十二話 来訪者
僕は首を倒し、腕に付けて片目を閉じる。銃口が向いている先には凶暴化した半人半馬のモンスター――ケンタウロスの姿がある。
距離はおよそ五百メートルほどだ。少々遠いが、弾の種類によっては届かないこともない……というか、余裕で有効射程圏内だ。
僕は座り込んでいるケンタウロスの脚に狙いを定め、撃鉄を起こした。
「……『微風』」
引き金を引く。薄っすらと白みがかった空気の流れが空を切る。
風の初級魔法――『微風』。それをリボルバーに預けて撃ち出したのだ。
森の木々の間を縫うように駆け抜ける銃弾。最後に辿り着いたのはケンタウロスの右後ろ脚の第一関節だ。
「命中!」
風の銃弾が炸裂し、風圧で脚を一本へし折る。これでケンタウロスはもう歩けないはずだ。
「ルシアさん、行こう!」
「はい。ですが、本当に当たったのですか?」
「どう見ても当たってるでしょ」
「普通は、森の中で擬態している五百メートル先のケンタウロスなど見えませんよ。確かに、当たったような匂いはしますがね」
「そっちの方がおかしいから」
フレイルの鎖を磨いていたルシアさんが立ち上がる。後は彼女にケンタウロスを無理矢理引きずってもらえば、依頼は成功だ。
「フレイルの出来はどう?」
訊くと、彼女はそっと得物を差し出した。どうやら手に取ってもいいらしい。
「うわぁ……すごいピカピカだ……執念を感じる」
鎖には錆も傷もなく、目が眩みそうなほどの光を放つ。目を凝らすと、仮面を着けた僕の顔がいくつも映っている。
ルシアさんは茹でダコのように真っ赤になり、そっぽを向いてしまった。
「そ、そんなに褒めたってなにも出ませんよ……!」
「うぅん……」
何故この人はフレイルを褒められると照れるのだろうか。
――そうだ、試しにルシアさん本人を褒めるというのをやってみよう。こっちが恥ずかしくなりそうだけど。
フレイルを返してしばらくすると、ルシアさんがいつもの様子に戻る。修道服のフードから覗く横顔からは全く感情も思考も読み取れない。
「ルシアさん」
「はい」
「か、髪が綺麗だね……」
まずい、急速に死にたくなってきた。僕が彼女の顔を見ていられない。
それでも、なんとかちらりと視線を向ける。するとルシアさんは、
「……? お褒めにあずかり光栄です」
と不思議そうな顔をするばかりだった。
「な、何なんだこの人……」
「何か仰いましたか?」
「なんでもないよ……」
心臓に悪い。胸に治癒の弾撃っとこうかな。
と、そんなことを思っている間に、僕たちはケンタウロスが倒れている場所に辿り着いた。
「ふむ、引き締まった筋肉ですね」
「食べちゃ駄目だからね」
「失敬な。いくら私でも、ちゃんと調理はしてからいただきます」
「やっぱり食べる気じゃないか!」
今日の僕たちの依頼は、他でもないケンタウロスからのものだった。とは言っても、目の前のこの個体じゃない。
町の近くに棲むケンタウロス族の長老からの依頼だ。
『魔力が暴走して正気を失った仲間を連れて帰ってほしい』という内容だった。
「では参りましょう」
ルシアさんは気を失っているケンタウロスの腕と脚を縛り上げ、縄を肩に担いだ。
ケンタウロスの集落までは三十分くらいだった。今日の晩御飯を何にするか、なんて話しながら歩いていればすぐに着いた。
僕たちの姿を認めると、白い髭を生やした長老は涙さえ流しながら出迎えてくれた。
「よくぞ戻ってくれましたな!」
「少々手荒なことをした。傷は俺が治そう」
「おお、それはそれは、是非ともお願いしたい! その後はワシらが責任持って正気に戻しますぞ」
「ああ、頼む」
僕は引きずられて擦り傷だらけのケンタウロスに向かって緑の銃弾を放つ。傷はみるみるうちに癒えて、あらぬ方向に曲がっていた脚も元通りだ。
「これで依頼は完了だな?」
「本当にありがとうございますですぞ。ワシらケンタウロスは人間に友好的とは言え危険度Ⅴのモンスター。なかなか取り合ってくれる人間はおらんのです」
「困った時はお互い様ですから。ですよね、ウル様」
「そうだな、シスタールシア。魔力暴走の原因はまだ分かっていないようだし、何かあればまた依頼を寄越してくれ」
僕たちはそう言って集落を後にした。
――
―― ――
僕が――ウル・シロスが生れてからそろそろ一か月だ。その間に色々なことがあった。
特筆すべきは、僕が使える魔法の種類が増えたことだ。今では弾倉には五色の光が入っている。火炎、雷、治癒に加え、冷気と風が加わったのだ。威力の調整もかなり利くようになってきた。
ルシアさんともかなり仲良くなった……はずだ。いや、でもあんまり変わってないのかも……。
とにかく、僕は前に比べるとかなりたくましくなったことだろう。Dクラス昇格試験を受けられる日も近いに違いない。
そんなことを考えながら、僕とルシアさんはモンスターオーダーに帰って来た。
「ローズ様、ただいま戻りました」
「ルシア様、シロス様、お疲れ様でした。依頼は無事成功と伺っておりますよ」
「では報酬をいただきましょうか。家賃を払ったばかりで懐が寒いですし」
ルシアさんってお金のこととか考えたりもするんだ。と、失礼極まりないことを思いながら僕は二人のやりとりを聞いていた。
僕はリボルバーの弾倉を回しながらぼんやりしていたが、ローズさんが少し困り顔になってこう言うのは視界の端に見えていた。
「その前にですね……お二人にお客さまがいらっしゃっておりまして……」
「客ですか。私の上司以外なら誰でもウェルカムですが」
するとローズさんはオフィスの奥に向かって呼びかける。
「ロシウス様、どうぞ!」
ああ、何だか久しぶりに聞いた名前だな。ウル・シロスにはもう関係ない苗字だけど。
……って、僕のことを呼んでるわけじゃないよね? じゃあ一体……
「お初にお目にかかるよ、シスタールシア、それにウル・シロスくん」
そこにはにこやかに笑い掛ける見慣れた顔、僕に似た灰色がかった髪、懐かしい声――
「初めまして、魔術師協会から来たヨハン・ロシウスという者です」
(ゲェッ、あ、兄上えええっ――‼!)
