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二千年のミコト

作者: 今西 克己

さあ、約束の時が来ました。

 なぜあなたがたがこの世に存在し生きているのか?

 その生命をつないできたのか知るべき時です。

 恐れることは何ひとつ有りません。

 私はあなたたちの所業を二千年眺めてまいりました。

 私は全て知っているのです。

 あなたたちの犯してきた途方も無い罪の数々を……。

 原罪…あなたたちが存在することそのものが罪なのです。

 あなた方の皇帝はそのことを知っていたはずです。

 あなたたちは欲望に従った生活を……自分たちの利のみを追求した生き方を選んで生きましたね。

 私が居なくてもあなたたちは勝手に滅亡していたでしょう。

 ですが私自ら手を下しましょう。

 では、いま見ている景色を最期に見る景色に致します。


 この皇国に住む人々の脳にこの言葉は届いた。

 この大陸はかつて3つの国に分かれていたと、最も古い歴史書である「皇国史記」に記されている。丁度二千年前初代皇帝が大陸を統一しこの国は創られたという。

 

脳に届く声

 よく見ておきなさい。

 あなた方はまもなく無に還るのです。

 魂なんて有りませんよ。

 救いの神なんて居ませんよ。

 すべては幻。

 あなた方が勝手に作った幻。

 無への恐怖から逃げるための幻。

 所詮あなたがたは人間に過ぎないのです。

 ほら、絶望しなさい。

 泣きなさい。

 無意味な生命を恨みなさい。

 有が無になるその瞬間こそが最も私を興奮しぞくぞくさせる。

 ああ、みんな壊してしまう。

 二千年待って成熟させたものをわずかな時をもって無に還す。

 どんな快感を得られるのかしら…。

 たまらないわ。

 無になりたくない?

 ねえ、無になりたくないの?

 無に還りたくないのなら私のいうことを聞きなさい。

 わかった?

 じゃあ、私の言うことを聞くいい子は眼を閉じて耳をふさぎなさい。


 皇国民達はこの突然の声にどうすればいいのか戸惑っている。

 不可思議な現実にどう対処すれば良いのか判断がつかない。

 皆が皆自分の周りにいる人々の様子を伺う。そして目があって肯く人々…やはりこの声はみんなに聞こえているらしい。

 

脳に届く声

 なにをもたもたしているの?

 あなたたちに選択の猶予なんてないのよ。

 私のいうことに従うしかないのよ。

 グズグズしないで早く目を閉じて耳をふさぎなさいよ!


「きゃーっ」 

一人の女性が傍目を気にすることなく大声を上げた。

「なに? なんなのよこれ。 なんのいたずらよ」

 周りの人々の視線が彼女に集中する。

 女性の彼氏と思しき若い青年がしゃがみこんで両耳を押さえている女性をやさしく介抱している。

 「大丈夫だよクミ。 お前は俺が守るから安心しろ。 さっきのプロポーズを受け入れてから君はもう俺の妻だ。お前は何もしなくていい、この声には俺が従う」

 彼氏は目を閉じて耳をふさいだ。


脳に届く声

 ふふっ、 そうよ。そうすればいいのよ。

 

 眼を閉じて耳をふさいだものだけに声が聞こえた。

 それ以外の人間はだまってようすをうかがっている。


脳に届く

 さあ、目を開けて太陽を見つめなさい……。


 男が声の指示のとおりに目を開けると…消え去ってしまった。

 様子をうかがっていた人々の反応は様々であった。

 思わず声を上げてしまった者、反対に黙りこくってしまった者、その場に座り込んでしまった者…無意識にその人の個性が出る。

「いやーっ! どこ? どこに行ったのソウジ…私を守るって言ったじゃない、一人にしないでよ」

 彼女は地面に手をついて泣き叫び始めた。

 消失…これ以外の言葉が見つからない。男が空を見上げた瞬間彼を見ていた全ての人間の視界から完全に彼は消え去ってしまった。

 そしてそれはこの彼だけではなく脳に届く声の言うがままに行動した人間全員に例外なく起こった現象だ。

 泣きわめき嗚咽している彼女に見かねた中年の女性が彼女にハンカチを渡し背中をさすり励ましの言葉を掛ける。


脳に届く声

 あなたたちはバカね、愚かすぎるわ。

 なんであいつは人間なんかを…。

 私は無に還すっていったじゃない。

 それなのに私の言うとおりにしちゃうなんて…見栄を張ったって私に従ったって無に還ることには変わりがないのよ。

 ほうら、絶望しましょう。

 恐怖に怯えなさい。

 消えちゃった人はどこにいったのかしらねえ。あなた方も消えてしまったらわかるわよ。そこの婚約者が消失した女性なんかどうかしら試してみる?


 女性の嗚咽は止まった。

 そして立ち上がると無表情になっていた。目は赤く染まり頬には涙が伝っているが感情を無くしてしまっていることはその顔を一目見ればわかる。

「何をすればよろしいのかしら? 彼の居ないこの世に未練なんか無いわ。彼のところへ連れていってくださらない」

 抑揚のない声で言った。


脳に届く声

 なんてもろいのかしら、心を無くしちゃったのね。そのまま彼のところにいっても彼はあなたのことを嫌いになるかもね。

 覚悟を決めちゃった人間を無に還しても私の刺激はないのよね。しちゃうけど。

 消してあげる!


 まもなく彼女は消失した。

 周りにいる人々はもはや自分たちには何も為す術がないことを自覚せざるを得なくなった。


脳に届く声

 さて、次は全ての女性を消して差し上げましょう。この国はどうなるのかしらね。たのしみだわ…フフッ。

 

 「待って下さらんか!」

 国民の脳に聴きなれた声が届いた。


     ―― 二千年前 ――


 スラリとしたスレンダーなスタイルに腰まで伸びた黒髪、ぱっちりとした二重のやや釣り上がった意志の強そうな瞳、シャープな輪郭の整った顔立ちはまだ彼女が14歳だとは思えない。

 女王であるという立場の重圧と責任が彼女を大人びた雰囲気にしている。

 彼女は今、城の敷地にある湖のほとりで沈んだ表情をしている。

「ねえ、 紫色のお花さんわたくしもう疲れましたわ。 お父様、お母様、サルタ将軍…そしてヤタ。みんなわたくしのそばから居なくなってしまいましたわ…この国ももうおしまい」

