のお名前はご存知ですか?」

 「いいえ。顔は知っていますが、お話ししたことがなくて、名前もうかがったことがありませんの。何せ、違う研究室の方でしたから」

 「そうですか。どちらの研究室ですか?」

 「ザッカレン教授の研究室ですわ。こことは違う棟になります。廊下を出ると中庭が見えますが、その向こう側にあるのが、ザッカレン教授の研究室がある研究棟ですわ。申し訳ございませんが、教授の部屋は、その棟にいるどなたかにお尋ねいただけますかしら。私はここを離れるわけに参りませんので」

 「大丈夫です。ご協力感謝いたします」

 コーデリアは丁寧に頭を下げると、研究室から出て行った。ヴィクトリアも続いたが、部屋を出る前にちらりとエリザベスの様子をうかがった。

 エリザベスは無言で箱の中身を見つめたまま、まるで彫像のように立ち尽くしていた。呼吸すらしていないようだ。何を思って、二度と読むことのない本を見つめているのか、ヴィクトリアには推し量ることはできなかった。

 ヴィクトリアはそっと扉を閉めて立ち去った。


21


 太陽が間もなく中天に到達しようとしていた。ホルン山の山頂では、メルルがレトから教わりながら、通信魔法に取り掛かっていた。メルルの横では教授とメアリーが並んで立っている。通信魔法は、術式を含めてすでに一般に公開されている。ただ、あまり使用者がいないため、なじみのあるものではない。術の使用には細かい条件があり、けっこう煩わしいからだ。それで教授も通信魔法の術式を習得していなかった。ただ、好奇心旺盛な教授は、その魔法を使うところをぜひ見ておきたいと言って、わざわざ山頂までついてきたのだった。モランはふもとの宿営地に戻って、今回記録した内容をまとめ直しているところだ。調査の間中は不平をこぼし続けていたのだが、教授が通信魔法を見に行くと言い出すと、記録の整理を自ら買って出たのだった。モランは再び山登りをさせられるのを嫌がったのだろうと、メルルは推察した。

 「ほう、ふたつの魔法陣を用意して、送信用と受信用に使い分けるのか。座標を観測して割り出さなければならんし、けっこう面倒な魔法じゃの」

 「ですから、あまり一般的に使われていないのです。専門知識も必要になりますし。ですが、この魔法を使いこなすことができれば、これほど優れた魔法はないと思いますよ」

 レトは教授に丁寧に解説した。

 「うーむ。遠くへの情報伝達は昔からの課題じゃったからの。今でも手旗信号の通信網が使われておるが、この魔法がより手軽になれば、手旗信号に取って代わることになるじゃろうの」

 教授は感心したようにひげを撫でながら、メルルが呪文を唱えている様子を見つめた。

 「レトさん、つながりました」

 メルルが声をかけると、向かい側の魔法陣からヴィクトリアの姿が浮かび上がった。

 『メルちゃん、お疲れ様。定時連絡にちゃんと間に合ったわね』

 「お疲れ様です、ヴィクトリアさん。何とか間に合いました」

 ヴィクトリアの姿を目にすると、教授はメルルのいる魔法陣に入ってきた。

 「おおう、ウスキ君ではないか! いやぁ、実に久しぶりだねぇ!」

 突然現れた教授を目にして、ヴィクトリアは『げっ、教授!』と叫んだ。少し後ずさりして逃げ腰になっている。

 「うーむ。君は学生の頃と変わらず魅力的だよ。より蠱惑的な胸に育っておるしな」

 教授は前かがみになって、ヴィクトリアの胸を眺めた。

 『……教授も、相変わらずですね。そういうところ……』

 ヴィクトリアは胸を隠すようにして言った。

 「古来、男とは色を好むようにできておる。最近は道徳がどう、倫理がどうと、くだらん思想が蔓延しとるせいで、色好みが不道徳のように言われておるがの。しかし、古典文学を紐解いて見ればいい。優れた文学作品の多くは、男の色好みが美しく気高いものとして描かれておる……」

