十話 獣と電撃
森の中から聞こえたのはロッツの馬鹿でかい声だった。最初に姿が見えたのはすばしっこいシュロだ。
「キタキタキタ! ルシアちゃん、リネッサのバスケット持っててくれないか!?」
「了解しました」
ルシアさんが立ちあがってバスケットを拾い上げる頃、剣を携えたロッツと凄まじい形相をしたリネッサが走ってきた。
「来るぞ! 三頭だ!」
「さっ、三頭!? そんなの聞いてないぞ――!」
「腕が鳴りますね」
一頭でも馬鹿にならない被害を出しかねないウォーウルフが三頭も。これは危険な兆候だ。
奴らは通常、単独で行動する。しかし非常に稀に群れを形成するのだ。そうなった場合、危険度Ⅶのドラゴンに勝るとも劣らない被害が発生する。可能性というレベルではない。人里を襲わなかったウォーウルフの群れなど、古今東西どこにも存在しないのだ。
どうにかここで叩いておかなければ、大変なことになってしまう――。
ロッツとリネッサに続いて、灰色の影が飛び出した。ウォーウルフだ。
「グルルァァッ!!」
鋭い爪と血走った目が輝く。同じくらいの体格をした三頭が、三叉に別れて僕たちの回りを取り囲んだ。
その中心は――ルシアさんだ。
「これは善良なモンスターですね。私に殺されたいとは」
「な、何言ってるんだよ! あいつら、ロッツたちなんて眼中にないって感じだぞ!」
「ですね」
僕たちを囲うウォーウルフの環から外れた場所に三人の姿が見えた。ルシアさんより彼らの方が近くにいるというのに、ウォーウルフはそっちには見向きもしない。
「何かおかしい……どうしてこっちにばかり?」
「死体に訊くとしましょう」
ウォーウルフの一体が四足で駆け、黒い修道服姿に襲い掛かった。
僕はリボルバーを抜いて応戦しようとするが、想像より遥かにウォーウルフは速い。既に、撃つとルシアさんに誤爆しかねない位置に接近していた。
「ルシアさん!」
「――でえぇいっ!!」
裾が翻る。そう思った瞬間には、ルシアさんの回し蹴りがウォーウルフの頭蓋に突き刺さっていた。
「キュイィ!?」
と、か細い鳴き声を上げてウォーウルフが落下する。頭からは赤い血と白い脳みそ、虹色の魔素が流れ出していた。
「まずまずですね」
「まだ来るぞ!」
もう一頭が蛇行しながら駆ける。
「狙いが定まらない――」
仕方ない。少々危険だけど、こうするしかない。
僕はルシアさんとウォーウルフの間の空中に向けて狙いを定め、撃鉄を起こす。
「後ろに跳んで!」
ウォーウルフが地を蹴って飛び上がる瞬間、僕は叫んだ。ルシアさんはそれを聞いて素早く飛び退く。
「発光ッ‼」
そのまま引き金を引いた。反動と共に射出された電撃の銃弾は空中へと奔る。
そして次の瞬間、飛び跳ねていた獣人の腹に突き刺さる。
「命中――!」
眩い光が爆ぜた。
バンッ‼ という爆発音めいた音を立てて黄色の魔法陣から雷が放たれる。
「ルシアさん、無事!?」
「この通り」
見ると、ルシアさんは最後の一頭の背骨にフレイルの一撃を叩き込んでいた。
背中側へ“くの字”に折れ曲がったウォーウルフからダストが流れ出す。
「さすがはルシアさんのフレイル……」
「い、いえ! そ、そのようなことは……!」
呟くと、それを聞いたルシアさんは真っ赤になって俯いてしまった。
……まったく、彼女の感覚はつくづく分からない。
次に僕はロッツたちの方へ向き直る。
「怪我は!?」
「大丈夫だ。いやぁそれにしても大変な目に遭ったな」
「……どうして黙ってたんだ」
「えっ?」
僕は弾倉を一つ巻き戻しながら語気を強める。
「三頭もいるなんて聞いてないぞ!」
「あんまりデカい声出すなって。俺だって想定外のことだ」
