第一週:早起きは三文の得?
第一週とありますが、暦の上のことではありません…。
いつもはお袋に起こされるまで惰眠を貪っているオレだけど、天気の良い日は別だ。
天気の良い日の朝にはイイコトがある。早起きは三文の徳っていうけど、オレには三文以上の得がある。え?徳違い?んなコト気にすんなって!
でなきゃ、いつもより三十分も早く起きたりしないだろ?
オレの家があるこの一帯は、いわゆる新興住宅地というヤツで、新しい家ばかりが軒を連ねている。うちも引っ越してきてまだ三年くらいだ。
まだ土地だけの場所も多い近所に、最近建った家がある。
駅に向かう道すがらにあるその家は、白いレンガの壁に赤い三角屋根の、童話に出てきそうなちょっと可愛い外見だ。
その家の二階のベランダに、オレが早起きする理由がある。
いた!
ベランダには、じょうろ片手にプランターや植木鉢に水をやるひとがいた。
ふわふわと少し癖のある、栗色の柔らかそうな髪を後ろで纏めて、やさしい微笑みを浮かべて花に水をやっている。
まるで、花と会話でもしているような穏やかな表情だ。
着ている洋服はいつも白のタートルネックの長袖。同じようなものを何枚も持っているのか、たまたま見かける日が同じものを着ている日なのかは判らないけど、真っ白な服は彼女にとてもよく似合っていた。
歳はオレより少し上くらいかな。可愛いひとだと思う。というか、一目惚れ?(なんつって)
初めてその姿を目撃してから、毎日その家を見上げていたけど、毎日彼女を見られるわけじゃなかった。
三ヶ月観察して気付いたことは、彼女は朝七時…しかも、晴れた日にしか現れないんだ。
日直がなかったら、気付かなかっただろう。 立ち止まってぼんやりとベランダを見上げる。
他の人からみれば不審者扱いされそうだけど、人通りはまだない。
通学にも通勤にも早い時間だし駅にも近いから、この近所のラッシュはあと三十分後くらいかな。
『可愛いなあ』
彼女に見惚れていると、花を見つめていた彼女の視線が動いた。
あ。
なんと!目が合ってしまった。
…いや、これだけ見つめていて気が付かれないほうがおかしいだろうと思うかもだけど、彼女に出会って三ヶ月、こんなことは初めてだ。
文字通り固まってしまったオレに、彼女は花に向ける微笑みを向けてペコリと会釈をしてくれた。
オレも慌てて会釈をすると、彼女はもう一度髪が揺れる程度にお辞儀をしてスッと家の中へ戻ってしまう。
…決して嫌われたワケじゃないぞ。もともと、数分しかベランダにいないだけなんだ。
こうして、晴れた日の朝限定『突撃!となりのベランダさん(隣じゃないし)』は終了した。
「おまえさあ…食べるかぼーっとするか、どっちかにしろよ」
鈴木千加が中指でメガネのフレームを押し上げながら、呆れた声で溜息をついた。
オレの手には箸が握られているが、残念ながら箸はその機能をはたしていない。
晴れた日のオレはいつもこんな調子だ。
特に!今日は彼女と目が合ったんだ、平気でいられるハズがない。
「だってさ、オレを見てニコッと笑ったんだぜ?もうっ!堪らん!」
「…はいはい、頼むから飯粒を飛ばさんでくれ」
オレの魂の叫びに千加は顔を顰めて、周囲に飛び散った御飯粒をティッシュで取っていく。
「ほら、こんなトコにもつけて」
「ん」
ほら、と頬に付いた御飯粒を取って、オレの口に指を突っ込む。
ん?いま一部の女子から『キャーッ』って悲鳴が聞こえたような?
悪かったな、男同士で気色悪くて。でも、ガキん頃から千加はオカン体質なんだからしょうがないだろ。
…一度『千加ってお袋みたいだ』って言ったら、しこたま殴られた。
見た目は千加が聞いたら半殺し間違いない!が、とても同じ性とは思えない美少女…いやいや美人さんで優等生を絵に描いたようなヤツなんだけど、割と凶暴なんだよ。手なんか女子みたいに白くて細いのに、ありえないくらい馬鹿力なんだ。
千加とは幼なじみで、オレが三年前に引越して家が離れても、こうして腐れ縁は続いている。
「でも、おかしな話だよな。晴れた日しか花に水をやらないだなんて」
「晴れた日は光合成をするから、水の力が必要なんじゃないのか?」
間違いない、と人差し指を立てて言うと、千加に丸めた教科書でポカッと頭を殴られた。
おおっ、その教科書は生物じゃないか!なんとタイムリーな。
「…じゃあ、おまえは曇ったら飯を食わないのか?」
「いや、そんなことはないけど…。だったら、千加はどう思ってるんだ?」
聞き返すと、千加はうーんと首を傾げて、丸めた教科書で自分の肩をポンポンと叩く。なにかを考えてるときの癖だ。
…千加がそういう風に首を傾げると、肩につく長さの髪がさらさらと揺れて、なんとも色っぽ…いやいや、断じてそんな意味ではなく!
「さてね。体が弱くて晴れた日しか出られないとか」
「ええっ!?儚げなひとだと思ったけど、そんな事情が…っ」
「…アホらし」
ガーンと頭を抱えるオレを尻目に、千加は盛大な溜息をついて自分の席へ戻って行った。