 『はいはい、わかりました、教授。すぐ講義を始めるところも相変わらずですね。ですが、今は大事な通信をしているところなんです。席を外していただけませんか?』

 ヴィクトリアは教授の話の腰を折ると、冷たく言い放った。

 「何じゃい、せっかく再会できたというのに……」

 教授はあからさまにがっかりした表情を浮かべると、魔法陣から出るだけでなく、そのままテントの外へ出て行った。メアリーは無言で頭を下げると教授の後を追った。

 「ヴィクトリアさんはパジェット教授をご存知なんですね?」

 メルルが出て行くふたりを見つめながら、ヴィクトリアに尋ねた。

 『私が学生だったときの担任教授だったのよ。女性を見たら、全員口説かずにはおれないというぐらいの『色好み爺さん』よ』

 「そうですか? 私は全然口説かれたりしてませんけど」

 メルルは不思議そうにつぶやいた。しかし、何かに気付いたように自分の胸とヴィクトリアの胸を見比べると、

 「……何か、急にムカついてきました」

 言葉に怒気を込めて言った。

 『口説く時間が見つからなかったのよ、きっと』

 ヴィクトリアがなだめるように言った。微妙な苦笑いの表情だ。何で私が教授の代わりに言い訳しなきゃならないのよ……。

 「そろそろ報告を始めますが、いいですか?」

 レトが横からひょいと顔を見せて、ヴィクトリアに話しかけた。

 『え、ええ。そうね。じゃあ、報告を聞こうかしら。すぐそばで所長とコーデリアも聞いているわよ』

 ヴィクトリアの顔の横にコーデリアの手だけがひらひらと動いているのが見えた。コーデリアが手だけを魔法陣の中に入れたのだ。

 「では、僕の報告から始めます。今回、ホルン山の山頂で起きた変事は、何らかの魔法による殺人だと考えます」

 『殺人……。根拠は何かしら?』

 「目撃証言が得られたんです。事件当夜、山に不自然な雷が落ちていたと。それは、雷の滝のようなもので、ずっと雷が光り続けていたそうです」

 『村人は雷撃による感電死だったの?』

 「いいえ。感電とは違う状態です。どちらかと言えば、高温で体組織を破壊されたようでした。もちろん、感電でも体組織が高熱を発して破壊されることはありますが、それとはやや異なっています」

 『じゃあ、その雷のような光って、結局、雷ではないということ?』

 「ホルン山を含め、周囲に雨雲や雷雲は見当たらず、雷が落ちるような気象ではありませんでした。自然気象の雷ではなく、魔法による雷だと考えます」

 『それでも、死因は雷によるものじゃないのよね? レト君がその情報にこだわる理由ってあるの?』

 「ホルン山の周囲には、5等分に配置された謎の搭がありました。およそ三百五十年前から二百五十年前に建てられたものです。それら5つの搭の屋上に、何者かが魔法陣を張った形跡が残っていました。山を囲んで、大規模な魔法を仕掛けたようなのです。僕たちは教授とともに、すべての搭の屋上に同じ痕跡があったのを確認しました」

 『魔法陣を張った痕跡って、何か書き込んであったの?』

 「いいえ。その代わり、十字状に配置されたろうそくの燃え跡が残っていたんです」

 『ろうそくによる象徴効果ってこと? でも、痕跡が十字状だと雷の魔法を使った魔法陣じゃないと思うけど』

 「さすが、ヴィクトリアさん。問題はそこなんです。犯人は防御系の魔法を使用したようなのです。僕の考えでは、山を覆う袋のように防御系の魔法を展開したのではないかと。そして、袋の中に特殊な高熱を送り込み、村人を殺害したのではないかと考えたんです」

 『でも、レト君はその推理に問題があると考えた』

 レトはうなずいた。

 「ええ。人体が一部破裂するほどの熱を送り込んだのであれば、どこかで火災が発生してもおかしくないのです。ですが、焦げ跡が見つかっていません。まるで、人体に直接的に熱を加えたようなのです。ですが、教授も首をひねっておられましたが、そんな魔法は見つかっていない、あるいは開発されていないということなのです。ヴィクトリアさんは何か思い当たるものはありませんでしたか?」