 女王は権力の象徴である冠を取りたった一輪だけ咲いているその紫色の花を中心にそえて砂の上においた。

 紫の花の周りには草木は生えていない。

 女王の周りにももう信頼できる人は居ない。

 女王は花に自分の姿を重ねたのだろう。冠を脱いだのは女王を放棄したい気持ちの現われ。

 彼女はアレス国の女王。いまとなっては最後の王の血を引くもの。

 生まれてから一度も城の囲いの外に出たことはない。城そのものが広大であり、さらに敷地をレンガの高い壁で囲ってあり、敷地内はひとつの街を形成している。

 彼女が生まれてから周りには常に大勢の人たちがいたが皆はあくまでも姫として彼女に接する。言葉を交わしてもどこか空々しく彼女はいつも孤独を感じていた。

 王である父も、母も愛情をおしげもなく彼女に注ぎ彼女も純粋に受け入れ両親のことは大好きであった。

 でも彼女はなにか心のなかに違和感を感じていた。不安なことは何も無い、でも何かが不満だけどそれがなんなのかはわからない。それを気づかせてくれたのはヤタだった。

 二年前、ヤタが13歳の時、将軍である父のサルタの後継者になるべく英才教育を受ける為に彼は城内に出仕を始めた。

 その初日、初出仕の挨拶をするために王と王妃と姫のいる王の間にサルタ将軍と共にヤタは現れた。

 姫・ミイザはヤタの一つ年下の12歳。まだ姫であることの責任というのをそれほど意識していない年頃であった。

 大勢の衛士が左右の壁伝いに居並ぶ中ヤタは臆することなくサルタ将軍の後ろを堂々と歩き玉座の前までやってきた。そして二人は儀礼通りに両手と片膝を着き面を下げる。将軍はもちろんのことヤタもなかなか様になっている。

「王様、本日はごきげんうるわしゅうございます。本日この時より我が息子ヤタを一人前の将とするべくともに出仕させとうございます」

 面を下げたままサルタ将軍はいう。

 低いが屋内に響き渡るいい声である。戦場の指揮者たる者のひとつの条件であろう。迫力も重厚さもある。

「うむ、13歳となったのだな。あいわかった、ヤタ面を上げよ」

「はっ」

 よく日焼けしている浅黒い肌、目は大きくすんでおり吸い込まれるような黒い瞳をしている。

鼻筋はよく通っているが小さめな鼻、やや厚い唇にシャープな顎、まだ幼さを残しているが精悍さと意志の強さの分かる表情をしている。

「よい面構えをしておるな、さすが三国一の将軍の息子である。気に入った近う寄れ」

王は本当に気に入っているようだ。

「はい。かしこまりました」 

 ヤタは立ち上がりしっかりとした足取りで王の目の前まで歩み出てまた両手と片足を着く。

「タジカよあの剣を持て」

 側近であるタジカに白金の鞘の剣を持ってこさせその剣を左手に持つ。

「面を上げよ」

「はっ」

 ヤタは面を上げ王を見る。

「この剣を受け取れ」 

 王が剣を持った左手を伸ばすとヤタは両手で丁重にその剣を受け取った。

「剣を抜いてくれないか」

 王の言葉にヤタは

「かしこまりました」

 といい白金の鞘から剣を抜こうとした。

「……」

「どうしたのかね」

 王がヤタに問いかける。ヤタは精一杯の力を込めて鞘から剣を抜こうとするが抜けない。

王の間が妙な雰囲気に包まれる。

 王の御前であるので見苦しい振る舞いはできない。

 ヤタは剣を抜くことを諦め

「王様、申し訳ありません私めにはこの剣を鞘から抜くことはできません」

 と、悪びれる様子もなく素直にこたえ王に剣を返した。

 ……ククク……ククッフフッ…………

 居並ぶ衛士たちが馬鹿にしたように笑う。鞘から剣すら抜けない奴が戦場で役に立つわけがないという嘲笑である。

「ヤタ、下がり給え」

 王の声が明らかに冷淡になっている。

 ヤタはサルタ将軍の後ろに戻り両手と膝を付く。

「サルタ、ヤタ大儀であった。下がり給え」

「かしこまりました」

 二人は王の間から出て行った。

「タジカこれを戻しておいてくれ」

 王は剣をタジカに渡す。

「ちょっと待ってお父様」

 ミイザが口を出してきた。珍しいことだ。

「その剣わたくしに貸してくださらない?」

「どうしてだね」

「いいから」

 王の許可を得る前にミイザは椅子から立ち上がりタジカから剣を奪い取った。そして剣を抜こうとする。

 力いっぱいに引いてもびくともしない。二度、三度と微妙に引く角度を変えたりしてみたが剣を抜くことはできなかった。

「タジカあなたが抜いてみてくださらない。いいわよねお父様?」

 タジカは王を見る。王は眉一つ動かさない。

「タジカ命令よ」

 ミイザが怒っていう。王はやれやれという感じで頷いた。

…………タジカも抜くことはできなかった。

 単純な腕力ではヤタよりもタジカのほうが強いだろう。そのタジカでも剣を抜くことができなかった。

「お父様、なんてひどいことをしてくださったの。タジカでも抜くことができないのにまだ13歳のヤタが抜けるわけないじゃないの。どうしてそんな事なさったの?」

 ミイザは感情的に早口にまくし立てた。いままで王にこのような口を聞いたことはない。

「…まだだということだ」

 王は静かに答える。

 しかし、ミイザは収まらない。

「まだ?なにがまだなのよ。お父様ならこの結果を分かっていたはずじゃない。それなのに…こんな意地悪をなさるなんて」

 ミイザはいまにも泣き出しそうな顔になっている。

「わたくしが謝りにいきますわ。タジカ、ヤタがどこにいるのかわかっていますの?」

「それは承知しておりますが…」

 王の顔を見る。王は相変わらずポーカーフェイスであるがタジカは王の心を察して

「わかりましたミイザ様、それでは私めと一緒にヤタのところへと伺いましょう」

 と、いった。

「どうしたのミイザ? あなたがそんなにムキにならないといけないことなのかしら?」

 母である王妃がいう。

(どうして? たしかにどうしてわたくしはこんなにムキになっているのかしら。今日、はじめて会ったヤタがどうしてこんなに気になるの?)

