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蕾、開く

作者: 灯影
掲載日:2026/06/04



 野花が咲き乱れるこの場所は、私がこの狭い学校という世界で、一番落ち着ける場所だ。


 校舎から少し離れた用務員さんの離れの横にある、小さなスペース。

 造られた花壇とは違って、好き勝手に咲き誇る野花と、猫足のベンチ。

 ここだけ切り取れば、まるで外国の片隅みたいで、気分が上がった。


 ずっと、私だけの場所だった。


 ……最近までは。


 砂利を踏む音がして、いつもの声が届く。


「おつかれ、水澤」


 櫻井蒼波。

 同じ学年の、よく笑う男の子。

 冬の日に突然ここで声をかけてきて、それ以来、昼休みになると当たり前のように現れる。


 そして、当たり前のように言う。


「好きなんだけど」


「うん、ありがとう」


「付き合って」


「ムリだよ」


「なんで?」


「……恋愛に興味がないから」


 半分は嘘で、半分は本当。

 何度も繰り返したこのやり取りは、もう挨拶みたいになってしまった。


 櫻井は「そっかー」と笑って、すぐに別の話題を持ち出す。

 その軽さに、最初は戸惑ったのに、今ではその軽さに救われている自分がいる。


 今日も他愛のない話をして、ふと気になったことを口にした。


「櫻井の名前って、草冠の『あお』と海の『なみ』で、あおばだっけ?」


「なに急に。そうだよ」


 人懐っこい笑顔は、犬みたいだ。


「うん。名前は素敵」


「名前は、って……」


 拗ねたような顔をする。

 表情がころころ変わるところ、少し羨ましい。


 二人で笑ったところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「じゃ、また」


 櫻井は軽く手を振って去っていく。

 その背中を見送るとき、胸の奥がほんの少しだけ温かくなる事に気付いたのはつい最近。


 そうして私達はいつものように別れた。




 次の日は雨だった。


 今日は雨が降っているので、昼休みは教室で過ごした。友達との会話も好きだし、仲のいい子だっている。だけど、何となく物足りなかった。


 私はその理由を、考えないようにした。


 五時限目を迎えた頃に雨はひっそりと上がった。


 私は放課後になるのを待って、いつもの場所へ向かう。

 


 居た。



 櫻井が、あの猫足のベンチに座っている。


 私の靴が砂利を踏みしめて、音を鳴らした。


 櫻井がこっちを見て、笑顔で手を挙げる。


「お疲れ。六組はほんと遅いよなー」



 何となくどこかがフワッと暖かくなる。

 でも、気のせいにした。


「雨降ってたのに」


 私達は待ち合わせをした事が一度もない。


「止んだよ」


「……止んだね」



 突っ立ったままの私を、櫻井は笑顔で手招きした。


 そして私は、雨粒の気配が消えたベンチに座った。

 

 櫻井のこういう気遣いは、素直に素敵だと思う。


「水澤」


「なに?」


「オレ、水澤の事好きだよ」


「……ありがとう」


 いつもと様子の違う櫻井に、私はどうしていいかわからず目を伏せた。


「そろそろ聞いていい?」


「え?」


 顔を上げると櫻井と目が合った。


「興味がない理由」


 私は戸惑った。正直あまり人に話したくはなかったから。


 だけど櫻井の真剣な表情を見て、話す事に決めた。


「ごめん……興味がないわけじゃないんだ」


 櫻井は黙ったまま、私をじっと見ていた。


 私しか映っていない櫻井の瞳に、怖じ気づきそうになる。


「……ただ、前に進めなくなっただけで」


「うん」


 低くて優しい声だなと、場違いだけれどそう感じた。


「初めて好きになった人で……私どうしたらいいかわからなくて、可愛がってくれてた先輩の女の人に相談してた」


 なんか言葉が重くてうまく話せない。

 からだが中心に向かってぎゅっと何かに引っ張られるような感覚がある。


「でもそのうち、二人が付き合って。で……えーと。それからその時の重い気持ちだけが、ずっと胸に残ってて……」



 話してしまった。

 


 そんなことでって笑うかな。

 よくあることって。

 

 そんなことでも。

 幼くても。


 傷はつくんだよ。

 痛くて痛くて。

 涙も出たんだよ。

 


 ……櫻井は、黙ったままだ。


 私は目の前の、名前を知らない木を見た。


 閉じたままの蕾が沢山ついている。


「あの木、みたいな蕾がね。開くことが出来ないままで。胸の中からなくならない。花なんかもう咲かないのに」


 私の目線を追って櫻井も目の前の木を見つめたような気配がした。


 私はさっきから櫻井の顔を見ることが出来ないでいる。


 この場所での沈黙を、不安に感じたのは初めてかもしれない。


「オレさあ」


 心臓が跳ねそうになった。


「蕾って、必ず咲くと思う」


「え?」


 私は櫻井を見た。


 櫻井は少し笑みを浮かべた表情で、じっと目の前の木を見ている。

 