 ヴィクトリアは自分のあごに手を当てて考え込んだ。

 『うーん。ひとを殺す防御系の魔法ってことよね? たしかに、そんな魔法はなさそうだけど……』

 ヴィクトリアが急にレトのほうに向き直った。

 『教授! 教授はまだそこにおられるの?』

 「いいえ、さっき出て行かれましたが……」

 『近くにいらっしゃらない?』

 レトはすばやくテントをめくりあげると外をうかがった。すると、テントの入り口で教授とメアリーが立っていた。素直に席を外していただけらしい。

 『先生、こちらへ来ていただいていいですか?』

 「何じゃい、席を外せと言ったり、こっちへ来いと言ったり……」

 教授はぶつくさ言いながらもテントに入ってきた。教授は魔法陣に入ると、メルルの隣に立ってヴィクトリアと向かい合った。「何の用かね?」

 『教授、今回の遺跡調査で、軍史の確認はされましたか?』

 「無論じゃよ。塔というのは、本来、軍事に使用されるものじゃからな。ブライス郡での軍事の歴史は調べておる」

 『非公開軍史もですか?』

 「まさか、非公開軍史じゃと?」

 「何です? 非公開軍史というのは?」レトが尋ねると、教授はレトに顔を向けた。

 「マーリン時代以降、歴史の記録は正しく残されることが義務付けられた。ただし、何もかも明るみにすると、都合の悪い面もある。特に軍事機密に関することは、記録に残しても非公開とするのが原則じゃ。軍事機密が誰でも閲覧自由になると、機密も何もあったもんじゃないからの。軍事の歴史も一部、非公開とされており、それらをまとめたものが非公開軍史と呼ばれるものじゃ」

 「教授はそれを確認されていますか?」ヴィクトリアが質問を重ねる。

 「基礎調査を終えていない段階で、その記録の閲覧を申請するわけがない。第一、申請してから許可が下りるまで時間がかかる面倒なものじゃ。少なくとも王立魔法学院で所蔵されておる機密事項の閲覧は厳しく制限されておる。ワシでも許可を取るのに何日かかるかわからんわい」

 最後のセリフは、そんな面倒なことするわけがないというように聞こえた。

 「でも、そうであれば疑問のひとつに答えが出ます」

 レトのすぐ脇から声がした。後からテントに入ってきたメアリーだ。

 「私が塔について調べたとき、塔に関する記録は一切ありませんでした。ですから、私は塔が建てられたのは混沌時代と呼ばれる、歴史記録が抜け落ちている時代のものだと考えたんです。ですが、あれがマーリン時代のものだとすれば、あの塔は軍事機密に関わる史跡だというのは充分にありえます」

 「あの塔が軍事機密ですか?」

 レトは周囲の者を見回しながらつぶやいた。あれほど簡単に立ち入れる建物が、軍事機密であるとは考えにくいからだ。だからこそ、メアリーもすぐ非公開軍史を確認しようなどと考えなかったのだ。

 「そう思うのも無理はない。機密にしては無造作に雨ざらしにしておるからの」

 教授の声の調子が変わっていた。思わずレトが教授の顔を見ると、教授は何かに気付いたように真剣な表情でヴィクトリアを見ている。ヴィクトリアは自分の考えを話し続けた。

 『おそらく、塔自体に機密はないのだと思います。機密なのは塔を使用した目的のほうです。つまり、塔にまつわる歴史そのものなのです』

 「ウスキ君。君なら、魔法学院の記録室に入ることができるじゃろ。ひとつ、君の考えが正しいか確認してもらえんかの?」

 教授はヴィクトリアに話しかけた。

 『ええ、それは構いませんが、記録の閲覧は私も簡単に許可が取れませんよ』

 「それは急がなくてもよい。急いで確認したいのは、非公開軍史にホルン山と周辺の搭に関わる記録が存在するかどうか、ということじゃ。あるか、ないか、ということだけなら閲覧できずとも項目だけで調べられるじゃろ?」