 自分でも疑問に思った。

「ヤタは将軍の息子、いずれは指揮官となり軍を率いる身となるのよ。これくらいのことで指揮官が落ち込んでいるようでは軍隊の士気に関わるのよ」

 王妃はなぜわざとヤタに恥をかかせたのかをミイザに伝えた。

 王は軽く目をつぶっている。

「でも……でも、わたくしはやっぱりヤタに謝りたいですわ。理由があるとしても彼を傷つけたのは事実ですもの」

 ミイザは生まれてからいままでこれほど自己主張したことはない。両親を困らせるわがままを言ったことはない。

「しょうがないわねえ、どうせ止めても行くつもりなんでしょ。いいわ行きなさい」

 王妃はどうしてミイザがムキになっているのか分かっている。当然、父である王も分かっている。娘が少しずつ大人へと成長していることをしみじみと感じた。


 ヤタは自分に割り振られた書庫に僅かな空間を作っただけの部屋にもどるとすぐに鍛錬用の石で作られた重い剣を腰にさし部屋を出て行く。城を出て5分ほど歩くと兵の鍛錬専用の広場がある。サルタ将軍を含めて十数人がすでにそこで鍛錬を行っていた。そのなかには、さっき城内でヤタを嘲笑った衛士もいた。

「ヤタ、ご挨拶をしなさい」

「今日から出仕いたしますヤタと申します。よろしくお願いします」

 父に促され挨拶をし頭をさげる。

「ヤタ、早速稽古をつけてもらいなさい」

 準備運動もしないうちにサルタはいう。

「父上、どこまでやっていいのでしょうか?」

 ヤタは訊く。

「ヤタと言ったね。君は剣を鞘から抜くことさえできないのに偉そうなことをいうんだね。君はここの規則を知らないだろうから教えてやる。たとえ将軍の息子であろうと鍛錬中の死亡は全て事故で片付けられる。そうですね将軍」

先ほどヤタを嘲笑った衛士が小馬鹿にした口調でいう。

「いかにも」

「僕は父上に聞いたんだけど横から口出ししないでくれる」

 腰に差した石剣を左手だけで軽々と振り回し、シュッ…シュッ…と空気を切り裂く音を立てながらヤタは言った。

「ヤタ、それは使ってはいけない」

 サルタ将軍は木剣をヤタに渡した。

「では、私が一番手と参りましょう。最後となるでしょうがね」

 衛士がヤタの前に進み出る。気合の入った面持ちをしていおり、あわよくば殺してしまえという雰囲気を出している。

 一方のヤタは全く緊張しておらず、至って平静といった感じである。

 お互いが正面に向き合うと

「お願いいたします」

 ヤタは丁寧に相手に敬意を払いお辞儀をした。

「ナメるな! 小僧がっ」

 衛士は自分が舐められたと勘違いし怒りに任せて大上段の構えから剣を振り下ろしてきた。

 スッ……

 ヤタは最小限の動きでその奇襲の剣撃を容易に交わす。当たることを前提に第二撃を考えずに全体重をかけて剣を振った衛士はみっともなく転んだ。

「この野郎!」

 恥ずかしさと怒りで衛士はすぐに立ち上がりヤタに剣を振るう。

 しかし、突けども突けども振り下ろしても横に振り切ろうとも衛士の剣はヤタにかすりもしない。

 初めのうちは荒削りながらも剣術としての体裁を保ち剣を振るっていたが、だんだんと疲れと共に姿勢、構えは崩れていき子供のチャンバラのようにただ当たれば良いという剣を振り回しているだけの状態になった。もう、見栄も外聞もなくせめて一太刀浴びせたいという心構えになっている。それでも一向に当たらない。

 サルタ将軍はその姿を見かね

「情けをかけよ」

 と、ヤタにいう。

 すぐにヤタが木剣を一閃する。あまりに鋭い剣撃にサルタ将軍以外は、見切ることはできない。気付いたときには衛士はうめき声を上げ右の手首を押さえて芝の上に突っ伏していた。

 ヤタは止めを刺そうと八相に構えたが

「ここまでだ」

 サルタ将軍が止めた。

「骨が折れている。早く医者に見せに行け」

 周りにいた兵士たちはその言葉に従い衛士を立たせて連れていこうとしたが彼はそれを振りほどき

「まだ腕は一本ある。俺は王を直接守る衛士である…腕の一本ごときもとより捨てる覚悟である」

 と、いってヤタの方を向き左手のみで構える。

「僕は鍛錬をするためにここにいる。大事な国の戦力を削ぐことが目的ではない。今日、敗れたのなら明日倒せばいい、怪我がひどければ治してから挑んでくればいい。あなたの名前を伺いたい」

 ヤタは構えを解き頭を下げながらいう。

 ヤタの言葉と礼に衛士は毒気を抜かれた。

「俺の名はハクロ、今日は俺の負けだ」

 ハクロは誰の手も借りることなくその場を去っていった。

「次お願いします」

 ハクロを見送ったヤタは兵士たちに問いかけた。だが、誰ひとりとして前に進み出るものはいない。ハクロは実力者だった。そのハクロが全く歯がたたない…皆二の足を踏む。

「体が冷えるじゃないですか」

 挑発的にいっても誰も乗ってこない。

「アシナ行きなさい」

 見かねたサルタが言うとアシナと呼ばれる少年が兵士たちの間から出てきた。年の頃はヤタより少し年上といったところか。

 自分と同じ年頃の兵士がいるとはヤタは知らなかった。どの程度、本気を出していいのか迷いヤタはサルタを見たがいつもどおりの厳しい表情のままだ。

「アシナ何も考えずにとにかく攻めなさい」

 サルタの言葉にアシナは頷き

「お願いします」

 大きな声で元気よく頭をさげる。

 ヤタも視線をアシナへと移し

「お願いします」

 と、頭をさげる。この中では年少同士の戦いである。

 しかし、ヤタはまだ決心が付いていない。ハクロのように骨折させるのは成長期のアシナにとっては後に問題が残るかもしれない。取り敢えず正眼に構える。

 ハクロとヤタの戦いを見ていたアシナはヤタにシンプルに構えられて攻め手がない。

 だからといってスピードで敵うわけはなくアシナは自分から攻撃を仕掛けるしか勝機はない。ジリジリとヤタが間合いを詰めるがアシナはそのぶん後退する。

 どちらも手を出さない。

 周りの兵士たちはなぜヤタが攻めないのかわからない。アシナははっきり言って弱い兵士でありハクロとは格が違う。サルタ将軍がなぜこの男を抜擢したのか?

………シュッ!

 瞬時に間合いを詰めたヤタが軽くアシナの木剣の剣先を跳ねる。

 パシーン……

 乾いた音が響く。

 しかしそれほど力を込めていないため追撃できるほどの隙は生まれない。

 アシナは過剰に反応し後退して距離をとった。ヤタは距離を詰めずにその場に立ったままで下段に構える。

「サルタ将軍、この勝負は甲条の二則は適用されますか?」

 アシナはサルタに聞く。ヤタはそれを知らない。

『甲条の二則』とは一対一の鍛錬の時の紳士協定のことである。

●むやみに時間を浪費する戦いをしてはならない

●むやみに剣術以外の駆け引きをしてはならない…というものだ。

 その定義自体が極めて曖昧なものであるため適用されることは殆ど無い。

「…万全を尽くしなさい」

 サルタは言った。容認したということだ。

 ……ダダダッ!

