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やる気を出すために前半投稿してみました。初投稿です。よろしくお願いします。
貴方が救ってくれたから。
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——バシャッ!
ああ、この場所でこうして水をかけられるのは、何度目だろうか。
「いい加減にしてくれない?あんたがまとわりついてる所為で皆様が迷惑してるって何度言ったらわかるの、よっ!」
ガンッ、カンカンカン……
今日はバケツも投げつけられて、少し頬を切ってしまったようだ、なんて、他人事のように考えて現実逃避をしてみる。
「なんとか言ったらどうなのよ!」
わたしは女優、わたしは女優と自分に言い聞かせて、ゆっくりと口を開いた。
「あら、貴方達に言われる筋合いはないって以前もお話ししたと思いますけれど?そもそもわたしが誰に近付こうとわたしの勝手でしょう?彼等に文句を言われるのなら構いませんが、関係のない貴方達に難癖つけられる謂れはないわ」
何度言っても伝わらない相手に真摯に対応する気はもう起きない。相手を小馬鹿にするように意識して目を眇めて、ついでに鼻で笑ってやる。今日もなんていい悪役っぷりだろうと自画自賛していたら、パンッと頬を張られた。
「皆様はお優しいから、あんたみたいな奴にも何も言えないって何度も言ったの、覚えてない訳?兎に角、あんたが皆様から離れない限り、平穏な学生生活を送れるとは思わないことね!」
そうやって、彼女達なりのルールを破ったわたしに彼女たちなりの制裁を加えて、彼女達は足音も荒く去っていった。それを小馬鹿にした表情を崩さないまま見送って、最後の一人まで見えなくなってからはぁっとため息を一つ。張られた頬はじんじんするし、秋口に水を被った体はすぐに冷えが這い上がってくるのだ。
「あと、ひと月」
それまで保てば、きっと……
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魔法や貴族が存在しているこの世界に、ソルヴィエラ伯爵家の当主が気まぐれに手を出した使用人の子として生れ落ちたのは十五年も前だ。たまたま伯爵家の血筋にしか現れない紫がかった黒髪を持っていたからか、保有魔力量が平均よりも高かったからか知らないが、わたしは伯爵家に引き取られた。けれど待っていたのは、わたしを駒としてしか見ていない父、手切れ金を受け取ってさっさと出て行った母、伯爵家の恥だとわたしを嫌悪し侮蔑する義母や義兄、義姉。
最低限の衣食住だけは確保されていたが、四歳を過ぎてからは下女と一緒に働かされ、粗相をすれば食事を抜かれることもあった。雑多な物が詰まった納屋の隅で寝起きしていたし、服はつぎはぎだらけ、その日ご飯を貰えるかどうかしか考える余裕がない、そんな毎日だった。そしてただ機械的に生きていたわたしは、十歳になった年にいきなり全寮制である魔法学園に放り込まれたのだ。
魔法学園とは本来、資質の見込まれた者だけが一般教養を修めた後魔法を学ぶために入学する場所である。魔力を持って生まれてくるのは貴族の血を引く者が多いが、平民にも居ない訳ではなく、生まれてすぐと五歳の頃に魔力測定を受けることが義務づけられている。家が貧しい子供は学校に通わず家の手伝いや奉公に出ることも珍しくないが、測定で基準を満たした者はどんな家庭環境だろうと国の援助を受け、学校に通う義務が生じるのだ。ただ、貴族は家で家庭教師を付けて学ばせることが多く、その限りではない。
おそらく父は、わたしが最低限の教育くらいは受けていると思っていたのだろう。伯爵家では子供の養育はすべて執事と義母が担っており、父が子供の様子を見に来ることはほとんどなかった。その子供の中にはもちろんわたしも含まれていたが、わたしのことを蛇蝎のごとく嫌っていた義母がわたしに与えたものは伯爵家に相応しい教育ではなく、下女としての仕事だけだ。
そんな無学な自分が学園に入ったところで、何ができようか。まともに喋ることもできず、文字が分からないから教科書すら読めない。わたしは落ちこぼれで、嘲笑の的で、出来損ないの異物だった。
そんなわたしに手を差し伸べてくれた人。それがエリリエカ=リングラートだった。侯爵家の長女である彼女は気まぐれで高飛車で、でもどうしようもなく優しい人だった。満足に喋れないわたしに言葉を教えてくれた。文字を教えてくれた。よくできたねと言って初めてお菓子を貰ったときは、こんなに美味しいものがあるのかと感動したものだった。
彼女に一度聞いたことがある。何故わたしに構うのかと。そうしたら、彼女はこう言った。
「今まで与えられる方が多い人生だったから、たまには与えてみるのもいいかなって思っただけ」
彼女は貴族だ。身分だけでなく、考え方からその身の在り方までが、貴族なのだ。幼い時分でさえ与えられるだけをよしとしない。自分が何不自由ない暮らしをできているのは民のおかげであり、その代わりに民を、弱い者を守り導く義務を自覚している。自分の家と、その領地、そこに暮らす人々、すべてに責任と誇りを持っている。そんな人だった。
彼女に認められたい、彼女の役に立ちたい。その一心でわたしは学んだ。素地は悪くなかったのか、彼女に与えられる知識をどんどん吸収して、三年経つ頃には授業に問題なくついていけるようになり、あまつさえ時折成績上位者に名を連ねることもあった。その頃にはわたしはもう彼女のことをエリカと呼ぶことを許され、彼女の傍に常に張り付いていた。彼女の綺麗な長い銀髪を梳かせて貰うのも、わたしの短い黒髪を梳いてもらうのもたまらなく好きだった。たまに呆れたような表情を浮かべながら、それでも仕様の無い子だ、と言って頭を撫でてくれるその手に、わたしは救われていたのだ。