 『その確認だけでいいのなら』ヴィクトリアはうなずいた。

 「僕からもお願いしていいですか?」

 レトが脇から顔を出した。

 「最近、非公開軍史の閲覧許可を申請した人物がいないか確認していただきたいのです。事務所の権限で可能であれば、閲覧者の氏名も確認していただきたいんです」

 『やってみるわ』

 ヴィクトリアが再びうなずくと、今度はコーデリアが横から顔を出してきた。

 『私にも手伝えることある?』

 「コーデリアさんにお願いしたいことは、今はありません」

 コーデリアがみるみるむくれた表情に変わる。

 「コーデリアさんは最後の切り札です。いざというときには頼りにしています」

 レトが慌てて付け加えた。レトの「頼りにしています」のひとことで機嫌を直したのか、コーデリアは『任せて』と言って、顔を引っ込めた。

 「おふたりは別の事件で大変なところ、申し訳ないと思います」

 レトが申し訳なさそうに言うと、ヴィクトリアは手を振って否定した。

 『大丈夫よ、気にしないで。こっちはこっちでうまくやるから』

 「行方不明者の事件は進展がありますか?」メルルが心配顔で尋ねる。

 『そうねぇ。それなりにって、ところかしら。遺体の身元が確定したら、こっちの方針も固まるしね』

 ヴィクトリアは言葉を選びながら話している。事件に関係のない教授も同席しているので、差し障りのない部分だけを話しているのだ。

 「さきほどの件ですが、今夜の定時連絡までにわかりそうですか?」

 レトは話を戻すようにして話題を変えた。

 『これからすぐ王立魔法学院に行くから、たぶん何とかなると思うわ』

 「あと、村人を殺害した魔法の謎があります。あれらの搭の秘密と関連があるのか、それも調べられたらいいのですが」

 『宿題が多いわね。でも、いいわ。その問題、私も気になって調べていたけど、まだ何も見つけられていないの』

 「では、また晩の定時連絡で」

 『じゃあね。レト君、メルちゃん』

 彼らは定時連絡を終えた。


 通信を終えると、ヴィクトリアは背伸びしながらコーデリアに言った。

 「じゃあ、出かけましょうか、王立魔法学院に」

 「やることはいっぱいね」コーデリアが服装を整えながら立ち上がった。

 「ちょうどいいじゃない。もともと魔法学院に行くつもりだったんだから」

 ヴィクトリアは片目をつむってみせた。


22


 「何て言うべきか、ミカン畑に遺体は一体もありませんでした。亡くなったのは村にいた者で全員だとわかりました」

 フォーレスはレトたちに捜索の結果を報告した。レトたちは村の入り口で落ち合い、互いの捜査報告をしているのだった。レトはフォーレスとともに村へ戻って来たブライス郡の兵たちに、疲れだけでなく安堵の表情が含まれているのに気が付いた。彼らは昨日だけで何十体もの遺体を運び出してきた。あのような惨状を再び目にすることがなかったので、この骨折り損に安堵しているのだ。

 「死者がほかに見つからなかったことに、僕も少しほっとしています。別に状況は好転していないんですけどね」

 レトは心からそう思っているらしく、表情が少し和らいでいた。

 「わかります。ですが、ここからが本番でしょう。私たちは、ようやく事件の概要を把握したところですから」

 フォーレスの言葉に、レトは強くうなずいた。

 「わかったのは、この事件が何者かの魔法による大量殺戮であることです。周囲の遺跡も利用して、大掛かりな仕掛けで村人を攻撃しています。どのような魔法を使用したのか、現時点で不明ですが、相手は相当な術者であることは確かでしょう」

 「しかし、まったく理解できないのは、なぜ、この村人を襲ったのかという動機ですね。まさか、村人が育てるミカンに恨みがあるわけではないでしょうに」

 フォーレスはメルルの冷ややかな視線に気付いて、咳ばらいをした。

 「ええとですね……、今のは冗談で言っているわけではなく、それぐらい、この事件の背景が常識離れしていると言いたかったんです」

 「フォーレスさんが戸惑うのも当然です。僕も、犯人の動機がまったく掴めずに困っています。これほどの事件を、まったく動機なしで行なうとは考えられませんから。しかし、村人全員に殺意を抱くような動機ってあるのでしょうか?」