 アシナは背を向けて駆け始めた。相手に背中を向けるとは……わざわざサルタに確認したわけだ。

 ヤタは無言で追いかける。

 アシナはたしかに俊足であった。しかしヤタにはかなわない。アシナはヤタの体力を奪う作戦なのだろう。単純な策ではあるが一瞬の判断力を鈍らせることはできる。

 剣を持っていなければ鬼ごっこにしか見えない。

 少しずつヤタは差を詰めていきアシナの逃げ道を狭めていった。

 やがて城の中の広大な敷地にある湖のほとりにアシナは追い詰められた。

 両者とも息が乱れている。案外とヤタは持久力がない。

 アシナはまさに背水の陣となっている。だが、アシナは割と冷静であった。実力は明らかにヤタが上であり負けたとしても恥じ入ることはない。そして時間が経ったこと、体を動かしたことにより緊張がほぐれている。

 自分が勝つとすれば一撃を急所に入れるしかない。勝つための方策が複数あるのなら気負うこともあるだろうがアシナには一撃を入れるしか勝つ方法がないと絞れている。未熟であるがゆえにできるシンプルな思考だ。

 アシナの得意技は突きでありこればかり練習してきた。ハクロより唯一優れている技が突きである。

 ヤタが正眼、下段の構えから攻撃を仕掛けてくれば諦めるしかない。

 しかし、上段に構えたのなら…鳩尾を狙って渾身の突きを入れる。

 アシナは呼吸を整える。サルタを始めとして兵士たちが二人に追いつき見守っている。

「いきなさい」

 サルタの声を聞きヤタは正眼の構えから上段の構えへとゆっくり移ろうとする。

(今しかないっ!)

 アシナは精一杯の突きを鳩尾目がけて放った。


 勝負は一瞬で着いた。

「勝負あり」

 サルタの声が響く。

 一人の少年が湖のほとりうずくまり、一人の少年がその傍らに立っている。

 しばらくの間静寂が空間を支配したあとドーッという完成が湧き上がった。

 立っているのはアシナだった。ヤタは無言のままうずくまっている。気を失っているのかはわからない。

 アシナ自身がこの状況を信じられない。突きが入った感触はなかった…だが、アシナは立っておりヤタはうずくまっている。これは紛れもない現実。

「僕の勝ち?……僕は勝った。僕は勝ったんだ!」

 アシナは雄叫びを上げた。

 他の兵士たちも自分の勝利のごとくこの番狂わせに熱狂している。大事な戦に勝利したようだ。

「皆、よく覚えておくことだ。たとえどんなに相手が強い相手であろうと万全を尽くせば勝機は見いだせるのだ!今日は此処で解散」

 うずくまっているヤタ以外はその場を去っていった。サルタはヤタを叱責し兵士たちに手を貸すなと指示した。アシナは自室へ戻るまでヒーロー扱いで次から次へと質問をされたが正直にいって最後の部分は覚えておらず曖昧に答えるしかなかった。

 どうして感触がなかったのだろう?ヤタが普通に八相に構えていれば僕に勝ち目はなかった。


 誰もいなくなったヤタのもとへ一人の少女が駆け寄ってこようとしている。

 ミイザだ。

 彼女はアシナとヤタの勝負を見ていた。

 兵士たちがいなくなったあとヤタは無言で立ち上がり稽古着についた土を払う。

「ゴホッ……ゴホッコホン……」

 ヤタが振り返ると咳き込んでいるミイザがいた。

「こ、これは申し訳ございません姫」

 すぐさま片膝を突き面を下げる。

 砂埃はやみミイザの咳は止まった。

「見ていらしたのですか?」

「ええ」

「まだまだ情けのうございます」

「痛くはないの?怪我したところを見せてくださらない」

 ミイザがそばに近づこうとするとヤタは顔を上げ

「お待ちください足元に…」

 慌てるようにいう。

 ミイザが足元を見るとそこには紫色の花が一輪咲いていた。そこはまさに先程までヤタがうずくまっていたところである。

「あなた、まさか…」

 ヤタは面を下げた。ミイザはしゃがみこんでその紫の花を撫でた。

「よかったわねあなた、助けられたのよ。あっ、そうそう」

 そう言うとヤタの方を向き

「ヤタ、あなたに言いたいことがあるの」

 と、言う。

「ミイザ姫、なんでございましょう」

「ヤタ、その……ごめんなさい」

(わたくしは何でこんなに緊張しているのかしら?家臣に話しているだけなのに)

「何のことでございましょうか。私には分かりかねます」

 少年には似つかわしくない言葉遣いではあるがそれがヤタとミイザの間にあるみえない壁を象徴している。

「朝の謁見の時のことですわ。実はあの剣は鞘から抜けない仕組みでしたの…あなたに恥をかかせてしまって悪かったわ」

 面を下げているのでヤタの表情をうかがい知ることはできない。

 冷たい風がミイザの頬をなで髪をなびかせる。影のある表情が少女の美しさを一層引き立てる。

「私は…」

 ヤタの声は変わらない。感情を押し殺しているのかいないのかミイザは知ることができない。

「私は将軍の息子でございます。いずれは戦場に立つ身でございます…さすればその戦場において剣が鞘から抜けないからといってその戦場から逃げ出すことができましょうか…仲間を見捨てることができましょうか」

 ヤタは兵として当たり前のことを言ったがミイザにとっては予想外の答えであった。

(わたくしとは思考の観点がちがうのだわ。ヤタは常に戦場での観点から自分自身を見つめている…わたくしとはちがいすぎるわ)

 言葉に出来ないかなしみがこみ上げてきた。なぜだろう。

「私達の使命は戦に勝つことです。勝つことによってのみ秩序は保たれ民も安心して暮らしていくことができます。ひいては姫…いや王を守ることに繋がります」

(年は変わらないのにわたくしとヤタは違いすぎる)

 ミイザは自分が兵士や国民たちによって生かされているのだと初めて実感することとなった。

 姫である自分が国民の為にやるべきことはなんであるのか?ミイザの思考の原点はこの時から変わった。

「ヤタ、面をあげなさい」

 ヤタはその言葉に従い面をあげる。

「私たちを守ってくださいね」

 輝くような笑顔でいう。

「かしこまりました」

「そのかわりにこの花はわたくしが責任をもって守りぬきますわ」

「いえ、ですから……お願いいたします」

 ヤタは観念し表情を崩しながら頭を下げた。

 ヤタの人間らしい表情を見たミイザは急に胸が締め付けられる感覚に襲われた。

(なんなのこれ?わたくしはどうしてしまったの?病気かしら)

