サンドリヨン
ガラスの靴を落とす権利すらないなら、この手で。
雪俊と総二朗の決着物語。
「想い星 迷い星」「Yesterday Never Come」読了後の閲覧推奨です。
久しぶりに練習が休みになった日曜日。雪俊は一人、ぼんやりと窓の外を眺めていた。別段おもしろいものが見えるわけではない。見えているのは、いつもと変わらない一本道と、熟れすぎて崩れ落ちる直前の太陽だけだ。景色が見たかった訳ではない。ただ、考え事をするのに部屋の中を見ているのは、あまりにいたたまれなかった、それだけだ。
思い出すのは総二朗のことだった。あの日からずっと、彼は沈黙を守っている。部活の時は普通にしているが、部活が終われば何も言わず帰ってしまうし、メールも電話もない。
「終わらせたのは俺……か」
ため息と一緒に独り言を吐き出す。総二朗が好きだ。夢のように、魔法のように通り過ぎた日々を、わずかな痛みとともに思い出す。最初はただの、鬱陶しい幼なじみだった。バッテリーを組み、これからというときに、隠し事をされてケンカになった。あのころからだ。今とは違った目で、総二朗を見るようになったのは。
魔法には終わりがある。それでもそれを、時間いっぱい使って待ち続けた者だけが、魔法のかけらを落とす権利を持つのだ。最後まで待てなかった自分は、硝子の靴を残すことすらできない。硝子の靴を残せなかった、哀れなシンデレラ。王子様は自分を、探すすべを持たない。探しさえ――しないかもしれない。
「ユキー! 総が来てるよー」
階下から響いてきた姉の声に、雪俊は飛び上がった。あの日以来、連絡さえ途絶えていた総二朗の、いきなりの、訪問。
ばたばたと騒がしく階段を下り、玄関へ走ると、姉の風子と総二朗が、何事もなかったように立っていた。
「総、しばらく来てなかったじゃん。もしかしてこいつ、なんかした?」
「や、そんなんじゃないよ。ちょっと忙しかっただけでさ」
総二朗が、そう言ってこちらを見る。そして静かに、片手を上げた。
「よ。今、いい?」
雪俊は頷き、総二朗を部屋へ通した。風子はこういうとき、すぐに茶を持って来たがるのだが、今日は空気を読んだのか、上がってこなかった。
「で、何の用?」
言葉が必要以上にとがった。硝子の靴を持たない王子。ならば結論は、一つしかないじゃないか。
「決着を……つけに来たんだ。いつまでもこのままじゃ居られないだろ?」
やはり――そういうことなのだ。硝子の靴がないなら、王子はシンデレラを見つけられない。目の前にいる惨めでみすぼらしい少女は、彼の姫ではない。
「それ……で?」
声が掠れ、悲しくなる。こんなはずじゃない。もっとあっさり、笑ってみせられるはずだ。みっともなく、泣いたりしたくない。
「ユキ……お前の気持ちは、知ってた。だからあんなことになって……ほんとに、申し訳ないと思ってる」
謝罪なんか欲しくない。涙が落ちる前に、すがりついてしまう前に、早く、とどめを刺して。この思いを、殺して。
「俺は……知ってると思うけど、まだ冬馬のことが……忘れられた訳じゃない。だから、中途半端な気持ちでお前に近づいて、傷付けるのが嫌だった。それで自分が傷つくのも……嫌だった。お前を代わりにするんじゃないかって……」
「……なんだよ、それ」
腹が立った。誰も誰の代わりになどならないと言ったのは、誰なのだ。そんなことで、こんなに不安にさせられたのか、自分は。怒りが強すぎて、唇が笑みの形になった。感情がコントロールできない。
「また……またそういう風に、自分に都合のいい言葉でごまかして……俺から逃げんのかよ、総兄……本気なのは、俺だけかよ……」
いつかと同じだ。あのとき、自分と向き合っていたはずの総二朗の目は、また空を泳いでいるように見えた。許せなかった。好きだからこそ――許せなかった。
「俺は俺で、冬馬先輩じゃねえんだよ、馬鹿総! 誰も誰の代わりになんかならねぇっつったのはてめぇだろ! じゃあなんで、てめぇが俺を代わりにすること怖がんだよ!」
総二朗の目が見開かれた。憑き物の落ちたような顔だった。どうにでもなれと心の中で吐き捨て、牙をむく。ないものならいっそ、硝子の靴ごと壊れればいい。こんな気持ちも、一緒に。
「言えよ総兄! 誰がどうとかじゃなくて、てめぇの気持ちを! 俺が……俺が好きじゃないんなら、そう言いやがれッ!」
息が切れ、指先が冷える。最低の結末を、自ら呼び出した。それでいい。魔法は――終わりだ。
総二朗がゆっくりと静かに、微笑んだ。その腕が、静かに自分を抱きしめるのを、雪俊はまるで他人事のように感じていた。
「あいにくだな、ユキ。俺はお前のこと……好きなんだよ」
温かく、大きな手が頭を撫でる。鼻の奥がつんとして、涙が出そうになった。その間も柔らかな声が、頭の上から降る。
「冬馬が大事なのは……確かだ。でも、それは自分の、お前が好きな気持ちを押し殺すのとはまた……別の話だ。言われたんだよ、あの長髪のいけ好かないイケメンに。昨日は……二度と来ないんだって」
たまらなくなって、腕を伸ばして、総二朗に抱きつく。強く強く締め付けて、胸に顔を埋める。とうとう涙が出てきてしまった。情けない。でも、でも――
「総兄……俺……今のままでいいんだよな? 総兄のこと、好きで……」
「当たり前だ馬鹿。人のこと馬鹿って言うから馬鹿になるんだぞ、馬鹿ユキ」
咽び泣くみっともない声は、自分のものだ。硝子の靴は、なくていい。みすぼらしい、少女のままでいい。王子様でなくてもいい。もうここは、魔法の外側なのだから。
収まるところに収まりました(笑)
個人的に、バッテリーが付き合ってる設定が好きです(