 「諸君は動機にこだわっておるようじゃの」

 教授がレトたちに歩み寄りながら話しかけた。教授は、捜査報告に参加していなかったのだが、急に話に混ざる気になったらしい。

 「この件は、動機と切り離して考えたほうがいいと思うがな」

 「どうしてです?」

 「君はこの件を殺人だと断定した。では、犯人はどこから村人を攻撃したのかね?」

 「山の南側にある塔の前に、祭壇のような台がありました。犯人はその台から魔法攻撃を行なったのです」

 「そうじゃろうな。そう考えるじゃろ、普通は。だが、そうであれば、犯人は殺したい村人を仕留めたかをすぐに確認できない位置から攻撃を仕掛けたことになる。そうだね?」

 「……そうです」

 「そのような、結果が不確実な殺人を行なう犯人に、明確な動機はあるのじゃろうか? ワシは、犯人は村人が生きていようが、死んでいようが構わないと考えていたように思えるのじゃ。むしろ、殺意すらない、何か感情の欠落を感じるのじゃ。動機のない殺人であれば、動機から犯人像に迫るのは、とんでもなく遠回りになると思うんじゃがの」

 レトは教授の考えはもっともだと思った。レトが事件の捜査を始めてから、ずっと抱いていた違和感はそれだ。この事件には感情がない。いや、むしろ恐ろしいほどの非情さを感じるのだ。教授は動機がないと言ったが、レトにはとうてい理解できない動機で事件が起きたのかもしれない。

 「それに、君は事件の真相にひとつ近づいていることがあるんじゃないかね? ハント君が話していたよ。祭壇跡のような台で、君が何かに気付いたような表情をしていたとな」

 レトはすぐに口を開こうとしなかった。何かに迷っているように見える。やがて、口を開いたが、歯切れのいいものではなかった。

 「実は、まだ確信がもてるほどではないのですが、この事件を起こした者は、独りか、あるいは非常に少数ではないかと考えています」

 「ほう、根拠は?」

 「先生も同じお考えではないですか? 僕は先生がろうそくの燃え跡をなぞってらっしゃるのを見ました。しばらく経って、魔法陣に使われたろうそくが思いのほか大きかったことに気付いたんです。かなり太く、長時間燃え続けることができるものです。魔法陣に象徴効果を付け加えるだけなら、細いものでも充分なはずです。わざわざ大きなものを使用するのは、ひとり、あるいは少数で5つの搭に魔法陣を設置して回っていたからではないかと考えたんです。細い、あるいは小さなものだと、すべての搭を回る間に、最初に火をつけた魔法陣のろうそくが燃え尽きてしまうからです。僕たちはこの山をひと回りして、塔をすべて見て回りましたが、おおよそで1時間かかりました。祭壇跡らしい台に近い搭から始めて、そこから大急ぎで回ったとしても、40分から50分はかかるんじゃないでしょうか。魔法を行使するまでに、ろうそくは燃え続けてほしいはずですから、簡単に燃え尽きないぐらいの大きいものを用意したと考えられるんです」

 「ほう、さすがじゃの。ワシもろうそくの燃え跡をなぞっているとき、同じことを考えた。相手は思いのほか少数だったのではないかとな。充分な人数を用意しているのであれば、各搭に人員を配置して、それぞれ同じ魔法陣を展開させればいいわけじゃからの。ろうそくに頼る必要はないはずじゃ。そこから考えて、あれは単独で行われた可能性が最も高い。そうであれば、ろうそくを使用した必然性も理解できる。魔法陣の形成維持にろうそくが必須であり、象徴効果は、むしろ付け足しにすぎんというわけじゃ」