「……じゃあもう一つ訊くが、どうして奴らはシスタールシアを狙った? お前たちの方が近くにいたのに!」
「テメェの女の代わりに俺たちが襲われればよかったってか? 酷いこと言うじゃねぇか、俺たち仮にもパーティだろ!?」
ロッツは大袈裟な身振りをする。だが、僕には白々しい演技にしか見えない。
思わず仮面の下で舌打ちをした。
ロッツはつかつかと僕の横を通り過ぎると、感電し、痙攣して倒れているウォーウルフの胸に剣を突き立てた。
「ちゃんと殺したか確認しないと、危ないだろ」
呻き声と共にウォーウルフが動かなくなる。ダストはロッツの剣に吸い込まれていった。
「ロッツ……!」
「なんだ、文句でもあんのかよ? ……シュロ、リネッサ、行くぞ。依頼は完了だ」
何かがおかしいんだ。しかし何が問題なのか、僕にはそれが分からない。
だから並んで歩き始める彼らを黙って見ていることしかできなかった。
「……ったく、面白くなかったぜ」
「あんなにあっさりやられちゃ、せっかくここまで連れて来た甲斐がねェってもんだな」
「女の方は色々思った以上だったけど、マスクの奴はつまらないわね~。話してても面白くないし」
三人が歩いて行く。
気が付くと、バスケットとフレイルを携えたルシアさんが僕の隣に立っていた。
「ウル様、お疲れさまでした」
「……うん。ルシアさんもお疲れ様」
「もしや、ウォーウルフを殺し切れなかったことを悔いていらっしゃるのですか?」
「まあ……それも無くはないけど……」
「気に病むことはありません。ウォーウルフの体毛と皮膚は電気や熱に強いですから、物理攻撃に軍配が上がることも多いですよ」
……ちょっと違うけど、少しだけ元気が出た。
「ありがとう、ルシアさん」
「お気になさらず。お礼はお面の下で結構ですよ」
「あれ、やっぱり気になってたんじゃ……」
「違います」
ロッツたちはもうこっちを向く気配は無いし、少しだけ仮面を外そうとした。すると、何故か当のルシアさんがそれを制した。
「おや、せっかちですね、ウル様。まだご依頼は終わっていませんよ」
「……え? でももうウォーウルフは倒したし……」
「嗅覚を研ぎ澄ませば、臭いますよ。獣の匂いが」
「どういう――」
僕ははっとした。
周りを取り囲む森の中の遥か彼方、木の影、草葉の奥に光る瞳――。
「ウォーウルフ……! まだいたのか……‼」
しかもそれは一対ではない。目を凝らせば、まだいくらでも見えてくる。
そうか……群れはもう出来ていたんだ。
「じゃあ、群れの長が……」
森の中から鳥が逃げるように飛び立つ。その真下に目を遣ると、一際大きな影が疾走していた。それの視線の先には――ロッツの後ろ姿があった。
「まずい、助けないと!」
「しかしウル様、こちらも対岸の火事とは言えない状況です」
そう、僕らの周りにもまた、無数のウォーウルフがいた。狙いはやはりルシアさんのようだ。
「くそっ……どうしてルシアさんが狙われてるんだ……!?」
周囲にも気を配りながらロッツの方へと走る。すぐ後ろにはバスケットとフレイルを持つルシアさんも付いている。
――とその時、ルシアさんはバスケットの中から何かを取り出して、それを齧った。
「ふむふむ、よく漬かっていてなかなか美味ですね」
「……ルシアさん? それは……?」
「リンゴの蜂蜜漬けですね。甘い匂いがするとは思っていましたが、よもやカゴの中に入っていようとは」
「蜂蜜漬け……!?」
そうか、そういうことだったんだ。
ロッツたちの思惑に気付き、僕は自分の脚を殴った。
「リンゴも蜂蜜も、ウォーウルフの好物だ! あいつら――シュロがルシアさんにバスケットを持たせたのは、それの匂いで注意をルシアさんに集めるためか……!」
ではどうしてルシアさんに――僕たちに攻撃を集めさせた?