「姫、風が冷たくなってまいりました。体調を崩さぬよう城内へ帰ることにいたしましょう」

 ミイザとヤタを見守っていたタジカはミイザに近づき進言した。

「わかりましたわ」

 ミイザは城内へと帰っていった。それからしばらくしてヤタも誰も居ないことを二度、三度確認して紫色の花を撫で城内の自分の部屋へと戻った。


 その夜、ミイザは眠れなかった。目をつぶるとヤタの顔が浮かび胸が苦しくなる。

 ベッドから起き上がり本を読んで眠気が来たらベッドに入り目をつぶる…そうするとまたヤタの顔が浮かんできて眠気が飛んでいきベッドから出て本を読む。本の内容なんか頭に入らない。自分がどうしてしまったのかわからない…自分が抑えられない。

 それを何度も繰り返しやっと眠りに付くことができたのは夜明け前だった。

「ミイザ様、ミイザ様」

 体を揺り動かされる。

「うーん」

 目が開かない。ついさっき寝ついたばかりで体が重たい。

「ミイザ様、起きてください」 

 乱暴なほど激しく体を揺り動かされる。いつもはミイザは女中から起こされることはない、6時には目を覚ましている。姫というものも忙しいもので朝から晩まで予定がつまっているのだ。知識、教養を身に付けなければならないし、弦楽器の一つも弾けないといけない、舞踏も当然できなければならないし他国からの使者の謁見、自国の領民たちの報告も受けなければならない。昨日はお母様が家庭教師の先生に断りをいれてくださったからヤタに謝りにいくことができた。でもそのかわりこれからは二度と休ませませんわよと釘をさされたけど……。

 重たいまぶたをこすりなんとか目を開けて起き上がり冷たい水で顔を洗い身支度を整える。

 少し頭が痛くてボーッとする。

「ありがとう」 

 起こしてくれた女中に礼を言う。

「不躾な起こし方をしてしまって申し訳ありません」

 女中は恐縮している。

「いいのよ。起きなかったわたくしが悪いのだから」

 部屋の扉を開けるとタジカがかしずいて待っていた。

「ミイザ様、本日はイト国より王子がやってまいります。まもなく到着されるとのことですので…ささ、こちらへ…」

 ミイザは衣装部屋へと連れて行かれ正装に着替えさせられる。派手で体の動きが不自由になる衣装、贅沢とは無駄を精一杯詰め込むことなのかな。

 王の間に行くと王と王妃はすでに正装で待っていた。

「ミイザ、よく似合っているわよ」

 お母様が褒めてくださったけど動きにくい衣装は嫌い。

「ミイザ、早く腰をおかけなさい。これから会う方は将来の結婚相手ですのよ」

「なんですって!」 

 突然の言葉にミイザは驚く。

(昨日までそんなことひとことも言わなかったじゃない)

「我がアレス国とイト国が同盟を結べばユリウス国などすぐに滅ぼして大陸を統一することができる。そうすれば争いのない世の中になり民も平穏に暮らすことができる。ミイザ、お主は自分の意志というのを持ってはいけない…我々は民のために存在しているのだから」

 ミイザの脳裏にヤタの顔が真っ先に浮かんだ。胸の動悸がはげしくなる。

(なんなのよこれ)

「お…お父様、わたくしにはまだ結婚は早いと思いますわ」

「あら、そうでもないわよ。私と王が結婚したのは私が13歳のときよ」

 お母様がいう。初めて聞いた。

「いますぐ結婚というわけではない。今日はとりあえずお互いの顔を見ておくという程度だミイザが気に入れば婚約をしてもよいがの」

 王はいつも通り冷静にいう。

「そうですの」

 ミイザは納得し椅子に座る。それから間もなくして


 ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン


と、城内に鐘が5回鳴り響いた。最上級の来賓が来たときの合図だ。

 衛士の開けた扉から一人の男が入ってきた。

 肩まで伸びた銀髪に黒いマントを翻し白銀の鎧を身に付けている…目付きは異様に鋭く緑色の瞳は不気味さを醸し出しているミイザは一目で嫌悪を感じた。

 早足に王の前まで進み立ったまま礼をする。作法通りに片膝をつけない。

「シモンどの、無礼ではござらんか」

 タジカがいうがシモンは

「何が無礼なのか?我はイト国の王子シモンである。貴国に跪いたことなど一度もないはずだが。むしろ貴国が我が国との同盟を望んでいるのではないのか」

 シモンのいうことはもっともであるがここはあくまでも敵国の城内である。

「シモン殿、鎧姿で来るとは貴殿の父上はどのような教育をなされたのか?我が国の王族は正装で謁見しているというのに失礼とは思われないのか」

 今度はサントン大臣が訊く。

「我が父イスカリオは元々が騎士であり、国民の支持により王位に就いた。サントン大臣もご存知のはずです。騎士にとっては鎧こそが正装ではないですか」

「生意気な」

 サントンはつぶやいたが皆の意見を代弁したものだろう。

「シモン殿、そなたの言い分にも一理あることは認める。しかし王の間にその格好で現れては殺されても言い訳はできませんぞ。私はいくら積年の恨みがある相手であろうとも正装で来られた方を討つことはない。しかしそのような格好で来られれば私の対する殺意があったとして討ちますぞ、それが礼儀というものである。次からは気をつけてくだされ」

 王は厳しく言い放つ。

「それって脅しですか?后と姫の前でいう言葉ですかね?もう后はこの世にはおりませんがね」

「どういう事かね?」

 王は隣にすわっている王妃を見る…王妃は眠っているかのごとく椅子に寄りかかっており、息をしていない。

 王はすぐに医師を呼びつける。

 医師は脈を取り仕草をし首を横に振った…王妃は亡くなっていた。

「クククッ! この国はなんと警備が手薄なのでしょう」

「貴様、何をした?」

「さあ」

 人を喰った態度を取る。

 どう殺したかは分からないが関わっているようだ。イト国と全面戦争になってもシモンを討ち取らなければこの国の名誉は失われる。ミイザ恐怖で動けない。

「皆の者、シモンをう…」

 シュッ

 空気を切り裂く音が音がしたあと、王の首から血が吹き出した。

 タジカがナイフで王の首を切ったのだ。

「タジカ、貴様まさかイト国の」

 王は椅子から転げ落ちる。一人の人間の量とは思えない血が溢れ絨毯に吸収されていく。

「きゃー!」

 ミイザは声を絞り出して叫んだ。この状況下においては何も意味を成さないことではある鴨しれないがミイザは叫ぶことしかできない。

 王を刺したタジカはミイザを次の標的に定め小指の方に刃がくるように握ったナイフを振り下ろしてきた。

(もうだめだわ)

