二話 海岸沿いの洞窟、そして――
砂浜を歩いていた僕はあることを思い出した。父上のことだ。
父上は半年前に亡くなった。死因は恐らくは病気で、この海岸沿いにある洞窟の入口で倒れていたらしい。
その洞窟の奥はあるドラゴンの棲み処になっていて、普通は誰も近づかない場所だった。ちなみにドラゴンの危険度はⅦ。兄上でも苦戦を強いられる可能性もある強敵だ。
「……行ってみようかな」
僕はそう思い立った。さしたる理由があったわけではない。……もしかすると、そのドラゴンに遭うことが目的だったのかもしれないが。
海岸を見渡してみると、遠くにその入口が見えた。歩いて十五分くらいはかかりそうだ。
でも、時間はいくらでもある。焦らずに行こう。
やがて洞窟の入口に辿り着くと、僕はそこの砂をそっと撫でてみた。
「父上……ここにいらっしゃるのですか?」
父上は兄上の魔法で焼却され、遺灰は先祖代々のお墓に収められた。でも、僕には父上がまだここにいるように思えた。
「……?」
その時、僕は岩に小さな文字が刻まれていることに気が付いた。普通に歩いていれば簡単に見落としてしまいそうな文字だ。
「セ……シル、へ……?」
そのように読めた。
僕は慌てて立ち上がり、他の岩の表面を探した。
「あった」
すると、他にも文字は見つかった。それらは洞窟の中に僕を導くように続いていた。
「……父上?」
知らず、僕は呟いていた。
そしてその文字を追うように洞窟へと足を踏み入れていった。
洞窟が深くなればなるほど光は薄くなり、どんどんと文字は見えにくくなる。途中からは刻まれた文字を指でなぞりながら読んでいった。
「セシルへ……今まで黙っていたことがある。我らロシウス家のルーツのことだ……」
家のルーツ……? なんのことだろう。
とにかく、もっと読み進めないと。
「ロシウス家の初代当主、現在ではその正体は不明……と、一般には言われている」
分かれ道がある。僕は迷わず、文字が続く方へと進む。
「しかし、本当は歴代の当主にだけ、彼の素性が知らされている……」
そして僕は次の文を読み、言葉を失った。
「彼の正体は、異世界からの転移者だ……」
すぐには意味が飲み込めなかった。異世界、と言われてもまったくピンと来ない。天国とか地獄とか、そんな場所から来たということだろうか……?
「神の祝福を受けた彼は……魔法の才覚で財を成し、ロシウス家を……作り上げた」
神の……祝福? 何の話なのか、全く見えない。
「しかし彼は、初めから魔法を……上手く使えたわけでは……ない」
遠くが明るくなってきた。最奥が近いのかも。
「代わりに、彼には持って生まれた……才能があった。ロシウス家の跡継ぎは……代々、その才能を受け継いだ者とされていた。得てして、後継ぎとなる者は……魔法の発現も早かった。私もだ……」
そろそろ、奥に着く。心なしか、唸り声のような音が聞こえて来る。
「私の言いたいことが分かるか? 分からないなら、端的に言ってしまおう。私は、次の当主にはセシル、お前を選んでいた……!?」
そんな馬鹿なことはあり得ない。僕は確かに魔法の発現だけは早かったけれど、それからはからきしだ。父上が僕を選ぶ理由がない。
「しかし、お前は上手く……魔法を使えなかった。そこで私は跡取りには表面上、ヨハンを指名していた……。だが、安心してくれセシル……何も問題はない。お前が魔法を使えないのは、正しい触媒を持っていなかった……からだ」
触媒……カタリストとも呼ばれるものだ。大抵の魔術師は自らの手、あるいは杖を触媒として使用する。体内の魔力を詠唱によって正しく魔法に変換するためだ。
しかし、正しい触媒とは何のことだろう……。
「その触媒を、最奥の広場に置いてきた。使い方はすぐに分かるはずだ。それさえあれば、お前は正しく魔法を行使できる」
次の一文で最後。すぐ先には月の光が差している。
「このメッセージを、次期ロシウス家当主、セシル・ロシウスに送る。お前の眼ならきっと見つけてくれると信じている……」
全てのメッセージを読み終えた僕は、ゆっくりと月明りの下に出た。サクサクとした感触が足に伝わる。
そこは崖が侵食されたような場所で、すぐそこが海に繋がっていた。さっきまで見ていた月と同じ月が見える。
僕はぼんやりとしながらそこを歩いた。
「……なんだ、何もいないじゃないか」
噂に聞くようなドラゴンなんて、そこにはいなかった。さざ波の音が寄せては返すばかりだ。
「触媒……触媒なんて……」
そんなもの、どこにも見当たらない。右を見ても左を見ても。
仕方ない、少し月でも見て行こう。
そう思ったその時だった――
「……月が、二つ……?」
夜空には大きな円が二つ浮かんでいた。一つは眩い光を放ち、もう一つは逆に真っ黒だ。
そして僕は気付いた。
「――ドラゴンだ」