 

「生命力、なめるなよ?」


 何で。


「……何で咲くって思うの」


「きっと蕾はさぁ、自分の生きやすい時期を選んで咲くんだよ。かたーい殻で自分守って、その間は綺麗に咲く準備を中でちゃんとしてる。咲くことしか考えてない」


「なんか本当みたいに聞こえる」


 私は思わず笑った。


「本体さえ元気なら、何も問題なんかないんだよ。だから水澤の蕾も咲く時期がまだ先なだけで、絶対咲く」


 ……そんな楽しそうな顔で、こっち見ないでよ。


「水澤の心はちゃんと元気だろ?」


 私は呆気にとられた。


 私の心が元気?


 ――そうなのかな。


 先輩を好きになってできた蕾は、また別の気持ちを糧に花を咲かせる事が出来るの?


 本当に?

 


 ――私は今まで一度も聞かなかった事を聞いた。


 

「なんで私を……好きになってくれたのでしょうか?」


 緊張しすぎて直球になりすぎた言葉に、私自身が固まった。


 でも、やっと聞いてくれるんだ、と櫻井は小さな声でそう言った。


「中二の時に一回会ってんだよね」


「嘘、どこで?」


「水泳部の試合で。友達の応援にたまたま行っててさ。そん時オレ髪長かったし、ちょっと色も抜いてたんだよ」


「覚えがない」


「すれ違っただけだから」


 それ会ってない! という私の文句に櫻井は笑った。


「でも、水澤はオレの事見てたよ。見て、隣にいた女の人に『何に反抗してるんですかね』って言った」


「あー…… あれ?」


 それに関しては、なんとなく覚えがあった。


 仲の良かった先輩と、お弁当を取りに行ったときに確かにそんな男の子を見た気がする。


 先輩の格好いいねと言う感想とは裏腹に、中学生でそれいいのか? っていうくらいの茶髪で明らかに浮いていた彼を見て、私はただ、ああ、反抗してるんだなと思ったからそう呟いただけで。


 聞かれていたのか、本人に。


「口が過ぎて、ごめん」


 陰口のつもりはなかったにしろ、良い気はしなかったはずだ。私は櫻井に謝った。


 でも櫻井は、笑った。


「それ聞いた時に、なんかオレ腹が立つより、すーっごい恥ずかしくなっちゃって。子供ですねって言われた気がしてさ」


 私は戸惑っていたけれど、とても楽しそうに話す櫻井に、無言で頷くしかなかった。


「それから、すぐ髪を切りに行った。って言われても意味わかんないと思うけど。当時のオレにとっては一大決心だったわけよ」


「私の一言がそんな大事に……」


 櫻井は可笑しそうに笑った。


「大事だったよ。そのお陰で親とも話し合えたし、この高校にも来れた。だから水澤にも会えたしね」


 不覚にもどきっとしてしまった。

 だから自然を装って目を逸らした。


「でさー? 嬉しくなってすぐに話しかけようとしたんだけど、水澤の放つ寄ってくんなオーラにどうしようかずっと考えてた」


「寄ってくんなオーラなんて出してないよ」


「出してたってー! それにいつも昼休みになると、水澤消えるしさぁ。なんかイライラしながら探してた」


「ストーカー?」


 また櫻井は大きな声で笑った。よく笑うな、ホント。


「男なんて、皆こうだって! 気になったらどうしても探すし、見つけられなかったら、関係ないのに感情が揺れたり」


「……それはわかる」


「でしょ。そんで、ここに来てる事がわかって、どうしようもなくなって声を掛けました。まさか、こんなにも振られ続けることになるとは思わなかったけど」


 そう言いながら首を傾げる櫻井に、私は不覚にもどきりとした。


「さて、水澤? オレが好きになった理由というか、きっかけを話したわけだけど。何か気持ちの変化があったわけ?」


 意地悪くそう聞いてくる櫻井に、私はうっと言葉を詰まらせた。


「別に……、ただ聞いてみただけ」


「そうなんだ?」


「……そう」


 いつもの通りに、そっかーと流す櫻井の顔は、いつもより楽しそうに見えたのは、見間違いではないだろう。



 私達はまた何でもない話をして帰った。


 

 だけどこの日を境に私の心は大きく変わった。



 固く閉ざしていただけの蕾は、 咲く時期を待ちながら、花を咲かせる準備に取り掛かる。


 それはきっと、とてもゆっくりとしたペースで。


 私の胸の中で、いつか櫻井の笑顔を糧に花は咲くのだろうか。


 その日を少しだけ楽しみにしながら、私は今日もいつもの場所へ向かう。



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