 ミイザが諦め目をつぶったその刹那

「おまたせして申し訳ございませんでした」

 というヤタの声と共に肉と骨を断つ嫌な音が耳に届いた。

 ミイザは目をつぶったままではあったが痛みはなく自分が刺されていないことだけは理解できた。

「もうしばらく目をつぶっていてください」

 そう言うとヤタはミイザに布で目隠しをした。

 これ以上彼女にこの惨劇を見せないという配慮である。

 一方、シモンはサルタと向かい合っていた。すでに数十人の兵士が命を落としている。

「シモン殿、お強いですな」

「それほどでもありませんよ」

「そう謙遜なされるな」

「では……俺は強いです」

 二人は闘いを楽しんでいる。

 シモンはまだ十代ではあるが剣術に関しては相当な熟練者といえる。おそらくは剣術についての古い文献などを読み込んでいるのだろう。多種多様な構えを臨機応変に使い分け兵士たちを切り捨てていった。

「それにしてもその剣はすごいですね。刃こぼれしらずだ」

「あなたならこの剣を知っているでしょう」

 シモンは右手だけで剣を持ち天井へ向けて突き上げた。

「赤カラスのくちばしか…」

 サルタは鑑定する。

「さすがは将軍、ご名答です」

「俺はこの剣以上の剣を知らない。もうすぐあなたの身にこの切れ味を伝えてあげましょう」

 シモンは文献通りの構えから文献通りの剣術を繰り出す。

 正眼、八相、オクス、ブフルーク……

 サルタも正しく教科書通りに対処しカウンターを返す。シモンもそれをうまく交わす。

 まるで演舞の如き奇麗な攻防に兵士たちは見入ってしまう。

「三国一の将軍の名はだてではないですね」

「これでも衰えておるよ。それよりも文献通り攻めつづけたところで私には勝てませんよ」

 シモンはにやついて攻めている。勝利を確信している顔だ。

「そちらこそカウンター狙いでは俺を倒せませんよ」

「ここは守り切ることが私の使命だ」

「はいはい、そうですか」

 シモンの剣速が早くなった。


 キーン…………


 金属音を響かせ剣身の根元を残しサルタの剣は折れた。初めからこれが狙いだったのだろう、剣を喉元に突きつけ勝利の笑を浮かべた。

「止めを刺しなされ」

 サルタは意を決し目をつぶる。

「あなたが死んだらこの国は弱すぎる…つまらないでしょう。スリルがない」

 シモンは剣を鞘に収めて悠々と帰っていった。

 サルタの敗北を見た兵士たちにシモンを追いかける勇気はない。ただ一人、ヤタが追いかけようとしたがサルタに諌められとどまった。


翌日

 王と王妃、そして亡くなった兵たちの葬儀を終えるとともにミイザは女王の座についた。国民は暗く、ミイザの表情も暗い。

 父が刺された瞬間がフラッシュバックすると気が狂いそうになるが取り乱してはいけない。あんなに信頼していたタジカはイト国のスパイであった…誰を信じればいいの?

 三国一の将軍と言われたサルタもシモンに敗れカリスマを失い兵の士気も上がらない。この国にはもう希望が見いだせない…。


二年後

 三国の均衡は崩れ去った。ユリウス国はシモン率いるイト国により王族を皆殺しにされ完全に征服されてしまった。そして、勢いに乗るイト国はユリウス国から吸収した兵力を含めた全戦力をアレス国へと向けて本格侵攻を開始した。

 ミイザが女王に即位してからアレス国の領土は半分になっていた。イト国はジワリジワリとなぶり殺しのように一気に侵攻せず確実に占領をして来る。単純な戦力比はイト国の五分の一くらいだ。

 本格侵攻を受けたアレス国は撤退に撤退を重ねついには城の四方を包囲されてしまった。

 責任を取るかのごとくサルタとヤタは敵方の本陣目がけて突撃をしに行き、いまとなっては一月、使者による報告が来ない。

 討ち取られたと推測するのが妥当だろう。城内に残っている副将ハクロでは実力、経験ともにサルタの足元にも及ばない。

 ミイザは一人城を出て湖のほとりにきてあの紫の花を摘んで両手で優しく持ち自分の胸に押し当てる。

 姫から女王になって二年、何もいいことなんてなかった。

「もう、我慢しなくていいわよね」

 ミイザは一歩一歩湖の中へ入っていく。彼女は喪失感によって感覚が鈍り湖の水の冷たさなど感じ無い、頭も働かないのだ。何も感じなく、何も考えられない絶望。

 もうひとつの世界へと行く為に湖の奥へ奥へと歩いて行く。

「お父様、お母様そして…ヤタ。皆のところへ今からいきます」

 空には満月が浮かびその光が大地を照らしていた。


「女王陛下、私のところとはどこのことでございましょう」

 ミイザの背後からヤタの声がした。聞き間違えるはずはない…彼女は振り返った。

「ヤタ!」

 そこにはきれいな鎧姿のヤタがいた。

「ヤタ、生きていらしたの? ……それならなぜ連絡を下さらなかったの?」

 ミイザはヤタのもとに駆け寄りその胸に飛び込んだ。まぶたからは二筋の涙がこぼれ落ちる。ヤタは優しくミイザを抱きしめた。

「どうして使者を送ってくださらなかったの? わたくしは心配しておりましたのよ」

「申し訳ございません。戦が激しくそのような暇はございませんでした」

「いいわ、許します。あなたがここにいらっしゃる……それだけで充分です。ところでサルタ将軍は戻ってらっしゃるのかしら」

 ヤタはミイザの両肩を掴んで押し、数十センチ彼女を自分の体から離して首を横に振った。

「まさか将軍が……」

 ヤタは頷いた。実の父が死んだとはいえヤタは悲しい顔をしない。

「そう」

「それよりも私の仕事はこの城を守り切ることでございます。さて二千年に一度の座興をお見せいたしましょう」

 そう言うとヤタは腰にかけてある白金の剣を抜いた。

「それは、あの時の剣ではございませんの?」

 ヤタが腰にかけていた剣は彼が初めて出仕したときに王の間で抜くことのできなかったあの剣だ。独特の装飾を忘れることはない。

 抜いた剣の刀身は黄金の光りに包まれている。

 そしてヤタがその切先を天に向かって掲げると城は光に覆われて月から何かが飛んで来る。

 カラス……白いカラス。白い光りに包まれたカラスであった。カラスは切先に止まるとけたたましい鳴き声を響かせた。

――――――――

 晴天は一瞬にして黒い雲に覆われ凄まじい数の稲妻が地上に向かって降り注いだ。そして滝のような雨が地に打ちつける。

 城の敷地内は光に守られ城壁のレンガひとつ欠けることはない。

 城の外からは四方を囲む兵士からの断末魔の声が聞こえる。

 そして、とどめとばかりに白いカラスが大きく一回羽を羽ばたかせると城の外では暴風が吹き荒れて兵士たちが飛ばされていった。城を囲んでいた兵士が一人残らず居なくなるとカラスは月へと帰っていった。

