ボウのニンゲン
これが何回目だっただろうか。
意識が未だ残されているというのは最早耐え難い苦痛に他ならない。
この場を去ろうにも、歩くための足も、這う為の腕も既にない。
耳は噛り付かれた気がしたが最早それさえどうでも良い。
聴覚と視覚が未だ生きていることが残念でならない。
絶えず虫たちの羽音が、蠢く音が、体の外と内から聞こえてくる。
体の中に芋虫たちが巣食われた僕に救いは未だ訪れない。
腐った視界に映る世界は絶えず獰猛な虫たちが飛び交っている。
僅かに覗く空は曇っていたのか、ポツリポツリと雫を落とす。
乾いた瞳が潤いを取り戻したことに僅かに喜びを覚える。
そんな自分に自分に失望せざるを得ない。
未だ世界は苦痛と、蠢きと、どうにもならない己の浅ましい執着で満たされている。
― 死んでやる
なあお前ら、僕の肉は旨いか?
― 死んでやる
お前らの同類がチマチマ頑張って集めてきた蜜はな、僕ら人間様がタップリ使ってタップリ残してやったんだぞ。
― 死んでやる
・・・そもそもなぜ僕がこの様な仕打ちを受けなくてはならないのか?
― 死んでやる
だれのせいで、何のために、こんな目に遭わなくちゃいけないんだよ。
― 死んでやる
僕はいったい何を期待しているのか?
― 死んでやる
五月蝿いんだよ、虫けら。少しは静かに出来ないのか?
― 今度こそ死んでやる
ああ分かったよ、消えてやるよ。お食事のところ大変申し訳ございませんでした死ね!
― 死んでやる。
― 死んでやる。
― 死んでやる。
ちっ!最後の瞬間ぐらい視界から消えろよ、その五月蝿い羽音を消せよ、というかお前らさっさといなくなれよ!!
なぜ僕がお前らのせいで死ななきゃならない。わけ分からねえんだよ、ゴミ虫が!
お前らは黙って蜂蜜集めて無様に絞りとられてりゃいいだろうが、奴隷虫なんだから。
腹が立つぜ、ムカつくぜ、ぶち殺してやりてえよ全く。
だからブンブンウゼェんだよお前ら。
― 殺してやる。
― 絶対殺してやる。
― 死ぬまで殺してやる。
濁った空見て体に蛆が湧いて汚ねぇ雨に打たれて死ぬなんて誰が想像できたよ?
笑っちまいそうだ、笑えよ糞共。
ああ、お前らカチカチ顎鳴らすしか連絡手段なかったな。これは失敬。
おや?左の視界がなくなったぞ?
ヒャッハー!これは本格的にだるまさん転んだが始まるのか??
右の視界の端に映ったのは虫の羽。
そうか、お前が僕の左側を奪ったのか。
お 前 は 僕 を 馬 鹿 に し て い る ん だ な ?
いい加減死んでやるよ。
・・・カタカタカタカタ
一世一代の最後の大仕事、そんな時だって言うのにシャイセな蜂野郎よろしく顎がガチガチ鳴りやがる。
全く、一生に一度のことなのにそんなに喚くなよ、僕の顎。
まだ元気なのは十二分に分かったからよ。
あばよ蛆虫ども。何時か駆除業者に弟子入りしてお前らを駆逐してやるよ。
― グチグチ
左の眼球に新たな痛みが生まれる。もう二度と左側の世界は帰っては来ないだろうがもう関係ない。
「死んじまえよ、糞野郎」
―ブチッ!
▲
ああ!?お客さん??しらないねぇ。
ほらほら、どいておくれ。ちょっとあっち行ってな坊や。
ベロベロベロ・・・
ば ぁ !!
引っかかったな?
とりあえず引っかかりましたと言っておけ、そうすりゃ世界は上手く回せる。
ところで君は一体だれだい?
ここは関係者以外立ち入り禁止なのだが。
え?なんだって!?
僕の話を聞きに来た?!
こんなに胡散臭い奴の話を??
あ ん た ア ホ な の か ?
おっと失礼、僕の唇はついつい本音をこぼしちゃうおっちょこちょいな奴なんだ。許してやってくれ。
しかしだな、お茶も出なけりゃ茶菓子も出ない。お茶目なジョークも可笑しな冗句も出てこない。
出てくるのは無駄口だけの奴の話を君は聞きたいということかい?酔狂なことだねぇ。
まあ話すといったからには話さないわけには行かないよね、仕方がない。
よし、君には僕が経験した摩訶不思議な体験を語り聞かせようではないか。
先ずは自己紹介から一つ。つい先日まで近所の人間には「あいつは飾り物のような奴だな」だとか
「一度動いたらコウノトリの如く固まってやがる、案山子のような奴」だとか
「体の線が細く、棒切れみたいだ」とか
「何時の間にか作り物とすりかえてもだれも気がつかなかった」だとか
近所じゃ評判の『棒のようなやつ』だったらしい。
そんな棒切れみたいな僕だが、昔は色々なことがあって今に至っているわけで
そんな経験豊富なボウニンゲンこと僕の過去をパッと思い浮かんだことから適当に掻い摘んで話そう。
話がおもいっきり前後しちゃうし、話すのはお世辞にも上手い方じゃないと思うけどまあ聞いていきなよ暇人。
さて、何から話せばいいのやら・・・
そうだな、僕がクマだった頃の話をしようじゃないか。
なんだい?その胡乱な顔は。悪いが今から話すことは本当にあった出来事だ。
最も傍から聞いてみれば嘘っぱちみたいに聞こえる話だから、鼻からクソでも出しながら聞いておくれよ。
それでは話をしようじゃないか。