魔術師協会副会長にしてロシウス家当主、ヨハンの姿があった。
「魔術師協会? では私ではなく、ウル様へのお客様でしょうか」
「いや、確かにウルくんがメインのつもりではあるけど、君にも会いに来た。この町には聖職者の協会はないから、私たち魔術師協会の方で君の名前を管轄してるものでね」
「おや、そうでしたか。では添え物なりのお仕事はいたしましょう」
……まずい、吐きそうだ。兄上なら声だけでも変装を見破れるかもしれない。下手に喋ることすらできないじゃないか……!
それにしても、兄上が僕たちに何の用があって来たんだ……?
「向こうで座って話そう」
「了解しました。ウル様も、参りましょうか」
「う、うむ……」
僕は出来るだけ声を低くして言った。いびきみたいな音だった。
サロンの椅子に掛けた兄上の後に続きながら、僕はルシアさんに耳打ちする。
「悪いんだけど、ルシアさんが対応してくれないかな?」
「おや、いかがしましたか」
「いやぁ理由は言えないんだけど……。とにかく、僕は相槌くらいしかできないから。あと、顔も知らない体でお願い!」
「……? 了解です」
黙っていれば簡単にはバレないだろう……多分。
そんなわけで、僕はしばらくろくに喋らない。
「それじゃあ改めて、ヨハンだ。よろしく」
「よろしくお願いいたします、ヨハン様。『クリャ教』の修道女、ルシアと申します」
そういえば、ルシアさんの目的は布教活動だったっけ。モンスター殺しの神、テオ・クリャ……だったかな。今にして思えば、ルシアさんにぴったりの宗教かも知れない。
「ご存知でしょうが、こちらはウル・シロス様です」
「もちろん知っているよ。あの洞窟のドラゴンを狩ったらしいじゃないか! それに、この前は二人でウォーウルフの群れも全滅させたとか! そんな人たちを放ってはおけない、と思って会いに来たんだよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「それで早速本題なんだが……私は君たちのような人材がEクラスのままじゃ、この町の損益に繋がると思っていてね。それで、君たちさえよければ一つ上のDクラスをスキップして、Cクラスの試験を受けてみないか?」
「ほう、それは思ってもみない僥倖。ですよね、ウル様?」
クラスは通常、一つずつ上がっていくものだ。ローズさんもそう言っていたし、飛び級なんて聞いたこともない。でも、それが本当だとしたら、すごく助かる。何せ、貰える報酬額がかなり増えることになる。お金のことは常に死活問題だからね。
僕は考えることもせずこくこくと頷いていた。
「よし来た!」
兄上はなんとも爽やかな笑顔で手を叩いた。
……こんな顔はもう十年近く見たことがなかった。
「して、試験の内容とは? Cクラスといえば、主なターゲットは危険度Ⅴ弱のモンスターですが」
「それのことなんだけど、モンスターハントが内容じゃない」
「そうですか。料理と大食いなら自信はございますが」
「そんなの試験にするわけないじゃないか……」
僕は兄上と同じことを心の中で言っていた。もしそれが内容だったら、料理はともかく大食いで僕が突破できないかも知れないし。困る。
「残念です……」
そんなにがっかりするところじゃないから。
「では一体試験内容とは?」
「うん。私と魔術師協会会長、それにモンスターオーダーとで協議した結果、私との組手に決まったよ」
……は?
「ほほう、腕が鳴りますね」
「だろう?」
待て待て待て……それは普通じゃないぞ‼
「今からで構わないかな? 時間があまり取れないものでね」
「いいでしょう」
良くないだろ‼ 何勝手に話を進めてるんだ……って言っても、この場はもうルシアさんに任せてしまった。僕に発言権はない。
(……もうどうにでもなれ‼)
僕は外に向かう好戦的な二人を追って立ち上がった。