あの三人ならウォーウルフ三頭が相手でも後れを取ることはないはず。……これと言ってそうするべき理由が見つからない。
その時、ロッツ目がけて影が光の下に飛び出した。
「ロッツ! 避けろ‼」
僕は叫ぶ。しかしすぐには、その言葉の意味は伝わらなかった。
「ああ? なんか言ったかよ?」
こっちに振り返る。そのすぐ横には、真っ黒い毛を生やした群れの指導者――『人狼の長』が迫っていた。
僕はリボルバーを構える。しかし、この距離ではどの攻撃弾を撃っても三人の内の誰かに誤爆が起きる。……ならば、ロッツには攻撃を受けてもらうしかない。
「グルアァァッ‼!」
「う、うわぁっ!? なんだ!?」
「そこを動くな‼」
ロッツが長に気付いて振り返る。煌めく犬歯が眼前に迫っている。あとの二人も、想定外の事態にまだ動けない。
二足で立ち上がった長の犬歯が肩に突き刺さり、骨を噛み砕いて肉を食い千切った。
「ぎああああああぁぁぁぁっ‼」
血飛沫と悲鳴が舞う。
僕はそのただ中に向けて一発の銃弾を放った。それは緑色の魔法陣を展開し、ロッツの胴に向かって空中を駆け抜ける。
その頃、潜んでいたウォーウルフが、三人に向かって走り続ける僕たちを囲むように続々と姿を現していた。
わずかコンマ数秒前に銃弾が通った軌跡の上にも、毛に覆われた体が飛び出している。
「痛ぇ、痛ぇよぉ‼ り、リネッサぁ‼」
「――はっ、す、すぐに治すわっ!」
しかしリネッサが呪文の詠唱を済ませる前に、緑の弾丸がロッツに着弾した。放出される治癒の魔力が食い千切られた肉片を呼び戻し、皮膚の裂け目を縫合していく。
「な、えっ、これは……!?」
「ロッツ、シュロ! まだ来るぞ、武器を抜いて戦え‼」
「う、ウル!? お前一体何を――」
「いいから戦え!」
その時、僕の走る先が完全に封じられた。体格の良いウォーウルフ二頭が立ち塞がったのだ。
「くそっ……!」
「ウル様、リンゴの芯はいかがしましょう?」
「その辺の奴にあげときなよ!」
ルシアさんも立ち止まって、どこかにリンゴの芯を放り投げた。背中の方で、ウォーウルフが何かを咀嚼する音が聞こえる。
「進ませてはくれないか……! ルシアさん、あの二頭って退かせられる!?」
「ふむ、少々厳しいご提案ですね」
「ええ!?」
振り返ると、ルシアさんは既に三頭のウォーウルフを屠り、さらに三頭同時に相手をしていた。
「腕は二本しかないものでして」
「ああ……ごめん! こっちでどうにかするよ!」
彼女は僕の背中を守ってくれている。これ以上おんぶに抱っことはいかないな。
二頭のウォーウルフの間から、三人が戦っているのが見える。
ロッツは大剣を構え、シュロは逆手に短剣を握っている。リネッサはいつでも魔法を使えるように呪文を唱え続ける。
「うおおおっ‼」
「せぇいっ!」
二人の斬撃が同時に放たれる。しかし、シュロの刃は長に届かなかった。横から飛び込んだ一頭が、まるで長を守るように身代わりになったのだ。
「そ、そんな馬鹿なァ!? あのウォーウルフが他の何かを庇うなんて聞いたことも――」
突き出したシュロの腕を、別の個体が爪で切り裂く。長い爪は骨の近くまで肉を抉った。
「う、うわああああぁぁぁぁっ‼!」
「シュロ!? す、すぐに治癒を……――えっ、あああああっ‼」
次に、リネッサの脚に牙が突き刺さる。白い衣に血が滲む。弾みで触媒の杖が手から離れ、集中していた魔力が消し飛んだ。
最後はロッツだった。
振り下ろした大剣の刃は爪で受け止められ、長の強靭な顎によって鉄屑に破壊されていた。
「う、嘘だ……! 俺の剣が、俺の剣がこんなに簡単に折れるわけねぇ‼ 俺は剣闘士学校をトップで出た天才だぞ‼」
腰を抜かして後退するロッツの叫びは、しかし人語を解さない獣には届かない。
長は白く閃く爪を天高く掲げ、ロッツの頭部に狙いを定めた。
(まずい――!)
このままではロッツは死ぬ。何とかして助けないと。
距離的に、長とその近くのウォーウルフを少しの間拘束できれば、ロッツたちだけは逃げられるはずだ。
僕は銃を構え、弾倉を回して引き金を引く。飛び出した弾丸は目の前の二頭の間をすり抜け、一直線に長の足元へ向かう。
「グルルルッ……――ギイィ!?」
命中だ。電撃が周囲に伝播し、三人を囲むウォーウルフ全てを連鎖的に撃ち抜く。
「うわあっ! ……これは……!?」
「逃げろ‼ ここは俺たちでどうにかする‼」
彼ははっとしたように目を見開き、麻痺したウォーウルフたちの間を這う。残りの二人を立たせようとしているらしい。
「く、くそぉっ……! 昨日来たときは三匹しかいなかったのに……!」
「うぅ……ロッツぅ……‼」
「大丈夫か、シュロ、リネッサ!? ここはあいつらに任せて逃げるぞ……!」
脚をやられて立ち上がれないリネッサを、二人が肩を貸して運んでいく。その歩みはリビングルートより遅かったが、なんとかここから逃げ切れはするはずだ。
「うぅっ……あいつらをハメて笑ってやろうと思ってたってのに……!」
「ロッツ、ロッツ! 血が止まらねェよォ‼」
「うるせぇんだよこの馬鹿‼ テメェが役に立たねぇつま楊枝みてぇな剣持ってるからこんなことになるんだ‼」
ロッツとシュロは互いに喚きながら、ゆっくりゆっくりと遠ざかって行った。