 すべてを見届けヤタが鞘に剣をしまうと城を覆っていた光は消え去り、城の外は以前と変わらぬ豊かな自然に戻っていた。

「……なに? なんなのよこれ」

 ミイザは腰が砕け座り込む。

「なにがおこったというのよ?」

 ミイザだけではなくこの光景を見ていた皆が思っただろう。

「俺は君に惚れた」

 ヤタの声が突然に変わった。

 ミイザの左手を強く握り立ち上がらせる…

「結婚しよう」

 声の変わったヤタが口づけをした。

 ミイザにとって生まれて初めてのキス。体から力が抜ける。

(この人はヤタじゃない)

「あなたは誰?」

 唇を離しミイザは訊いた。

「俺はこの星に遣わされた神、名はミコト。君に惚れた結婚してくれ」

「神? 結婚?」

 いきなり神だと名乗られても、求婚されても戸惑うしかない。誰も神など見たことはないのだから…戸惑いながらもミイザはヤタのことが頭に浮かんだ。目の前にはヤタそっくりの者がいるからだろう。

「ヤタはどうなりましたの?」

「彼は死んだ」

 ミコトは何の感情も込めることなくあっさりと答えた。

「ヤタが……死んだ」

 ミイザはめまいに襲われた。見慣れた景色がぐるぐると回転する。

 ミイザの眼振をみたミコトは彼女を強く抱きしめて優しく頭をさすり続けた。

 しばらくすると多少ふらつく感じはするがめまいは収まった。

「ありがとうございます」

 ミイザは礼を言う。

「初恋は胸に閉まって生きていこう」

 ミコトは優しくささやいた。

「恋…わたくしがヤタにいだいていたのは恋心だったのね」

「そうだ」

「人を愛するってこんなにも苦しいことなの?」

「苦しいこともあるさ」

「こんなにかなしいことなの?」

「かなしいこともあるさ」

「わたくしはこれから誰かを愛することなど出来るのでしょうか?」

「できるさ。君はいま疲れている、少し眠ったほうがいい」

 ミコトはミイザをだきかかえ寝室へとそのまま連れていった。

 ベッドに横になるとすぐ眠りについた。


四時間後

 ミイザが目を覚ますと傍らに椅子に座って彼女の手を握っているミコトの姿が目に入った。温かい手。

「ずっと手を握ってくださったの?」 

「君はうなされていたからね。めまいは大丈夫かい?」

「大丈夫です」

 ミイザは女王の座についてから今までのことを夢のなかで見ていた。この二年間というのは苦痛と悲哀の繰り返しであった。

 気を利かせた女中が水を持ってきた。ゆっくりと一杯の水を飲み干すと気持ちはだいぶ落ち着いた。

「もう一杯飲まれますか?」

「いいえ、結構よ。ありがとう。あの……悪いけどちょっと席を外してくださらない」

「かしこまりました」

 女中がコップを受け取り部屋を出て行くとミイザはじっとミコトを見つめ

「さきほどわたくしに求婚なさいましたよね」

 といった。

「ああ、そうだ」

「いま、返事を差し上げたほうがよろしいかしら」

「ゆっくり考えてもらって構わない」

「いまおこたえ致しますわ」

 ミイザは深呼吸する。

「古いミイザは死にました…これからは新しいミイザとして生きてまいります。結婚いたしましょう」

 ミイザの目つきは眠る前に比べて穏やかになった。彼女は今まで以上に民のことを考え私心を捨てて生きて行くことを心のなかで誓った。

「光栄だ」

 と、ミコトは一言だけいう。

「そのかわり、あなたはイト国を滅ぼして大陸を統一してこの世に平和をもたらしてください。争いのない世界をつくりましょう」

「もとより其のつもりである。だから君に求婚をした」

 そして二人は体を重ねた。

 その翌日、ミイザは国民にミコトとの結婚を発表した。ミコトが神であることは隠すためヤタをミコトと改名するとも国民に伝える。

 昨日の奇跡を見ていた国民に反対するものなど居ない。すぐさま質素に戴冠式を行いミコトは王位につき将軍も兼任する。

 神の指揮する軍隊に人間が敵うはずもなくわずか30日でシモン、イスカリオを自害に追いやりイト国を滅亡させた。

 これによりミコトは初代皇帝に即位し皇国が建国された。

 そしてそれからミコトとミイザ夫婦の幸せが末永く続くかと思われたが二人が初めて交わってからちょうど100日、ミコトは二度と目を覚まさなくなった。

 ミイザはミコトを愛していた。

 ミイザはミコトとの子が16歳になり帝位を継承したその夜、その思いと秘密を遺書にしたため息子に渡し湖で入水自殺した。


    ――二千年後――


脳に届く声

 これはこれは皇帝陛下ではございませんか。

 さすがはミコトの血を引いた者私と同じことができるのね…憎らしい。

「アマト様、約束が違うではありませんか。ミコト様より百代目は私です神の血は私の代で消える。それまでは他の神は血を持つ者の国を滅ぼしてはならないはずですが…それが神々の取り決めではありませんか」

 アマト――ミコトと婚約していた神の名だ。ミイザはミコトから彼女の存在を知らされ遺書に記してあった。本意ではないが結果として恋人を奪ってしまったことは彼女の自殺の一因である。

アマト

 百代二千年の事ですか?

 それは百代若しくは二千年ということですよ

 やはり人間の血は愚かな血ですこと

「しかしそれは滅ぼしてはならないという取り決めであって、滅ぼさなければならないということではありませんでしょう。あなたがこの国を滅ぼす理由は無いではないですか?」

アマト

 黙れっ!この下等生物が…

 ミコトは……ミコトは私の婚約者だった。そして私はミコトを深く愛していた。

 それなのに、あんなミイザという小娘にたぶらかされおって……。

 人と神が交われば神は永遠の命を剥奪され100日後死ぬ。

 これは天神様がお定めになった罰。それを知っておりながらミコトは…

「つまりはミイザが関わった国だから滅ぼすということですか。しかしこの国はミコト様が創った国でもある」

アマト 

 生意気に神意見するとは…貴様以外の人間を消し去ってくれるわ

 ミコトを奪った罪を償うがいい。

「私には理解出来ないことがある。アマト様、あなたがその気ならわざわざテレパシーなどという極めて疲労の激しい能力を使う必要がない。たとえ永遠の命があろうとも能力を使った反動が無いわけではない。楽に滅ぼすことができるはずです」

アマト

 消えることをわからせてから恐怖を味あわせ消していくほうが気持ちいいではないか

 おぬしにも見えているだろう人間どもの怯えている姿が。

「あなたが憎いのはミイザの血を引いている私のはず、そして私には一人息子であるジンムがいる。私は消せないがジンムは消すことができる。私もまもなく死ぬでしょう…そうすれば我が一族の血は絶える。それであなたの恨みは晴らせはしないか?」

アマト

 交渉するつもりなの?

