03.壊れる日常
翌朝、見慣れたはずなのに落ち着かない自室で僕は身支度を整えていた。
久方ぶりに見るデジタル時計を見ると、時刻は7:00。
そう、今日は水曜日、学校に行く。
不思議な気持ちだった、引き篭もってた頃はあんなに嫌だった学校だったのに、いざ異世界にいると行きたくて仕方なかったのだ。
毎日が死と隣り合わせの戦場だったからなのか、今僕はとてもわくわくしている。
なんせ体感では2年ぶりなのだ。
学生服は……相変わらず少し小さいけど、こればかりはすぐに買い替えともいかないし仕方ない。
肌着のタンクトップを着て、カッターシャツに袖を通し、学ランを羽織って、ズボンを履く。
ベルトを通して締める頃には、まるで新品の装備を買った時のような感じがしてくる。
……って、装備じゃなくてせめて服って言わないと、今日から僕は学生なんだから。
階段を降りて行くとお母さんもお父さんも既に起きていたようで、食卓についていた。
そして僕の顔を見ると目をパチクリさせていた、あれ、寝癖でもあったかな。
「おはよう。」
「お、おう、ってもしかして、一磨……学校行くのか?」
「え?あ、うん。あ、もしかして僕既に退学になってる?」
気持ちが昂ぶって完全に頭からすっぽ抜けてたけど、高校は義務教育ではないわけで。
一ヶ月も居なかったとなると、もう通えないのでは……?
そんな僕の考えを見抜いたのか、お母さんがふふ、と笑って見せた。
「大丈夫よ、昨晩警察と学校には私から伝えてあるわ。」
「ああ、なんだ、よかったー。」
「そうではなくて、一磨が楽しそうに学校へ行くなんて随分久しぶりに見たからね?」
「アハハ、僕何かを学ぶのが好きだって事にあっちの世界で気づいたからさ。」
椅子に座ると、お母さんが僕の前にご飯と味噌汁、そして目玉焼きを置いてくれた。
それだけで僕は涙が出そうになってしまうけど、堪える、やっぱり暫くは涙腺が弱そうだ。
「いただきます!」
「ええ、おあがりなさい。」
そう言ったお母さんも少し泣きそうな声だった。
ううん、久しぶりの学校だからピシッとして行きたかったんだけど、味噌汁を啜った瞬間にやっぱり涙が出てきてしまった。
本当に美味しかった。
僕が食べ終わると、さなえも降りてきた。
昨晩は随分早くに寝たみたいで、クマも少しマシになったように見える、お兄ちゃんとしては安心した。
「え、お兄ちゃん学校行くの?」
「うん、なんなら一緒に行こうか、バス停までだろうけど。」
「……お兄ちゃんやっぱり変わったね。」
「そりゃそうさ、僕としては2年も経ってるんだもの。」
「あはは、そうだったね。」
僕はさなえの準備が終わるのを待って玄関へ向かう。
すると、既にギリギリだろうに僕を待っていた父さんが
「一磨、昨日言おうか言うまいか迷ったんだが。」
「うん?」
「……お前が例えどこへ行こうと、何をしようと、お前は父さんと母さんの自慢の息子だからな。」
そう言った。
「うん!でもお父さん、そんなポンポン異世界に呼ばれるわけないよ。」
「ハハ、そうだな……と、やばい遅刻する。」
大慌てでお父さんは僕とさなえに手を振って走って玄関を出ていった。
僕とさなえも玄関を出るとお母さんが僕らを抱きしめた。
「いってらっしゃい。」
「……いってきます!」
「お、お母さん、髪が、髪が崩れちゃうよ!」
さなえは照れているのか必死に抵抗してたが。
さなえとバス停で別れ、僕は一人通学路を歩く。
道中で僕に向かってくる視線は今のところ無い。
学年が入り乱れて通学してるのだから当然と言えば当然なんだけども。
学校の下駄箱でシューズを履き替え、1-Cに向かっていく。
朝だからか開け放たれている教室に入ると、ここでようやく視線が僕に殺到してきた。