けれど、わたしがそうやって十五になる年を迎える頃『彼女』はやってきた。そうして知るのだ、この世界は優しくなんてないことを。
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「あ、サリーシャちゃん遅いよぉ!早く行こっ?」
サリーシャ=ソルヴィエラ。それがわたしの名前だけれど、滅多に呼ばれることのないその響きはどうも好きになれない。どちらかといえばエリカの呼んでくれる『サシャ』の方が自分の名前という感じがする。
「ごめんなさい」
「今日はねぇ、アリエラ先輩がケーキ買ってきてくれるって言ってたんだよぉ。楽しみだねっ」
わたしの言葉なんて聞いていない、独りよがりの会話。ここにいるのがエリカなら、なんてどうしようもないことを考えていたら強く腕を引っ張られた。
「ちょっとぉ、サリーシャちゃん聞いてるの?」
自分は他人の話を聞かないくせに、他人が少しでも自分の話を聞かないのは許せないお姫サマ。
「聞いているわ」
「それなら良いけど。サリーシャちゃんは鈍臭いんだから、わたしがついてなきゃだめなのよ」
ああ、エリカ。貴方がいない日々は、こんなにも色褪せている。
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彼女、ユリカ=コールトンは、魔法学園には珍しい編入生だった。まれに魔力の開花が遅い者がいて、彼女はまさにそれだった。平民出身だがそれなりに裕福な商家の子だったらしく、一般教養に問題はない。ただかなり遅れてしまった魔法に関する知識を補うためと、早く学園に馴染むためにと学園側がとった措置が学園自治会に一時身柄を預ける、というものだった。
学園自治会というのはその名の通り、学園内の生徒による自治組織である。大抵の場合、人心掌握に長け既に人を使うことを知っている高位貴族の子息令嬢が務める。由緒ある役職であり、実力が無くては全うできない程仕事が多いと言われているため、自治会に属する者達は皆誇りをもって責務を果たしている。
そして、今期の自治会役員は何故か皆顔が良い。会長のアリエラ=ダズリアは豪奢な美丈夫であるし、副会長のシーレアス=ヒューリーは儚げな美形。会計のライリール=ジェノシズは美少女と見紛うような美少年だ。そして書記は、凛とした佇まいの美しい、エリリエカ=リングラート。今期はエリカ以外全員男性という珍しい構成で、しかしカリスマ性の高さから歴代一位二位を争うほどの支持率を誇っている。
しかし今現在、エリカは学園にいない。彼女が十五歳になってすぐ、実家の都合で一度領地に戻っている。そしてちょうど入れ替わるようにやってきたのがユリカだった。彼女が来てから、自治会は少しずつ上手く機能しなくなってきている。それは些細な変化かもしれないけれど、自治会役員として誇りをもって仕事に臨んでいたエリカをずっと見ていたから、その時期の仕事のあるべき進行具合もなんとなく分かるようになっていた。
原因はおそらくユリカだ。彼女が自治会室にいるとき、役員達はどことなく焦点の合わない目をして彼女のことを構いたがる。魅了魔法の可能性も考えたけれど、彼等は成績上位者でもある。中途開花者に遅れを取るような人達ではない。よって彼女が何かしたという証拠はでてきていないのが現状だ。
そしてわたしは何故か彼女に気に入られて連れ回されていて、エリカが居たときでさえあまり交流の無かった自治会の役員達に毎日のように会っている。徹底的に避けようと思えばそれもできたけれど、初めはエリカのいない自治会の様子見のつもりで甘んじていたのだ。だが、徐々に彼等がおかしくなっていることに気づき、そして同時にわたしが傍に居るときは比較的おかしな行動が控えめなようだと観察していて気づいてしまったから。
……エリカの大切な場所なら、それはわたしの守るべき場所なのだ。
元々エリカを独占していて妬まれていたのもありエリカという抑止力が無い今、皆の憧れの役員サマに纏わり付いているわたしは格好の攻撃の的、という訳だ。ユリカは上手く情報を操作しているのか人当たりがいいのか知らないが、そういったやっかみを受けている様子はない。もしかしたら、わたしを隠れ蓑にしているのかもしれない。
魔法学園に入学してから、寮の部屋以外ずっと一緒に過ごしてきたエリカと一時でも離れるのはすごく、すごく寂しい。けれど、彼女は約束をくれた。
「三ヶ月。色々と面倒くさいこと片付けたら必ず迎えにくるから、いい子で待っていてよ」
最近大きくなってきた少し固い手のひらで、髪を撫でてくれた。それだけでいつまでだって信じていられる。
しかしエリカのことを思い出して少し上向いた気分は、自治会室に辿り着いてしまったことで急降下した。エリカのいないこの場所は、彼女の不在を再認識させられる。
「アリエラ先輩、シーレアス先輩、ライリール君、遊びに来たよぉ〜」
そういって勢いよく開けられた扉。いつもならそのまま生徒会の人たちがユリカに群がるのだけれど、今日は違った。
「やあ。遅かったね、ユリカ=コールトン。いや、ユリカ=リンギートと呼んだ方がいいかな?」
会長席の机の上に脚を組んで座っていたのは、透けるような銀髪を肩当りでざっくりと切り、けぶるような紫色の瞳を持った少年、だった。そう、少年だったのだ。大好きで大好きで、命を捧げても惜しくないと思っていたエリカとそっくりな顔をしたその人物は、男子の制服を着ていた。
この後はエリリエカのスーパー説明タイム。