 「山をひと回りしただけで、そこまで考えていたんですか、おふたりは」

 フォーレスが感嘆とも、呆れ声ともつかない声で言った。予想以上にふたりが事件の解析を進めていたので驚いているのだ。

 「すまないが、さっきから出てくる『象徴効果』とは、何だ? 魔法に素人の、俺にもわかるように、説明してくないか」

 これまで、黙って聞いていたインディ伍長が口を挟んだ。分かるもの同士で当たり前のように飛び交っている、『象徴効果』という単語に引っ掛かったのだ。

 「象徴効果というのは、魔法の力を増強するために使われる仕掛けのことです。魔法陣は、魔法を使うための文字や記号を組み合わせて構成するのですが、文字や記号の代わりに身の回りの品物を代用することができます。ここは霊験あらたかであるとか、または呪われているなど、超常的な力をもつ場所がありますよね? それは自然が作った魔法陣みたいなもので、いろいろな物の配置によって特殊な力場が発生し、偶然に様々な現象を引き起こすことがあるんです。それが癒しであったり、健康被害をもたらしたりするのですが。象徴効果は、それを人為的に再現したもので、魔法陣にいろいろな物体を並べて配置することで、新たな力場を生み出して、行使する魔法の力を増強したり、補強したりできるんです」

 レトが丁寧に説明した。だが、インディ伍長は首をひねるばかりだ。

 「今ひとつ、わからんが……。要するに、探偵たちが見た、ろうそくの燃え跡というのは、何かの魔法を補助した跡、という話なんだな?」

 「その通りです」

 「うむ、そうか。話の腰を折って、悪かった。話を続けてくれ」

 要点を理解できたからか、インディ伍長は満足そうにうなずいて会話の先を促した。

 「何の魔法が使われたのか、ろうそくの燃え跡では確信を持てるほどの考えはありません。ですが、手掛かりがないわけではないので、候補を挙げて絞り込んでいこうと思います」

 レトが説明すると、教授は片目でちらりとレトの顔を見た。

 「ほう、手掛かり、かね?」

 「さきほど話した、象徴効果です。犯人は、防御系の象徴効果を使用していました。事件の内容と真逆ということが重要です。本来、村人を守るはずの防御系の魔法が使われたのに、結果は村人全員を死に至らしめています。防御系で人を攻撃できる魔法なんて、僕は知りませんが、そんな珍しい魔法が絞り切れないぐらい多くあるとは思えないんです」

 教授は「ふうむ」とひげを撫でながら言った。

 「君の言うことはわかるが、果たして、君の思惑通りに調べられるかの。実のところ、ワシも人を攻撃できる防御魔法なんて心当たりがない。未知の魔法を研究しているワシが知らぬ魔法じゃ。簡単に割り出せるとは思えんがの」

 「先生に思い当たる魔法はございませんか?」

 「ない、と言うより、何が該当するか見当つかんということじゃな。前にも話したことがあるが、魔法によっては、本来とは異なる効果が現れるものがある。氷結魔法で、相手を凍らせるだけでなく、凍傷にかかることがある、と話したことがあるのを覚えているかね? 復習になるが、今回の場合はそれに当たるのではないかと考えておる。つまり、当たり前の防御魔法の効果を、人を殺めるのに応用した、というものじゃ。それと、強盗どもが目撃したという稲光の件も合わせて考えるべきじゃ。あの光が何を意味するのか、それがわからんと、真相には近づけんじゃろ」

 「村人の遺体からは、何かほかに見つかりましたか?」

 レトはフォーレスに顔を向けた。

 「今、先生のおっしゃった光に関することが、遺体から見つかっていないか知りたいんです」

 「コジャック先生が郡の病院に向かったのは先ほどのことです。この山で採取したミカンなどの試料を持ち込んで、病院の検死と合わせて分析されるそうです。コジャック先生は、本日より郡の病院で試料の分析に当たるとのことでした。この村には戻らないそうです。つまり、すべてはこれからの話で、現時点で新しい情報は得られていませんね」

 フォーレスは首を振りながら答えた。テントの空気が重くなってきた。

 「現状では手詰まりか」

 教授は自分のあごひげを撫でた。

 「まぁ、だからと言って何もしないわけにもいかんしな。どうかね、レト君。また、『塔』の調査を進めてみんかね? ウスキ君の知らせですべて解明できるものか、今はわからんからの」

 レトはうなずいた。さきほどの基礎調査だけですべてわかると思ってはいない。あの塔の秘密をもっと調べたい気持ちはレトも同じだった。

 「そうですね。先生が現在、宿営地になさっているところを引き払うお手伝いもしなければと思っていましたし、下山したついでに塔の調査をしましょう」

 教授のひげがもぞりと動いた。

 「決まりだ。さっそく行こうじゃないか」

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