「おはよう。」
ニコッと笑って僕を見ていた人達に声をかけると、まばらながら返事が帰ってくる。
中にはひそひそと内緒話をしだす人もいたようだけど、全部丸聞こえなんだよね……。
曰く、あれは誰だとか。
曰く、僕は死んだはずだとか。
曰く、僕は転校したはずだとか。
し、死んだはずは酷いなぁ……実際死にそうな経験は何度もあったけどね……。
2年も経っているのだから見た目の変化が一番激しいのだろうけど。
額の上から眉を通過するように刻まれた刀傷のおかげで、まるで危ない人のようになってしまっている。
まあ、これはレガリアから受けた名誉の負傷だから僕は気に入っているけどね。
「おい氷室、お前よく来れたな。」
席に座ろうとしている僕に後ろから話しかけてきたのは、2年前僕をイジメていた一人の秋山くんだった。
あの頃の僕は、意思が弱く、大半の事を断れなかった結果だと思っている。
全部彼らが悪いとは、今は思っていない。
「よく来れた、ってどういう意味?」
声をかけてきた秋山くんに向き直し、真っ直ぐ彼の目を見据えた。
かつて僕をイジメていた一人だと言うのに、懐かしさすら感じる。
彼の感覚で言えば、一ヶ月前まで僕の頭があったはずの高さに、僕の胸板がある事にようやく気づいたのか、ギョッとして僕を見ていた。
「は、はぁ?ひ、氷室、お前なんだよその顔と身体……!」
「ん、ああこれ?鍛えたんだ。」
投げかけられた問いに対して素直に答える。
鍛えなければ生きていけなかった。
鍛えなければいつまでもリィン様の庇護下にいただろう。
「……おい氷室、お前何チョーシ乗ってんだ?」
秋山くんの後ろから違う声がかけられた、同じく僕をイジメていた一人の佐山くんだ。
彼は機嫌が悪そうに僕を睨めつけてきた。
「いや、別に調子なんて乗ってないけど?」
「お前、多少鍛えた程度で俺らがビビるとでも思ってんの?」
2年前まで知らなかったけど、今の僕は知っている。
あちらの世界でも度々盗賊に向けられたこれは『威圧』と言うヤツだ。
こうなると言葉での回避は難しいのだと、レガリアに教えられたのだけど……。
「うーん、つまりどうしたいの?」
「テメェ以前は俺らをオドオドしながら見てたよなぁ?何真っ直ぐ見てんだコラ。」
「やめようよ、加減出来るかわからないから怪我させちゃうかも知れないし。」
胸倉を掴もうとしてきた秋山くんの手をさばいて逃れながら、僕の言葉で周囲のざわめきが止まった。
だけど僕としては他に言い回しが思い浮かばなかった、本当に怪我で済めばいいけど、周囲には机と椅子が大量にあるわけで、転ばせただけで骨が折れたりする可能性だってある。
「おーい、ナメられてんぞお前ら、アハハハ。」
佐山くんより後ろの方から静寂を打ち破って笑い声が響いた。
僕をイジメていた……情けないけど、女子の新井さんだ。
新井さんは全身真っ黒の、いわゆる黒ギャルと言うやつで、髪は金色だった。
どうやら秋山くん達は新井さんの一言で一気に頭が沸騰したのか、顔を真っ赤にして僕に飛びかかってきた。
「氷室テメェ!!!」
「あ、ちょっとちょっと。」
両側に開いた彼らの肩が後ろに下がった、ああ、パンチしてくる気だ。
どうすれば2人共怪我なく終わらせられるのか、それを今正に考えていた時。
ゴーン……
チャイムではない、お寺の鐘のような音が鳴り響く。
それが聞こえたのは僕だけではないようで、秋山くんも佐山くんも殴り掛かる手を止めていた。
「…………うそだろ」
誰の呟きか、いや、きっとその言葉を出したのは僕なのだろう。
だって、現代日本で……時空制御魔法を理解出来る人なんているはずがないんだから。
その日、一つの教室が飲み込まれた。