 そんな都合のいい条件受け入れるわけ無いじゃない。

 みんな消し去ってあげるわ。あなたひとりを残してね。

「では、私の命も捧げましょう。アマト様は私に手を出すことはできませんが私が自害することは取り決めに反しないでしょう。私は民を愛している、私の命ごときで民を救えるのなら私は喜んで命をすてましょう。ミコトが自分の命を捨ててまでミイザを愛したように…」


 それからまもなく皇国の女性が全て消失した。皇国中が混乱に陥る。

 略奪、放火、強盗、殺人、暴動……犯罪の資質を持つ者たちはここぞとばかりに犯罪を起こす。

 最愛の人を失った者、この世に絶望した者は自殺し精神を病む者、廃人となる者が続出する。

 正気を保ち平穏を願う者達はこの状況下においては無力であり、暴力によって財産を奪われていった。

 城はかろうじて衛士の頑張りで暴徒をとどめている。

 たった一日。そう、たったの一日で二千年続いている皇国の秩序は崩壊してしまった。

 皇帝はテレパシーによる疲労と精神的な疲労により倒れベッドに横たわりながら心眼で街の様子を見ていた。

アマト

 皇帝よ、いいかげん現実を思い知ることができたでしょう。所詮、人間なんて自分の為だけに生きている。普段は偉そうなことを言ってても、いざとなれば本性を表す。あなたが命を捨てて民を救うことを願っても民達はあなたを責めるのですよ。


 心眼による疲労も重なり皇帝の体力は著しく低下している。そしてその上皇国民達の狼藉ぶりを見せられ心が揺れ動く。

「アマト様、どうか、どうか私とジンムの命で恨みを収めて下さらんか」

 皇帝の心に絶望という領域が勢力を広げてきている。それでも彼は希望を捨てずアマトに願った。

アマト

 ミコトの血を引いていても弱いものね。

 私が何もしなくてもそのうち民はあなたを殺しに押しかけてくるわ

 彼らは初代皇帝のおかげでご先祖さまが生きながらえられた事なんて都合よくわすれている。

 あなたの首を跳ねてそれを晒すでしょう。

(恐怖に支配された人間は思考を制限される人間なんて弱いものなんだ…だけど)

「私はこの国の皇帝である、支配者である。だから国難に遭いその責任を問われれば逃げることなく裁きを受けよう」

アマト

 く……なんでよ。あなたはミコトに似すぎているのよっ!

 殺されてどうなるの?

 この国はどうなると思っているの?

 無責任だと思わないのかしら。あなたの腰にかかっている物は何かぐらい知っているでしょう。

 その剣を使えばあなたは助かるのよ。暴徒を消し去ることができるのよ。

 そしてまた新しい国をつくりなおせばいいじゃない。


 ゴーン……ゴーン……

 17時を告げる鐘が鳴り響いた。城門には暴徒がどんどん集まって来ている。衛士たちはいつまで耐えられるだろう。

「歴史というものは先祖が脈々と受け継いで伝えてきた血と涙と汗の結晶。それを無にしてしまうとは神の発言とは思えない」

アマト

 気に入らない歴史なら捨ててしまえばいいのよ。

 あなたもみての通り皇国が発展した結果で屑が増えすぎたでしょう。

 もう一度歴史を創り直しましょう。

「歴史を否定することは自分自身を否定すること。先代はそれが口癖でした。一度文明というものができてしまえばその流れは止めることができない。神の取り決めの二千年というのは文明のサイクルを象徴的に表したものなのでしょう。二千年を経てば文明の価値を推しはかれる。現実もそのとおりのようです。やはり神は偉大です」

アマト

 ならばこの国を見なさい。

 人間たちは愚かで卑しくて常に善人からモノを掠め取ることばかり考えている。

 ミコト。私が愛したミコトが命をかけて滅亡から救い建国した国なのに……。

 だからこの国をなんとかしないと……ミコトがあまりにも不憫じゃない。

「誠に申し訳ありませんでした」

 突然に皇帝は謝意を述べた。

「アマト様、私はようやくあなたの本心を知ることができました。あなたはこの国を滅ぼしに来たのではない。この国を蘇らせるためにいらっしゃったのですね」

 フッ……皇帝の表情が安らかになった。

 脈拍がどんどん下がっていく。医者たちが慌てて処置をする。

 ガシャーン…………

 その時、寝室の窓のガラスを突き破り金色のカラスが部屋に入ってきた。皆の視線がそちらへと向く。そしてまばゆい光を放つとカラスは美しい淑女の姿となった。

 淑女は一目散に皇帝のベッドに駆け寄り皇帝の手を両手で握る。

「ミコト死なないで。その血を絶えさせないで」

 淑女は懇願する。

 百代目の皇帝が死ぬ直前、その始祖の神が発現するという。皇帝は淑女の方を向き声をかける。

「アマト、婚約破ってゴメンな。俺は本気でミイザに惚れてしまってさ。顔とか容姿じゃない…彼女の純粋さに心を奪われてしまった。許してくれ」

「許すわけないじゃない。だから生きなさい、そして私の罵倒を受けるのよ」

「ジンム……ジンムをこれへ」

 ミコトはジンムをつれてくるように命令する。

 乳母がジンムを抱いてくる。まだ生後三ヶ月の赤子である。この子の母親は彼を産むとすぐに他界した。

「キャッキャッ」

 と、ご機嫌に笑顔を振りまく。

「どうだ可愛いだろう。人間誰しも初めはこうなんだ生まれながらの悪人なんて居ない。すべては育つ環境次第なんだよ」

「しゃべらないで……少しでも体力を使わないで」

「もう遅いよ。百代二千年とはよく創られたものだな、ほとんどずれない。俺たち神も天神様に生かされているだけかもな……」

 そう言うと、淑女が握っていた手から力が無くなった。

 百代目は死んだ。ジンムの年齢を考えるとこの国はまた一から権力争いが始まることになるだろう。

 アマトはこの星での最後の仕事として消失させた人々を閉じ込めていた異空間から呼び戻し皇国民にテレパシーを送り皇帝の死と皇家の廃絶を伝えた。

「ジンムを抱かせていただけません?」

 アマトはジンムを抱く。

 この子をこの国においておくと醜い政争、戦争に巻き込まれてしまうだろう。

「ジンム、私たちで新しい文明を一から創りましょう」

 そう言うとアマトは金のカラスの姿になり口嘴でしっかりとジンムをくわえ入ってきた窓から外へ飛び去り遥か彼方にある太陽系の青い惑星まで飛んできた。

 それから15年後、成長したジンムと彼女は交わりアマトは男女の双子を生んだ。その双子は後に、とある国の神話の神になったという。

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