黒い月は大きく翼を広げた竜だということに。
その影がどんどんと大きくなる。高速でこちらに接近しているらしい。
そして爆音の咆哮が海面を波立てる。
「ガアアアアァァァァァッ――‼!」
僕は死を直感した。相手は危険度Ⅶ相当の災害級モンスター。おまけに今、僕はそれの棲み処の中にいる。手を出さなければ温厚とも言われるドラゴンだが、この状況で許してもらえるとは到底考えられない。
僕は踵を返して走り出す。いつの間にか奥まで来てしまっていたらしく、元来た出口が遠い。
「ギアァァアッ‼」
ドラゴンが口を大きく開く。その中からは冷気の塊が飛び出し、出口に命中して一瞬で氷の中に封印した。
「くそっ……!」
再び方向を変える。既にドラゴンは浅瀬に着陸していた。
それが一歩歩くたびに、大きな波が立ち、砂粒が揺れる。
僕はその頭に向けて手を突き出して呪文を詠唱した。
「雷の精よ、求めに応えよ――『閃光』‼」
それは『発光』の上位魔法。瞬間的に魔力を雷属性に転換することで視界を奪う魔法だ。
しかし僕の手からは、豆電球ほどの大きさの光が一瞬生まれただけだった。
「……駄目かっ!」
そんなことは分かっていた。僕に使える魔法なんて存在しない。ましてやドラゴンを倒せるような魔法なんて――。
そのとき、
「ぐっ!」
僕は何かにつまずいて派手に転んだ。顔に付いた砂を払うこともせず、僕は足元に目を遣った。
そこには黒くて四角い何かが埋まっていた。さっきまではこんなものはなかったはずだ。
「グルルルルゥゥゥゥゥ……!」
ドラゴンは口の端から冷気の息を吐き出しながら一歩ずつ近づいて来る。距離はおよそ十五メートル。
そして気付く。
「ドラゴンが歩いたから、砂が動いて上がって来たんだ……!」
僕が見つけられなかったということは、きっとこれまでは砂の中にあったのだろう。そして、それが皮肉にも、命の危機に瀕してやっと姿を現した。
同時に僕は、これこそが父上のメッセージにある『正しい触媒』だと思った。根拠なんてない。単なる勘、あるいは希望的観測だ。
しかし四の五の言っている時間はない。僕は必死にその物体を掘り起こした。指先が切れて血が出るのも構わずに掘り続けた。
「速く……速く……‼」
そしてやっと全貌が明らかになる。もはやドラゴンは口を開く途中だった。
「……これは!」
それは見覚えのある箱だった。昔、父上が見せてくれたものだ。
『――これはお前専用の宝箱だ。鍵が掛かってるから、忘れない数字――お前の誕生日にしておこう。それに数字を合わせて開けるんだ』
『僕が使っていいの!?』
『ああ、そうだ。でも、今は父さんが預かっておくよ』
『え~なんで!?』
『きっといつか、必要になる日が来るからさ――』
脳裏に父上の声が、その笑顔が蘇る。その間も、僕は必死にダイヤルを合わせた。そして――
「――開いた‼」
「ガアアァァッ‼」
僕の声とドラゴンの声が重なる。
次いで、奴が完全に口を開いて僕に向かって首を伸ばす。それと同時に、僕は箱の中に入っていたものを両手で持ち上げて片目を閉じた。
「グラアアァァッ‼」
「――行っけぇ‼」
乾いた音が反響し、凄まじい反動が僕の体を吹き飛ばした。
僕が持ったそれから飛び出したのは赤色の小さな塊だった。それが空中で魔法陣を生成しながら、ドラゴンの口の中に飛び込む。
次の瞬間。
バァンッ‼ という爆発音。射出の時の何倍ものエネルギーが炸裂した。
音に遅れてやって来たのは熱風だった。空中で巨大な火球になった塊が、空気を押して熱波を生み出したのだ。
「ギイイイイィィィィッ――‼!」
耳をつんざく絶叫。火球の膨張がドラゴンの腹や首の分厚い皮膚を突き破っていた。
激しい燃焼音が消えると、僕の目の前に巨大な瞳が落下してきた。――胴体から完全に切り離され、死亡したドラゴンの首だった。
「はあっ……はぁっ……!」
腰が抜けていた。生きている実感が湧かない。顔から血の気が引いていくのが分かる。
そして動悸が少し治まって来たころ、僕はやっと手に持ったそれの姿をきちんと確認できた。
銀色で、細身の何か。赤いものが飛び出した方からは煙が上がり、先端はそれを吐き出すように口を開けていた。横から見ると、赤と黄色と緑の光が見えた。そのパーツを押してみると、横に飛び出す。六つ穴があるうち、赤、黄、緑の他は空白の黒だ。
それを戻して、持ち手の上にある突起を起こすと、カチリ、と音がして先程のパーツが回転した。
もうさっき引いたスイッチには触らない方がいい気がした。
箱の中には簡単な説明書とともに、こんなメッセージが入っていた。
『それは初代ロシウスが異世界から持ち込んだ武器『リボルバー』だ。彼は銃撃の才能に優れ、魔法の射出にこれを使用したらしい。……願わくは、この手紙がきちんとお前に届くことを祈っている。さようなら、セシル。――父より』